日光例幣使街道を行く
2004.夏〜
2004年夏、日光例幣使街道を走り始めた。
例幣使とは京都の朝廷から毎年伊勢神宮や、日光東照宮に奉幣する勅使のことだそうだ。
私もこの地に来るまで例幣使と言う言葉を聞いたことはなかった。
例幣使は京から中仙道を下り、高崎は倉賀野の宿より中仙道から離れ玉村、五料、柴、木崎、太田を通り下野に抜け、日光街道まで行ったそうだ。帰りは江戸廻りで東海道を上っていったという。
昔のことながら楽しい旅であったであろう。
旧街道の場所も分からず、文献頼りの訪問なのでバイクと言う近代兵器で回っているにも関わらずいっこうに進まない。先は長いのでゆっくりと更新しようと思う。
最初に私の旅バイク。
kawasakiスーパーシェルパ。後ろのケースは某郵便車用の特製ケースである。通販で手に入れた。名前はストロングボックスと言うのだ。現在の倉賀野駅、高崎線で上野から乗ってきて高崎のひとつ手前である。高崎の繁栄に比べ往時の面影は無く大きいがさびしい駅だ。八高線も乗り入れているのだ。 倉賀野の町外れ、旧中仙道と例幣使街道はここで分かれる。江戸に向かう人と日光に向かう人が分かれたのだ。例幣使は毎年4月1日に京を発ち、4月15日に日光に着いたそうだ。上野の国(群馬)は4月10日から12日くらいに通ったと言う。 その分岐点にある常夜灯。今は当時の面影を残すのはこの常夜灯くらいだ。倉賀野は昔利根川水運の終点だったそうで人足も多く繁栄していた。 次は玉村宿。
玉村八幡宮は戌年と亥年の守り神だそうだ。その謂れを見てくるのを忘れてしまった。そのうちにもう一度行ってきましょう。これは玉村の本陣跡。焼けてしまったのだ。玉村宿の木島本陣は、1868年(慶応4年)の大火で焼けてしまいました。この歌碑は1864年(文久4年)例幣使の参議有長が建立したそうです。
玉村から利根川を渡る五料の関所跡。
前橋藩の水運の基地であった五料は要衝の地であった。今残るのはこの沓抜石だけだ。 五料側から境町を望む。流れは緩やかで川幅は広い。 ここは柴宿の脇本陣あと。関根さんという方がやっていたようです。今も周辺の豪邸は関根家が多い。 柴宿と木崎宿の間の雷電神社。群馬県には雷電神社がたくさんある。 木崎宿の跡。東太田宿、日光。西柴宿、京都と刻まれている。往時は木崎と玉村が大いに栄えていたそうだ。新田の庄の中心でもあったという。 今の木崎駅。郷愁を感ずるしゃれた駅舎である。 尾島町の東照宮。尾島町には史跡名所がたくさんある。いずれ新田氏の史跡も尋ねてみたいと思う。 同じく尾島町の雷電神社。小さいがお祭りは華やかだ。