北関東日記・7
両親来たる

2004.9

両親が北関東の地に遊びに来ることとなった。
いくつになっても息子の暮らしぶりが心配らしい。今もそうだが私はだらしの無いところがあり、部屋をいつも汚くしていたし手や顔を洗わなくても平気な子供だった。また、結構あぶない遊びをしたり無茶をして怪我をしたり骨を折ったり良く心配をかけていた。
思えば今も心配かけているのかもしれない。一緒に住んでいたときはバイクに乗って出かけるたびにいつ帰るのかと気にしていたようだった。
自分もオートバイに乗っていた手前、父ははっきり言わないがやはり心配なようだ。

父は糖尿病がひどく目が不自由だ。母はそんな父を支えるように頑張っている。
その両親が来る。布団をどうしようか。食事は何を食べさせたら良いか。
久しぶりの泊まりの旅行を何とか楽しく過ごしてもらいたい。
最初は噴火中の浅間山。まだ父母が来る前に噴煙を上げていた。上信越道からはその様子が良く見える。
ところは変わって金山。
関東平野はここで終わりと言うように小高い丘がある。
ここには昔金山城という山城があった。かなりの要害だったようだ。
東武線の特急りょうもう号。この駅は11月には改修され高架になる。エレベーターかエスカレーターが付くようだ。そうすれば父も安心して招ける。
日曜日なので私の勤務先も見に来た。良く見えないながらも駐車場のはじにあるお稲荷さんを拝んでいた。
同じく事務所前にて。季節はずれの授業参観のようで少し恥ずかしいが父の喜ぶ顔をみると来てもらってよかったと思えた。
先ほどの金山城のふもとにある大光院。呑龍上人で有名なこの寺は境内も広く良く整備されている。歴史が好きで若いときは寺社巡りなどしていた父は私の付け焼刃の史跡説明でも満足なようだった。
同じく大光院。1611年に徳川家康が建立した。住職の呑龍上人は、地域の子供らを集め面倒を見たことから「子育て呑龍」として親しまれ、多くの親子連れが参拝に訪れる。本堂の後ろに新田義重と呑龍上人の墓が立つ。また、盆栽や山野草、花卉類の展示会なども良く催されている。
大光院の本堂。杖が無ければ不自由だった父だが、母が日課のように一緒にゆっくりと歩いているので最近は階段さえなければ結構良く歩く。
ただし、足の動脈3本のうち一本は流れが悪くそれですぐに疲れてしまうのだ。
弁天様を拝む母。何を願うのか。
ここは玉村八幡宮。父は昔、このあたりに勤労動員に来ていたという。
玉村八幡宮は戌年と亥年生まれの守り神だそうだ。私は戌年だが丑年の父と申年の母にはただの観光だ。
両親仲良く。
父の健康が心配になってからこのような写真が多くなった気がする。
自立心の強い父だが自然と母に頼るのであろう。健康はすべての源であることは間違いないが父母を見ているとすべてでもないな。という気がする。
共に苦労してきた戦友同士のような絆。
それと互いの優しさを慈しむ気持ちが有るのであろう。

私には未だ早いが良い年のとり方をしたいものだと思う。

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