中越地震支援

2004.10
10月23日夜、新潟中越地区でそれは起こった。現在までの情報で川口町で震度7阪神大震災級の直下型地震だ。その夜八ヶ岳の麓にのんびりと来ていた私は急いで事務所に戻り情報を収集した。
中越地区は私の勤務先のテリトリーだったのだ。
そして一週間。最初の報道より被害は大きい。水曜日くらいからボランティア仲間の間で川口町はひどいらしいとのうわさが拡がっていた。
IT社会でインターネットで何でも情報が入る時代だがこれを書いている11月1日5時現在でも川口町のホームページは更新されていない。
新潟県のページにもその他の地域のことが中心だ。
本格的な報道も土曜日からだった。ITが進んでも発信するのは人だ。発信されなければ何も起こらなかったかのように思ってしまう。震度7が判ったのも一週間経ってからだ。ここに私はIT社会の限界と悲しさを感じる。ITが情報のすべてではないことを今後の戒めとしてゆこうと感じている。
一市民である私には何も出来ないが災害ボランティアとして10月末の2日間を十日町市で過ごしてきた。
30日早朝、群馬の仮宿を出発。長靴に軍手や自分の飲料、もしもの場合の薬などを積みフル装備のKimuchi号。
被災から一週間、小出町まで開通した関越道は路肩にでこぼこが有るものの空いているし快適だ。ここは関越トンネル手前の谷川岳PA。通常営業だ。
この日現在、六日町手前の塩沢石打SAまでは平時と同様に営業していた。
六日町のICでは検問とともに道路案内をしてくれている。
災害ボランティアにも親切な対応。以前の物見遊山扱い的な見方からは大分変わってきたのはボランティアも少しは役に立つと思われてきたのかもしれない。
待ち合わせ時間にぴったりに登場の今日の相棒、G氏。CRMで駆けつける。
ここの出口脇のチェーン装着スペースは高速入り口、出口双方から入れ待ち合わせにぴったりだ。警察車両も多数停まっていた。
さて被災地での風景。
十日町は家屋の被害は倒壊ではなく危険家屋指定が多い。震度6と7の違いだろうか。それでも古い家はぺしゃんこになっている。
最初の業務はニーズ調査。市街地から5−6キロ北の地域の避難所情報の収集とニーズ調査の用紙の配布であった。
上の写真もそうだが古い家は被害が大きく新しい家は外見はなんとも無い。しかししかし家の中同様にめちゃくちゃになっている。
G氏の後ろのお宅は新築の左側は大丈夫だが右側の古い棟は傾いている。
墓石はほとんどが倒壊。
隣町の六日町のお墓が無事だったのと比べ直下型の脅威を感ずる。
さて前後するがボランティアセンター。入り口脇でまずは受付。
登録を済ますと一通りのガイダンスを受ける。運営者も素人のボランティア。頭が下がる。
ガムテープに名前を書き、胸に貼る。見ず知らずの人とペアで活動するときに名前を覚えられるので役に立つ。
その後はニーズにあわせ業務が割り振られる。地元の高校生も多数参加していた。
個別活動の受付。2枚のポストイットに名前を書き、行き帰りのチェック用、活動管理とするのだ。
避難所一覧、と書いてあるが集会所など古い建物は恐がって寄り付かないようだ。私たちが担当した地区でも建物内は恐いので夜は車で寝ている。と言う方が多かった。
実際の業務の説明マッチング。
活動終了後の報告場所。ここでは終了の確認(人員の行き帰り)だけを行う。
その後、活動内容のヒヤリング。女性スタッフがきめ細かいヒヤリングを行っていた。阪神のころの混乱とは隔世の感がある。
手前緑のパーカーの方は今日一緒に活動したS氏。上越市より駆けつけたというS氏は夕方より川口町に入った。情報交換の約束、お互いの健闘を誓い別れる。
活動報告2回目の業務、水路の石垣片づけを終え報告するG氏。
G氏の後ろは現在東京に在学中の地元出身の学生さん。地理に明るく助かった。
3つ目の業務も通路をふさぐ石の片付け。この地域は老人の独居生活が多く支援は力仕事が多い。
このテントで寝泊りしている。
大切なものがある家からは離れがたいのだ。郊外はすべてこのような状況で避難所に入っている方が少なくニーズ調査の難しさを感じた。
わずかに補強を加えた家。
水路に掛かった橋もひび割れている。
良く見ないとわからないが不安だ。
大石を一輪車で運ぶG氏。
一輪車の空気が抜けておりバイクに常備していた空気入れが役に立った。
重い石を二人掛りで運ぶ。相方は東京の学生さん。やはりバイクで駆けつけたと言う。翌日はボラセンの運営スタッフとして活躍していた。
写真は被災者の親戚の方が撮ってくれた。活動内容の写真が残るのは珍しいのですべて載せる。
30個ほどの玉石を次々と運ぶ。
翌日は体中が痛くなる。
片付けももうすぐだ。最後の大岩に掛かる。
このころから雨が降ってきた。道路の向こうには何事も無かったかのような刈り取り後の田んぼが広がっている。
最後に散らばったちいさな石を片付けて業務終了。ボラセンに戻る。
十日町市ボランティアセンター。
市役所の目の前だ。
六日町の宿舎に戻り泥のように眠る。被災者とは違い快適な布団で。
申し訳ない気持ちと明日も頑張ろうという気持ちで今日の雨が2次災害を引き起こさんことを願う。
宿泊したサンバレーひぐちの風景。六日町インターからバイクで2分の至近にある。
31日は一日この家を片付ける。
障害を持った方のお宅だった。
向かいの家は建具やさん。商売柄早くも補修に入っていた。
外観はこの程度だが中の状態はひどい。土壁は落ち戸は外れたり桟に挟まったり。大人5人でやっとのことだった。
この軽トラが避難所に持ってゆく住人の大切なものだ。
大切なものでないものが家にあるだろうか。多くのものを捨てざるを得ない被災者の悲しみを感じた。
通り過ぎれば判らないようだが地面との間に隙間が出てしまっている。
同じく土台の束石は外れてしまっている。余震が心配だ。
本日の活動を終了しボラセンに戻る。
途中のブロック塀が壊れていた。
閉店中のスーパー。新潟で一番のスーパーだが復旧作業が進んでいる。こちらから見ると被害はほとんど見えない。
方角を変えるとこの惨状。
ゆれの方向でこれほど差が出るのだ。阪神大震災を思い出した。
同上。
十日町市役所。正面には救援物資が山積み。報道車両も多い。
ボラセン前で帰路に着く前のKimuchi号。ここで新潟RBの面々と会った。本日は川口町にも行ったと言う。
日増しに増えるボランティア。
平日の需要に応えられるだろうか。サラリーマンであることを申し訳なく思いボラセンを後にする。
一日も早い復興を願う。

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