中越地震・2
2004.11
10月23日に起きた中越地震。日を追うごとにその被害の甚大さが報じられる。
10月の十日町支援に続き11月3日には川口町、11月6日、7日には小千谷町にボランティアとして赴いた。小千谷や川口町は先週の十日町に比べても被害は悲惨を極めている。道路は陥没、土砂崩れは有り、住宅もツブれている。地震のエネルギーもさることながら人が叡智を集うて築き上げたものが一瞬にして破壊されるその儚さを感じた。
日本が誇る高速道路はめくれ、ゆがみ、たわむ。上下に引き裂かれる土地、割れる地面。阪神大震災を経験した自分だが山間部の震災の凄さはまたひとつ異なる。
ともかく雪が降り出す前に被災者の方々が安住を心とならむことを祈るのみである。
十日町から小千谷市、川口町に行く道沿い。小中学校の校舎は避難所に。校庭は被災者の方々や救援者の駐車スペースになっていた。
道路の復旧は早い。こういった幹線(R117)は砂利などで補修されていく。
その補修も歩道までは行き届かない。まずは輸送路、復旧路の確保なのだ。兵站確保の思想は災害時が戦時と変わらないことを認識させる。
ここは川口町のボランティアセンターからの眺め。崩れたがけの左にぶら下がっているのはコンクリート製の階段である。不安定にがけに引っかかっているだけだ。
ボランティアが集合し朝のミーティング。まだ、避難解除になっていないこと。危険を避け2次災害を起こさぬよう細心の注意を払うよう指示される。また、被災者の心情を考えむやみに写真を撮ったりしないよう当たり前だが忘れがちな心構えを確認する。
バイク隊。この日は20台以上が被災地を走り回った。
今日共に活動した女性、T氏。
神奈川県の安全運転大会で3位に入賞するほどのウデの持ち主。
横須賀を4時に出て日帰りでの活動だ。今日は私と同じシェルパでニーズ調査、近隣の被災を受けていない地域への買出しなどの活動を行った。
この川口町は被災の報道が他の市町村とくらべ一週間遅れた。
この遅れが被災者への支援を遅らせることになったように感じた。
IT社会は電力など生活インフラの上に成り立っている。ボランティアも報道の多いところに吸い寄せられるように行く。
「情報は誰かが発信しなければ届かない。」という当たり前のことが心に重く感ずる。
小千谷から川口につながる県道から向こうは関越自動車道の越後川口付近。夕刻なのでシャッタースピードが遅く手振れがひどい。
上記の写真の拡大図。
この右側のがけは50M以上崩れてしまっている。震災から10日経ってもこれほどのがけ崩れは手をつけられていない。
ここは十日町から小千谷に抜けるR117。ここも信じられないほどの落差で崩れている。
同じ風景を角度を変えて。右の大木が倒れ家に倒れ掛かっている。手前の家は崩れ落ちてしまっている。
左にある建物はバス停だ。あと1M崩落がずれていたらこのバス停も落ちていたはずだ。
今、余震があったら・・・。と恐怖がこみ上げる。
不思議な風景だ。畑の一角を残し周囲すべてが崩落しているのだ。
絶望の中の残された希望なのか。それとも遠い復旧を現すのか。

一日も早い復興を日本中が願っている。

11月6日。そして小千谷に入る。

前日の16時に一般開放された関越道を降りる。日本が世界に誇るこの高速道路網の一角が飴のように曲がり、うねり、崩れていた。
他のメンバー4人と待ち合わせ中。
後ろを振り返ると家々が傾いたり崩れたりしていた。
小千谷市ボランティアセンター本部前。たくさんのボランティアが正に全国から集まっていた。
小千谷市の総合体育館内。ここには2500人が避難していた。
2日前には格闘家のボブサップや曙などが支援に訪れたという。またこの日は天皇、皇后両陛下が訪れ被災者を励まされた。
プライバシーのかけらも無いこの体育館で2週間も過ごされているとのこと。私たちには何も出来ない。無力感を味わう。
この日は新潟県内から警察学校の学生さん達が集団で来ていた。一般ボランティアと違い統制の取れたその行動はさわやかで且つ力強い。その動き、使命感、体力、すべてが卓越したこの集団の支援はうれしい。日本の未来は明るい。と感じた。
今日は被災者住宅の庭などにテントを建てる活動を行った。
余震の収まらない今、ゆれたら逃げ込むところを確保するのだ。
この日は季節はずれの暖かさ。被災者には少しだけ優しい。
壊れた歩道にはボコボコとマンホールが持ち上がってしまっている。なぜこのような現象が起こるのか。市内にはいたるところでこの光景が見られる。この風景は阪神大震災の電柱が地面に半分以上埋もれた風景と共に心に残るものになろう。
今回GSで参加したI氏。横浜からだ。
冷静な判断で常にリーダー役を受け持つ。
ヤマハXJRで参加のM氏。川崎から。心の優しさは身ごなしからも伝わってくる。
海老名から参加のG氏。G氏とは先週も十日町で活動した。
バイクはCRM。若く見えるが年齢は私に一番近い。
軽快な動きは20代並みだった。
川崎からCB400で参加のH氏。
体力抜群だ。寒さにも強い。
そしてKimuchi。後ろにボランティアセンターの明かりが見える。
私たちが帰った後、遅くまで反省会や翌日の段取りを行っている。
実は仲間のS氏は一週間もここに滞在し活動された。頭が下がる。この日の15時に帰宅されたため会えなかった。
翌日は市内の中心部、小千谷小学校での避難所整理や支援物資運搬、避難所入浴施設の管理などを行った。
小千谷市民会館横に設けられた入浴施設。整理券を持った人だけが20分ずつしかは入れないのだ。慌しい入浴だが皆さっぱりした顔で出てくる。
しかしながら限られた時間に多数入るため、待ち時間の長い方も出てきてしまう。「早く出てください」も心情を考えると言いたくない。でも言わねば寒い中待っている方をより待たせてしまう。
煩悶が続く。こういった施設をもっと提供できれば。と切に願う。
短い時間で施設の清掃を行うM氏。屋外施設なのに思いのほか暖かい入浴施設内だった。
2日間の活動を終え帰途に着く。
ここは塩沢石打SA。ここを先に出た私は赤城付近で皆に一気に抜いて行かれた。
正に一陣の風が吹いたように左手を上げて去ってゆく仲間たち。
何か妙に頼もしさを感じた。

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