武州日記3 川越往還を行く
2005.11
久しぶりの連休が取れそうだ。前々から暖めていた企画。
川越往還を歩く。を実行しようと思っていた。
川越往還は十三里半あるという。2日に分けて往時の気分を味わおうというものだ。
もちろんこんな企画に付き合おうという物好きはいないが・・・。
準備完了、さあ、家を出ようと思ったときに電話が鳴った。いやな予感。
・・・・・・・・急遽、出勤となった。
残念ながらこの企画はお預けだ。でももう一日の休みが有る。
一日だけでも歩こう。ということでお江戸側の半分。
新座の平林寺あたりからの五里強を歩むこととした。運動不足の体には少々キツイ旅だが板橋宿には知人が待っていてくれる。
共に酌み交わす日本酒を楽しみに寒風の中歩き始めた。
出発は仮やどの鶴瀬駅。とりあえず志木までは電車で行くことにした。これから志木へ電車で向かい志木から平林寺を目指すのだ。 平林寺は志木駅から歩いて30分ほど。
今日は天気も良く紅葉が美しい。
平林寺はもう30年ぶりだろうか。
思えば高校時代にこの近所に通学していたのだ。
平林寺は徳川家光の時代に老中だった松平信綱の息子輝綱が建立したという。
松平信綱はこの地方で有名な野火止用水を普請したことで有名だ。
30年ぶりの平林寺は変わることなく私を迎えてくれた。
多分30年後も同じ風景を見せてくれるのであろう。紅葉美しい平林寺を後にし新座警察近くから旧川越街道に入る。野火止大門から東進すると途中に六地蔵がある。
これは横町の六地蔵といいもともとは1714年に立てられたという。
キレイな地蔵なので多分何度か作り変えられたものであろう。
道路っぱたのこういう風景は心を和ませる。新座から朝霞の膝折宿に入る前の黒目川。川はあまりきれいではないが河川敷はきれいに整備されておりおにぎりでも持ってくればここで座って食べたいようだった。未だ早いので風景だけを目に焼き付けて先へ進んだ。 膝折宿の旅館増田屋。
自由民権運動の折、運動家たちが熱弁を奮ったという。
某国営放送で昔あった大河ドラマで(ライオン)の時代というものが有ったがそのときの一揆勢が泊まった事でも有名なのだ。そのときの配役は私の大好きな菅原文太さんだ。朝霞・膝折宿から和光の白子宿を目指す。
途中の歩道橋からの風景。
未だ未だ武蔵野の風景が残っている。ここが白子宿の入口。ここは大坂と呼ばれる急坂だ。往時は苦労したであろう難所だ。下の左は仕出し屋さん。多分昔は料理屋だったのではなかろうか。右下は同様詩人、「清水かつら」の歌が刻まれている白子橋の風景。
「叱られて」などたくさんの童謡の作詞をしたのだが結構な大酒飲みだったらしい。白子宿から市も練馬宿へ。現在の東武練馬のあたりだ。ここは富士浅間神社の分院。商店街の中に忽然とある。 ここは環状八号線の工事の風景。
こうして風景は変わってゆく。
江戸時代の街道の風景は今でも判るほど残っているがこれから10年、20年で多分判らないほどに変わってしまうのであろう。
下頭橋六蔵菩薩。六地蔵ではない。
六蔵とは乞食の名前だそうだ。
乞食の六蔵が死んだとき貯めこんだお金で下頭橋を建てたでこの社を建てたそうだ。上板橋の豊敬稲荷、このあたりは馬立場にもなっていたようだ。境内の看板には上板橋宿の案内板があった。今の地名は弥生町という。伝馬役の街だったのだ。 大山近くの福地蔵。
ここから日本一長い大山銀座に入る。もう板橋宿も目の前だ。
いつもながら大山銀座は華やかである。
全国の商店街も参考にすると良いと思う。どの店も特徴があり入りやすい雰囲気がある。板橋宿に入ると馬頭観音があった。
板橋宿は現在の板橋駅から東に2キロほどのところだ。これが板橋。板橋の語源になっている橋なのだ。ここで川越街道は終点だ。 川越街道から現在の板橋駅へは旧中仙道を進んで行く。中仙道の板橋宿も往時を偲ばせる華やかさがあった。 左上が現在の板橋駅。
右上は新撰組・近藤勇の碑である。ここで短い旅は終わった。わずか20キロほどなのに足は棒の様だ。
左は今日の旅を癒す場所。
板橋駅前の「柏屋」という料理屋だ。
ここのご主人は素材を大切にする腕のよい料理人だ。私も月に一度は訪れるお気に入りの場所なのだ。
店では私の先輩が待っていてくれる。
旅のあとで好きな人間と一献。
最高だ。店は大きく50-60人は入れるだろう。
でも対面にこだわりたいというご主人がわずか4席であるが対面スペースを作ったという。
ここで美味しい肴と日本酒で旅の疲れを癒す。至福の風情。
というよりかなり出来上がっています。
またこういった旅をしてみたいものだ。
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