kimuchiの仙台日記・1
思い出の地を訪ねて
2006.11.26
仙台に来てもうすぐ一月。
引越しの片づけやら出張などでじっとしていたがようやく時間が取れた。
久々に出かけることにした。
とはいえ、慣れぬ寒さと慣れぬ土地ゆえ、思い出の地、知人に教えていただいたところを
訪ねるちょっとした散歩のようなものだ。
仙台には親戚がいる。
親戚といっても血はつながっていない。
母の兄(私の伯父)が住んでいたのだがもう10年以上前に他界した。
その伯父は私と姿かたちがよく似ていたし、楽しい話を上手にしてくれるので
子供のころから結構頻繁に遊びに来ていたのだ。
その伯父は宮城教育大で心理学を教えていたらしい。
(詳しいことはよく知らない。)
坊さんの次男であったその伯父が中学生のころ、私の父が家庭教師をしていたのだ。
それが縁で父と母は結婚したのだ。
その父も今年6月に死んでしまったのでそのころのことは母に聞くしかないのだが・・・。
それはともかく私が最後に仙台の伯父を訪ねたのは高校生のころだと思う。
もしかしたら中学生だったのかもしれない。
確か妹も一緒に行ったと思う。石巻に海水浴に行ったり、山に行って木登りをしたり
高校生とは思えない子供のような遊びをしたものだ。
ある朝、散歩で伯父の自宅から近くにある瞑想の松を訪ねることになった。
何の拍子か伯父と私は腕相撲をしようということになった。
そのころ学校でも力自慢だった私は腕相撲で負けたことが無く
既に中年の伯父には負けるわけは無いとその対戦に挑んだが・・・。
結果は軽くひねられてしまった。
他人にはどうでも良い思い出なのだが私には真面目で学問好きの伯父が姿に似合わず
怪力だったことがとても印象に残っているのだ。
そのとき伯父が言った言葉「瞑想の松の対決」という言葉とともに・・・・。
さて、時は移って平成18年11月、「青葉東照宮に行ってみよう。」
急に思い立ったのは他でもない。
知人に仙台にも骨董市が有るよ。と教えられていたからだ。
毎月第4日曜日、仙台市青葉区にある東照宮では骨董市が開かれる。
最近、和服に目覚めてきた私にはちょっと心引かれるイベントだ。
電車に乗って行く事にした。
その地図を眺めていたら「瞑想の松」が載っているではないか!!
驚くと共に行きたい衝動に駆られた。
自宅から歩いて15分で宮城野原という仙石線の駅に出る。この駅は楽天の本拠地。フルキャストスタジアムが在る駅なのだ。 電車は手動開閉。東京生活が長かった私には珍しい。気がつかないでいると近くの方が押してくれた。
仙台駅までは2駅。
仙台駅で仙山線に乗り換え、一駅で東照宮駅に着くのだ。これが東照宮駅。
仙山線は単線なので乗るも降りるも一緒のホームなのだ。(当たり前か・・。)東照宮駅を降り進行方向を線路沿いに歩いて行くと右手に東照宮が見えてくる。
何やらにぎやかな感じであった。とりあえず骨董市はともかく参拝することにした。
参道はきれいに掃き清められ大きな仁王門が行く手に見える。
伊達家二代の忠宗公が建立したという。
本殿。小振りであるが由緒正しき観が漂う。
とりあえず家内安全、商売繁盛を祈願した。本殿裏の奥の院。
昔の本殿であろう。入れないのが残念であった。
帰りに骨董市を覗くが私のサイズに会うものは無さそうなので早々に引き上げた。
東照宮を拝観したあとは思い出の瞑想の松を訪ねた。
東照宮から北へ20分くらい歩くと東北薬科大学がある。
瞑想の松はその東北薬科大学の敷地にあるのだが誰でも自由に行けるように大学側で配慮しているようだ。
住宅街を抜けて大学キャンパス脇の小道を登っていくとそこだけが静寂に包まれる。
そこだけが別世界のようであった。山形県生まれの評論家、随筆家の「高山樗牛」が物思いにふけった場所と伝えられています。
前述のように私と伯父の対決の場面でもあった。
正直、瞑想の松に見覚えは無く伯父への思いだけがそこに残っていた。
人間の記憶というものは儚いものだ。
しばしの間、物思いにふける。
人は人を覚えていれば良いのだろうか。
記憶とは何の意味を持つのか。
等と。
今は瞑想の松の横に展望台がある。
南を見ると市内が一望だ。
そういえば伯父は巨木が好きで巨木を訪ね歩いていたことをふと思い出した。その巨木のひとつ。「瞑想の松」
巨木というには少々小振りだが枝の張りは
立派なものだ。伯父や父の思い出に浸りながら瞑想の松を後にした。 kimuchiが綴るオートバイライフへ