母来たる ひかりのページェント

2006.12.23
今年6月、私は父を亡くした。
81歳と結構長生きであった父だが身内にとってはやはり悲しい。
50年連れ添い金婚式も過ぎた母にも当たり前だがかなりのダメージがあったようだ。
半年近くが経ち、少しずつ一人の食卓にも慣れて来た母が急遽仙台に来ることになった。

祖母の気持ちを思って孫である私の娘が連れてくることになったのだ。
ここ数年体調のすぐれぬ父を思って旅行などずっとしていなかった母に元気を出させようと
娘が久々の一泊旅行に連れ出したのだ。

とはいえ、冬の東北。
神奈川とは気温も5度以上違う。
「寒いぞ、寒いぞ。」と連発して厚着を勧めたのだった。

そしてクリスマスのイブイブ、祖母と娘は仙台の地に着いたのだった。
仙台に着いた母と娘。
あれほど厚着をして来いと言ったのに薄着できた娘。
母は忠実に完全防備であった。
まずは牛タンの「利久」で昼食。
駅で食べようと思ったが行列なので我が家の近くのロードサイド店に赴いた。
母はヘルシー定食。
娘はレギュラー、私はカレーとの得々セットとそれぞれに食を楽しむ。
食べきれない。といっていた母もスッカリ完食していた。
そして3人で青葉城址へ。
青葉城の神社はスッカリ正月の装いだった。

母の兄(私の伯父)は大学を出た後、仙台の大学で教鞭をとっていたそうだ。
その後転勤などで静岡に越したりしていたが最後はやはり仙台の地で学究生活を送り仙台で人生を終えた。
私もそんな縁で何度か仙台には遊びに来ていた。
その兄と母は5歳くらい離れていただろうか。

その昔、亡き父との結婚話が進んでいたとき母はその相談をしに仙台まで来たそうだ。
それが母にとっての初めての仙台であったそうで。
青葉城址から見る仙台市外の風景を見ながらそんな話を私にしてくれた。
私にははじめて聞く話だった。
そんな話は露知らず。
娘は私の角袖コートを着て高台の城址を歩き回っていた。
後方は伊達政宗の勇姿である。
娘と私。
「独眼流kimuchiである。」
夜は国分町のすし屋で一杯。
美味しい料理にお酒は進む。

私は大好きなひれ酒。
娘はビールとサワー。
母も少々サワーをいただいていた。




ひかりのページェントは20年以上続く仙台の冬の風物詩だ。

クリスマスを翌日に控え、街は若者でごった返している。

その雑踏の中、親子3代で過した夜は思い出深いものになった。

このイベントは多くがボランティアで運営されているという。

また、明かりには暖かさにこだわり発光ダイオードではなく電球を使用しているという。

そんな主催者の心が分かるような気がした。

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