仙台日記・12
雪の平泉 中尊寺と毛越寺
 
2008.1
東北に来て2回目の一月。
雪が降ったら雪の似合う風景が見たい。
そう思いながらも雪が降ると出るのが億劫になる。
1月半ばの寒い朝。思い立ってかねてから行ってみたかった中尊寺を目指すことにした。
出発前に単身長屋の前の公園にて。
後ろのアパートの3階に我が部屋がある。

休日の朝八時半。
最低気温マイナスの朝。
公園には誰もいない。

今日は雪と着物、草履の相性についても検証してみようと思う。

手提げには替えの足袋も入っているのだ。
平泉は岩手の南。
一ノ関からJRで二駅北にある。


仙台駅前より高速バスに乗り込む。
一ノ関までは新幹線に乗れば直ぐだが本数が少ない。

バスは一時間半ほど掛かるが乗り継ぎバスとの接続もよく、また旅の風情も感じさせる。


暖かかった正月から一変。
この冬一番の寒さの中だが天気は上々である。

高速道路も快適。
バスは乗客も少なくゆったりとしていた。
高速を走ること30分、吹雪になってきた。

東北は気候の変化が激しいのだ。
岩手と宮城の県境は地吹雪でも有名なところ。

新幹線ではあっという間に通り過ぎてしまうが、バスの旅はこんな風景も体感できるのだ。
一ノ関で路線バスに乗り換え中尊寺を目指す。
この小振りのバスに20分ほど揺られるとそこは平泉。

更にバスで5分ほどで中尊寺に着く。
奥州藤原氏の栄華の地。

平泉は往時の東北の中心地であったと言う。
寒い割には雪が少なく水も良い。
いろいろな要素が有ったのであろう。

しかしながら栄華の後には衰亡あり。
義経の最期の地。
武士の世の草創期に奥州藤原は滅亡への道を辿ったのだ。
中尊寺より平泉の地を眺める。

この天気を見ると繁栄が判る気がする。
暖かな風景だ。
中尊寺を語るとき慈覚大師の存在を忘れてはならない。

東北に来るまで全く知らなかったこの名前。
大変な僧侶だと言うことを思い知らされた。



中尊寺本堂の山門。
本堂。


慈覚大師。
山形の山寺(立石寺)
松島の瑞巌寺
ここ平泉の中尊寺、
毛越寺もこの慈覚大師が開山したと言うのだ。
天台宗の高僧であった慈覚大師とはどんな人物であったのか。
思いは往時の風景を彷徨う。


先ほどの四寺だけではない。

浅草、浅草寺、
長野、善光寺
川越の喜多院等名前を挙げたら切が無い。

何と恐山も開山したそうだ。

今回の平泉訪問は藤原の郷を訪ねて。

と言うつもりであったが歩くうち、見るうちに慈覚大師円仁への興味が沸々と沸いてきた。
これは中尊寺金色堂を守るための建物。

今は建物だけで金色堂はコンクリート製の別の建物が守っている。


金色堂は撮影禁止。

日本の名所は撮影禁止だらけだ。
中尊寺境内の雪道で。

除雪されてはいるものの草履の上には雪が積もっている。
後ろに見えるのは弁慶堂。

弁慶の義経への忠義を祭ってあると言う。
そして中尊寺の山を下り歩いて20分ほどの毛越寺へ。

歩いているうちに雪は森々と降ってきた。

毛越寺の有名な庭園は雪で見えないほどだ。
ここは本当は池なのだが凍った上に雪が積もりその風情は無い。
ただの広場のようだ。

また、少し暖かくなったら来ることとしよう。


殆ど吹雪になってきた。
毛越寺本堂。

山寺で荒々しい感じの中尊寺に対し平地で庭園のような風景の毛越寺。

毛越寺のほうが藤原氏の栄華を示している様に思う。
吹雪のような境内で。立っているのも大変な風であった。
・・・。
吹雪は益々ひどくなる。
早く駅に。
・・・と思い歩いていたら急に晴れてきた。
平泉の駅に着く頃にはすっかり晴れていた。

陽の光がうれしい。
平泉から一ノ関まではJR東北本線で。

強風のため、少し遅れていたが無事に着いた。
遅い昼食は一ノ関の名店。

「そば楽」で。
名物のかき揚げと私の好物のカレーそば。

手前は蕎麦の実の付き出し。

「そば楽」
一ノ関サティの向かいのユニクロ脇。
ロードサイド店と思えない素材へのこだわりは周辺に比類なきものだ。
そして再び仙台に帰着。
ふりだしの公園で。

結論。
着物は寒さには圧倒的に強い。
洋服ではスキーウェアでも着なければ居られないところだが羽織にコートで十分であった。

草履は駄目。雪が積もってしまう。
やはり爪皮付きの下駄か草履が一番。
左手にぶら下げているのがその雪草履。

次は来月米沢で行われる「上杉雪灯篭祭り」
次の散歩が楽しみだ。

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