08・「武田選手・現役引退」・「10年振りにパラグアイを訪問」
いろいろと長い間ありがとうございました。。 まだやれるとゆう気持ちはありますが、やはり自分の夢が終わった今は引退を決めました、、、、、これからは、コーチの勉強をし。がんばっていくつもりです、、長い間本当にありがとうございました、また監督として皆さんにお目にかかりたいと思います。。
武田修宏より
武田さん10年ぶりにパラグアイを訪問 (2010年 7月18日)
武田さんがテレビ撮影の為に(日本テレビ系列)懐かしいパラグアイを10年ぶりに訪問されました。当時所属していたルケのスタジアム、懇意にしていたアマリージャ監督(現在パラグアイ一部リーグの監督をされています:元横浜フリューゲルス)と再会されました。ルケーニョを訪問すると当時のチームメイトが数名まだプレーしているそうで喜んだそうです。その後エステ市にアマリージャ監督を訪問し、イグアスの滝等を見物されて忙しい日程をこなされて帰国されました。
久しぶりにお会いしましたが10年前の現役時代とほとんど変わらずファイト溢れる印象を受けました。直前までワールドカップがあり、南アフリカに滞在され、日本に帰国して直ぐに当地に来られるという非常なハードスケジュールなのですが、仕事は真面目にしっかりきちんとやるとの事でスタッフの方と精力的にパラグアイのスケジュールをこなし、撮影も順調のようでした。当地での様子を武田さんから写真をいただきましたので下記に紹介します。

(写真:スタジアムの外観)

(写真:ルケーニョのバス)

(写真:ルケのスタジアムにて-01)

(写真:ルケのスタジアムにて-02)

(写真:アマリージャ監督と-01)

(写真:アマリージャ監督と-02)

(写真:アマリージャ監督と-03)

(写真:アマリージャ監督が指揮するチームの練習風景)

(写真:パラグアイ名物のチパとコシード)

(写真:川魚をいただく-01)

(写真:川魚をいただく-02)

(写真:イグアスの滝)

(写真:少年達と)
NHKスペイン語講座でレギュラー(2004年 3月10日)
パラグアイでスペイン語で生活した武田さん、スペイン語講座に生徒役で出演することになりました。
日刊スポーツ:サッカー元日本代表の武田修宏氏(36)が、NHK教育テレビ「スペイン語会話」(4月8日スタート、木曜午後11時半)に出演することになり9日、同局で発表会見が行われた。00年にパラグアイのチームでプレーした経験のある武田氏は流ちょうなスペイン語を披露。「しっかり勉強したい。これからの時代、日本人が海外の監督をしてもおかしくないしね」と自らの海外進出の夢も口にした。 「スペイン語会話」をステップに、海外チームの監督を狙う。4月から始まる同番組は学校が舞台で、武田氏は生徒役として出演。スペイン語を母国語とした講師や日本人の先生とともに1年間学ぶ。また語学だけでなく、音楽、映画など文化的な情報も満載で、武田氏に合わせてサッカーコーナーも用意される。 現役時代の00年、南米パラグアイでプレーした経験のある武田氏は、会見ではスペイン語で自己紹介。さらには「電話番号を教えて」「一緒に食事でもどう」など女性の口説き文句も流ちょうなスペイン語で披露した。「パラグアイに行ったときは、通訳がいないときもあって自己流でスペイン語を勉強した」と笑った。スペイン語で日常会話可能という武田氏だが「一から勉強したい。1年間勉強したスペイン語で、海外で(サッカーの)勉強したい」と夢を語った。「サッカーではスペイン語を話すことが多い。アルゼンチンもそうだし、中田(英寿)がイタリアでも通じるって言ってたし」と意気込みを話した。また「Rマドリードのラウルにもインタビューしたい」と話し、プライベートでも週1回スペイン語のレッスンを受けていることも明かした。最後に「日本人が海外でプレーする時代。日本人が海外の監督をしてもおかしくないしね」と野望も口にした。
元チーム・メートから(2002年05月12日)
武田君の元チームメイトです(佐藤小・丸塚中)。 一部では彼のことを「夜のハットトリック」だとか「ドーハの悲劇のきっかけ」だとか言われて、昔を知るものとしては胸をいためておりましたが、引退してもこうやって応援してくれる人がいっぱいいるんですね。ちょっと安心しました。
ここに参加されるようなみなさんに対しては、私がフォローする必要などないのかもしれませんが、当時の彼は私たちが隣の部室(女子ソフトボール部)の子たちの話をしていてもなかなかのってこない、どちらかというと硬派な感じでしたよ。休みの人かもよく後輩をつれていたりと面倒見の良いタイプでしたね。ドーハに関しても、彼のあのプレーだけに押しつけるのは間違いだと私は思います。あと少しのところでW杯を逃しましたが、監督のオフトは「オフトマジック」と賞賛されましたね。彼を起用したオフトを批判する人がいますか?おかしな話です。少なくともJリーグが始まるまでの日本サッカー界を引っ張ってきたのは紛れもなく彼ですからね。カズじゃありません。昔、彼と一緒にプレーしていたのは今でも誇りです(私は足を引っ張るだけでしたが)。
せっかくですので、ファンのみなさんに彼の昔話を披露しましょうか(披露しても本人に怒られないようなものにしますね)。
幼稚園(あいおい幼稚園)でのエピソードです。幼稚園には鼓笛隊があるのですが、大太鼓を担当するのは1人だけです。幼稚園児には大きくて重たいので一番体の大きい子が担当するのですが、もちろん武田君(あっそうそう、今じゃたけちゃんなんて言われてますが、当時は「たっけ」と呼ばれていました。大きくなってからは「ノブ」ですかね)が選ばれました(私は中太鼓)。
お遊戯会では「水戸黄門(笑)」をやったのですが、もちろん彼が黄門様です(私は助さんか格さん。写真しか残っていないのでどちらかわからず)。まぁ黄門様役がうれしいかどうかは別にして、つまり、彼は昔からそういうホシを持っていたということです。
武田選手引退 (2001年12月20日)
武田選手が引退を決意したとの事です。長い間ご苦労様でした。東京Vの「9」番として現役引退出来た事は良かったと思います。今後の活躍を期待しております。
東京V武田が引退、きょう会見(日刊スポーツ)
東京VのFW武田修宏(34)の現役引退が19日、明らかになった。武田は18日に小見幸隆監督(49)と自らの去就について会談。来季の構想でも今季同様にスタメンに入っていないことを確認した上で、この日までにユニホームを脱ぐ決意を固めた。今日20日に引退会見に臨む。カズ(三浦知良=神戸、34)中山雅史(34=磐田)らとともに日本リーグからJリーグへとサッカー界を盛り上げてきた人気選手がピッチを去る。現役続行か否かで悩んでいた武田が結論を出した。今月12日の帝京高との練習マッチで左足第2、3足はく離骨折で全治2週間の重傷を負った。その時には「ケガを治して、また頑張りたい」と現役へのこだわりも見せていた。しかし18日の小見監督との直接会談を契機に引退を決意した。小見監督との話し合いでは、来季もスタメンでは起用しない方針を示された。FWエジムンドが来季の残留を決め、FWマルキーニョスも同様に残留が濃厚。来季もベンチ要員になることを伝えられた。同監督に「クラブは契約を結ぼうとしている。あとはお前の好きなようにやれ」と言われたことで、引退へと気持ちが傾いた。86年に清水東高から前身の読売クラブに加入し、1年目から大活躍。J開幕後もカズ、ラモスらと看板選手の1人として人気を集めた。しかし94年から先発機会を逃しはじめ、日本代表に復帰するために96年には磐田へレンタル移籍。その後も京都、市原へと渡り歩き、昨季はパラグアイでもプレーした。悲願のW杯出場のために今季5回目となる古巣に復帰。再起をかけたシーズンだったが、先発の座を奪うことができなかった。来年のW杯出場も絶望と判断し、現役を退くことを決心した。
ヴェルディ武田引退(スポニチ)
元日本代表で東京VのFW武田修宏(34)が今季限りで現役を引退することになった。20日に正式発表される。東京Vは残留を要請していたが、今季は両足のアキレス腱痛などもあって19試合で2得点。エジムンドの残留でレギュラーとしてフル回転するのは難しいことから引退を決意したもの。武田は「目標であるW杯出場の可能性もなくなったし、このあたりでひと区切りつけようと思った。東京Vは来季も契約してくれるといってくれたが、第2の人生で頑張ることにした」と話した。今後はスポーツキャスターなどをしながら指導者を目指す。
武田 引退へ(デイリー)
東京VのFW武田修宏(34)が引退することが19日、分かった。20日にクラブ側と最終交渉に臨むが、東京Vはエジムンド、マルキーニョスと契約延長しており、来季の出場機会は今年以上に少なくなるのは確実。「(20日の)最後の話し合いでまとまらなければやめる」と、現役を退く覚悟を決めている。来年はW杯があることから、テレビ解説やタレント業など幅広く活動することになりそうだ。
東京ヴのFW武田修宏が現役引退へ(毎日)
サッカーの元日本代表で、J1の東京ヴェルディのFW武田修宏(34)が現役を引退することが19日、分かった。20日に正式発表する。チーム側は「若手の手本に」と慰留したが、今季から出場機会が減ったことなどを理由に本人が引退を決めたという。武田はリーグ戦通算出場237試合で94得点(歴代3位)。
元日本代表、J1ヴェルディの武田が引退発表(朝日)
J1の東京ヴは20日、元日本代表のFW武田修宏(34)が現役を引退すると発表した。武田は86年に読売ク(東京ヴ)に入り、三浦知良(神戸)らとのプレーで人気を集めた。磐田、市原などを経て、昨年はスポルティボ・ルケーニョ(パラグアイ)でプレーした。日本代表では18試合に出場し、1得点を挙げた。
東京V・武田、今季で引退(読売)
サッカーJ1、東京VのFW武田修宏(34)が今季限りで引退することが19日、明らかになった。20日に記者会見して発表する。
武田は86年、静岡・清水東高から読売クラブ(現東京V)入り。いきなり日本リーグ新人王とベストイレブンに選ばれ、93年のJリーグ開幕後はヴェルディ川崎の主力として三浦知良(現神戸)、ラモス瑠偉らとともに2連覇に貢献、チームの黄金時代を築いた。その後は磐田、京都、市原、スポルティボ・ルケーニョ(パラグアイ)に移籍し、今季、東京Vに復帰した。Jリーグ通算237試合に出場し、中山雅史(磐田)、三浦に続く94得点。日本代表としてもAマッチ18試合に出場し、94年ワールドカップ(W杯)米国大会アジア最終予選の“ドーハの悲劇”も体験した。
今季は、前期は13試合に出場して2得点を挙げたが、後期は6試合出場、無得点にとどまった。今月12日の練習中に左足をはく離骨折し、現在8強入りしている天皇杯の準々決勝以降の出場が微妙となっている。
そして会見の様子は以下の通り・・
東京V武田、涙の引退会見(日刊スポーツ)
東京VのFW武田修宏(34)が20日、東京・稲城市のクラブハウスで引退会見し、16年間の現役生活に別れを告げた。「精神的にも肉体的にも、来季もやれる自信はある。でも、小学生のころからの夢だったW杯の出場がかなわなくなった今、引退を決意しました」。最後は涙で言葉にならなかった。今季は日本代表復帰を目指しスタートしたが、目標はかなわないと自ら判断し、スパイクを脱ぐことを決めた。大勢の報道陣に加え、練習を終えた選手が次々に会見場を訪れた。武田の人柄を物語る光景だった。クラブ側は当初、都内のホテルで会見する予定だったが、武田が拒否。86年にプロ契約を結んだ思い出の地、よみうりランドのクラブハウスを選んだ。「最初と最後を、ここで迎えられたことを誇りに思う」。今後は指導者、そして監督としてピッチに戻ることを目指す。ヴェルディを愛し、最も緑が似合った男が、静かにユニホームを脱いだ。
ヴェルディ武田、涙、涙の引退発表(サンスポ)
ドーハ戦士がまたひとりグラウンドを去った。元日本代表でJ1東京VのFW武田修宏(34)が20日、今季限りでの引退を正式発表した。プロ生活をスタートした思い出の地・よみうりランドのクラブハウスで会見に臨んだ武田は号泣。今後は評論家に転身するとともに指導者も目指す。〔写真:当初予定されたホテルを断り、思い出多いクラブハウスで引退を発表した武田。さすがに涙が止まらなかった〕
◇泣かないという決意はすぐに崩れた。「いろんな選手や、ファンの皆様の…支えで…ここまで…来れた…」言葉を詰まらせ、瞳をぬらす。渡り歩いたクラブのどこでも、その笑顔で愛された武田らしい姿。感情が頂点に達したのは、感謝の言葉を述べようとした瞬間だった。クラブからは懸命の慰留を受け、悩みぬいた末の決断。理由は明白だった。「W杯日本代表という夢が途切れ、男のケジメとして決意した」。サッカーを始めた小1から、ずっとW杯を思い描いてきた。「ドーハの悲劇が一番の思い出」。18歳で日本代表となり、背番号9を背負いながら、93年10月28日に“悲劇”を味わい、98年フランス大会には招集されず。昨年33歳で南米へ飛んだのも、ラストチャンスに賭けるためだった。「まだやれる自信はあるけど、若い選手に譲りたい」。世代交代の波に、みずから身をひいた。「必ずJリーグのピッチに、監督として戻ってきたい」。今後は所属するホリプロでの活動や、評論を行いながら、指導者を目指すが、勝ち進んでいる天皇杯には、まだ出場の意思を持つ。左足指を剥離(はくり)骨折しているため24日の準々決勝・川崎F戦(東京ス)は引退セレモニーだけでの“参戦”だが、準決勝以降のピッチに立とうと、この日も軽い練習を行った。「あしたも来るんだから。最後じゃないよ」夢はついえた。だが、第2のサッカー人生は今がスタート地点。笑顔の武田を、また見たい。
★武田 修宏(たけだ・のぶひろ) 昭和42年5月10日、静岡県生まれ。34歳。昭和58年、清水東高で高校選手権準優勝。高校卒業後、読売クラブ(後のV川崎→東京V)に入団。その後磐田−V川崎−京都−V川崎−市原−スポルティボ・ルケーニョ(パラグアイ)−東京Vと渡り歩く。Jリーグ通算237試合出場、94得点は歴代3位。日本代表Aマッチ18試合出場1得点。未婚。1メートル77、73キロ。
武田 ケジメの男泣き(スポニチ)
「ケジメをつける」引退会見で涙ながらに語った武田。武田、涙の引退――。元日本代表で東京VのFW武田修宏が20日、東京・稲城市のクラブハウスで引退会見を行った。86年に前身の読売クラブに入団してからの16年間の現役生活にピリオドを打ち「W杯出場の夢が終わった。男のケジメです」と涙で語った。今後は解説者などをしながら指導者を目指す。24日の天皇杯準々決勝川崎F戦の終了後に引退スピーチが行われる。涙をこらえきれなかった。クラブのイキな計らいで会見前に16年間のプロ生活をまとめたビデオが流された。日本リーグ新人王、18歳での代表入り、Jリーグ連覇…数々の栄光を振り返ると自然と目は赤くなった。「まだやれる自信はあるけれど、小学校1年生でサッカーを始めたころからの夢だったW杯出場はかなわなかった。男としてケジメをつけることにしました」。一番の思い出は「(93年10月28日、W杯アジア最終予選の)イラク戦のピッチに立ったこと」。W杯出場にこだわってきたのも“ドーハの悲劇”があったからだった。同じ年齢の中山には「オレの分も頑張ってくれ」と夢を託した。会見場はあえて最初にプロとしてスタートを切った“読売”のクラブハウスを選んだ。「読売クラブ」を誰よりも愛した男は「監督としてJのピッチに戻ってきたい」と夢は指導者に変わった。中山、カズに次ぐJ通算94ゴールを挙げたゴールゲッターはシュートの形や動きよりひたすらゴールの結果にこだわる“第2の武田”を育てるつもりでいる。左足第2、3足趾(そくし)のはく離骨折のため、24日の天皇杯準々決勝川崎F戦には出場できないが、現役最後の夢は1月1日決勝での引退花道だ。◆武田 修宏(たけだ・のぶひろ)1967年(昭42)5月10日、静岡県生まれの34歳。清水東高卒業後、86年に読売クラブ入団。Jリーグ開幕後、V川崎で93、94年と連覇。磐田、京都、市原などでもプレー。昨季はスポルティボ・ルケーニョ(パラグアイ)でプレーし、今季東京Vに復帰。J通算237試合94得点。日本代表通算18試合1得点。1メートル77、73キロ。【武田に聞く】――引退はいつ頃から意識?「残留を決めた11月24日に発表しようかと思ったが、ファンの声援を聞いてもう一度考えようと思った」――生涯ベストゴールは?「(日本リーグ90年10月26日のNKK戦で)カズのセンタリングをオーバーヘッドで決めたゴール」――今後のヴェルディへの願いは?「ヴェルディは強くて人気あるチームであってほしい。来年は優勝してもらいたい」――今後は?「昨年準指導員資格を取ったので今度はC級ライセンスを取りたい。あとはサッカーの発展のために頑張ります」
武田“夢の終わり” (報知)
プロ生活16年“読売クラブ”に「感謝したい」武田、号泣の引退会見―。今季限りでの引退を表明した東京VのFW武田修宏(34)が20日、東京・稲城市のクラブハウスで記者会見を行った。引退の理由として「小学校からの夢だったW杯出場が途切れたことで決意した」と明らかにし、感極まり涙をこぼした。現在、勝ち進んでいる天皇杯の敗退をもって16年間のプロ生活にピリオドを打つ。
「W杯出場絶望で決心つきました」花束を手に笑顔で大勢の報道陣に囲まれる武田(カメラ・堀田 俊文)
「オレが一番寂しいよ」会見前までは笑顔で振る舞っていた。だが、もう耐えきれなかった。「読売クラブでプロ契約して、最後をここで終わることに感謝したい」プロ生活を始めた地で16年間を振り返ると涙が止めどもなくあふれてきた。
苦渋の決断だった。「まだ精神的、体力的にもできる自信はある」しかし、小学校からの夢だったW杯出場が消滅したことで吹っ切れた。「次の世代に(代表の夢を)譲って新たな目標をがんばろう」17日夜に坂田信久社長(60)と夕食を共にし、決意を伝えた。
「最後はここで終わりたかった」と東京Vクラブハウスで引退会見に臨んだ武田は、大粒の涙を流した
天国から地獄まですべて味わったプロ生活。19歳で代表入りしスター街道を猛進。一方で、1994年W杯アジア地区最終予選のイラク戦(93年10月)では、ロスタイムの失点で本大会出場を逃す悲劇も体験した。その後は移籍を繰り返し、今季は自身最低額の基本年俸650万円(推定)で両アキレスけん痛を抱えながらプロとしての生き様を貫いた。引退後も指導者としてサッカー界に携わる意向だ。また、明るい性格と実績を買われてスポーツキャスターの話も舞い込んでいる。2002年W杯の年に、第2のサッカー生活のスタートを切る。武田に聞く 一番の思い出は“ドーハの悲劇”
―会見で泣いたが? 「泣くつもりではなかったけど、3日前くらいからこんな感じです」
―一番思い出に残っている試合は? 「イラク戦(94年W杯アジア地区最終予選、93年10月28日・ドーハ)で負けたこと」
―仲間に何か言われたか? 「カズさん(神戸のFW三浦)は『もうやめるのか』と。ラモスさんは『自分の決めたことだから』と。ゴン(磐田のFW中山)には『オレの分までがんばってくれ』と伝えました」
―ベストゴールは?「カズさんからのセンタリングをオーバーヘッドで決めたゴールだと思う(90年10月26日、NKK戦)」
―天皇杯は出場する?「左足にひびが入っているので、何としても24日の川崎戦に勝ってもらって、29日の準決、1月1日の決勝には出たい」
―東京Vに願うことは?「ヴェルディは強くて人気のあるチームであって欲しい。来季こそ優勝して欲しい」
◆武田 修宏(たけだ・のぶひろ)1967年5月10日、静岡・浜松市生まれ。34歳。86年、清水東高から読売クラブ(ヴェルディの前身)に入団。その年に新人賞、ベストイレブン、MVPとタイトルを総なめ。88年に日本代表入り。国際Aマッチ18試合出場1得点。Jリーグは通算237試合出場94得点。V川崎―磐田―V川崎―京都―市原―V川崎―スポルティボ・ルケーニョ(パラグアイ)と渡り歩き、今季から古巣に復帰した。177センチ、73キロ。
武田 大粒の涙で現役に別れ(デイリースポーツ)
Jリーグ史上3位タイの94ゴールを挙げた東京VのFW武田修宏(34)が20日、東京・稲城市のクラブ事務所で引退会見を行った。席上、武田は「日本代表としてワールドカップに出場するのが小学生のころからの夢だった。それが果たせなくなった以上、男のけじめをつけたい。一番の思い出の試合は、やっぱりドーハでのイラク戦です」と話し、大粒の涙を流した。今後については「Jリーグの監督として戻ってきたい」と夢を膨らませており、来年はサッカー解説者の傍ら、C級ライセンスの取得を目指す。クラブ側ではチームへの貢献度を高く評価し、24日の天皇杯準々決勝(対川崎、東京スタジアム)で引退セレモニーを行うとともに、来年5月に引退試合を企画している。
元日本代表の武田修宏が引退会見 大粒の涙見せる(毎日)
サッカーの元日本代表でJ1東京ヴのFW武田修宏(34)の引退記者会見が20日、東京都稲城市のクラブハウスで行われた。武田は「小学生のころからワールドカップ(W杯)出場が目標だったが、来年は代表に選ばれないと思う。夢が終わった今、引退するのがけじめ」と大粒の涙を見せた。クラブハウスは清水東高卒業後、18歳だった86年に読売クラブ(当時)とプロ契約した思い出の場所。武田は「このチームで終われることに感謝したい」と目を拭った。チームからは慰留され、武田自身も続ける自信はあったというが「今季、選ばれなかったらやめるつもりだった」とW杯へのこだわりを見せた。93年のJリーグ開幕時に三浦知良(神戸)らと人気を支えた武田は、市原などを経て00年の古巣復帰直後に、パラグアイ1部リーグにレンタル移籍した。Jリーグ通算237試合に出場して94得点(歴代3位)。日本代表で国際Aマッチ18試合(1得点)に出場した。「思い出に残っているのは(W杯アメリカ大会出場を逃した)ドーハの悲劇。Jリーグの1ページになれたことを誇りに思う」と武田。今後は、Jリーグの監督を目指すという。
男のけじめとして引退決意、東京V・武田が会見(読売)
東京Vの元日本代表FW武田修宏(34)が20日、東京・稲城市のクラブハウスで記者会見し、「ワールドカップ(W杯)に出るという小学校からの夢が途切れた。まだやれる自信はあるが、男のけじめとして決意した」と、涙ながらに引退を正式表明した。
武田は「J1残留を決めた11月24日に1度は発表しようと思ったが、ファンの期待を感じて考え直した」と、悩み抜いた経緯を説明。「カズさん(神戸)はブラジル、ゴン(中山=磐田)は筑波大でプレーした。同じくらいやったと思う」と、同世代のストライカーを例に出し、16年間プロとして国内リーグを支えてきた自負を見せた。
選手生活最大の思い出は「(93年10月28日に)イラクに引き分けてW杯米国大会出場を逃した“ドーハの悲劇”のピッチに立てたこと」と言い、ベストゴールには、90年10月、NKK戦でカズの右クロスを決めたオーバーヘッドを挙げた。
今後は主に解説者として活動するが、「将来は監督としてJリーグに戻ってきたい」と新たな夢を語り、「今は足の骨のヒビでリハビリ中だが、(24日の)天皇杯の準々決勝を勝ってもらって、準決勝と決勝に出たい」と、ラストマッチへの強い意欲を示した。
そして・・
引退会見一夜明け…武田、別メニューで練習 (サンスポ)
前日の引退会見で「天皇杯準決勝(29日)には出たい」と語ったFW武田は、一夜明けて、グラウンドに現れた。左足指剥離骨折で別メニューながら、ペースを上げたがる姿をコーチが止めるほど。「練習もしないでメンバーに入れてもらうわけにはいかない」。その瞳には、前日見せた涙はなかった。
引退宣言の東京V武田が決勝進出宣言(日刊スポーツ)
先日、引退を表明した東京V武田から決勝進出宣言が飛び出した。川崎Fとの試合後には、引退セレモニーが用意されている。だが武田は「形式だけ。負けるまでは現役です」と、準決勝、決勝での出場に意欲を燃やしている。小見監督も「元旦を引退試合にしてやりたいね」と出場を後押しする構えだ。エジムンド、小倉の思いも同じ。ここにきて一気にモチベーションが高まってきた。
さらに・・
ヴェルディ武田、背広姿で現役終了の無念 (サンスポ)
サッカーの天皇杯全日本選手権準々決勝(24日、東京スタジアムほか)、左足指はく離骨折のため準決勝以降の出場を目指していたJ1東京VのFW武田が、この敗戦により現役生活を終えた。「仕方ない。これでゆっくり休める」と語ったが、さすがに無念の表情。引退試合は計画されているものの、試合後のセレモニーで先輩のラモス瑠偉氏から花束を贈られ、目を潤ませていた。
武田 また涙… ピッチ立てぬまま引退・天皇杯 準々決勝(報知)
東京V・武田は心の中で泣いていたに違いない。J2の川崎戦の大敗は、試合終了後に行われた武田の引退セレモニーにも暗い影を落とした。「会見では泣いたけど、セレモニーでは泣かないよ」と話していたが、ふがいない試合ぶりに肩を落としたのは事実だ。
前半6分に先取点を奪われ、攻撃が中央に集まってしまった。そして前がかりになったところを速攻2発で沈んでしまった。小見監督は「今年を象徴する試合。CKやFKで一発で点が取れる“力技”が必要だということを痛感した」と話した。
「武チン(武田のニックネーム)に申し訳ないことをした」と永井は声を絞り出すように話した。左足人さし指、中指を亀裂骨折していた武田は、準決勝に進出すれば26日から練習を再開する予定だった。東京Vは武田の“花道”を寂しいものにしてしまった。
武田コールに感無量〇…今季限りでの引退を表明した東京Vの元日本代表FW武田が、引退セレモニーでファンに感謝のあいさつ。一瞬、目元がうるみかける場面もあったが「プロになって16年間、ファンの皆さまの声援でここまでやってこられた」とお礼を述べた。場内1周では川崎サポーターからも盛大な「タケダ・コール」が送られ、感無量の様子だった。
武田、スーツ姿でさよならヴェルディ (スポニチ)
武田の引退試合は幻に終わってしまった。左足第二、三足趾(し)はく離骨折で準決勝から復帰予定だった東京VのFW武田は黒のスーツに身を包み、スタンドで終戦を迎えた。それでも試合後の引退セレモニーでは「読売クラブでプロとして最初に契約して、最後に緑のユニホームの9番で終われてよかった。ありがとうございました」と笑顔であいさつ。黄金時代をともに支えた菊池新、永井、北沢らからは花束が贈られ、場内を一周すると8034人のファンから温かい拍手を浴びた。公私ともに仲のいい永井は「タケチンに悪いことした。最後の雄姿を飾ってあげたかった」と格下相手の惨敗に肩を落としていた。
武田 無念の引退セレモニー (デイリー)
東京Vイレブンの気持ちは届かなかった。スタンド下では、試合後の引退セレモニーを控えていた武田が、祈るように見つめていた。左足指骨折のため、準決勝からの復帰を目指していた武田に、勝って最後の晴れ舞台を用意することはできなかった。最も気合が入っていたのはエジムンド。前日に家族が来日し「武田にいい形で終わらせる」と意気込んでいたが、川崎の堅い守備に封じられた。守備陣も、川崎のカウンターを食らって3失点。悔しいセレモニーになった。武田は、マイクの前で「読売クラブでやってきて、最後にここで終わることができて幸せです」とスピーチ。OBのラモス瑠偉さんらから花束を受け取り、胴上げされて場内を1周。慣れ親しんだ東京スタジアムで、武田の現役生活は幕を閉じた。(
(サポーターの皆様から・ML並びに掲示板より)
01・いよいよ、タケさんが引退のときを迎えてしまいました。僕がナマでタケさんをはじめてみたのは15歳だったかな…
まだ高校1年生で、Jリーグ開幕の年でしたね。あれから、9年の月日が過ぎました…。まだ高校生だった僕が、もう今では社会人なんだからときの流れの速さを改めて感じてしまいます…もう1年…もう1年…と願いつづけたのですが、いよいよ
引退のとき…本当にお疲れ様でした。そして、今後も新たな仕事で活躍されることを心よりお祈りしています。
02・記者会見の様子、拝見しました。今朝、会社で引退の事を知り、そわそわしながら4時を迎えました。武田選手のあふれる涙は、ず〜っと武田選手が好きだった私は、忘れないと思います。サッカーの指導者として歩まれるそうですが、すでにここに。全国に。武田選手にサッカーの楽しさを教えてもらった人はい〜っぱいいますよね。今まで試合に出場してなくても、日本にいなくても、【武田選手】の存在で、私は元気付けられていました。これから会いたくなったら、どこに行けばいいのでしょうね。記者会見で、33歳で南米に行けた事は辛かったけど本当によい経験。と言っていましたが、その時期にこのMLでみなさんと応援出来た事を、本当に嬉しく思います。
03・ついに引退か、、、寂しいですね、、、ファーストステージの鹿島戦での活躍から今季の復活は間違いないと思っていたんですが、、、F1の中嶋選手じゃないけどこれがサッカーなのかな、、、とりあえず今回はこれぐらいで、、、本当に寂しいな、、、。
04・来年もスーパーサブでいけるかと思ったが... ニュースで引退の記者会見を見ていたら、こっちも泣きたくなってしまいました。
引退は残念ですが、僕はジェフでの解雇からヴェルディでの復活を見て感動しました。
這い上がったという言葉がピッタリだと思います。 武田選手お疲れ様でした。
05・朝、電車のなかで隣のおじさんの新聞で引退を知りましたかなりびっくりしてしまいました。先ほどヴェルディのペ-ジで記者会見の記事を読んだんですが、ちょと潤んだ写真をみてもらい泣きしそうになりました。グランドで活躍してる姿を応援に行けなくなったのは残念ですが、今後の新しい世界での活躍陰ながら応援しつづけていきたいと思います。今までたくさんの夢をありがとうございます。これからも明るい笑顔で前向きな姿勢でがんばってください。期待してます。
06・ホントにショックです。いまだに信じられない感じです。 でも、武田さんが決めたことなんですよね。ありがとうございま した!!これからも応援していますっ!
07・ショックです。一番尊敬し目指していたサッカー選手、 プレイスタイルもそうですが、武田選手がもうピッチで見れないと思うと残念でなりません。もう少し続けてほしいと今も思っています。
08・引退の報を聞いて大変寂しいです。私はJEFサポです。共に残留争いを戦ってくれた武田選手の姿は今も忘れません。 サッカーに対する、日本代表に対する一途な強い気持ちを持って30歳を過ぎてパラグアイに挑戦する姿などは、サッカー選手として、一人の男の生き様として私の心に残したものは少なくありません。柱谷氏、ラモス氏と(ついでにJEFの江尻氏 も)指導者として対決する日を一サッカーファンとして楽しみにしています。おつかれ様でした。
09・私が小学4年のときにJリーグが開幕して・・私はすぐにプロのサッカーの試合に夢中になりました。それからしばらくして・・天皇杯でプロのチームが私の町に来るときいて初めて生で見たプロの試合がヴェルディー戦でした。そのときに私は武田選手のプレーと笑顔の大ファンになったんです。その当時はアイドル並みの人気だった武田さんの情報を集めるのに時間はかかりませんでした。ファンクラブに入って毎年カレンダーを買っては、部屋中にポスターやビデオや本が増えて行きました。たまに唯一諫早の競技場にフリューゲルス戦で来るヴェルディーを欠かさず見に行き、アビスパがJリーグに昇格してからは博多の森での試合が待ち遠しくてたまりませんでした・・ジュビロやサンガ、ジェフを転々とし、最後にはパラグアイに行ってしまい・・ファンクラブからの広報が来なくなり・・カレンダーが製作されなくなりました・・それでもたまに筋肉番付けやニュースで見る武田選手の今も大ファンです。武田選手の常に前向きな姿勢に勇気付けられました。
投稿はしたことがなかったけど・・ここをのぞくと私と同じ武田選手のファンの方がたくさんいて・・すごくうれしかったです。パラグアイの様子も写真などでしることができて・・安心しました。
武田さんの引退記者会見を見て、一緒に号泣しました。きっとここに投稿しているすべての人たちが武田選手とあの瞬間一体となって涙を流し・・残念な思いを抱きながらも、武田選手の決断をたたえ、私のようにこれからもファンでい続けることを心に決めたことでしょう。
悲しいけれど、最後にヴェルディーのユニフォームを着て生き生きしていた武田選手を私は絶対忘れません。きっと何らかの形で武田選手はサッカーに関わった人生をこれからも過ごされるでしょうね。私はずっと、ずーっと応援し続けます。生涯あなたの大ファンです。
本当に長い間、お疲れ様でした。そして第2、第3の人生のスタート地点でもありますね。がんばってください!!
10・武ちゃんへ サッカー選手ならいつかは訪れる日が来たのですね。 私がサッカーを観戦するきっかけになったのが 武ちゃんのプレーでした。 武ちゃんからたくさんのパワーを頂きました。ありがとうございます。そして お疲れさまでした。 武ちゃんがサッカー関係の仕事を続けられる限り これからも応援いたします。今後のご活躍を祈っています。
11・真のフォアードがまた一人ピッチを去っていく。武田の引退はそんな感じがする。武田のプレーを見るたび、ウェールズが産んだ史上最高のFW"ミスター・ワンタッチゴール”ことイアン・ラッシュを思い出す。現在世界最高のFWと言われる、リヴァプールそしてイングランド代表のマイケル・ウォーエンが尊敬するプレイヤー、イアン・ラッシュ。ドイツのゲルト・ミューラーやクラウス・フィッシャー、イングランドのリネーカー、イタリアのパウロ・ロッシらのように、
ペナルティエリアの中で、その力を最大限に発揮する男たち。 その中でも、ゴールエリア付近の動きは世界最高といわれたイアン・ラッシュ。武田の動きは、まさしくラッシュそのものである。
ゴールの臭いを嗅ぐ男、日産時代より11年間勝てなかったマリノスとの歴史に終止符を打ったあのゴールは、フォアードの鏡である。
君の反転の速さは決して忘れない。いつかまたピッチに戻ってくるその日を信じて、常にゴールを狙い続ける。"武田、再び"そう心で叫びながら。
12・武田選手が引退するのは凄く、寂しいことです。しかし、まだ天皇杯も残ってることだし、最後の最後まで武田さんを応援したいと思います。皆で小見監督にエジムンドと武田さんのツートップをお願いしましょう。
13・武田選手の引退、悲しいです・・・来期は武田選手のプレーが見れないのだから・・・来期も緑色のユニで100ゴール
達成させてあげたかった・・・武田選手、本当にお疲れさまでした。そして、第2の人生、頑張ってください。今度は指導者として現場に戻ってきて欲しいです。
14・本当に好きで、ずっと応援していた選手が引退してしまうのは初めてなので、一つの時代が終わってしまったような感じがします。
プレイする姿はもう見れないかもしれないですが、いつかまたユニフォーム姿を見たいです。解説者になっても、指導者になっても「武田修宏」を応援しています。
15・TT9の皆様、いつかは必ずやってくる引退ですが、現実になった瞬間はショックですね。武田選手は私達に本当にいろいろなものを与えて下さいました。今は感謝の気持でいっぱいです。天皇杯で最後のプレーが見られますよう皆さんで応援しましょう。
16・武田選手の引退会見、本当にこっちまで涙ぐんでしまいました。 サッカーが、そしてヴェルディが大好きだったことが伝わってきました。クラブ側の用意した、ホテルでの会見予定を拒否し、初めて契約を交わしたクラブハウスでの引退会見。ほんと武田選手らしいですね、練習を終えた選手たちもたくさん会見場に顔を出し、武田選手を
見守っていたそうです・・・エジムンド選手も自分は試合に出れない状況であってもチームの為に力を尽くしていた、武田選手に敬意を表して最終戦後、一緒にウィニングウォークしたそうです。武田選手が愛した分、武田選手もクラブにそして選手に愛されてきたんですね・・・
24日はセレモニーのみのようですが、準決勝&決勝は何とか出場したいと武田選手も思っているようです。
「練習もせずに出してくれとはいえないから・・・」と 別メニューながらかなり精力的に練習してるようです。ぜひ、天皇杯優勝して武田選手に優勝トロフィー掲げてもらいましょう!
17・あの日・・武田選手の引退会見のあった20日は、私の20歳の誕生日でした。本来喜ぶべき日に、私は悲しみに暮れてばかりいました。何でこの日なのかと思いもしました。でも何か、運命じみたものを感じました。
私が小学生の頃から、ずっと応援してきた選手だけにショックは大きかったけれど、武ちゃんの涙、そしてここにいらっしゃる皆様方の熱いメッセージに、いたく感激いたしました。
今まで武ちゃんに、たくさん勇気をもらってきました。選手としてピッチに立つことを断念してしまった武ちゃんだけど、これからも、今まで色んな苦難に打ち勝ってきた彼なら、どんなことでもできるハズ。様々な分野でのご活躍を、願ってやみません。
そして・・本当に、心からお疲れ様!
18・とうとう、この日がやってきてしまったのですね。 涙が溢れてしまいました。何年も前から武田さんを応援してきました。引退なんて考えられなかった…。
考えたくなかった。もうグランドで走り回る武田さん、見ることが出来なくなってしまうんだ…。
本当に大好きでした。今までありがとう。 武田さんが出した答えだから…私はこれからもあなたを応援し続けます。
長い間、おつかれさまでした! これからの活躍にも期待しています。
19・引退の話を聞いたとき、ショックでしたが、やっぱり。。。という思いもありました。あの会見を見ていて、武田さんは本当にサッカーが好きなんだなぁって感じました。私が中学生の頃からずっと応援していたので、ものすごく寂しい気持ちです。
これからは、指導者の道を行くということなので、このMLがなくなっても応援していきましょう!!
20・清水東高校で1年で準優勝。そして得点王。2年・3年と出てくると思ったら出てこなくて…。気付けば読売で1年目からMVPを獲得する活躍を見せて…。Jリーグでヴェルディの黄金期やドーハも経験して…。
そこから始まったさすらいのストライカー。磐田でサイドバックして京都で9得点して、市原では残留請負人になった。パラグアイに渡って、帰ってたヴェルディで半袖でチームを引っ張り…
その姿に大変感動しました。もう見ることは出来ないのですね。寂しいです。あなたのような選手はもう出てこないでしょう。人1倍練習して結果を出そうと努力した姿や、W杯に出るためならDFでもやると言ったあの姿を忘れることはありません。そして鹿島戦でみせたあの魂の入ったプレーを忘れません。今まで本当に沢山の感動をありがとう。お疲れ様でした。
21・寂しいですね。でも武田選手テレビに出そうですよね。武田選手はずっと見ていきたいです!今日も日テレの番組に出そうですし。
ところで今日引退セレモニーをやったそうですね。誰か見た方いますか?やっぱ最後まで見たいです。
今までこの掲示板にカキコする方ってかなり限定されてて少なかったので、他のファンの方はいないのか?と不思議でしたが。こんなにいっぱい書いてくれる人がいて、改めて武田選手そ凄さを知りました。(引退のニュースで複雑ですが)まだまだ武田修宏応援しますよ!
22・寂しい〜です大好きな武田選手が引退を決めてしまって…。 皆さんのメッセージを読ませてもらいマスマス武ちゃんのファンになりました。これからも応援していきます。 あの笑顔をこれからも見せて下さいね。
23・昨日の24日、武田選手の引退セレモニー観てきました。試合の方は、残念ながらヴェルディは負けてしまい、ユニフォーム姿の武田選手はもう見る事ができなくなってしまいました。
セレモニーでの武田選手は迷いのない顔をしているように見えました。いつもそうだったように、自分の目標をしっかり見据えていました。チームメイトに胴上げされていたのがとても印象的で、チームメイトにもサポーターにも愛されているのがよくわかり、また武田選手もチームメイトやサポーターを大切に思っているのが伝わってきました。
これからどんな道に進むにせよ、武田さんを応援していて間違いはないと確信しました。頑張って下さい!!
24・沖縄からJリーグ入りを目指す‘沖縄かりゆしFC’サポのkiroといいます。皆さん、はじめまして。
武田選手引退のニュース、私も寂しく思っています。私が武田選手を見たのは、今年の8月、沖縄かりゆしFCとの練習試合の時でした。(もちろん、テレビでは見たことありましたけど)
優しい笑顔で挨拶してくださった武田選手。今でも笑顔が目に焼き付いています。
ところで、引退の話のすぐ後で申し訳ないんですが、東スポによると、何でもラモスさんが武田選手に「まだやれる。ウチの
チーム(沖縄かりゆしFC)に来い」と言ったとか。まあ、 東スポなので、真相のほどは解りませんが、実現してくれたら沖縄かりゆしFCサポとしては嬉しい限りなんですが。
25・お疲れ様でした。武田さんが監督としてワールドカップに出場する時が来るのを楽しみにしています。がんばってくださいね 応援しています。
26・今まで武田選手のプレーが楽しみでヴェルディを見てきました。プレーが見れなくなるのは残念ですが、監督として活躍されるのを楽しみにしています。お疲れ様でした。
27・長い間、本当にありがとうございました。そしてお疲れさまでした。私達に、夢や希望、勇気や元気、感動や生のドラマなどいろいろなものを与えてくださいました。いつかはやってくる引退ですが現実のものとなったときはショックでした。でも、ご本人がお決めになったことですから、いちばん良いときかもしれません。24日のセレモニーのあと、お車を見送った直後、さつきちゃんが泣き崩れて、”明日からどうやって生きたらいいの?どうしたらいいの?”と言いました。わたしも泣きながらなだめましたが、家に帰るとさつきちゃんの言ったとうりになりました。ただただ、寂しくて、思い出しては泣いています。いっしょに応援した平野さんなど友達もみんなそうです。泣いてばかりいても仕方がないので、来年は、ワールドカップの解説をなさる武田さんを楽しみに生きていきます。また、コーチや監督になられる日を心待ちしています。
28・ 武田選手、選手生活お疲れ様でした! 私もタケの1ファンとしてずぅーっと応援してきました。タケのファンになってサッカーを愛すことができて、とても感謝しています。本当にありがとー!!引退後も応援しているので、その素敵な笑顔で頑張ってくださいね。
29・正直とても残念です。男のけじめとして引退するとおっしゃいましたが、ファンが一人でも選手としてのプレイを望む限り自分の限界まで続けて欲しかったです。長い間お疲れ様でした。
これからも応援していきます。
30・毎年、今ごろのストーブリーグは、契約更改はどうだろか、背番号は?年棒は?と思い、練習が始動すると、調子は?けがをしませんように、と思い、リーグ戦が開幕するとゴールの笑顔が見たい、先発かな?ベンチに入るかな?とハラハラドキドキ。チームの試合に合わせて自分のスケジュールを組んで何年になるだろうか?
今年の元旦はヴェルディが勝っていれば、国立に行っていたのに。 東京のいとこ、高知の友人、ジュビロ時代一緒に試合を見に行ってくれた友達、武田さんの中学時代の先生などから、”武田選手の涙の引退感動的でした、残念でしたね、引退して寂しいでしょう、がっくりしてませんか?”か等の年賀状が届きました。
2日のNHK静岡ローカルニュースで、カズが静岡に帰って来て、少年達にサッカーを教えた後、お餅つきをしている様子がでました。3日は、去年は、草薙で武田選手のおめでとうゴールを生で見ることができました。そして田中さんのHPに載せて頂きました。その後、武田選手はカズさんと沖縄で自主トレをしましたね。
このような思い出だけでは、寂しいです。でも、私は武田選手から”忍耐”ということもいろいろな場面で学びましたから、今は我慢しなければと自分に言い聞かせています。
武田さんご自身は小学校1年生から始めて、プロになって16年もサッカーをしてきたのですから、もっともっと言葉では表せないほど複雑な思いでしょうね。
友達からの電話でテレビに出演していることを知らせてくれました。お元気そうな武田さんを拝見してうれしくなってしまった現金な私です。長くなってしまいましたが、今年もよろしくお願いいたいます。
31・まずは...武田選手、本当にお疲れ様でした。武田選手の引退が決まったときは、ホントにショックで涙がとまりませんでした。
Jリーグが発足された時から応援していたので、今までいろんな顔の武田選手を見てきただけにホントに残念で...(:_;)
決して平坦な道ではなかったけれど、サッカーに対する武田選手の情熱が痛いほど伝わってきて、見ているだけで私も頑張らないといけないなと思っていました。
何度か試合と練習場に応援に行ったこともあります。遠い分なかなか行けないのが残念で。
引退会見を見たとき、正直「どうして辞めちゃうのー?」と思ったのですが、武田選手の言葉を聞くとどこか(武田選手らしいな...)と思って何も言えなくなりました。
ケジメ...重みがありますよね、この言葉。何があっても前向きに頑張る武田選手...本当に大好きでした。もちろんこれからも...。
かならず監督として戻ってきてくださいね。ずっと待っています。プレーヤーとしては引退かもしれませんが、サッカー界ではまだまだこれから!
私は変わらず応援し続けますので頑張ってくださいね、武田選手! 最後に改めて..永遠のエースストライカー背番号9番・武田修宏選手。
本当の本当にお疲れ様でした。 そして...これからも頑張ってくださいね!!!
32・私は今ごろ記者会見の時のことを振り返ってみようと思います。記者会見の日は、よても複雑な気持とともに、武田選手は優しい性格なので泣いてしまわないかと心配でした。仕事が終って家に着くとちょうど3人の妹達がいました。最初はNHK静岡ローカルニュースで”浜松出身の武田修宏選手が引退することになりました。”ではじまり、活躍した経歴を放映したあと、キャスターが、”ジュビロにも在籍したこともあり、静岡のサッカーファンにはさみしくなしますね。”と言っていました。その後、民放で記者会見の様子が映されました。私達4人姉妹もいっしょに泣いてしまいました。皆さんもご覧になったように、その後もほとんどが涙の会見ばかりが映されましたね。あれでは見方によっては会見の間ずっと泣いているような錯覚に陥る人もいたではなでしょうか?私も全部見たわけではありませんが、ファンのことについての時、泣き笑いになり、読売の時にこらえきれなくなってしまったのではないでしょうか。途切れ途切れでしたが、体でリズムをとって最後までお話できできて良かったと思います。私の友達も、”あの涙の引退会見に感動したと言っています。ヴェルディが調子がいい時も、いろいろなチームで苦労したことも、とりわけ、市原で2回,ヴェルディで1回J1に残したことがすごかったとわたしは思います。
33・今日初めてこのHPを知りました。 私も武田さんの引退会見を見て涙した1人です。
北海道に住んでいるのでなかなか試合も見に行く事が出来なかったけどずっと応援してきました。
もちろんこれからも応援しつづけます。
34・波乱万丈で久々に目がキラキラ輝いてる武田さんを見て、安心しました。サッカーの高校選手権清水東で活躍していた頃からのファンなので、あんな目をしている武田さんを見るのは、読売クラブに入団が決まった時以来かな。あの時とても嬉しくて、読売のユニフォームを着ている武田さんのポスターを近所のスポーツ屋さんに貰いに行ったのを懐かしく思いだしました。 やっぱりあなたはピッチにたっている時とサッカーの話をしてる時が一番輝いています。 だから、あなたがどんな形であれ又ピッチにたつ日がくるのを楽しみにまっています。そして、ずっとあなたのファンで良かったなと改めて思いました。
35・私も以前サッカーをやっていて、小学6年のころ国立競技場で武田さんの股間をさわった事があります。そんな私(25歳です)が今日波乱万丈を見ました。私は、去年まで飲食店の企画・設計とかの仕事をしていて、今は無職です。その頃知り合った都内のあるお店のオーナーより武田さんのお話を伺っていて、その方を通じて非常に身近な存在の気持ちで、今日のテレビを拝見しました。 お金に対しての執着ではなく、最終的には自分自身の目標に向かって、パラグアイにいってサッカーをする事によって貰えるお金のありがたさ、今まで上り詰めた所からの挫折の話、選手としての引退という決意、涙を流しながら拝見させていただきました。私も先日アメリカで、言葉が通じないストレス、殺されそうになった経験をしました。そして今自分自身の今後に関して今非常に悩んでいます。武田選手の経験・体験・生き方が今の自分自身の状況に非常に似ていて何か自分を見ているようでした。ですが、武田さんはまたスポーツに関わる事からの再出発をきられたのですね。これを見て勇気が湧きました。私自身は甘えていたと思います。今まで何も考えずに生きてきた僕に出来る事は、まずは好きな事からの出発ではなく、ゼロからまた自分の足で生活して行く事から始め、その中からチャンスを掴んでいこうと思います。長くなりましたが、これからも武田さんが末永く活躍出来る事を、心より応援させて頂きます。もしどちらかでお会いできましたら色々とお話をお聞かせください。ありがとうございました。
36・昨日、羽田空港で1人でお茶をしていたら 「ここいいですか?」って聞いて来た男性が武田さんでした。私はビックリしちゃってジッと見てしまいました・・・
ごめんなさいm(_"_)m サインして下さい!ってお願いしたら 紙とペンを持っていない私に笑顔でサインしてくれて
少しだったけどお話もしてくれて嬉しかったです!有名人だからもっとツンツンした人なのかと思ってたんですけど
あの優しい笑顔は忘れられません。 サッカーの事はあまりわからない私ですが武田さんのファンに
なってしまいましたo(^▽^)o キャハハハ 昨日貰ったサインは私の宝物です。これから応援して行きたいと思ってるので色々教えて下さいね〜
そして極めつけは
こちらの公開しています画像を使いましてこんな時計を作りました。

(写真:当ホームページ掲載の写真を用いて作成したオリジナル時計)