『個人主義の意義と公の考え方』
ちょっとなんか今、考えをまとめて文にするって作業が
出来にくいみたいなので、わかり
にくいところがあるかも知れませんが、そこはよろしくおねがいします。
自分は友達とメールをしている。そしてその友達から「今は個人主義が進みすぎてないか。もっと公のことについて考えられるようになるべきだ」と言うメー
ルが来た。そこで自分の意見についてまとめてみた。
自分は個人主義という言葉が好きだ。自分は基本的に個人主義というものはいいものと思っている。自分自身が個人主義を実行できているかはともかくも、自
分の意見は個人主義に根ざしている。
自分が個人主義を掲げるのは、「人間は他の人の人生は歩むことが出来ない」からだと思う。
まったき悲しいことに、一人の人間と人間の間は埋められることのない溝がある。それは「人間は他の人の人生は歩むことが出来ない」と言うことだ。たとえ
ば組織などと言う物は離合集散を繰り返して諸行無常に形態を変えることが出来るが、個人というものはそうはいかない。生物学的にそこには埋められぬ溝があ
るのである。誰かが、誰かの代わりをしようとしてもそうはいかないのがこの世という物なのだ。
生物学での一つの単位として意味を持つ物と言えば、それは「細胞」と言う単位である。生物の体は細胞という物が集まって出来ているからだ。では政治・倫
理などではどうか。もちろん「細胞」などという人はいないだろう。ここで先ほどいったことを考えてみよう。人間の中では個人を越えることは出来ない。人間
の物を感じる単位は絶対に個人という単位である。このことから考えるとここでは「個人」と言う単位が適当ではないだろうか。
こう考えるとこういう考え方が出来る。たとえば夫婦という物は一つにまとめられがちだ。しかしあくまで夫婦も個人が2人集まって形成している物である。
であるからにして、その財産は、すべて別々の名義で管理すべきだろう。また夫婦への補助金という物があるが、これも別々の名義でそれぞれ支給すべきだ。そ
うでなければ片方が使い込むことによる不具合が出てくる。(そもそも子育てには補助金が与えられるとしても、夫婦に補助金が出るというのはおかしな話だ
が。日本ではどうか知れないが、アメリカでは結構お金が出るらしい。日本ではでないんだったらこの話は無用!ってことになってしまうかも。)
また片方が外で働いて片方が家事をしている夫婦の関係はこう捉えられる。まず夫婦のうち一方は外で働いて外資(家にとっての)を稼ぐ。そしてその配偶者
が家事をやった分、外資を稼いだほうはそのことに対して対価を払う。そしてそのお金で配偶者は生計を立てる、と言った具合だ。このようにしてそれぞれの利
益は確保され、関係が成り立っている。一般にはこの作業が省略されているようだが、できれば決算として夫婦が月末にお金をやりとりするというのが望ましい
(?)。このことによってそれぞれの成果はきちんと分けられる。
ちなみに「公」と言う価値観だが、自分はあまり考えてない。
自分は基本的に「公」と言う物も「私」が集まって出来た物と考える。つまり、あんまり「公」というものを考えてない?のだ。確かに集団を集団として考え
ることは出来るが、それらは個人の集まりであるともいえるのである。
自分は昔集団を集団として考えていた。「国」ならでっかいものを感じたし、「社会」なら人々の流れを、チームなら団結力のあるものとして感じた。オープ
ンソースプロジェクト(フリーのソフトを作るプロジェクト)ならそれは大きなうねりのように感じられたのだ。しかし今は集団を集団としてでなく、個人の集
まりとして考えている。集団というものを語るときも一人一人の生活が見えてくるように感じられる。もううねりを感じることはなくなったのだ。ちょっとさみ
しくも感じるが。
ま、と言った感じに自分は個人主義と公についての考えを持っている。みなさんはどうだろうか。
ああー、なんか頭がゴチャゴチャして何言ってるのかわからなくなってきた。うまく文章を終わらせられませんでした。なんでだろう。
【2004年 10月17日記】
※この文章は友達とのメールより作成されています
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