ほーむへ 人物へ戻る    


最終更新 2011/04/10



陶 弘景







2011/04/10 開始

01

 陶弘景、字を通明と言い、丹陽は秣陵の人である。弘景の母は、青龍が自分の懐から出てきた夢を見た。同じ夢の中で、二人の天人が香爐を手に持って至ると言うのも見ていた。この後で妊娠して、遂に弘景を生んでいる。弘景は幼い頃から異操を有していた。十歳の時、葛洪の『神仙傳』を手にすると、昼夜を問わず読みふけり、養生の志を有するようになった。人に


 青雲を仰ぎ、白日を覩(見)ると、遠いとは思えないな。


と言っていた。成長すると、身長は七尺四寸となった。その精神は汚れなく、行動は秀いでたものがあった。眉目秀麗で、細面に長い耳が特徴だった。読んだ書は一万余卷を数えた。琴や棋に長じ、草隸の両書に巧みであった。未だ弱冠ならざる時、蕭道成が、後の南齊の高帝であるが、相となると、諸王侍讀として引き入れられ、奉朝請に任命された。朱門に在ったが、それを表に出さず、名利などの外物から遠ざかり、ただ披閲を務めとする日々を過ごした。朝儀故事の多くの決定に関わった。南齊の永明十年(492)、祿を辞する上表をすると、これを認める詔が下され、束帛を下賜された。出発に及ぶと、公卿が征虜亭で祖道、送別の酒宴を催した。供帳は甚だ盛大で、車馬が道に連なっていた。列席者は皆な口を揃えて、宋、齊以来、未だこれほどの規模の物は無かったと言っていた。朝も野も称賛した。


第二回更新

02

 句容縣の句曲山に留まった。いつも


 この山下は第八洞宮であり、名は金壇華陽の天と言い、周囲は百五十里である。その昔、漢代に咸陽の三茅君が道を得えたと言う。その時にこの山に来たと言うので、この山を茅山と言うのである。


と言っていて、中山に館を構えると、自ら華陽隱居と号した。東陽の孫遊岳から符圖の經法を授けられた。名山を遍歴して、仙藥を求め歩き回った。澗谷を通過する時は、必ずその間に座するなり臥するなりして、吟詠を始めると盤桓してしまい、動かなくなってしまった。時に沈約が東陽郡守として赴任してくると、その志節を高く評価して、書を何度も送って呼び寄せようとしたが、弘景が至る事は無かった。

03

 弘景の人となりは、円通にして謙謹であり、出処は期せずして一致し、心は明鏡の如く、人に遇する時は変わり無く,言に煩舛は無く、容易に道理を知る事が出来た。南齊の建武元年(494)の九月、宜都王の蕭鏗が明帝によって殺害された。その夜、弘景の夢に鏗が現れ告別した。そして、幽冥の中を訪ねてきた事を話し始め、多くの祕異を説いたのであった。目を覚ますと、その内容を『夢記』として著した。


第三回更新

04

 永元元年(499)、三層の楼を築造すると、弘景はその最上層に、弟子がその中層に居した。賓客が下層に至っても、物を与えて会おうとはしなかった。ただ、一家の僮だけがその傍らに侍していた。特に松風を愛好し、その評判を聞くといつも、欣然と笑みを浮かべた。一人で泉石を経巡る姿は、それを望んだ者が仙人と思うようなものであった。

05

 著述に精力を注ぎ、奇異な事柄に興味を引かれた。光景を深く愛し、歳を取るごとにそれは篤くなっていった。陰陽や五行、風角や星算、山川や地理、方図や産物、醫術や本草に通じていた。『帝代年歴』を著し、また、渾天象を造り


 道を修めるのに必要となろう。ただ史官だけの用となる物ではない。


と言った。


第四回更新

06

 義軍が建康を平定して、禪代に関する議が起こったと聞くと、弘景は圖讖を引っ張り出してきた。いろいろと見たが、そのどれもが「梁」の字を成したため、弟子にこれを進言させた。蕭道成は、梁の高祖であるが、昔から弘景と親交があった。中興二年の四月、南濟の和帝から禪譲されて即位した後、その恩禮は更に篤くなっていき、書問が絶える事は無く、冠蓋が相い望んだ。

07

 天監四年(505)、居を積金東澗に移した。辟穀と導引の法に通じていて、年が八十を超えても壯容を有していた。深く張良(前漢)の人となりを慕い、「古賢で比ぶる莫し」と称賛していた。仏から『菩提記』を授けられ、名を勝力菩薩とされた夢を見た。縣の阿育王塔を詣でて自誓すると、五大戒を授けられた。太子の蕭綱が南徐州に臨した時、その風素を欽して、至後堂に召した。談論すること数日、弘景は帰っていった。綱は甚だ弘景を敬異した。大通元年(527)、二刀を高祖に献上した。一振りは善勝、もう一振りは威勝と言う名で、どちらも佳宝であった。

08

 大同二年(536)の三月、死去した。享年八十一。その顔色は生きている時と変わらず、屈伸させる事も出来た。詔が下され、中散大夫が追贈され、諡号を貞白先生とされた。また、舍人に喪事を取り仕切らせた。弘景はその遺言にて薄葬を命じていたが、弟子はこれに従って薄葬した。


2011/04/10  終了。


『晉書』「處士」 陶弘景 - 742〜743 -


第一回更新    開始 残り07段 全08段  2011/04/10
第二回更新    更新 残り05段
第三回更新    更新 残り03段
第四回更新    終了


2011/04/10 終了。