2012/03/02 開始
01
陶潛、字を淵明と言った。或いは淵明が名で、字は元亮とも言われる。尋陽は柴桑の人である。その曾祖父は陶侃で、晉朝の大司馬である。
02
潛は若くして高趣を有していた。『五柳先生傳』を著して、以って自の有り様を陳べた。曰く
「
先生は何許の人か分からないだけでなく、その姓字も詳からではない。その居宅を五本の柳の樹の近くに構えていた事から、それにちなんで号とした。物静かで口数は多くなく、栄利に関心が無かった。読書を好んではいたが、深く解釈しようとはしなかった。興味が惹かれる所があれば、喜びのあまり食を忘れる事もあった。生来の酒好きであったが、家が貧乏であったため、いつでも飲めるわけではなかった。親戚や旧知の人は、彼の生活状況を知っており、酒を飲ませてやるから来いと招いた。これに応じて赴くと、あっと言う間に飲み尽くしてしまった。半ば酔う事が目的であったため、酔いが回れば帰るのであった。留まって親睦を深めようと言う気は無かった。家は狹く寂れていて、風どころから日を遮る事も出来ない有様で、着潰した襤褸しかなく、飲み食いに事欠くこともしばしばであったが、晏如として気にしなかった。文章を為しては自らの娯しみとし、そして己の志する所を示すのであった。俗世の得失を気にする事無く、一人その生を終えるのであろう。
」
と言うものであった。その自序はこのようであり、時の人はこれは實録であろうと評した。
第二回更新〜第五回更新
03
親が老い家が貧しかったため、東晉の太元十八年(393)、江州祭酒として出仕する事となったが、官吏仕事に堪えられず、少日で辞職して帰ってきた。後に州から主簿として招かれるが、これに就く事は無かった。自給自足の生活をしていたが、羸疾に耐え切れなくなり、元興三年(404)、鎮軍將軍であった劉裕の參軍となり、義煕元年(405)には建威將軍の劉敬宣の參軍となった。親友に
「
弦歌(邑令)にでもなって、三逕の資としたいところだ。
」
と言った事があったが、これが人事担当官の耳に入り、これによって彭澤令に任命された。潛は支給された公田の全てで、

稻を栽培しようとした。それでは生活が出来ないと、妻は

を植えるよう頑なに求めた。これに折れた潛は、二頃五十畝には

を、残りの五十畝に

を植える事にした。郡から派遣された督郵が至ると、縣吏から束帯の礼装で迎えるよう言われた。これに潛は嘆じて
「
私は五斗の米の為に、郷里の小人ごときに腰を折って向う事など出来ん。
」
と独り言つと、その日の内に印綬を解いて職を去った。「歸去來」を賦した。その詞とは
「
歸去來兮 歸去來兮(かえりなんいざ)。
園田荒蕪 実家の園田が荒蕪しようとしているのだ、
胡不歸 どうして帰らずにいられよう。
既自以心為形役 既に生活の為に自ら心を曲げたのだから、
奚惆悵而獨悲 惆悵して独り悲しんだところでどうなろうか。
悟已往之不諫 已往の事は諫められないが、
知來者之可追 これからの事は、まだどうにでもなる。
實迷塗其未遠 確かに道は間違えたが、それほど遠くまでは
来ていない。
覺今是而昨非 今が是であり、昨日までが非であったと
分かったのだ。
舟超遙以輕

舟はゆらゆらと揺れ、
風飄飄而吹衣 風は飄飄と衣を吹き上げる。
問征夫以前路 行き合わせた旅人に、先の路を尋ねたが、
恨晨光之希微 恨むらくは、朝ぼらけの光では、その先が
見え難い事だ。
04
乃瞻衡宇 我があばら家が見え始めると、
載欣載奔 欣びのあまり矢も盾もたまらず走り出していた。
僮僕歡迎 私の姿を発見した僮僕は嬉しそうに私を出迎え、
稚子候門 我が幼な子も、門の所まで出てきたのであった。
三徑就荒 三徑は荒れ始めていたが、
松菊猶存 松も菊も、まだ元のままでいてくれた。
攜幼入室 子供を抱きかかえて家に入ると、
有酒停尊 酒樽が用意されていた。
引壺觴而自酌 壺觴を引き寄せて、さっそく手酌で飲み始めた。
盻庭柯以怡顏 庭の木々を眺むれば、にやけ顔になってくる。
倚南窗而寄傲 南の窓に寄り掛かり気ままに時を過ごせるとは、
審容膝之易安 膝が入る程度の広さでも、落ち着くのが我が家で
あると実感させられる。
園日渉而成趣 園は日を追うごとに趣が生まれ、
門雖設而常關 門はあるが、いつも閉じっ放しになっている。
策扶老以流

扶老(手杖)をついて気ままに歩いては、
時矯首而遐觀 時に頭を上げて遠くを見やる。
雲無心以出岫 雲は自然と峰々から沸き出で、
鳥

飛而知還 鳥は飛ぶに飽きて、返っていく。
景翳翳其將入 薄暗くなってきて、日の入らんとするも、
撫孤松以盤桓 一本松の傍に立って、そこを立ち去り難い。
05
歸去來兮 歸去來兮(かえりなんいざ)。
請息交而絶遊 世俗との交友を絶つためにも。
世與我以相遺 世間は私と相容れないものだ。
復駕言兮焉求 再び駕に乗ろうなぞ、何を求めての事に
なろう。
説親戚之情話 親戚との情に溢れた話に喜び、
樂琴書以消憂 琴や書を楽しみとすれば、憂いなど消えて
しまおう。
農人告余以上春 農人が私に告げる。上春が来て
將有事于西疇 西の疇(田)で仕事を始める季節になったと。
或命巾車 時に巾車を出すよう命じて赴き、
或棹扁舟 時に扁舟にて赴く。
既窈窕以窮壑 奥深い壑(谷)を窮め、
亦崎嶇而經丘 険しい丘を越えて行く。
木欣欣以向榮 木々は欣ばしげに葉を芽吹かせ、
泉涓涓而始流 泉はさらさらと流れ始める。
善萬物之得時 万物が時の宜しきを得たるを善び、
感吾生之行休 私の生が次第に終わりに近づいていくを感ず。
06
已矣乎 已矣乎(やんぬるかな)。
寓形宇内復幾時 形(肉体)が宇内(この世)に寓するのは、
もう幾時だ。
奚不委心任去留 どうして心のままに去るを留まるを
任せないのか。
胡為遑遑欲何之 どうして慌しくどこかへ行こうと
欲しているのか。
富貴非吾願 富なぞ貴なぞ、私の願うものではない。
帝郷不可期 神仙の世界とて、果たしてどんなものか。
懷良辰以孤往 晴れた日差しの下、独り歩いて、
或植杖而耘

杖を植えて農作業を真似てみる。
登東皐以舒嘯 東皐に登って口笛を吹き、
臨清流而賦詩 清流に臨んでは詩を賦す。
聊乘化以歸盡 自然の流れに從って終わりを待ちうけよう。
樂夫天命復奚疑 天命を楽しめるようになった今、
何をか疑わんや。
」
と言うものであった。
第六回更新
07
義熙十四年(418)、著作佐郎に任命されるも、就く事は無かった。王弘が江州刺史として赴任してくると、潛と交友を図ろうとした。しかし、叶わないままでいた。潛が廬山に赴いたと聞くと、弘は潛の旧友である

通之に酒具を持たせて、その中途にある栗里へと向わせた。潛は脚疾を患っていたため、門生と二人の子に籃輿を担がせて到着した。通之が持ってきた酒具に欣びの表情を見せ、共に酒を飲み始めた。頃合を見計らって弘が姿を見せると、潛はこれを受け入れた。これに先立って、顏延之が劉柳の後軍功曹として尋陽にいた時、潛と打ち解けた中になっていた。時を経て劉宋に移った景平元年(423)、延之が始安郡太守に任命されると、尋陽に立ち寄った。毎日のように潛の下を訪れては、酔っ払うまで酒を酌み交わした。延之が尋陽を去る時、二万錢を潛に贈ったが、潛はその全てを酒家に送った。そして、酒が無くなり次第、酒家に酒を取りに行ったのであった。九月九日に酒が切れると、家を出て菊叢の中に座り込んだ。折りよく弘が送ってきた酒が至ったので、そこで飲み始めた。酔いが回ると、ようやく家に入った。潛は音楽を解していなかったが、素琴の一張を所有していたが、絃は張られていなかった。しかし、いい感じに酔いが回ってくると、その素琴を撫弄しては、意を寄せたのであった。貴者であれ賤者であれ、潛の下を訪れると、酒があれば潛はすぐに酒席を設けた。潛が先に酔っ払ってしまうと、客に対して
「
酔って眠くなってきた。卿、帰られよ。
」
と言うのであった。その真率さは、このようであった。郡將が潛の様子を伺いに来た時、酒が仕上がった時であった。すると、頭から葛巾を取ってそれで酒を漉した。それが終わると、またそれを被ったのであった。
第七回更新〜第九回更新
08
潛は弱年にして下吏となったが、去就の迹を潔しとしなかった。曾祖父が晉世にあって宰輔となったのに、その後代が屈身している事を羞じたためである。高祖(劉裕)の王業が高まっていったが、仕官しようとはしなかった。文章を著す時、全てにその年月を題していた。義熙以前にあっては、晉氏の年号を書し、永初以後は甲子(干支)を書すだけであった。子に書を与えてその志を陳べると共に、訓戒を為した。それは
「
天地賦命 命は天地が授けたものであって、
有往必終 その生には必ず終わりが来る。
自古賢聖 古えより賢であれ聖であれ、
誰能獨免 誰が免れ得たであろうか。
子夏言曰 子夏の言にある。
死生有命 「死生には命が有り、
富貴在天 富貴は天に在る」と。
四友之人 四友の人は、
親受音旨 孔子より音旨を授けられた。
發斯談者 この談を発したのは、
豈非窮達不可妄求 栄達は妄りに求めてはならない、
壽夭永無外請故邪 寿命の長さをそれ以上に求めてはならないと
言う事であろう。
吾年過五十 私も年が五十を過ぎたが、
而窮苦荼毒 窮苦と荼毒の連続であった。
以家貧弊 家が貧乏で苦しかったため、
東西遊走 東に西に奔走したものだ。
性剛才拙 しかし、上手く折り合いを付けられない
性格のため、
與物多忤 人とぶつかる事が多かった。
自量為己 自らを振り返ってみれば、
必貽俗患 このままでは必ずや俗との諍いを生むだろう
と思い、

俛辭世 無理をしてでも世間と遠ざかる事に
したのだ。
使汝幼而飢寒耳 そのためお前達には、幼い頃から飢寒を
味合わせてしまった。
常感孺仲賢妻之言 常日頃から孺仲(後漢・王覇、孺仲は字)の
賢妻の言を思い出す。
敗絮自擁 「襤褸を着ていたとして、
何慚兒子 どうして子に羞じる事がありましょう」と
言うのだ。
此既一事矣 これだけでも一事であろう。
但恨隣靡二仲 ただ恨むらくは、隣に二仲の無く、
室無

婦 室に

婦の無きを。
抱茲苦心 そのため、この苦心を抱き、
良獨罔罔 独り内心で羞じているのだ。
09
少年來好書 少年の時分から書を好み、
偶愛閑靜 閑靜な生活を好んだ。
開卷有得 卷を開き気にいった部分に行き当たれば、
便欣然忘食 欣びのあまり食を忘れる事もあった。
見樹木交蔭 樹木の蔭が重なりを見たり、
時鳥變聲 様々な鳥の鳴き声を聞くと、
亦復歡爾有喜 嬉しくてたまらないものがある。
嘗言五六月北窗下臥 前から言っている事だが、「五月、
六月に、北の窓下に臥して、
遇涼風暫至 涼風が吹いてきたらば、
自謂是羲皇上人 自分が羲皇以前の人になったようだ」と。
意淺識陋 これも淺陋な考えであった。
日月遂往 日が月が往けば、
緬求在昔 はるか昔を求めたところで、
眇然如何 眇然としたもは、見えやしないのだから。
10
疾患以來 疾を患って以来、
漸就衰損 次第に衰えを感じられるようになり、
親舊不遺 親戚も旧友も、忘れる事無く、
毎以藥石見救 いつも藥石を送っては回復を
願ってくれるが、
自恐大分將有限也 自分の余命も限りに来ているのでは
ないかと思えてくる。
恨汝輩稚小 恨むらくは、お前達が幼い頃から、
家貧無役 家が貧しく無役であったため、
柴水之勞 柴水の労から、
何時可免 いつになったら解放されるのかと、
念之在心 これを思うたびに、
若何可言 何と言っていいか分からなくなって
しまう。
然雖不同生 しかし、お前達は母親は違えど、
當思四海皆弟兄之義 「四海は皆な弟兄」の義を忘れては
ならんぞ。
鮑叔、敬仲,分財無猜 鮑叔は敬仲と儲けを分けるのに
そねむ事無く、
歸生、伍舉,班荊道舊 歸生は伍舉と荊を敷いて旧交を温めた。
遂能以敗為成 失敗した敬仲は鮑叔にり成功を為し、
因喪立功 逃げた伍舉は歸生により大功を挙げた。
他人尚爾 他人同士ですらこのようなのだ。
況共父之人哉 父を共にしているお前達は、より仲良く
すべきであろう。
潁川韓元長 潁川の韓元長は、
漢末名士 漢末の名士であった。
身處卿佐 身は卿佐と言う高位に昇り、
八十而終 八十にしてこの世を去ったが、
兄弟同居 それ以前から兄弟と同居して、
至于沒齒 それは今際まで続いたと言う。
濟北氾稚春 濟北の氾稚春は、
晉時操行人也 西晉の時にあって操行の人であった。
七世同財 七世に渡って分家をしなかったが、
家人無怨色 家族には怨色は見られなかったと言う。
詩云「高山仰止 『詩』に云う。「高山を仰ぎ、
景行行止」 景行に行け」と。
汝其慎哉! お前達も慎しむのだ!
吾復何言 私が言えるのはこれだけだ。
」
と言うものであった。
第十回更新
11
また、「命子」と題した詩を残している。曰く
「
悠悠我祖 はるか我が祖は、
爰自陶唐 陶唐から始まっている。

為虞賓 虞の賓と為って以降、
歴世垂光 歴世にあって人物を輩出してきた。
御龍勤夏 御龍氏が夏朝に勤め、
豕韋翼商 豕韋氏が商朝にて翼(輔佐)した。
穆穆司徒 穆穆たる司徒(陶叔)が出て、
厥族以昌 我が族は盛んになったのである。
紛紜戰國 紛紜とした戰國には、
漠漠衰周 漠漠と周は衰えていった。
鳳隱于林 鳳は林に隠れ、
幽人在丘 幽人は丘に籠った。
逸

撓雲 飛び上がった

は雲を巡り、
奔鯨駭流 水面を走る鯨は流れを逆巻かす。
天集有漢 天命は有漢に集い、
眷予愍侯 我が愍侯(陶舎)が恩寵を得た。
於赫愍侯 於赫(ああ)、愍侯、
運當攀龍 その運は攀龍に当たった。
撫劍夙邁 劍を撫して早くから邁進し、
顯茲武功 ここに武功を顕著にした。
參誓山河 書して山河に誓い、
啓土開封 土を啓いて封を開いた。


丞相 勤勉なる丞相(陶青)は、
允迪前蹤 誠に前蹤を継承された。
渾渾長源 こんこんと湧き出る源、
蔚蔚洪柯 鬱蒼と生い茂る大樹。
羣川載導 多くの川が導かれ、
衆條載羅 多くの枝が分かれていった。
時有默語 時に默し時に語り、
運固隆

命運は世の盛衰に拠ったのである。
在我中晉 我が中晉(東晉)にあって、
業融長沙 その業を輝かせたのは長沙(陶侃)であった。
桓桓長沙 威風のあった長沙は、
伊勳伊コ 勳を挙げ徳を為した。
天子疇我 天子はその功績に報い、
專征南國 南國の征伐を任された。
功遂辭歸 功を遂げ、辞して帰るも、
臨寵不惑 寵に臨んでも惑わされなかった。
孰謂斯心 このような心は、
而可近得 近来にあって得難いものではないか。
肅矣我祖 肅たる我が祖父(陶茂)は、
慎終如始 その終わりを慎しむこと始めと変わらなかった。
直方二臺 その直なるは二臺の範となり、
惠和千里 その恵は千里を和した。
於皇仁考 ああ大いなる仁なる考(亡父)は、
淡焉虚止 欲に淡く謙虚であった。
寄迹夙運 一時は身を風雲(官職)に寄するも、
冥茲慍喜 そこでは慍も喜も明らかにされなかった。
嗟余寡陋 ああ私の寡陋なる事よ。
瞻望靡及 如何に瞻望しようとも、これらに及ばない。
顧慚華鬢 我が身を顧れば、慚ずべき事に白髪が目立ち始め、
負景隻立 兄弟も無い身で、一人立っている事だ。
三千之罪 三千なる罪の中で、
無後其急 跡継ぎが無い事が、最大のものであると言う。
我誠念哉 私は誠に思っていたのだぞ。
呱聞爾泣 お前の産声が聞こえてくるのを。
卜云嘉日 卜すれば嘉日と云い、
占爾良時 占すれば良時であると。
名爾曰儼 お前を名づくるに儼とした。
字爾求思 お前を字するに求思とした。
温恭朝夕 温恭なれ、朝に夕に。
念茲在茲 その事を思って、そこにあるのだぞ。
尚想孔

それ以上に思うのは、字の元である孔

だ。
庶其企而 同じとまでは言わない。近づいてくれよ。
事髏カ子 試セを患いし者が、夜に子を生んだが、
遽而求火 灯りを求めて、その姿を確認したと言う。
凡百有心 全ての人に心が有り、
奚待于我 私だけが特にと言うものではない。
既見其生 既にその生まれたのを見れば、
實欲其可 本当に可なる者に育って欲しい。
人亦有言 人が言うではないか。
斯情無假 「この情に偽りは無い。」と。
日居月諸 月日が経って、
漸免于孩 お前も成長してきた。
福不虚至 福とはいたずらに至るものではないのに、
禍亦易來 禍は生じ易い。
夙興夜寐 私は朝早くに起きて、夜遅くに寝るまで働き、
願爾斯才 お前が才なる者となる事を願っている。
爾之不才 お前が不才であったならば、
亦已焉哉 それはそれで仕方の無い事だが。
」
と言うものであった。
12
潛、元嘉四年(427)の十一月、病没した。享年六十三。
2012/03/03 終了。
『宋書』「隱逸」 陶潛 - 2286〜2291 -
第一回更新 開始 残り10段 全12段 2012/03/03
第二回更新 更新 残り09段
第三回更新 更新 残り08段
第四回更新 更新 残り07段
第五回更新 更新 残り06段
第六回更新 更新 残り05段
第七回更新 更新 残り03段
第八回更新 更新 残り02段
第九回更新 更新 残り02段
第十回更新 終了
2012/03/03 終了。