2011/02/22 開始
01
徐嵩、字を元高と言い、徐盛の子である。小さい頃から清白を以って、称賛を集めていた。前秦の苻堅の治世に、賢良として推挙され、郎中に任命されると、長安令にまで上がっていった。貴戚の子弟が法を犯しても、嵩は一律に訊問して刑に処した。親からの賄賂も拒絶している。堅はこれを大いに評価して、叔父の徐成に
「
人は長吏と為れば、当然にすべき事かもしれない。この年少は落落としており、端貳の才を有しているな。
」
と言った。始平郡の守りを任されると、その威恵は甚だなものがあった。
2010/02/23
02
太初二年(387、太元十二年)の十月、嵩の守る壘が、後秦の姚方成によって陥落させられ、嵩は生け捕りとされた。方成に責め立てられたが、嵩は怒気を含んだ声で
「
お前ら姚萇の罪は万死に値する。主上は黄眉(苻黄眉)がこれを斬るの止めさせ、赦してしまわれた。それどころか内外に関わらせて、位は列將とされてしまった。しかし、犬馬の識養の誠も無かったがため、大逆をなしやがった。お前ら羌輩に、人の期を理せと言うのは無理であったな!どうして私を速やかに殺さなんだ。早く先帝に見みえて、姚萇を地下にて裁いてくれようぞ。
」
と姚方成を怒鳴りつけた。この言葉に方成も怒りを覚え、嵩を三斬に処して、その首を便器に塗り込めさせた。苻登は嵩の死に哭して哀慟し、車騎大將軍、儀同三司を追贈して、諡号を忠武とした。
2011/02/23 終了
『晉書』「載記」 苻登/徐嵩 - 2955 -
2011/02/22 開始 残り01段 全02段
2011/02/23 終了