2012/04/14
01
袁山松、若くして才名を知られ、博学で文章を得意として、『後漢書』百篇を著した。衿情は秀遠で、音樂に通じていた。旧歌に行路難と言う曲が有り、その辞は頗る疏質であったが、山松はこれを好んだ。その辞句を文とし、その節制を婉として、酔っ払うと、いつも、これを歌っていた。これを聞いた者で、涙しない者は無かった。羊曇は唱樂、桓伊は挽歌に巧みで、山松の行路難と併せて、人は「三絶」と呼んだ。張湛は齋前に松柏を植えるのを好んだ。山松はそれを見に行くといつも、左右の付き人に挽歌を作らせた。人はこれを「湛は屋下に尸を陳べ、山松は道上で殯を行う」と言った。
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02
山松は顕位を歴任して、呉郡太守に任命されている。隆安三年(399)の十月、孫恩が叛乱を起こした。隆安四年(400)の十一月、山松は滬

に壘を築いて、恩の侵攻に備えた。隆安五年(401)の五月、恩が滬

を陥落させた時、山松は殺されている。
2012/04/14 終了
『晉書』 袁

/子喬/喬孫山松 - 2167 -
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