2011/04/10 開始
01

承先、字を子通と言い、潁川は

陵の人である。若くして沈着冷静で志操を有していた。是非を口にする事は少なく、喜慍を表に出す事が無かったため、人は窺う事が出来なかった。弱歳の時、南陽の劉

に師事したが、その強記敏識は、群輩に秀でたものがあった。玄經や釋典で、目を通さなかったものは無かった。九流や七略は、その全て精練していた。郡から功曹に任命されたが就く事は無く、道士の王僧鎮と共に衡岳に遊した。弟が病気になったため郷里に戻り、土臺山に居した。

陽忠烈王の蕭恢が州に在った時、その風味を欽して、一緒に遊する事を求めた。また、『老子』を講義させた。遠近の名僧も皆な集まり、論難が鋒起して、異端が競至したが、承先はおもむろにそれに酬答した。その答えは、全て誰も考えの及びつかないものであった。恢は更に欽重を加えて、州主簿として任用しようとし、湘東王の蕭繹も承先の噂を聞きつけ、同じく法曹參軍として取り立てようとしたが、どちらにも赴かなかった。
02
中大通三年(531)、廬山の劉慧斐が荊州に至ったが、承先と旧知の仲であり、慧斐の行くに從った。荊陝の学徒は、承先に『老子』の講義を求めた。蕭繹も駕を出して聴講に赴いて、論議すること終日、深く賞接した。連月余日に渡って留まり、山へ還った。繹が自ら祖道を催し、合わせて篇什を贈った。隱者はこれを美とした。この年に死去している。享年六十であった。
2011/04/10 終了。
『晉書』「處士」

承先 - 753 -
第一回更新 終了 全02段 2011/04/10
2011/04/10 終了。