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最終更新 2012/01/22



宇文 化及







2012/01/22 開始

01

 宇文化及、左翊衞大將軍の宇文述の子である。その性格は兇險であり、法度を守ろうともしなかった。彈弓を抱えて立派な馬に跨っては、道中を走り回っている姿が、よく見受けられた。そのため、長安では化及を輕薄公子と呼んでいた。煬帝が、つまり、楊廣が太子であった時、常に千牛刀を佩びて、出入臥内に出入りしていた。累遷して太子僕に至った。しかし、何度と無く賄賂を受け取ったため、そのたびに免官されていた。だが廣が嬖昵していたため、すぐに復職できていた。弟の宇文士及が南陽公主を嫁に迎える。化及はこれによって益々驕るようになり、公卿の間にあっても、言辞は不遜であったため、陵轢される事が多かった。人の子女、狗馬や珍玩を見ると、必ずそれらを寄こすように求めた。いつも屠販者と遊んでは、その利を仕切っていた。仁壽四年(604)の七月、廣が即位すると、煬帝であるが、太僕少卿に任命され、更に旧恩を恃みとするようになり、貪冒も甚だしくなっていった。大業三年(607)、煬帝が楡林に行幸すると、化及は弟の宇文智及と共に、禁に違って突厥と交易した。これに煬帝が激怒し、数ヶ月に渡って囚した。青門外まで戻ってきた煬帝は、二人を斬首してから入城しようと予定していたが、二人は衣と辮髮を解いた姿で待っていた。公主の故もあって、程無くして赦された。そして、智及と共に述に奴として賜された。大業十二年(616)の十月、述が薨した後、煬帝は追憶して、遂に化及を右屯衞將軍として、智及を將作少監として官界に復帰させた。


第二回更新

02

 大業十二年(617)の二月、李密が洛口倉を占拠した。煬帝は恐れを抱き、淮左に留まって、都に帰還しようとしなかった。従駕の驍果の多くは關中の人であり、長らく羈旅に客しているのに加えて、煬帝に西意が無いのを見て取り、叛帰しようと謀り始めた。時武賁郎將の司馬コ戡は驍果を総領して、東城に屯していた。そこに、兵士が叛乱を起こそうと言う噂が入ってきた。その真偽が分からなかったため、校尉の元武達を遣って驍果に探らせた。これが真であったと分かると、構逆を謀った。目を掛けていた武賁郎將の元禮、直閤の裴虔通を扇惑して


 今、陛下は丹陽に築宮しようと、還ってこないと聞く。だが、部するところの驍果で帰還を願っていない者は無い。それぞれ人に聞かれぬよう会話をして、逃去を謀っているとの事だ。それらに、私は言いたい事がある。陛下の性は忌であり、兵が走(逃)する事を聞くのを嫌っている。だから、事が露見すれば誅されてしまうであろう、と。また、今、知りて而して言わざれば、その後に事が露見した時、我が一族は族滅されてしまう。進みても退いても戮されるとなれば、どうしたらよいであろうか?


と問うと、裴虔通が


 上が本当にそのような方であったらば、誠に公が憂されるのも仕方がありません。


と答えた。司馬コ戡が両人に


 私は關中が陷沒してしまい、李孝常が華陰を以って叛したと聞いた。陛下はその二弟を捕えて、殺そうとされているとの事だ。我らの家族も西にあるが、どうしてこの慮の無きを得られんや!


と言うと、裴虔通が


 私の子弟は、既に壯に達しておりますが、誠に自ら保てるかどうか。正に旦暮に誅されるのではないかと恐れますが、計が出てきません。


と言った。司馬コ戡が


 憂いを同じゅうするのであれば、共に計を為そうではないか。驍果が逃げ出したのであれば、共に去ろうではないか


と言うと裴虔通らは


 誠に公の言こそが、求生の計です。これより易きはありません。


と答えた。このように、互いに招誘したのであった。また内史舍人の元敏、鷹揚郎將の孟秉、符璽郎の李覆、牛方裕、直長の許弘仁、薛良、城門郎の唐奉義、醫正の張トにも話を持ち掛け、その後も日に夜にその範囲を広げていった。そして、刎頸の交を約して、款昵を思い、言するに迴避する無く、座中では叛計を論じて、その一致を見た。時に李孝質が禁中にいて、驍果を指揮していたため、内と外の交通が自由になり、謀事は急速に進行していった。趙行樞と言う者がいたが、樂人の子であり、家産は巨万に上っていたが、以前から宇文智及と交友があった。勳侍の楊士覽と言う者は、宇文氏の甥であった。この二人が共に、智及にこの事を報告した。智及は素より狂悖であり、これを聞いて喜んだ。すぐさま司馬コ戡との面会を果たすと、三月十五日を期日とし、挙兵して一斉に叛乱を起こす事を定めた。そして、十二衞の武馬を奪い、居人から財物を略奪して、党を結んで西帰するべきだとした。しかし智及が


 そうであろうか。今、天は実に隋を喪そうとしており、英雄が並び立っている。同心の叛者は既に数万人に及んでおり、大事を行う事は、これ帝王の業となろう。


と言うと、司馬コ戡はこれに同意した。趙行樞、薛良は化及を以って主として、決定した事項を化及に伝えた。化及の本性は駑怯であり、これを聞くや大いに慌てふためき、顔色が見る見るうちに悪くなり、汗が止め処無く流れ落ちた。しばらくしてから、ようやうこれに同意した。


第三回更新

03

 義寧二年(618)の三月一日、司馬コ戡は兵に宣言しようと考えたが、人心が未だ一ならざるを恐れて、更なる譎詐を以って驍果を脅そうとした。そして、許弘仁、張トに


 君は良医であって、國家の任使である。出言して兵を惑わせば、兵らは必ずや信じるであろう。君は備身府に入って、識者に告げてきてくれ。陛下は驍果が叛しようとしていると聞き、毒酒を用意して、これを酒宴で振る舞って尽く鴆殺して、一人、南人と共にここに留ろうと考えている、とな。


と言うと、許弘仁はこの言をそのまま宣布した。驍果はこれを聞くや、互いに語を交わし、これによって、謀叛への流れは更に勢いを増していったのであった。司馬コ戡は、弘仁が宣布した事が十分に広まったのを確認すると、十日後、驍果の軍吏の全てを召集して、為すべき所を説いた。兵は皆な伏して


 將軍の命ずるままに!


と声を挙げた。その夜、城門の開閉を司っていた唐奉義は、裴虔通と連絡を取り合って、諸門の全てに鑰しないよう示し合わせた。夜も三更に至ると、司馬コ戡が東城内に兵を集結させた。その数、数万。それらが火を掲げて、城外に合図を送った。煬帝は外の騒がしさに気づき、何事かと問うた。これに虔通は


 草坊から出火して、城外の者と共に消化をしているとか。そのために騒がしいだけです。


と虚偽の返答をした。城の中と外は隔絶されており、煬帝はこれを信用した。孟秉、宇文智及は城外に兵千余を集めていた。そして、巡察を指揮している候衞武賁の馮普樂を脅して、兵を郭下や街巷に配置させるのを手伝わせた。五更に至った時、司馬コ戡は裴虔通に兵を与え、諸門の衞士と入れ替わらせた。虔通は門を開けると、数百騎を率いて成象殿へと乗り込み、將軍の獨孤盛を斬り殺した。武賁郎將の元禮も、兵を率いて動き出した。宿衞は全て逃走した。虔通の兵が左閤まで迫ってくると、煬帝は永巷へと逃げ込んだ。虔通が


 陛下はいずくに在られるか?


と声を挙げると、美人の一人が姿を現して、指を指して


 西閤におられます。


と言った。この言葉通りに向かうと、煬帝はそこにいた。裴虔通は煬帝を捕らえた。煬帝は虔通に向かって


 卿は我が故人ではないのか!何の恨みで反した?


と言うと、裴虔通は


 この虔通、反しようなどとはしておりません。ただ、將士が帰還を願っているため、陛下を奉じて京師に帰らんとするだけにございます。


と答えた。これに煬帝は


 それではお前たちと共に帰ろう。


と言った。裴虔通は兵に護衛を命じた。


第四回更新

04

 夜が明けると、孟秉は甲騎を率いて化及を迎えた。化及は事が果された事をまだ知らなかったため、戰慄の余り言葉が出てこなかった。來謁の者が近寄ってくると、低頭して鞍に拠り、「罪過(恐れ入ります)」と答えただけだった。この深夜ら未明に至るまでの事態であるが、宇文士及は公主の第にいたため、その一切を知らなかった。宇文智及は家僮の莊桃樹を第へと向かわせ、殺させようとした。しかし、桃樹はこれに忍びず、捕えた上で智及の前に連れて行った。智及はしばらくしてから解放した。化及が宮城門に至ると、司馬コ戡がこれを迎謁し、朝堂へと引き入れると、丞相と呼んだ。煬帝を江都門に連れ出して叛乱兵に示すと、再び中に引き入れた。令狐行達に命じて、煬帝を宮中で弑殺させた。また、朝臣で同調しなかった者の数十人や諸外戚に及ぶまで、少長の別無く捕えて殺害した。ただ、秦孝王の子の楊浩だけは残して、皇帝に擁立しようとしたからである。


第五回更新

05

 十余日、江都人から舟楫を奪うと、水路から西帰する事とした。顯福宮に至ると、宿公の麥孟才、折衝郎將の沈光らが化及の暗殺を謀ったが、逆に殺されてしまった。四月、化及は六宮へと入って奉養するようになったが、その一切は、煬帝と同じであった。帳中の南面に端坐して、言上する者が来ても、默然として答えなかった。下牙の時には、啓状を收取して、唐奉義、牛方裕、薛良、張トらと共に決定した。徐州に到達したが、それより先は水路が不通になっていた。そのため、人民から車や牛を強奪した。その数、二千兩。そこに、宮人や珍宝を載せた。戈甲や戎器は、全て軍士に背負わせたのであった。長い道のりのため、疲労は窮まっていた。このため三軍に怨が生じ始めた。このざまに司馬コ戡は失望し、密かに趙行樞に


 君、大いに我を謬誤せしめたな。当今の乱を撥(治)めるには、必ず英賢の力を藉(借)りなければならないと言うのに、化及は庸暗であるばかりか、群小を側に置くなどしている。これでは、事は必ずや敗れよう。どうすべきと考える?


と問うた。これに趙行樞は


 我らだけで十分ではないか。やつを廃したところで、何の難があろう!


と答えた。これを受け、李本、宇文導師、尹正卿らと謀議を重ね、後軍の一万余の兵を以って化及を襲殺して、その後に司馬コ戡を主に立てると言う結論に達した。しかし、これが許弘仁の知るところとなり、弘仁はこれを化及に密告した。化及はコ戡を始めその支党十余人を引っ捕えると、皆な首を刎ね飛ばした。兵を率いて東郡に向かうと、東郡通守の王軌は降服して、城を明け渡した。


第六回更新

06

 五月、元文都は越王の楊を主に立てた。義寧二年を以って皇泰元年(唐の武コ元年)とした。そのため皇泰主と言う。李密を太尉に任命して、化及の攻撃を命じた。六月、密は徐勣に黎陽の倉城を占拠させた。化及は渡河して黎陽縣に入ると、兵を分けて勣軍を包囲した。密は清淇縣に布陣すると、勣軍に烽火で合図を送った。化及が倉城に攻撃を仕掛けるたびに、密が兵を率いて救援に駆けつけた。そのため、戦況は化及に不利な展開となっていった。將軍の于弘達が密に生け捕られると、皇泰主の下へと送られた。送られた弘達は、烹の刑に処された。七月、化及軍の兵糧が尽きたため、永濟渠を渡河すると、密軍と童山で決戦を挑んだ。遂に汲郡に入ると兵糧を求め、また、人を遣って東郡の吏民を拷掠して米粟を要求した。王軌はこれに怨を覚え、李密に投降した。これに化及は大いに慌てふためき、兵を率いて汲郡から北の諸州の奪取に向かった。將の陳智略は嶺南の驍果の一万余を、張童兒は江東の驍果の数千を引き連れて、化及に反旗を翻し、密に帰順してしまった。化及軍にはまだ兵二万がおり、北の魏縣へと向かった。九月、張トらは、麾下の將の陳伯らと謀って、化及から離れようとしたが、事が露見してしまい、化及によって殺された。腹心も次々とへっていき、兵勢も日を追うごとに衰えていった。かと言って、兄弟に更なる他計があるわけでもなく、ただ酒宴を催しては、女樂に奏させているだけであった。その座中、化及も酔っ払っていた。そして宇文智及を


 俺は知らんかったが、お前の計によって、強引に俺を立てたそうだな。今、所向かうところ成果無く、士も馬も日に散じている有様だ。しかも、殺主の名を負わされた身だ、天下で受け入れてくれる所など無い。今に滅族されよう。これはお前のせいであろう?


と責め立てた。兩子は涙をこぼし始めた。宇文智及は怒り覚え


 事捷の日、賜尤しもしなかったくせに、敗れるに及んで、その罪を俺に着せようだ?何なら俺を殺してよお、建コ(竇建コ)にでも降ったらどうだってんだ!


と言い返した。兄弟の言い争いは続き、その言に長幼は見られなかった。酔いが醒めると、また飲むのであった。これが、日々繰り返されていった。兵の多くを失い、化及も必敗を悟った。すると化及は


 人はいずれ死ぬのだ。一日だけでも帝と為ってもいいのではないか?


と歎じると、自ら皇帝に立てた楊浩を鴆殺して、自ら魏縣で皇帝位に即いた。國号を許とし、天壽と建元すると、百官を設けた。


第七回更新

07

 元寶藏と魏州で干戈を交えたが、四旬しても勝ちを得る事が出来なかったばかりか、天壽二年(619、武コ二年)の正月、逆に敗北を喫し、兵千余を失う羽目になった。東北の聊城へと向かい、海曲の諸賊を呼び集めた。この時、宇文士及に濟北郡を巡らせて、兵糧を集めさせていた。唐は淮安王の李神通に山東を安撫させていたが、これに併せて化及を招かせていた。だが、化及はこれに従わなかったため、神通は軍を進めて包囲攻撃を仕掛けた。しかし、十余日しても陥落させられなかったため、神通は兵を引き上げた。閏二月、そこに今度は、竇建コが全軍を挙げて攻め掛かってきた。これより以前、齊州の賊帥の王薄が、化及が宝物を多く持っていると聞きつけ、それを狙って化及に投附していた。化及も味方になったと信じて、共に守っていた。しかし、ここに至って、薄は建コを城内へと引き入れてしまった。化及は生け捕りにされ、兵は尽く捕虜とされた。宇文智及、元武達、孟秉、楊士覽、許弘仁も生け捕られ、先に首を刎ねられた。化及は檻車に載せられて河間を護送され、襄國郡に至った所で、殺君の罪を数え上げられ、宇文承基、宇文承趾の二子と共に首を刎ねられた。その首級は、四月、突厥にいる隋の義成公主の下へと運ばれ、それは虜庭に晒された。士及は濟北郡から西へと向かい、長安へと入った。


2012/01/22  終了。


『隋書』 宇文化及 - 1888〜1892 -


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2012/01/22 終了。