2012/01/22 開始
01
宇文智及は幼い頃から頑凶で、よく暴力沙汰を起こしていた。その遊処を共にする者は、皆な不逞の徒であり、集まっては闘鶏をしたり、鷹や狗を放って狩りの真似事をしていた。父の宇文述の功績によって、濮陽郡公を賜爵された。蒸淫や醜穢など、悪事で為さなかったものは無かった。妻の長孫氏は、嫉妬に来るってこれを述に告げた。述も穏便に事を運びはしたが、憤怒を抑える事は出来ず、これ以後、纖芥の愆であっても、必ず鞭を加えるようになった。弟の宇文士及は公主を降嫁されていたが、それを恃みとながらも、軽忽もしていた。唯だ兄の宇文化及が護ってくれたため、述が再三に渡って殺そうとしたが、何とか取り成して救ったのであった。これによって、化及との兄弟関係は頗る親密になっていった。遂に化及に人を入蕃させるように勧め、勝手に交易をするようになった。しかし、これが発覚してしまう。突厥との公益は禁止されており、誅殺が当然なのだが、述が智及の罪惡だとを証言し、化及の命乞いをした。煬帝は二人を釈放した。述は今際に、智及は凶勃であり、必ずや破家すると抗表したのであった。煬帝は後に述の事を思い起こして、智及を將作少監に任命したのであった。
第二回更新
02
江都での殺逆の事は、智及の謀によるものである。化及を丞相にすると、自らは左僕射となり、十二衞大將軍を領した。化及が帝号を称すると、齊王に封じられた。竇建コが聊城を陥落させると、生け捕られて首を刎ねられた。その党友十余人も、皆なその屍と首級は晒された。
2012/01/22 終了。
『隋書』 宇文化及/弟智及 - 1892 -
第一回更新 開始 残り01段 全02段 2012/01/22
第二回更新 終了
2012/01/22 終了。