2011/04/10 開始
01
張孝秀、字を文逸と言い、南陽は宛人のである。若くして州に仕えて、治中從事史とされた。母の死去により喪に服し、喪が明けると、建安王の蕭偉の別駕とされた。この少し後、遂に官職を去って山に帰すと、東林寺に居した。田を数十頃有し、部曲は数百人いたが、それを率いて田を耕し、全て山衆に供した。遠近から帰慕されるようになり、孝秀の下を訪れるのは、市に訪れるかのように集まってきた。
02
孝秀の性格は通率で、浮華を好まなかった。常に穀皮巾を冠し、蒲履を履き、手には并櫚皮の麈尾を持っていた。寒食散を服用し、盛冬でも石に臥していた。広く群書を読み、釋典に最も通じた。談論を好み、隸書に巧みで、諸藝能で明習しないものは無かった。普通三年(522)に死去した。享年四十二。その死に際して、室中にいた者は、皆な非常な香気を感じた。蕭綱は、後の太宗簡文皇帝であるが、その訃報を聞くと甚だ傷悼し、劉慧斐に書を送って、その貞白を述べた。
2011/04/10 終了。
『晉書』「處士」 張孝秀 - 752 -
第一回更新 終了 全02段 2011/04/10
2011/04/10 終了。