春の生命 高田義一郎 -------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)暮《く》れ |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)五|時《じ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)すつかり[#「すつかり」に傍点] /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)中々《なか/\》 *濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」 --------------------------------------------------------        發端  暮《く》れ易《やす》い冬《ふゆ》の日《ひ》は、開會時間《かいくわいじかん》と定《さだ》められてあつた午後《ごご》五|時《じ》に既《すで》に、もう薄暗《うすぐら》くなつて居《ゐ》て、澤山《たくさん》な街燈《がいとう》や大小《だいせう》のビルヂングの電燈《でんとう》が、老松《らうしよう》の緑《みどり》も深《ふか》い千代田城《ちよだじやう》のお濠《ほり》の水《みづ》に映《は》えて、晝《ひる》よりか幾倍《いくばい》か美《うつく》しい眺《なが》めであつた。しかし定刻《ていこく》になつても、中々《なか/\》來賓《らいひん》は揃《そろ》はなかつた。自動車《じどうしや》が來たと思《おも》ふと、お隣《となり》の帝劇《ていげき》に止《とま》つて、玄關《げんくわん》に立《た》つた案内役《あんないやく》が、幾《いく》つかの欠伸《あくび》を噛《か》み殺《ころ》してから、漸《やうや》く開會《かいくわい》が宣《せん》せられたのは、もう六|時《じ》を十五|分《ふん》あまりも過《す》ぎて、すつかり[#「すつかり」に傍点]下《お》りた夜《よる》の幕《とばり》が、眞《ま》つ黒《くろ》では今日《けふ》の會合《くわいがふ》にふさはしくないと氣《き》を利《き》かしてか、眞珠色《しんじゆいろ》のもや[#「もや」に傍点]を濃《こ》く立籠《たちこ》めて居《ゐ》る頃《ころ》であつた。  東京會館《とうきやうくわいかん》の四|階《かい》の一|室《しつ》、大《おほ》きな卓《テーブル》の中央《ちうあう》に立《た》つたのは、今日《けふ》の主催者《しゆさいしや》たる××社《しや》の社長《しやちやう》山田良《やまだりやう》三|氏《し》であつた。 『本夕《ほんせき》、我《わ》が××社《しや》が、刻下《こくか》の重大問題《ぢうだいもんだい》であり、且《か》つ急務《きふむ》である所《ところ》の性《せい》の問題《もんだい》、例《たと》へば「性教育《せいけういく》」或《あるひ》は、「産兒制限《さんじせいげん》」其《そ》の他《た》の諸問題《しよもんだい》に關《くわん》する是非《ぜひ》の批判《ひはん》に就《つい》て、忌憚無《きたんな》く御討論《ごたうろん》を願《ねが》ひたいといふ考《かんが》へから、御來會《ごらいくわい》を煩《わづら》はしました所《ところ》が、公私《こうし》御多用《ごたよう》であらるゝに拘《かゝは》らず、かくも多數《たすう》に、各方面《かくはうめん》の諸名士《しよめいし》、特《とく》にその問題《もんだい》に關《くわん》する專門家《せんもんか》又《また》はその問題《もんだい》に日常《にちじやう》直面《ちよくめん》して、極《きは》めて造詣《ざうけい》の深《ふか》い方々《かた/″\》の、御出席《ごしゆつせき》を得《え》ました事《こと》は、主催者《しゆさいしや》として非常《ひじやう》に光榮《くわうえい》に存《ぞん》ずる所《ところ》であります。皆樣《みなさま》の御意見《ごいけん》を我《わ》が社《しや》の雜誌《ざつし》に登《の》せる事《こと》に依《よつ》て、世間《せけん》を裨益《ひえき》することを、無上《むじやう》の喜《よろこ》びとするものであります。一|言《げん》して開會《かいくわい》の御挨拶《ごあいさつ》に代《か》へます。』  社長《しやちやう》の挨拶《あいさつ》が終《をは》るのを待《ま》つて、××社《しや》發行《はつかう》の雜誌《ざつし》「科學世界《くわがくせかい》」の主筆《しゆひつ》、秋山《あきやま》十|助氏《すけし》が立上《たちあが》つた。 『それでは僣越《せんゑつ》ながら、私《わたし》が之《これ》から進行係《しんかうがかり》を務《つと》めます。で、先《ま》づ「産兒制限《さんじせいげん》の是非《ぜひ》」に就《つい》ての御意見《ごいけん》から伺《うかゞ》ひたいと思《おも》ひます。如何《いかゞ》でせう、安井先生《やすゐせんせい》の御意見《ごいけん》は?』  安井先生《やすゐせんせい》と呼《よ》ばれたのは、社會改良家《しやくわいかいりやうか》として、又《また》昭和大學《せうわだいがく》の教授《けうじゆ》として有名《いうめい》な安井濱藏氏《やすゐはまざうし》であつた。安井氏《やすゐし》は顏面神經麻痺《がんめんしんけいまひ》にでもかゝつたのか、左《ひだり》の眼《め》が細《ほそ》くて右《みぎ》の眼《め》が大《おほ》きいばかりでなく、殆《ほとん》ど無表情《むへうじやう》の顏《かほ》を揚《あ》げて、 『私《わたし》は十|餘年前《よねんぜん》から機會《きくわい》有《あ》る毎《ごと》に論《ろん》じて居《ゐ》る如《ごと》く、産兒制限《さんじせいげん》の必要《ひつえう》を高唱《かうしやう》して居《ゐ》るものであつて、今日《こんにち》最早《もはや》、是非《ぜひ》の議論《ぎろん》をしたりする時代《じだい》ではないと思《おも》ふ。今日《こんにち》その問題《もんだい》を論《ろん》ずるならば、如何《いか》なる方法《はうはふ》に依《よつ》てすべきか、或《あるひ》はその講習機關《かうしふきくわん》[#ルビの「かうしふきくわん」は底本では「かうしふきくれん」]を如何《いか》にすべきかといふ程度《ていど》でなければならないのである。だが私《わたし》は、醫者《いしや》でないから、それを語《かた》る資格《しかく》は無《な》い。誰《たれ》か適當《てきたう》の人《ひと》を指名《しめい》したらよからう。』  と、至極《しごく》無雜作《むざふさ》に云《い》ひ放《はな》つたのであつた。  お互《たがひ》に一|面識《めんしき》も無《な》い種々《しゆ/″\》の方面《はうめん》の人々《ひと/″\》の集合《しふがふ》で、不便《ふべん》の多《おほ》いのを懸念《けねん》した爲《ため》であらう。卓上《たくじやう》には皆《みな》の前《まへ》に、厚紙《あつがみ》を小《ちひ》さく切《き》つて屏風《びやうぶ》なりにしたものに、各自《かくじ》の氏名《しめい》を書《か》いたのを立《た》てゝ、衆議院《しうぎゐん》の議席《ぎせき》の名札《なふだ》の樣《やう》にしてあつた。安井氏《やすゐし》の眼《め》が、順次《じゆんじ》にその名札《なふだ》を見《み》て行《い》つて、平等醫院長《びやうどういゐんちやう》の佐藤平次郎《さとうへいじらう》ドクトルの方《はう》に向《む》いた時《とき》であつた。突如《とつじよ》、指名《しめい》を待《ま》たずに立上《たちあが》つたのは、辯護士《べんごし》の只木花吉《たゞきはなきち》といふ法學士《はふがくし》であつた。 『自分《じぶん》も安井先生《やすゐせんせい》と同意見《どういけん》でありますが、自分《じぶん》は業務上《げふむじやう》、もつと進《すゝ》んだ、深刻《しんこく》な考《かんが》へを抱《いだ》いて居《を》ります。』只木法學士《たゞきはふがくし》は、太《ふと》い聲《こゑ》で云《い》つた。 『産兒制限《さんじせいげん》ならば法《はふ》に觸《ふ》れないから、勿論《もちろん》問題《もんだい》でないのでありますが、墮胎《だたい》をですな、刑法《けいはふ》第《だい》二百十二|條《でう》乃至《ないし》二百十六|條《でう》の墮胎《だたい》の罪《つみ》が體刑《たいけい》であるのを改《あらた》めて、單《たん》に罰金刑《ばつきんけい》に改正《かいせい》したいといふ意見《いけん》を持《も》つて居《を》ります。男《をとこ》に欺《あざむ》かれて姙娠《にんしん》した所《ところ》が、男《をとこ》がそれつきり逃《に》げてしまつたとか、若氣《わかげ》の誤《あやま》りで一|緒《しよ》にはなつたが、子供《こども》が出來《でき》ては生活《せいくわつ》が出來《でき》ないとかいふ氣《き》の毒《どく》な者《もの》の墮胎《だたい》は、大《おほい》に寛大《くわんだい》にしてやりたいと考《かんが》へて居《を》ります。』 『強姦《がうかん》されて姙娠《にんしん》した者《もの》の墮胎《だたい》を公認《こうにん》せよと、小川滋次郎《をがはしげじらう》さんや、浮田和民《うきたかずたみ》さんあたりが論《ろん》じたのはもう古《ふる》い事《こと》で、それはあまり新説《しんせつ》ではないね!』安井氏《やすゐし》は、又《また》無雜作《むざふさ》に批評《ひひやう》した。 『生活《せいくわつ》に困《こま》る男女《だんぢよ》の墮胎《だたい》を寛大《くわんだい》にするのもいゝが、刑法《けいはふ》で醫者《いしや》のした墮胎《だたい》を特《とく》に重《おも》く罰《ばつ》するのは困《こま》る。墮胎《だたい》も素人《しろうと》がすれば、生命《せいめい》の危險《きけん》が多《おほ》いのに反《はん》して、醫者《いしや》がすれば安全《あんぜん》だといふ意味《いみ》で、醫者《いしや》のを特《とく》に寛大《くわんだい》にして貰《もら》ひたいですなあ。如何《いかゞ》でせう? 只木《たゞき》さん!』  と、佐藤《さとう》ドクトルが、得手勝手《えてかつて》の説《せつ》を出《だ》したが、只木法學士《たゞきはふがくし》も安井氏《やすゐし》の横槍《よこやり》にしよげ[#「しよげ」に傍点]たものか、今度《こんど》は何《なん》とも答《こた》へなかつた。  すると、佐藤《さとう》ドクトルと同《おな》じ畠《はたけ》の醫學博士《いがくはかせ》で、○○醫科大學《いくわだいがく》の學長《がくちやう》をして居《ゐ》る夏本赤《なつもとあか》三|郎君《らうくん》が口《くち》を開《ひら》いた。醫者《いしや》同志《どうし》の事《こと》で、賛成演説《さんせいえんぜつ》かと思《おも》つて居《ゐ》ると、意外《いぐわい》にも正反對《せいはんたい》の議論《ぎろん》だつたのには、佐藤《さとう》ドクトルよりも、寧《むし》ろ他《た》の人々《ひと/″\》の方《はう》がひどく驚《おど》かされた。而《そ》して、『同《おな》じ醫者《いしや》でも流石《さすが》に、大學《だいがく》の學長《がくちやう》は偉《えら》いものだ。』と感心《かんしん》した人《ひと》が少《すくな》くなかつた。 『醫師《いし》の墮胎罪《だたいざい》を輕《かる》くせよとは、不都合《ふつがふ》千|萬《ばん》な説《せつ》である。假《かり》に一|場《ぢやう》の座談《ざだん》としても、そんな言葉《ことば》を醫師《いし》の一人《ひとり》の口《くち》から聞《き》くことは、醫育《いいく》に從事《じうじ》して居《ゐ》る我々《われ/\》の、力《ちから》の及《およ》ばない爲《ため》に他《ほか》ならぬことゝ、深《ふか》く自《みづか》ら恥《は》づる所《ところ》である。墮胎《だたい》は扨《さ》て置《お》き、産兒制限《さんじせいげん》にしても、講習機關《かうしふきくわん》の設置《せつち》の如《ごと》きことは以《もつ》ての外《ほか》であると考《かんが》へるから、少《すくな》くとも我々《われ/\》の主宰《しゆさい》する醫科大學《いくわだいがく》では、誰《たれ》が何《なん》と云《い》つてもそんなものは、受付《うけつ》けない方針《はうしん》であることを、特《とく》に申述《まをしの》べて置《お》くのである。』  酒好《さけず》きらしい、本來《ほんらい》赤光《あかびか》りの夏本博士《なつもとはかせ》の顏《かほ》は、五十を未《ま》だあまり餘計《よけい》出《で》て居《ゐ》ないであらうと思《おも》はれるのに、年齡《ねんれい》の割《わり》に老《お》いぼれて居《ゐ》る爲《ため》か、それともあまりに興奮《こうふん》した爲《た》めか、首筋《くびすぢ》までも眞赤《まつか》にして呼吸《いき》も苦《くる》しさうに見える位《くらゐ》であつた。  その時《とき》に發言《はつげん》したのは、大野高等女學校《おほのかうとうぢよがくかう》の校長《かうちやう》で、廢娼運動《はいしやううんどう》に熱心《ねつしん》な嬌娼會《けうしやうくわい》の幹事《かんじ》、大野源作《おほのげんさく》といふ文學士《ぶんがくし》であつた。大野學士《おほのがくし》は、如何《いか》にも場《ば》なれた態度《たいど》で、懸《か》けて居《ゐ》たロイド眼鏡《めがね》をはづして卓上《たくじやう》に置《お》いてから、大《おほ》きな眼《め》でギヨロ/\と列席者《れつせきしや》の顏《かほ》を見廻《みまは》してた後《のち》に、少《すこ》しかすれた聲《こゑ》で莊重《さうちよう》に語《かた》りはじめるのであつた。 『産兒制限《さんじせいげん》などは、是非《ぜひ》を彼是《かれこれ》いふ必要《ひつえう》は無《な》い。だまつて居《ゐ》ても行《おこな》ふものは行《おこな》ふし、教《をし》へても行《おこな》はない者《もの》は行《おこな》はないから、議論《ぎろん》をするだけむだ[#「むだ」に傍点]であります。近年《きんねん》人口《じんこう》の増殖率《ぞうしよくりつ》が著《いちじる》しく減少《げんせう》して居《ゐ》る所《ところ》の我《わ》が國《くに》に於《おい》ては、産兒制限《さんじせいげん》の如《ごと》きことは、寧《むし》ろ嚴禁《げんきん》すべきであらうと堅《かた》く信《しん》じて居《ゐ》るものであります。』 『之《これ》は意外《いぐわい》だ!』只木法學士《たゞきはふがくし》が云《い》つた。『内閣書記官長《ないかくしよきくわんちやう》としての鳩山《はとやま》一|郎君《らうくん》が、之《こ》れを是認《ぜにん》して居《ゐ》ることが新聞紙上《しんぶんしじやう》に出《で》て居《ゐ》る今日《こんにち》に、教育者達《けういくしやたち》がさういふ考《かんが》へであるとは、實《じつ》に意外《いぐわい》だ! 鳩山君《はとやまくん》の口《くち》から、優生學的《いうせいがくてき》に惡《わる》い遺傳關係《ゐでんくわんけい》のある男《をとこ》には、輸精管結紮術《ゆせいくわんけつさつじゆつ》を施《ほどこ》して、子供《こども》を生《う》ませない樣《やう》にしようといふ法律案《はふりつあん》を、次《つぎ》の議會《ぎくわい》に提出《ていしゆつ》しようといふ事《こと》まで云《い》はれて居《ゐ》る今日《こんにち》に、……』 『教育者《けういくしや》は、教育家《けういくか》の立場《たちば》としては……』  大野校長《おほのかうちやう》は何《なに》か應酬《おうしう》しようとして、座談《ざだん》でも批判《ひはん》でもない、一|抹《まつ》の嶮惡《けんあく》の氣《き》が起《おこ》つたと見《み》ると、流石《さすが》は人《ひと》の顏色《かほいろ》を見《み》つけて居《ゐ》る商賣《しやうばい》である。秋山主筆《あきやましゆひつ》は先手《せんて》を打《う》つて、巧《たくみ》に二人《ふたり》の口《くち》をふさがしてしまつた。 『いろ/\産兒制限《さんじせいげん》に關《くわん》する御意見《ごいけん》を承《うけたまは》りましたから、次《つぎ》には廢娼問題《はいしやうもんだい》に移《うつ》りたいと思《おも》ひますが一々|御起立《ごきりつ》を願《ねが》ふのも御迷惑《ごめいわく》と存《ぞん》じますから、何卒《どうぞ》御着席《ごちやくせき》のまゝで、談話《だんわ》のつもりで御話《おはな》しを願《ねが》ひます。』  言葉《ことば》は隱《おだや》かだが、つまり隱《おだや》かにして激論《げきろん》に及《およ》ぶなといふ、體《てい》のいゝ命令《めいれい》である。秋山主筆《あきやましゆひつ》は箝口令《かんこうれい》の手前《てまへ》、それから先《ま》づ大野校長《おほのかうちやう》に指名《しめい》したのも、中々《なか/\》如才《じよさい》のない行《ゆ》き方《かた》であつた。 『では、大野《おほの》さん、何卒《どうぞ》廢娼問題《はいしやうもんだい》の皮切《かはき》りを願《ねが》ひます。』  大野高女校長《おほのかうぢよかうちやう》は立《た》ちかけて、又《また》『何卒《どうぞ》そのまゝで。』の注意《ちうい》をうけて、座《ざ》に尻《しり》を下《おろ》してから、語《かた》るのであつた。 『私《わたし》には廢娼《はいしやう》の必要《ひつえう》や、遊廓《いうくわく》の設置《せつち》が罪惡《ざいあく》であることが、立派《りつぱ》に宗教《しうけう》の形式《けいしき》になつて、信仰《しんかう》として頭《あたま》の中《なか》に滲込《しみこ》んで居《ゐ》るので、誰《たれ》が何《なん》と云《い》はれても、その信仰《しんかう》を打《うち》こはし得《え》ない程度《ていど》になつて居《を》ります。人身賣買《じんしんばいばい》であり、奴隷制度《どれいせいど》である娼妓《しやうぎ》を、政府《せいふ》が公認《こうにん》するのは實《じつ》に怪《け》しからぬ事《こと》でありますし、外國人《ぐわいこくじん》に對《たい》しても愧《は》づべきであらうと思《おも》はれるのに、議會《ぎくわい》が廢娼案《はいしやうあん》を年々《ねん/\》否決《ひけつ》してしまふのは、全《まつた》く呆《あき》れはてた國柄《くにがら》であります。』 『私《わたし》も一|言《げん》させて戴《いたゞ》きます。』此《こ》の時《とき》、絹《きぬ》を裂《さ》く樣《やう》な聲《こゑ》を立《た》てたのは、淑風會《しゆくふうくわい》の會長《くわいちやう》として各方面《かくはうめん》に活動《くわつどう》して居《ゐ》る内海葉子女史《うちみえふこぢよし》その人《ひと》であつた。御定《おさだ》まりの洋裝《やうさう》に、細《ほそ》からぬ脛《すね》には踵《かゝと》の高《たか》い靴《くつ》をはいて、薄化粧《うすげしやう》の身《み》だしなみに四十を少《すこ》しは越《こ》した筈《はず》の顏《かほ》が、夜目《よめ》にはやつと[#「やつと」に傍点]三十そこ/\にも見《み》えたが眼鏡《めがね》の金縁《きんぶち》が輝《かゞや》いて、折角《せつかく》の美《うつく》しさを親《した》しみ難《がた》くするかと思《おも》はれた。しかし又《また》此《こ》の點《てん》が淑風會《しゆくふうくわい》の會員《くわいゐん》一|同《どう》の尊敬《そんけい》の的《まと》と仰《あふ》がれる氣高《けだか》さであつたことは、いふまでもなからう。 『大野先生《おほのせんせい》の仰《おほ》せは、一々|御尤《ごもつと》もと存《ぞん》じます。娼妓《しやうぎ》を置《お》けといふ御議論《おぎろん》には、消毒《せうどく》が出來《でき》るからとありますけれども、あれは醫學的《いがくてき》には極《きは》めて不完全《ふくわんぜん》なものであると申《まを》すでは御座《ござ》いませんか? その他《た》の點《てん》に就《つ》きましては、一つも存娼《ぞんしやう》の理由《りいう》になるものが無《な》いと存《ぞん》じます。公娼《こうしやう》を廢止《はいし》すれば、私娼《ししやう》が増《ま》すといふのはうそ[#「うそ」に傍点]で、遊廓《いうくわく》の近所《きんじよ》に一|番《ばん》私娼《ししやう》が多《おほ》いではありませんか? 公娼《こうしやう》を廢止《はいし》すれば、私娼《ししやう》は減《げん》じこそすれ、決《けつ》して増加《ぞうか》しないのであります。それから又《また》、未婚者《みこんしや》が遊廓《いうくわく》へ行《ゆ》かずに、妻子《さいし》のあるものがお酒《さけ》の上《うへ》で、笑談半分《ぜうだんはんぶん》に遊廓《いうくわく》へ行《ゆ》く事《こと》も、存娼論者《ぞんしやうろんしや》によく聞《き》いて戴《いたゞ》きたいと思《おも》ふ點《てん》で御座《ござ》います。』  備忘用《びばうよう》の紙片《しへん》を持《もつ》ての話《はなし》で、又《また》何度《なんど》も/\繰返《くりかへ》した文句《もんく》ではあつたらうが、中々《なか/\》流暢《りうちやう》に列座《れつざ》の男子達《だんしたち》を感心《かんしん》さすだけのうまさ[#「うまさ」に傍点]は十|分《ぶん》にあつた。 『公娼《こうしやう》の檢黴《けんばい》が不完全《ふくわんぜん》だから、檢黴《けんばい》をしない私娼《ししやう》の方《はう》がいゝといふ樣《やう》な口《くち》ぶりには、醫者《いしや》としては、少々《せう/\》同意《どうい》出來《でき》ません。不完全《ふくわんぜん》でも、しないよりはまし[#「まし」に傍点]です。不完全《ふくわんぜん》ならば止《や》めろといふならば、警察《けいさつ》があつても泥棒《どろぼう》を捕《とら》へ切《き》れないから、警察《けいさつ》は止《や》めてしまへといふのと同《どう》一の論法《ろんぱふ》でせう。それには到底《たうてい》賛成《さんせい》出來《でき》ません。又《また》公娼《こうしやう》があると、近所《きんじよ》にそれを眞似《まね》て私娼《ししやう》が出來《でき》るとか、公娼《こうしやう》を止《や》めれば私娼《ししやう》も減少《げんせう》するとかいふ事《こと》は、何《なに》を根據《こんきよ》としての御話《おはなし》か知《し》らないが、頓《とん》と納得《なつとく》することが出來《でき》ません。公娼《こうしやう》が人身賣買《じんしんばいばい》であり、奴隷制度《どれいせいど》に近《ちか》いといふのは、彼等《かれら》の自由《じいう》を束縛《そくばく》して、外出《ぐわいしゆつ》一《ひと》つさせないからの事《こと》で、彼等《かれら》に自由《じいう》を許《ゆる》したならば、遊廓《いうくわく》を存《そん》して置《お》く方《はう》が安全《あんぜん》であります。文明國《ぶんめいこく》の對面《たいめん》々々《/\》といふが、對面《たいめん》の爲《ため》に遊廓《いうくわく》を無《な》くし、檢黴《けんばい》をしない私娼《ししやう》を跋扈《ばつこ》させるのは危險《きけん》千|萬《ばん》であります。』之《これ》は佐藤《さとう》ドクトルの廢娼反對論《はいしやうはんたいろん》であつた。  只木法學士《たゞきはふがくし》も亦《また》佐藤《さとう》ドクトルに和《わ》して云《い》つた。 『娼妓《しやうぎ》に自由《じいう》を與《あた》へて、客《きやく》の選擇《せんたく》までも許《ゆる》してやれば、丁度《ちやうど》藝妓《げいぎ》と同《どう》一になります。藝妓《げいぎ》でも娼妓《しやうぎ》同樣《どうやう》の行動《かうどう》をやつて居《ゐ》るのに、廢娼《はいしやう》を叫《さけ》ぶ人《ひと》が、藝妓廢止《げいぎはいし》を云《い》はないのは、大《おほ》きな不合理《ふがふり》と云《い》はなければなりますまい。藝妓《げいぎ》を問題《もんだい》にしないのは何故《なぜ》ですか? 大野《おほの》さん!』只木法學士《たゞきはふがくし》は隣席《りんせき》の大野校長《おほのかうちやう》を顧《かへり》みた。答《こた》へたくなかつたらうが、答《こた》へなければならぬ羽目《はめ》に陷《おちい》つた大野校長《おほのかうちやう》は、微苦笑《びくせう》を湛《たゝ》へながら、眼鏡《めがね》をはづさずに答《こた》へた。眼鏡《めがね》をはづすのは、得意《とくい》の長廣舌《ちやうくわうぜつ》を振《ふる》ふ時《とき》に、彼《かれ》が好《この》んでする癖《くせ》らしい。 『いや藝妓《げいぎ》も廢止《はいし》したいのが、我々《われ/\》の理想《りさう》です。しかし娼妓《しやうぎ》一《ひと》つさへむづかしいのに、同時《どうじ》に藝妓《げいぎ》までも問題《もんだい》にしては、結果《けつくわ》運動《うんどう》が全部《ぜんぶ》功《こう》を奏《そう》しない事《こと》に終《をは》る恐《おそ》れがあります。そこで便宜上《べんぎじやう》、藝妓《げいぎ》を切《きり》はなして、之《これ》は第《だい》二|段《だん》の運動《うんどう》に遺《のこ》してある次第《しだい》です。』 『そりやいかん! そこまで熱心《ねつしん》に云《い》ふ運動《うんどう》に方便《はうべん》はいけない! 方便《はうべん》とか便宜《べんぎ》とかいふ所《ところ》に虚僞《きよぎ》が混《ま》じる。虚僞《きよぎ》の存《そん》する所《ところ》に熱《ねつ》が醒《さ》める。方便《はうべん》入《い》りの廢娼論《はいしやうろん》では、中々《なか/\》人《ひと》を感動《かんどう》させられないのは當然《たうぜん》でせう。』  只木法學士《たゞきはふがくし》は疊《たゝ》みかけた。そこへ割込《わりこ》んだのは、赤《あか》ら顏《がほ》の夏本博士《なつもとはかせ》で、 『君《きみ》! 理窟《りくつ》はさうかも知《し》れないが、世《よ》の中《なか》はさう一|本調子《ぽんでうし》に行《ゆ》くものではない。我輩《わがはい》も醫師《いし》の一人《ひとり》として、佐藤君《さとうくん》同樣《どうやう》檢黴《けんばい》の必要《ひつえう》を認《みと》めては居《ゐ》るが、しかし大野校長《おほのかうちやう》の御説《おせつ》の如《ごと》く、藝妓廢止《げいぎはいし》は問題《もんだい》にしない方《はう》がいゝと考《かんが》へて居《ゐ》る。』  と、どつちに賛成《さんせい》かわからない事《こと》をいふのであつた。此《こ》の兩面主義《りやうめんしゆぎ》は此《こ》の夏本氏《なつもとし》の長技《ちやうぎ》で、之《これ》が爲《ため》に敵《てき》を作《つく》らずに、無事《ぶじ》に三十|餘年間《よねんかん》勤續《きんぞく》して、學長《がくちやう》になり得《え》た譯《わけ》であつた。 『問題《もんだい》にしない方《はう》がいゝと云《い》はれるが、内海女史《うちみぢよし》の淑風會《しゆくふうくわい》から、△△橋《ばし》の開通式《かいつうしき》に藝妓《げいぎ》に渡初《わたりぞ》めをさせるのは怪《け》しからん、彼等《かれら》は醜業婦《しうげふふ》だから出《だ》さぬ樣《やう》にしろといふ、強硬《きやうかう》な議論《ぎろん》が出《で》て居《ゐ》ましたね。醜業婦《しうげふふ》として攻撃《こうげき》しながら、その藝妓《げいぎ》を廢娼論《はいしやうろん》から除外《ぢよぐわい》する、それは方便《はうべん》といふ、あまりに懸引《かけひき》が甚《はなは》だしいのは、政治的手腕《せいぢてきしゆわん》に敬服《けいふく》すると同時《どうじ》に、主義《しゆぎ》の爲《ため》に、社會運動《しやくわいうんどう》の爲《ため》にといふ、淑風會《しゆくふうくわい》や矯娼會《けうしやうくわい》の如《ごと》き人々《ひと/″\》の行爲《かうゐ》としては、甚《はなは》だ感服《かんぷく》出來《でき》ないと思《おも》ふのであります。』  只木法學士《たゞきはふがくし》の言葉《ことば》は、少壯《せうさう》辯護士《べんごし》だけに中々《なか/\》痛《いた》い所《ところ》へ遠慮無《ゑんりよな》く突込《つゝこ》んで行《い》つた。 『まあ/\さういふものでは無《な》い。渡初《わたりぞ》めと廢娼運動《はいしやううんどう》とを混同《こんどう》する事《こと》はない。それでは折角《せつかく》の會合《くわいがふ》の主意《しゆい》にも反《はん》する……』  夏本博士《なつもとはかせ》は相變《あひかは》らず海《うみ》とも山《やま》ともつかない調停《てうてい》を事《こと》として、何《なん》と答辯《たふべん》しようかと思《おも》ひ煩《わづら》つて居《ゐ》た内海女史《うちみぢよし》と、大野校長《おほのかうちやう》とにホツと一息《ひといき》つくだけの餘裕《よゆう》を與《あた》へたのであつた。大野校長《おほのかうちやう》は話頭《わとう》を轉《てん》じて逆襲《ぎやくしふ》にかゝつた。 『シンガポールその他《た》、東洋《とうやう》や南洋《なんやう》の各地《かくち》に日本《にほん》の醜業婦《しうげふふ》が居《ゐ》て、外國人《ぐわいこくじん》の物笑《ものわら》ひの種《たね》となつて居《ゐ》るだけでも、日本《にほん》の重大《ぢうだい》な恥辱《ちじよく》であつて、是非共《ぜひとも》廢娼《はいしやう》を斷行《だんかう》すべき必要《ひつえう》があることは、何人《なんぴと》も異議《いぎ》の無《な》い事《こと》と考《かんが》へますが、皆樣《みなさま》の御意見《ごいけん》は如何《いかゞ》でせう?』 『同感《どうかん》です。』と答《こた》へたのは、夏本醫科大學《なつもといくわだいがく》の學長《がくちやう》。 『シンガポール其《そ》の他《た》に於《お》ける日本《にほん》の醜業婦《しうげふふ》は、遊廓《いうくわく》に於《お》ける娼妓《しやうぎ》ではない。自由《じいう》に出歩《であ》いて居《ゐ》る私娼《ししやう》であります。私《わたし》の見《み》た所《ところ》ではさうです。然《しか》らば廢娼論者《はいしやうろんしや》が國内《こくない》で娼妓《しやうぎ》のみを對照《たいせう》として、藝妓《げいぎ》その他《た》の私娼《ししやう》を論外《ろんぐわい》に置《お》きながら、足《あし》一|歩《ぽ》領土外《りやうどぐわい》に出《で》れば、廢娼《はいしやう》の對照《たいせう》を變更《へんかう》するのは、自家撞着《じかどうちやく》でありませう。』  之《これ》は佐藤《さとう》ドクトルの言葉《ことば》であつた。 『議論《ぎろん》は困《こま》ります。意見《いけん》の相違《さうゐ》に過《す》ぎません。』  大野校長《おほのかうちやう》は云《い》つた。 『いや議論《ぎろん》ではない。對照《たいせう》が不定《ふてい》では話《はなし》が出來《でき》ないからです。牛《うし》と馬《うま》とを寄《よ》せろと云《い》つては、小學校《せうがくかう》の算術《さんじゆつ》の問題《もんだい》にもなりません。』  佐藤《さとう》ドクトルも讓《ゆづ》らない。兩方《りやうはう》が引《ひ》かないから、誰《たれ》も進《すゝ》んで口《くち》を挾《はさ》まうとはしなかつた。  座《ざ》が又《また》白《しら》けかゝるのを見《み》て、秋山主筆《あきやましゆひつ》が口《くち》を開《ひら》いた。 『如何《いかゞ》でせう、之《これ》は安井先生《やすゐせんせい》の御意見《ごいけん》を承《うけたまは》るべきものだと思《おも》ひますが……』  と云《い》ひながら、久《ひさ》しく沈默《ちんもく》して居《ゐ》た安井教授《やすゐけうじゆ》の方《はう》を見《み》ると、議論好《ぎろんず》きの癖《くせ》に、口《くち》を開《ひら》かなかつたも道理《だうり》、スチームの暖《あたゝ》かさに、胡麻鹽《ごましほ》の頭《あたま》を輕《かる》く下《さ》げて、いゝ氣持《きもち》に居眠《ゐねむ》つて居《ゐ》る所《ところ》であつた。室内《しつない》の視線《しせん》を一|身《しん》に集《あつ》めて、少《すこ》し狼狽《らうばい》したが、何《なん》の事《こと》か見當《けんたう》がつかない。隣席《りんせき》の只木法學士《たゞきはふがくし》が、氣《き》を利《き》かして、「廢娼問題《はいしやうもんだい》」と耳語《じご》するのを聞《き》いて、漸《やうや》く語《かた》り出《だ》したのが、今《いま》までと一寸《ちよつと》そぐはぬ方面《はうめん》であつたので、皆《みな》が笑《わら》つてしまつた爲《ため》に、起《おこ》りかけた口論氣分《こうろんきぶん》も忽《たちま》ち退散《たいさん》したのは、怪我《けが》の功名《こうみやう》であつた。 『遊廓《いうくわく》は不便《ふべん》なものである。いざと云《い》つて出《で》かけるにはあまりに遠過《とほす》ぎる。性慾《せいよく》は火急《くわきふ》なもので、遠路《とほみち》をするまで待《ま》つてはくれない。そこで近所《きんじよ》の私娼《ししやう》の方《はう》が繁昌《はんじやう》する。加之《しかのみならず》、遊廓《いうくわく》へ行《ゆ》くと體裁《ていさい》が良《よ》くない。私娼《ししやう》ならば體裁《ていさい》もいゝ。そこで益々《ます/\》私娼《ししやう》が繁昌《はんじやう》してしまふ。遊廓《いうくわく》はもう自然《しぜん》に消滅《せうめつ》すべき時期《じき》に到達《たうたつ》して居《ゐ》る。不便《ふべん》で不體裁《ふていさい》では、存續《そんぞく》も永《なが》くあるまい。廢娼《はいしやう》も結構《けつこう》ぢやが、わい/\騷《さわ》がんでも、近《ちか》い將來《しやうらい》に悉《こと/″\》く自《おのづか》ら私娼《ししやう》に變《へん》じてしまふ事《こと》と、信《しん》じて疑《うたが》はないものである。』  その超然《てうぜん》たる態度《たいど》が、益々《ます/\》一|堂《だう》の笑《わら》ひをそゝつて、敵《てき》も味方《みかた》も一|同《どう》に拍手《はくしゆ》を送《おく》つた。 『しかし私《わたし》はもう老人《らうじん》で、私《わたし》の娼婦論《しやうふろん》は非實際的《ひじつさいてき》の非難《ひなん》を免《まぬか》れまいと思《おも》ふ。此《こ》の問題《もんだい》は私《わたし》でない、もつと若《わか》い、血氣盛《けつきさか》んな人々《ひと/″\》が議論《ぎろん》すべきものだと思《おも》ふ。大《おほい》に諸君《しよくん》の説《せつ》を聞《き》きたいものだね。』安井教授《やすゐけうじゆ》は又《また》續《つゞ》けた。 『いやもう一通《ひととほ》り、皆《みな》の議論《ぎろん》は濟《す》みました。』と秋山主筆《あきやましゆひつ》が答《こた》へると、 『さうかね、年《とし》のせゐで少《すこ》し耳《みゝ》が遠《とほ》い!』  獨語《ひとりごと》の樣《やう》な辯明《べんめい》をした。耳《みゝ》はいくら近《ちか》くても寢《ね》て居《ゐ》ては聞《きこ》える筈《はず》がない。室内《しつない》は又《また》一寸《ちよつと》笑聲《わらひごゑ》に滿《み》ちた。 『では、之《これ》から晩餐《ばんさん》をあがつて戴《いたゞ》いて、それから又《また》改《あらた》めて、御話《おはなし》を承《うけたまは》ることに致《いた》したいと思《おも》ひます。隣室《りんしつ》に晩餐《ばんさん》の用意《ようい》が出來《でき》ましたから、何卒《どうぞ》……』  山田社長《やまだしやちやう》は適宜《てきぎ》に好機會《かうきくわい》を捉《とら》へて、笑《わら》ひの内《うち》に食卓《しよくたく》へ導《みちび》いた。  安井教授《やすゐけうじゆ》が、自分《じぶん》の事《こと》を笑《わら》つて居《ゐ》るとも氣《き》がつかずに、自分《じぶん》も一|緒《しよ》につり込《こ》まれて、嬉《うれ》しさうにニコニコしながら、山田社長《やまだしやちやう》と肩《かた》を並《なら》べて話《はな》して居《ゐ》るのが、何《なん》とも云《い》へぬ愛嬌《あいけう》に滿《み》ちて、一|段《だん》といゝ老大家振《らうたいかぶ》りであつた。        一  大野源作氏《おほのげんさくし》を校長《かうちやう》として居《ゐ》る大野高等女學校《おほのかうとうぢよがくかう》では、毎年《まいねん》、新入生《しんにふせい》の爲《ため》に「性教育《せいけういく》」を施《ほどこ》すことが年中行事《ねんちうぎやうじ》の一《ひと》つに數《かぞ》へられて居《ゐ》る。しかし、大野校長《おほのかうちやう》が中々《なか/\》謹嚴《きんげん》な方針《はうしん》を旨《むね》とした關係《くわんけい》から、他《た》の方面《はうめん》には説《と》き及《およ》ぼさずに、唯々《たゞ》月經《げつけい》初潮《しよてう》の時《とき》に狼狽《らうばい》したりすることが無《な》い樣《やう》にといふ意味《いみ》の注意《ちうい》だけをするのが、例《れい》になつて居《ゐ》た。そんなに謹嚴《きんげん》で、性的問題《せいてきもんだい》等《など》を、口《くち》にするのを潔《いさぎよ》しとしないならば、寧《むし》ろ何《なに》も云《い》はずに、沈默《ちんもく》すればいゝ筈《はず》なのに、と思《おも》はれるけれども、そこは又《また》大野校長《おほのかうちやう》が、大《おほい》に進取的《しんしゆてき》で、モダーンな試《こゝろ》みに於《おい》ては、決《けつ》して他《た》の學校《がくかう》にヒケを取《と》らないといふ、名譽心《めいよしん》が承知《しようち》しなかつたのであらう。 『我《わ》が校《かう》に於《おい》ては、天下《てんか》に率先《そつしん》して性教育《せいけういく》を施《ほどこ》して居《を》りますが、未《いま》だ嘗《かつ》て何一《なにひと》つ非難《ひなん》をうける樣《やう》な惡《わる》い結果《けつくわ》を見《み》ません。』  といふのが性教育《せいけういく》に關《くわん》する機會《きくわい》ある毎《ごと》に、大野校長《おほのかうちやう》の口《くち》から説《と》かれる紋切型《もんぎりがた》の言葉《ことば》なのであつた。  その天下《てんか》に率先《そつせん》した年中行事《ねんちうぎやうじ》にも、これまでかなりの變遷《へんせん》があつた。一|番最初《ばんさいしよ》の年《とし》には大野校長《おほのかうちやう》自《みづか》ら、講堂《かうだう》に全校《ぜんかう》の生徒《せいと》一|同《どう》を集《あつ》めたのであつたが、之《これ》は見事《みごと》に失敗《しつぱい》であつた。校長《かうちやう》といふ役目《やくめ》と、謹嚴《きんげん》の看板《かんばん》とに束縛《そくばく》されて用語《ようご》の不自由《ふじいう》の爲《ため》に意味《いみ》が不徹底《ふてつてい》であつた上《うへ》に、年齡《ねんれい》と經驗《けいけん》とに大差《たいさ》のある各年級《かくねんきふ》を一|堂《だう》に集《あつ》めたことは、一|方《ぱう》に難解《なんかい》であると共《とも》に、他方《たはう》には「わかり切《き》つた滑稽《こつけい》な話《はなし》」とされてしまつて、一|向《かう》誰《たれ》にも役《やく》に立《た》たないといふ結果《けつくわ》を見《み》たのであつた。けれども、校長《かうちやう》として各年級《かくねんきふ》を別々《べつ/\》に集《あつ》めて、各級《かくきふ》に應《おう》ずる樣《やう》に、性教育《せいけういく》をすることも、出來《でき》かねるといふので、次《つぎ》には體操《たいさう》の受持教員《うけもちけうゐん》が、その各級別《かくきふべつ》の教育擔當者《けういくたんたうしや》に選《えら》まれたのである。  所《ところ》が、此《こ》の體操教員《たいさうけうゐん》の口《くち》から、體操《たいさう》の時間《じかん》に雨天體操場《うてんたいさうぢやう》で與《あた》へられる「性教育《せいけういく》」は之《こ》れ又《また》不評判《ふひやうばん》の爲《ため》に、僅《わづか》に二|年間《ねんかん》で止《や》められることになつた。それは體操教員《たいさうけうゐん》が、未《ま》だ若《わか》いからであつたか、或《あるひ》はその他《た》にも何《なに》か理由《りいう》があつたものかよくわからなかつたが、 『あの先生《せんせい》、いやなことばつかり云《い》ふから、嫌《きら》ひだわ。』 『さうよ。妾《わたし》、此《こ》の次《つぎ》の時間《じかん》に休《やす》むわ。』  といふ樣《やう》な會話《くわいわ》が、生徒《せいと》間《かん》に始《はじま》つて、體操《たいさう》の時《とき》に非常《ひじやう》に缺席者《けつせきしや》が殖《ふ》えてしまつた。それを、 『月經中《げつけいちう》には、安靜《あんせい》にして居《ゐ》た方《はう》がよろしい。過激《くわげき》な運動《うんどう》は、避《さ》けなければいけません。』  と云《い》つたのを守《まも》つて、缺席《けつせき》するものが多《おほ》いのであらうと考《かんが》へて居《ゐ》た所《ところ》が、實際《じつさい》月經中《げつけいちう》のものは、そんなことを言《い》ふのをいやがつて、平氣《へいき》に體操《たいさう》をして居《ゐ》るといふ、矛盾《むじゆん》した結果《けつくわ》を生《う》んだので、結局《けつきよく》、受持《うけもち》の女教員《ぢよけうゐん》に[#「女教員に」は底本では「女教育に」]その役目《やくめ》を讓《ゆづ》ることを餘儀《よぎ》なくせられたのであつた。  けれども受持《うけもち》の女教員《ぢよけうゐん》も、あまり良《よ》い成績《せいせき》を上《あ》げることは出來《でき》なかつた。同性《どうせい》といふ便宜《べんぎ》はあつたけれども、受持《うけもち》で、始終《しじう》顏《かほ》を合《あは》せて居《ゐ》るといふ關係《くわんけい》から、性《せい》の問題《もんだい》について話《はな》しにくいことは、家庭《かてい》の母親《はゝおや》と同《どう》一の立場《たちば》にあつたので、どうも云《い》ひ足《た》りない――もの足《た》りない所《ところ》がある――のを免《まぬか》れなかつた。  こんな工合《ぐあひ》に擔當《たんたう》を變更《へんかう》して、どれも良《よ》い結果《けつくわ》を得《え》ずに、轉々《てん/\》して落着《おちつ》いたのが、今《いま》まで忘《わす》れられて居《ゐ》た、囑託《しよくたく》の學校醫《がくかうい》であつた。  醫者《いしや》は、職務《しよくむ》の關係上《くわんけいじやう》、平氣《へいき》でいろ/\説明《せつめい》することに躊躇《ちうちよ》しなかつたけれども、大野校長《おほのかうちやう》の謹嚴《きんげん》を損《そこな》ふまいとする註文《ちうもん》に對《たい》して、次《つぎ》の樣《やう》な抗辯《かうべん》を敢《あへ》てした。 『たつたそれだけのことを云《い》ふのですか? それならば、各級《かくきふ》に云《い》ふ必要《ひつえう》は有《あ》りますまい。先《ま》づ一|年級《ねんきふ》――精々《せい/″\》二|年級《ねんきふ》までゝ十|分《ぶん》ですね。上級生《じやうきふせい》に月經《げつけい》の話《はなし》などは、釋迦《しやか》に説法《せつぱふ》で、茶化《ちやくわ》されるのに定《き》まつて居《ゐ》るでせう!』  醫者《いしや》の言葉《ことば》は、わかり切《き》つた話《はなし》で、別《べつ》に卓見《たくけん》でも何《なん》でもない。勿論《もちろん》、擔任《たんにん》の女教員《ぢよけうゐん》も、若《わか》い體操教師《たいさうけうし》も、氣《き》がついて居《ゐ》たに違《ちが》ひない。それにも拘《かゝは》らず、それ等《ら》の人々《ひと/″\》が沈默《ちんもく》して居《ゐ》て、醫者《いしや》が始《はじ》めて抗辯《かうべん》を持出《もちだ》したのは何故《なぜ》かといふと、之《これ》は醫者《いしや》が囑託《しよくたく》で、他《ほか》に生活《せいくわつ》の途《みち》があつて、學校《がくかう》との關係《くわんけい》を輕《かる》く見《み》て居《ゐ》るのと反對《はんたい》に、專屬《せんぞく》の教員《けうゐん》としては、校長《かうちやう》に睨《にら》まれたが最後《さいご》、直《たゞち》に生活《せいくわつ》の脅威《けふゐ》にぶつからなければならないといふ懸念《けねん》がある、その兩者《りやうしや》の立場《たちば》の相違《さうゐ》に過《す》ぎなかつたのであつた。  そんな變遷《へんせん》を經《へ》て、校醫《かうい》の口《くち》から初年級《しよねんきふ》の生徒《せいと》だけに、大野校長《おほのかうちやう》の所謂《いはゆる》「性教育《せいけういく》」を施《ほどこ》すことになつて、幾年《いくねん》かを無事《ぶじ》に經過《けいくわ》して來《き》たのであつたが、今年《ことし》は、從前《じうぜん》の校醫《かうい》が一|身《しん》の都合上《つがふじやう》、辭職《じしよく》して、新《あたら》しく囑託《しよくたく》された、別《べつ》の校醫《かうい》の口《くち》から説《と》かれる、最初《さいしよ》の年《とし》なのであつた。  新《あたら》しい校醫《かうい》に對《たい》して、大野校長《おほのかうちやう》から、豫《あらかじ》めその内容《ないよう》の限定《げんてい》されて居《ゐ》たことは、云《い》ふまでも無《な》かつた――が、――  が、由來《ゆらい》、囑託《しよくたく》で自由《じいう》の境地《きやうち》にある爲《ため》に、往々《わう/\》禁止《きんし》の外《そと》にまで出勝《でが》ちで、校長《かうちやう》の謹嚴《きんげん》な限定《げんてい》が、輕視《けいし》せられ勝《が》ちの醫者《いしや》で、しかも新任《しんにん》で、――校長《かうちやう》の氣質《きしつ》をよく呑《の》み込《こ》んで居《ゐ》ない校醫《かうい》の事《こと》であるから『どんなことを云《い》ふかしらん。』といふ不安《ふあん》と、興味《きようみ》とが、手《て》のあいて居《ゐ》る教員《けうゐん》を、悉《こと/″\》くその室内《しつない》に導《みちび》いて、來觀《らいくわん》の席《せき》に就《つ》かせたのであつた。中《なか》にも大野校長《おほのかうちやう》は、校長《かうちやう》として「性教育《せいけういく》」の必要《ひつえう》な所以《ゆゑん》を説明《せつめい》し、それから新任《しんにん》の校醫《かうい》を紹介《せうかい》して後《のち》に、咳《がい》一|咳《がい》して、 『では、之《これ》から、新任《しんにん》の校醫《かうい》の方《かた》から、靜肅《せいしゆく》にしてその話《はなし》を御聽《おき》きなさい!』  と、云《い》ひ終《をは》つてからも、中々《なか/\》校長室《かうちやうしつ》へは引上《ひきあ》げずに、いつまでも/\例年《れいねん》にない熱心《ねつしん》で、その講話《かうわ》に耳《みゝ》を傾《かたむ》けて居《ゐ》たのであつた。        二  新任《しんにん》の學校醫《がくかうい》は、野々村一雄《のゝむらかずを》と呼《よ》ぶ三十二、三|歳《さい》の醫學士《いがくし》であつた。彼《かれ》は靜《しづか》に登壇《とうだん》して靜《しづか》に語《かた》り始《はじ》めた。 『只今《たゞいま》、校長先生《かうちやうせんせい》からお話《はなし》がありました樣《やう》に、女性《ぢよせい》としてあなた方《がた》が知《し》つて居《ゐ》なければならないことに就《つい》て、お話《はなし》しようと思《おも》ひます。梅《うめ》や桃《もゝ》の木《き》を御覽《ごらん》なさい、芽生《めば》えからだん/\大《おほ》きくなつても、何年《なんねん》かの間《あひだ》は蕾《つぼみ》が出來《でき》ずに、唯々《たゞ》枝葉《えだは》が茂《しげ》るだけですが、時《とき》が來《く》ると花《はな》が咲《さ》き實《み》がなることは「桃《もゝ》栗《くり》三|年《ねん》柿《かき》八|年《ねん》」といふ諺《ことわざ》でゝもわかりませう。我々《われ/\》人間《にんげん》も亦《また》その通《とほ》りで、小《ちひ》さい間《あひだ》には知《し》らなかつた事《こと》が、丁度《ちやうど》あなた方《がた》位《ぐらゐ》の年頃《としごろ》からそろ/\初《はじ》まつて參《まゐ》りますが、その中《うち》で一|番《ばん》意外《いぐわい》に驚《おどろ》かれるのは、月經《げつけい》といふものであります。月經《げつけい》といふものは、之《これ》から愈々《いよ/\》一|人前《にんまへ》の婦人《ふじん》になるといふ先《さき》ぶれの樣《やう》なもので、寧《むし》ろそれが起《おこ》らない場合《ばあひ》に心配《しんぱい》しなければならないのに拘《かゝは》らず、その事《こと》を知《し》らずに居《ゐ》ると、何《なに》か大怪我《おほけが》でもした樣《やう》に驚《おどろ》いて、大騷《おほさわ》ぎをして人《ひと》に笑《わら》れることになります。  月經《げつけい》は出血《しゆつけつ》と外形《ぐわいけい》が同《どう》一である爲《ため》に、よく目立《めだ》つ血液《けつえき》の鮮紅色《せんこうしよく》に驚《おどろ》きつけて居《ゐ》る人類《じんるゐ》は、――殊《こと》に月經《げつけい》といふことを、豫期《よき》しなかつた場合《ばあひ》に、非常《ひじやう》に驚《おどろ》くのは無理《むり》もありません。胃潰瘍《ゐくわいやう》で血《ち》を吐《は》く時《とき》、肺病《はいびやう》で血《ち》を吐《は》く時《とき》、血《ち》の赤《あか》いのを見《み》れば、もう死《し》ぬに定《きま》つたものゝ樣《やう》に考《かんが》へ勝《が》ちの人類《じんるゐ》が、意外《いぐわい》の出血《しゆつけつ》に驚《おどろ》くのは、當然《たうぜん》でありますが、月經《げつけい》は驚《おどろ》かないでいゝ、寧《むし》ろ女性《ぢよせい》の發達《はつたつ》を示《しめ》した祝福《しゆくふく》すべき現象《げんしやう》なのであります。  月經《げつけい》初潮《しよてう》の時期《じき》は、桃《もゝ》や栗《くり》が三|年《ねん》で、柿《かき》が八|年《ねん》といふ程《ほど》の差違《さゐ》はありませんが、人種《じんしゆ》により、土地《とち》の氣候《きこう》により、又《また》その人《ひと》の生活状態《せいくわつじやうたい》――食物《しよくもつ》や習慣《しふくわん》等《など》の相違《さうゐ》に依《よ》つても、亦《また》多少《たせう》の遲速《ちそく》があつて、熱帶《ねつたい》の人《ひと》に早《はや》いが、寒帶《かんたい》の人《ひと》は遲《おそ》いとか、肉食者《にくしよくしや》や、花柳社會《くわりうしやくわい》の近《ちか》くに居《ゐ》る者《もの》は早《はや》いのに反《はん》して、それと反對《はんたい》の生活《せいくわつ》をして居《ゐ》る者《もの》、例《たと》へば菜食者《さいしよくしや》は遲《おそ》いといふ樣《やう》な關係《くわんけい》があります。  その時期《じき》は、我《わ》が國《くに》の若干《じやくかん》の高等女學校《かうとうぢよがくかう》で統計《とうけい》をとつた結果《けつくわ》によれば、平均《へいきん》して滿《まん》十四|年《ねん》七ヶ|月《げつ》位《ぐらゐ》でありますから、數《かぞ》へ年《どし》にすれば十六|歳《さい》が一|番《ばん》多《おほ》いので、それに次《つ》ぐのは十五|歳《さい》、それから十七|歳《さい》でありました。故《ゆゑ》に、若《も》しそれよりも、非常《ひじやう》に早《はや》い者《もの》は早熟《さうじゆく》の異常者《いじやうしや》でありますし、非常《ひじやう》に遲《おく》れる者《もの》は又《また》何《なに》かの病的《びやうてき》の事故《じこ》の爲《ため》でありますから、醫師《いし》の診療《しんれう》を受《う》ける必要《ひつえう》があります。 それから、その初潮《しよてう》の前《まへ》には、二三|日《にち》の間《あひだ》、下腹《したばら》の氣持《きもち》が惡《わる》く、何《なん》となく全身《ぜんしん》がだるくて氣不性《きぶしやう》になり、殊《こと》に下肢《かし》がだるい上《うへ》に、手足《てあし》の節々《ふし/\》の痛《いた》むことがあります。その上《うへ》に、食事《しよくじ》が進《すゝ》まなかつたり、胸《むね》が苦《くる》しくて吐《は》きさうになつたり、汗《あせ》が餘計《よけい》に出《で》たり、尿意《ねうい》が頻繁《ひんぱん》になつて、尿量《ねうりやう》も増《ま》したりしますが、人《ひと》に依《よ》つては、兩方《りやうはう》の乳房《ちぶさ》が堅《かた》く張《は》つて、稀《まれ》には輕《かる》[#ルビの「かる」は底本では「とる」]く痛《いた》む樣《やう》な氣持《きもち》のすることさへあります。』  野々村校醫《のゝむらかうい》は、息《いき》をついでから、又《また》語《かた》り續《つゞ》けた。 『それが――月經《げつけい》が愈々《いよ/\》來潮《らいてう》し始《はじ》めると、體温《たいをん》も僅《わづ》かではあるが昇《のぼ》り、脈搏《みやくはく》は著《いちじる》しく増《ま》して來《き》ますし、乳房《ちぶさ》が大《おほ》きくなるとか、食慾《しよくよく》が進《すゝ》まないとかいふ樣《やう》な、來潮前《らいてうぜん》の容態《ようたい》が一|般《ぱん》に強《つよ》くなつて來《く》る上《うへ》に、更《さら》に精神的《せいしんてき》の變化《へんくわ》が起《おこ》つて、一|般《ぱん》に神經過敏《しんけいくわびん》に傾《かたむ》きますから、夜中《よなか》に安眠《あんみん》が出來《でき》なくなつたり、譯《わけ》もなく悲《かな》しくなるかと思《おも》ふと、又《また》譯《わけ》もなく腹《はら》が立《た》つたりして、平生《へいぜい》とは一寸《ちよつと》性質《せいしつ》が違《ちが》ふ樣《やう》になりますから、之《これ》は特《とく》に氣《き》をつける必要《ひつえう》のある時《とき》で、此《こ》の時《とき》にいろ/\の誘惑《いうわく》をうける者《もの》は、決《けつ》して少《すくな》くないといふ事《こと》であります。  そんな風《ふう》でありますから、此《こ》の時期《じき》には、なるべく精神《せいしん》も肉體《にくたい》も安靜《あんせい》に保《たも》つて、過勞《くわらう》を避《さ》けなければなりません。例《たと》へばテニスその他《た》のスポーツも止《や》め、夜《よ》ふかしや徹夜《てつや》の勉強《べんきやう》も止《や》める必要《ひつえう》があります。殊《こと》に下腹部《かふくぶ》を冷《ひや》したり、激動《げきどう》を與《あた》へたりするのはいけませんから、水泳《すゐえい》をしたり、自轉車《じてんしや》や馬《うま》等《など》に乘《の》る事《こと》は、最《もつと》も禁物《きんもつ》でありませう。學校《がくかう》の體操《たいさう》等《など》も、休《やす》む方《はう》がよからうと考《かんが》へられるのであります。  此《こ》の月經《げつけい》は、しかし早《はや》い人《ひと》は三、四|日《か》、長《なが》い人《ひと》でも六、七|日《にち》位《ぐらゐ》で濟《す》んで、再《ふたゝ》び舊《もと》の状態《じやうたい》に復歸《ふくき》するもので、之《これ》もあまり長《なが》く續《つゞ》くのは何《なに》か故障《こしやう》があるものかといふ注意《ちうい》を拂《はら》はなければなりません。  而《しか》して一|旦《たん》來潮《らいてう》すれば、それからは健全《けんぜん》でさへあれば、規則正《きそくたゞ》しく大《おほ》よそ四|週間目《しうかんめ》毎《ごと》に、即《すなは》ち二十八|日目《にちめ》に一|回《くわい》づつ繰迄《くりかへ》される筈《はず》でありますから之《これ》が不規則《ふきそく》になつて、その四|週間《しうかん》の間隔《かんかく》が、あまり短《みじか》くなつたり、或《あるひ》は又《また》あまり長《なが》くなつたりすれば、何《なに》か身體《からだ》に異常《いじやう》があるものと考《かんが》へねばなりません。  尤《もつと》も初潮《しよてう》當時《たうじ》には、比較的《ひかくてき》不規則《ふきそく》の事《こと》が多《おほ》いのではありますが、之《これ》は早《はや》く醫者《いしや》に診《み》て貰《もら》ふのが良《よ》いので、一|時《じ》の恥《はづか》しいといふ樣《やう》な考《かんがへ》から、放《はふ》つて置《お》けば、それが爲《ため》に取《と》りかへしのつかない事《こと》になる場合《ばあひ》があります。一|時《じ》の恥《はづか》しさの爲《ため》に、終生《しうせい》の不健康《ふけんかう》を招《まね》くのは愚《おろか》であります。  月經《げつけい》の度毎《たびごと》の苦痛《くつう》は、回《くわい》を重《かさ》ねるに從《したが》つて減少《げんせう》して、後《のち》には何《なん》の苦痛《くつう》も覺《おぼ》えない人《ひと》も澤山《たくさん》ありますが、又《また》人《ひと》によつてはいつまでも、いろ/\の苦痛《くつう》があつて、殊《こと》に精神的《せいしんてき》の變動《へんどう》の中々《なか/\》強《つよ》い人《ひと》も亦《また》稀《まれ》ではありません。』  校醫《かうい》はそこで又《また》言葉《ことば》を切《き》つた。それで終《をは》るかと思《おも》つて居《ゐ》ると、卓上《たくじやう》の水《みづ》を一|杯《ぱい》呑《の》み干《ほ》してから、再《ふたゝ》び話《はなし》が始《はじ》まつたのである。 『その月經《げつけい》といふものが、健康《けんかう》でありながら止《や》むといふ例外《れいぐわい》の時《とき》があります。之《これ》が、即《すなは》ち植物《しよくぶつ》に果實《くわじつ》が出來《でき》ると同《おな》じく、人《ひと》が姙娠《にんしん》する時《とき》で……』  その時《とき》、傍聽《ばうちやう》して居《ゐ》た大野校長《おほのかうちやう》の顏《かほ》に、時《とき》ならぬ暗雲《あんうん》がかゝると見《み》る間《ま》に、忽《たちま》ちその口《くち》から大《おほ》きな聲《こゑ》が起《おこ》つた。 『野々村君《のゝむらくん》! 野々村君《のゝむらくん》!』  野々村校醫《のゝむらかうい》は、驚《おどろ》いて言葉《ことば》を切《き》つて、校長《かうちやう》の顏《かほ》を見《み》た。『何《なん》ですか。』と問《と》ひたい樣《やう》な面持《おももち》であつたが校長《かうちやう》が苦《にが》り切《き》つた顏《かほ》をして、何《なに》も云《い》はないので、少《すこ》し顏《かほ》の表情《へうじやう》をかへて、更《さら》に校長《かうちやう》の顏《かほ》を見《み》たのである。  それは『壇《だん》から下《お》りて、お尋《たづ》ねに行《ゆ》きませうか。』と聞《き》くつもりだつたのであらうが、大野校長《おほのかうちやう》はだまつてつか/\と教壇《けうだん》へ肉迫《にくはく》して校醫《かうい》の耳許《みゝもと》で云《い》つた。 『その話《はなし》は止《や》めてくれ給《たま》へ。姙娠《にんしん》の話《はなし》は!』  囁《さゝや》くつもりであつたらうが、激《げき》して聲《こゑ》が大《おほ》きかつた爲《ため》に、それが室内《しつない》の皆《みな》に聞《きこ》えたので、隅々《すみ/″\》からもクス/\といふ笑聲《わらひごゑ》が起《おこ》つた。校長《かうちやう》の顏《かほ》は、一|層《そう》險惡《けんあく》になつた。 『では、それはそれと致《いた》しまして。』  野々村校醫《のゝむらかうい》は曖昧《あいまい》な言葉《ことば》で、話頭《わとう》を轉《てん》じた。 『その月經《げつけい》といふ現象《げんしやう》は、つまり女性《ぢよせい》の體内《たいない》にある、卵巣《らんさう》といふ内分泌器管《ないぶんぴきくわん》が、十|分《ぶん》に發育《はついく》して卵子《らんし》といふものを作《つく》る。それに伴《ともな》つて起《おこ》る出血《しゆつけつ》でありまして、それが前《まへ》に述《の》べましたやうに、四|週間目《しうかんめ》四|週間目《しうかんめ》に出來《でき》るのであります。  此《こ》の性《せい》の問題《もんだい》に就《つ》きましては、女性《ぢよせい》として知《し》つて置《お》かなければならないことが少《すくな》くありません。之《これ》を知《し》らないと大變《たいへん》な不幸《ふかう》を招《まね》くことがあります。例《たと》へば先年《せんねん》、或《あ》る大都會《だいとくわい》の女學校《ぢよがくかう》の四|年《ねん》か五|年《ねん》の生徒《せいと》で、何《なに》も知《し》らなかつた爲《ため》に、或《あ》る不徳義《ふとくぎ》な醫學博士《いがくはかせ》の爲《ため》に……』  局面《きよくめん》一|變後《ぺんご》の成行《なりゆき》如何《いか》にと、息《いき》を殺《ころ》して一|語《ご》をも聞洩《きゝもら》すまいとして居《ゐ》た大野校長《おほのかうちやう》は、此《こ》の時《とき》忽《たちま》ち、雷《らい》の樣《やう》な大聲《おほごゑ》で、その席《せき》から怒鳴《どな》つたのである。 『君《きみ》! 中止《ちうし》! 中止《ちうし》!』  前《まへ》には教壇《けうだん》まで行《ゆ》く餘裕《よゆう》があつたが、今度《こんど》はもうそれさへ無《な》かつた。前回《ぜんくわい》に中止《ちうし》を命《めい》ずると共《とも》に、冷笑《れいせう》めいた聲《こゑ》が四|方《はう》から起《おこ》つて一|層《そう》腹《はら》を立《た》てゝ居《ゐ》る矢先《やさき》へ、今度《こんど》は更《さら》に自分《じぶん》の謹嚴《きんげん》にといふ註文《ちうもん》に添《そ》はない節《ふし》があると認《みと》めたので、それが假令《たとひ》、結《むす》びの言葉《ことば》であつたにしろ、最早《もはや》寸時《すんじ》も默止《もくし》することは出來《でき》ないと思《おも》つたのであらう。  始《はじ》めて校醫《かうい》になつて、未《ま》だよく大野校長《おほのかうちやう》の氣質《きしつ》を知《し》らない、野々村校醫《のゝむらかうい》は、あんまりの權幕《けんまく》に驚《おどろ》いて、そのまゝ壇《だん》を下《くだ》つたのであつたが、それでも誰《たれ》も後始末《あとしまつ》をつける人《ひと》が無《な》いので、自分《じぶん》の席《せき》から生徒《せいと》一|同《どう》に對《たい》して、 『では、之《これ》で私《わたし》の話《はなし》は終《をは》ります。』  と、簡單《かんたん》な挨拶《あいさつ》をしたのであつた。  生徒《せいと》も驚《おどろ》いてしまつて、今度《こんど》はクス/\と笑《わら》ふ所《どころ》の騷《さわ》ぎではない。お互《たがひ》に驚異《きやうい》の眼《め》をさかしさうに輝《かゞや》かせながら、此《こ》の後《あと》が一|體《たい》どうなるかと、注意《ちうい》する爲《ため》に神經《しんけい》を針《はり》の樣《やう》に尖《とが》らして居《ゐ》るのみであつた。        三  氣持《きもち》のいゝ程《ほど》暖《あたゝ》かで、一人《ひとり》ぽつねん[#「ぽつねん」に傍点]として居《ゐ》れば睡魔《すいま》に襲《おそ》はれさうな春《はる》の日《ひ》を浴《あ》びながら、庭《には》に面《めん》した座敷《ざしき》の縁《えん》がはで、二人《ふたり》の男《をとこ》が對話《たいわ》をして居《ゐ》る。 『どうも驚《おどろ》いたね。僕《ぼく》もやかましいとは聞《き》いて居《ゐ》たが、まさかあれ程《ほど》ではあるまいと思《おも》つて居《ゐ》たんだ。』 『どうせあの男《をとこ》の事《こと》なら、中止《ちうし》位《ぐらゐ》はさせるだらう。』 『中止《ちうし》もいゝが、何《なに》も云《い》はさないんだ。月經《げつけい》の話《はなし》をしてさ、健康《けんかう》ならば有《あ》る筈《はず》だが、健康《けんかう》でも無《な》い時《とき》がある。それが姙娠《にんしん》で、之《これ》が重大《ぢうだい》なる女性《ぢよせい》の天職《てんしよく》であり、且《か》つ使命《しめい》であるといふことを、一|言《ごん》したいと思《おも》つたらそれがいけないのさ。』 『成《な》る程《ほど》、それで中止《ちうし》か? 丸《まる》で普通選擧《ふつうせんきよ》で、わけのわからない警官《けいくわん》が、無産黨《むさんたう》の演説《えんぜつ》を片《かた》つぱしから中止《ちうし》々々《/\》とやる態度《たいど》だとでも評《ひやう》するかね?』 『まあ、そこいらの事《こと》だらう。然《しか》らずんば批評《ひひやう》の限《かぎ》りにあらずといふ所《ところ》さ。』 『そこでそれからどうしたんだ?』 『中止《ちうし》といふから、あの大野校長《おほのかうちやう》自身《じしん》が體裁《ていさい》よく結末《けつまつ》をつけるかと思《おも》つて、沈默《ちんもく》して居《ゐ》たがあんまり怒《おこ》り過《す》ぎたせゐ[#「せゐ」に傍点]か何《なん》にも云《い》はないんだ。他《た》の傍聽《ばうちやう》して居《ゐ》た教員《けうゐん》連中《れんちう》は、勿論《もちろん》君子《くんし》は危《あやふ》きに近《ちか》よらずと考《かんが》へて、教育家《けういくか》らしい敬虔《けいけん》の態度《たいど》で、唯々《たゞ》直立不動《ちよくりつふどう》の姿勢《しせい》をとつてるだけだらう。仕方《しかた》がないから、中止《ちうし》された僕《ぼく》自身《じしん》が口《くち》を開《ひら》いて〆《し》めくゝりをつけなければ收《をさ》まらないといふ事《こと》になつたのだ。』 『ふん面白《おもしろ》い。それから。』 『その結果《けつくわ》がね、豫定《よてい》の結論《けつろん》を封《ふう》じられたもんだから、そらY市《し》の事件《じけん》ね、凌辱《りようじよく》と墮胎《だたい》で牢獄《らうごく》に入《はひ》つた例《れい》の博士事件《はかせじけん》を話《はな》して、醫者《いしや》は勿論《もちろん》惡《わる》いけれども、被害者《ひがいしや》が普通《ふつう》に性《せい》に關《くわん》する常識《じやうしき》さへ持《も》つて居《ゐ》れば、決《けつ》して、あんな[#「あんな」に傍点]間違《まちが》ひは起《おこ》らなかつた筈《はず》である。高等女學校《かうとうぢよがくかう》の卒業《そつげふ》間際《まぎは》になつて居《ゐ》ながら、凌辱《りようじよく》と肺尖《はいせん》カタールの治療《ちれう》として子宮《しきう》を暖《あたゝ》めるのとの區別《くべつ》がつかないといふのは、性《せい》に關《くわん》する知識《ちしき》に缺《か》けて居《ゐ》た證據《しようこ》で、その常識《じやうしき》の缺乏《けつばふ》があんな悲劇《ひげき》を生《う》み出《だ》したのだとして、其《そ》の支離滅裂《しりめつれつ》になつた結末《けつまつ》をつけようとしたのさ。』 『それは駄目《だめ》だつたらう。あの大將《たいしやう》はそこまで云《い》はせはしまいと思《おも》ふが……』 『お察《さつ》しの通《とほ》りで、又々《また/\》中止《ちうし》さ。校長《かうちやう》、今度《こんど》は怒《おこ》り過《す》ぎて、あの黒《くろ》い顏《かほ》が赤《あか》くなつてから、紫色《むらさきいろ》になつたものだ。そこへ大《おほ》きなロイド眼鏡《めがね》があるので、何《なん》のことは無《な》いゆで蛸《だこ》のばけ物《もの》つていふ恰好《かつかう》だらう。一目《ひとめ》見《み》たらをかしくなつて笑《わら》へて來《く》る。笑《わら》ふと一|層《そう》不隱《ふをん》になるから、僕《ぼく》も君子《くんし》の仲間入《なかまいり》をして、危《あやふ》きに近《ちか》よらぬ方針《はうしん》で自宅《じたく》へ引上《ひきあ》げてしまつたといふ始末《しまつ》で、その後《のち》の事《こと》は知《し》らないけれども、定《さだ》めて大騷《おほさわ》ぎだつたらう。今《いま》考《かんが》へても吹《ふ》き出《だ》したくなる位《くらゐ》さ。』 『さうか。あの大野《おほの》といふ人《ひと》は、僕《ぼく》もいつか科學世界《くわがくせかい》の「性《せい》の問題《もんだい》批判會《ひはんくわい》」で同席《どうせき》した事《こと》があるのだが、中々《なか/\》頭《あたま》が堅《かた》さうだね。』  對談《たいだん》して居《ゐ》る二人《ふたり》の男《をとこ》は、大野高等女學校《おほのかうとうぢよがくかう》の校醫《かうい》の野々村一雄《のゝむらかずを》とその友人《いうじん》のドクトル佐藤平次郎《さとうへいじらう》とで、中々《なか/\》親《した》しい間柄《あひだがら》の樣《やう》に見《み》える。野々村學士《のゝむらがくし》は、又《また》友《とも》の言葉《ことば》を受《う》けて語《かた》るのであつた。 『科學世界《くわがくせかい》つてば、あれにも此《こ》の間《あひだ》性教育《せいけういく》の話《はなし》が出《で》て居《ゐ》たぢやないか。大阪《おほさか》の樟蔭高等女學校《しやういんかうとうぢよがくかう》の一|年生《ねんせい》で、雜穀商《ざつこくしやう》の末《すゑ》つ兒《こ》である一|少女《せうぢよ》が、去年《きよねん》の夏《なつ》、海水浴《かいすゐよく》の歸《かへ》り途《みち》に、友人《いうじん》から、「あの人《ひと》には月經《げつけい》がある」といはれたのを苦《く》に病《や》んで居《ゐ》る矢先《やさき》に、正月《しやうぐわつ》から本統《ほんとう》に月經《げつけい》が始《はじ》まつた。そこで愈々《いよ/\》登校《とうかう》をいやがつて、奉公《ほうこう》をするつもりで家出《いへで》をして、神戸《かうべ》の旅館《りよくわん》に泊《とま》り込《こ》んで居《ゐ》た。そこで自宅《じたく》の方《はう》は大騷《おほさわ》ぎで、懸賞附《けんしやうづき》でやつと[#「やつと」に傍点]その旅館《りよくわん》に居《ゐ》ることをつき止《と》めたつて云《い》ふ話《はなし》だが、こんなのがあるとすれば餘《よ》つ程《ぽと》眞劍《しんけん》に性教育《せいけういく》を施《ほどこ》す必要《ひつえう》があらうと思《おも》ふね。』 『さうかい、僕《ぼく》はあの雜誌《ざつし》を見《み》ないので知《し》らなかつたが、それは自宅《じたく》も手《て》ぬかりだね。』 『さうさ、姉《あね》も居《ゐ》るし、母親《はゝおや》も居《ゐ》ようし、資産家《しさんか》で家庭圓滿《かていゑんまん》といふんだから驚《おどろ》くぢやないか。いくら修身《しうしん》の講釋《かうしやく》をして、聖人君子《せいじんくんし》に仕上《しあ》げても、人間《にんげん》として生《い》きて居《ゐ》る以上《いじやう》、自分《じぶん》の身體《からだ》に附《つ》いて廻《まは》る自然《しぜん》の規則《きそく》を知《し》らさなければ、駄目《だめ》だらうぢやないか。佛《ほとけ》作《つく》つて魂《たましひ》を入《い》れないつていふ奴《やつ》だね。未開時代《みかいじだい》の蠻人《ばんじん》が、自分《じぶん》の胸《むね》に手《て》をあてゝ心臟《しんざう》の鼓動《こどう》に驚《おどろ》きながら、惡魔《あくま》が飛込《とびこ》んだのに違《ちが》ひないと云《い》つて、切開《きりひら》いたら惡魔《あくま》は出《で》ないで自分《じぶん》が死《し》んだといふ話《はなし》も、有《あ》る可《べ》き筈《はず》の月經《げつけい》を見《み》て、自分《じぶん》を不具者《ふぐしや》か病人《びやうにん》かと誤認《ごにん》した爲《ため》に家出《いへで》をするのとは、程度《ていど》の差《さ》こそあれ、自分自身《じぶんじしん》の生《い》きて行《ゆ》く過程《くわてい》や要約《えうやく》を知《し》らないといふ點《てん》に於《おい》ては、全《まつた》く同《どう》一だらうぢやないか。放屁《はうひ》をしてこんな見下《みさ》げ果《は》てた身體《からだ》では生《い》きて居《を》られないと、若《も》し自殺《じさつ》を企《くはだ》てる者《もの》があれば人《ひと》が笑《わら》ふが、此《こ》の月經《げつけい》に驚《おどろ》いて廢學《はいがく》するのも同《おな》じ事《こと》さ。唯々《たゞ》世間《せけん》に放屁《はうひ》に呆《あき》れて自殺《じさつ》を企《くはだ》てるものが無《な》いのに、月經《げつけい》に驚《おどろ》いて廢學《はいがく》する者《もの》があるのはだね、つまり放屁《はうひ》の何《なん》であるかといふ事《こと》、放屁《はうひ》はさう愧《は》づべき事《こと》ではない、生《い》きた人間《にんげん》には往々《わう/\》にして隨伴《ずゐはん》する生理的現象《せいりてきげんしやう》だといふ事《こと》が、一|般《ぱん》に教《をし》へられてあるのに反《はん》して、月經《げつけい》がそれと同《おな》じ樣《やう》な、否《いな》寧《むし》ろ健康《けんかう》の標徴《へうちよう》として喜《よろこ》ばなければならない結構《けつこう》な生理的現象《せいりてきげんしやう》であるといふ事《こと》を、よく教《をし》へない人《ひと》があるからの事《こと》で、若《も》し此《こ》の教育《けういく》が、放屁教育《はうひけういく》の如《ごと》く一|般《ぱん》に普及《ふきふ》された曉《あかつき》には、そんな馬鹿《ばか》げた現象《げんしやう》は、地《ち》を拂《はら》つてしまふ筈《はず》だと思《おも》ふね。聖人君子《せいじんくんし》にも放屁《はうひ》あり、烈女節婦《れつぢよせつぷ》にも月經《げつけい》ありといふことを、もつと/\よく知《し》らす必要《ひつえう》があるんだが、修身《しうしん》の講義《かうぎ》に出《で》て來《く》る人《ひと》は、丸《まる》で血《ち》の通《かよ》はない人形《にんぎやう》の樣《やう》な教育《けういく》をするからどうも困《こま》るんだ……』 『オイ/\君《きみ》! そんな長講《ちやうかう》一|席《せき》はいゝ加減《かげん》にして貰《もら》ひたいね。丸《まる》で僕《ぼく》が不注意《ふちうい》で、僕《ぼく》の娘《むすめ》が家出《いへで》した樣《やう》な説教《せつけう》は止《や》めてほしいね。おまけに放屁教育《はうひけういく》のあたりは、少々《せう/\》脱線《だつせん》の氣味《きみ》で片腹《かたはら》痛《いた》いと云《い》ふ所《ところ》があるぜ。』 『失敬《しつけい》した、少々《せう/\》大野校長《おほのかうちやう》に云《い》ひたい所《ところ》を、君《きみ》の方《はう》に向《む》けちやつて。口《くち》が辷《すべ》り過《す》ぎたのは惡《わる》かつた。』 『まあいゝや、それで止《や》めれば文句《もんく》無《な》しさ。脱線《だつせん》はして居《ゐ》ても、君《きみ》の聖人有屁説《せいじんいうひせつ》には敬意《けいい》を表《へう》するよ。聖人《せいじん》に夢《ゆめ》無《な》しとは聞《き》いて居《ゐ》たが聖人《せいじん》に屁《へ》ありは初耳《はつみゝ》だからね。高尚《かうしやう》とは評《ひやう》し兼《か》ねるが、兎《と》も角《かく》面白《おもしろ》いよ。』 『さう茶化《ちやくわ》すもんぢやないよ。』熱心《ねつしん》に、顏《かほ》を赤《あか》くしながら語《かた》つて居《ゐ》た時《とき》に引《ひき》かへて、野々村學士《のゝむらがくし》も、流石《さすが》に一寸《ちよつと》きまりの惡《わる》さうな風《ふう》が見《み》える。 『茶化《ちやくわ》しやしない。僕《ぼく》も大《おほい》に君《きみ》の説《せつ》に共鳴《きようめい》して居《ゐ》るんだ。科學世界《くわがくせかい》の會《くわい》で逢《あ》つた時《とき》に、僕《ぼく》も産兒制限《さんじせいげん》の話《はなし》で脱線《だつせん》してね、大分《だいぶ》云《い》ひ過《す》ぎはしたんだけれども、あの大野《おほの》といふ男《をとこ》の頑迷《ぐわんめい》は又《また》手《て》がつけられない位《くらゐ》だつたからね。君《きみ》をあの時《とき》の會《くわい》に出席《しゆつせき》させて、大《おほい》に聖人有屁説《せいじんいうひせつ》を論《ろん》ずる機會《きくわい》を與《あた》へなかつたのは遺憾《ゐかん》千|萬《ばん》だ。』 『時《とき》にもう大分《だいぶ》時間《じかん》がたつね。』時計《とけい》を見《み》て驚《おどろ》いた樣《やう》に、『もう五|時半《じはん》も大分《だいぶ》過《す》ぎたぜ。ぢやあ、すぐに之《これ》から出《で》かけようか。』 『もうそんな時間《じかん》かい。よし行《ゆ》かう。』  佐藤《さとう》ドクトルは立《た》つて、言葉《ことば》を續《つゞ》けた。『僕《ぼく》はそれぢや一寸《ちよつと》用意《ようい》をするから待《ま》つてくれ給《たま》へ。』  春《はる》とはいふが、夕風《ゆふかぜ》は中々《なか/\》肌《はだ》に寒《さむ》い。冷《つめた》い春《はる》の夕風《ゆふかぜ》に、庭《には》の櫻《さくら》がヒラ/\散《ち》る。佐藤《さとう》ドクトルは先《さき》に立《た》つて、一人言《ひとりごと》の樣《やう》に何《なに》か云《い》ひながら歩《ある》く。 『エート父子《ふし》親《しん》あり、長幼《ちやうえう》序《じよ》あり、夫婦《ふうふ》別《べつ》あり、聖人《せいじん》屁《へ》ありか。』 『オイ又《また》有屁説《いうひせつ》か? もうよし給《たま》へつていふのに!』        四  二人《ふたり》は歌舞伎座《かぶきざ》へ入《はひ》つた。切符《きつぷ》は前《まへ》から買《か》つてあつて、一|階《かい》の「か」の十|番《ばん》、十一|番《ばん》といふ席《せき》は、見《み》るのには工合《ぐあひ》が惡《わる》くなかつたけれども入《はひ》つた時《とき》には座席《ざせき》の方《はう》は眞《ま》つくらに電氣《でんき》が消《き》えて、舞臺《ぶたい》の方《はう》だけが青《あを》いフツトライトで照《てら》されて居《ゐ》る場面《ばめん》であつたので、二人《ふたり》は大分《だいぶ》、面食《めんくら》つた樣《やう》であつた。後《あと》で番附《ばんづけ》を見《み》ると、それはもう一|番目《ばんめ》の狂言《きやうげん》、二|幕《まく》が濟《す》んで、二|番目《ばんめ》のものも舞臺《ぶたい》が廻《まは》つて、既《すで》に幕切《まくきり》に近《ちか》い時《とき》であつたことがわかつたが、そんな次第《しだい》で、何《なん》の事《こと》かわからない二人《ふたり》は、暫《しばら》くの間《あひだ》、暗《くら》い中《なか》で眼《め》をパチクリさせながら、その幕《まく》の濟《す》むのを待《ま》ちあぐんで居《ゐ》る姿《すがた》であつた。つまり十|數分間《すうふんかん》かゝつて鴈治郎《がんぢらう》の顏《かほ》の長《なが》いことだけを二人《ふたり》がかりで印象《いんしやう》したに過《す》ぎなかつた。  幕合《まくあひ》に、別館《べつくわん》の食堂《しよくだう》で箸《はし》を動《うご》かしながら、佐藤《さとう》ドクトルが云《い》つた。 『どうせ始《はじ》めはつまるまいとは思《おも》つたが、あんまり落《お》ちつき過《す》ぎて惡《わる》かつたね。』 『僕《ぼく》がしやべり過《す》ぎたのが惡《わる》かつたのだ。つい話《はなし》に身《み》が入《い》り過《す》ぎちやつたもんだから。』 『しかし今度《こんど》の中幕《なかまく》を見《み》りやいゝよ。左團次《さだんじ》の鳴神上人《なるかみしやうにん》がいゝつて云《い》ふからね。』 『まあさうとして置《お》かう。』  中幕《なかまく》の「鳴神《なるかみ》」には、左團次《さだんじ》の鳴神上人《なるかみしやうにん》が天晴《あつぱれ》、行《おこな》ひすまして居《ゐ》た甲斐《かひ》もなく、松蔦《しようてう》のたえま姫《ひめ》に話《はな》しかけられて、だん/\心《こゝろ》がゆるんで行《ゆ》き、一|旦《たん》は自省《じせい》したものゝ、それも又《また》滅茶《めつちや》々々《/\》に打壞《うちこは》されて、やがては自分《じぶん》の草庵《さうあん》からノコ/\出《で》かけて、姫《ひめ》の身體《からだ》に接近《せつきん》してしまふ所《ところ》が演《えん》じられた。此《こ》の芝居《しばゐ》は一|度《ど》警視廳《けいしちやう》の眼《め》が光《ひか》つて興行《こうぎやう》を差止《さしと》められたものであつたが、古《ふる》い歌舞伎《かぶき》の型《かた》を改《あらた》めて、上人《しやうにん》と姫《ひめ》との嬌態《けうたい》を骨拔《ほねぬ》きにした上《うへ》、漸《やうや》く許可《きよか》になつたもので、科白《せりふ》も所作《しよさ》も原作通《げんさくどほ》りではなかつたけれども、修身《しうしん》の講義《かうぎ》と性教育《せいけういく》との關係《くわんけい》を論《ろん》じて、それが爲《ため》に折角《せつかく》の芝居《しばゐ》を忘《わす》れて居《ゐ》た二人《ふたり》には、中々《なか/\》興味《きようみ》のあるものなのであつた。 『歌舞伎《かぶき》十八|番《ばん》の「鳴神《なるかみ》」が風俗壞亂《ふうぞくくわいらん》として興行《こうぎやう》を禁止《きんし》されたり、改作《かいさく》を餘儀《よぎ》なくされたりしたつて事《こと》は、恐《おそ》らく前代未聞《ぜんだいみもん》だらうね。』  小聲《こごゑ》で囁《さゝや》く樣《やう》に、佐藤《さとう》ドクトルが云《い》ふ。 『さうだらう。それも滑稽《こつけい》だが、行《おこな》ひすまして雨《あめ》を一|滴《てき》も下界《げかい》へ降《ふ》らしてやらないと云《い》つて、龍神《りうじん》を封《ふう》じ込《こ》めた鳴神上人《なるかみしやうにん》が、たつた[#「たつた」に傍点]一目《ひとめ》、美人《びじん》を見《み》たばつかりに、忽《たちま》ち心《こゝろ》を迷《まよ》はして行《ぎやう》を破《やぶ》られ、大雨《おほあめ》を沛然《はいぜん》と降《ふ》らしてしまつたのも面白《おもしろ》いね。修身《しうしん》が甲《かふ》で、操行《さうかう》が甲《かふ》で、優等《いうとう》の學生《がくせい》が、惜《を》しい哉《かな》、性《せい》の知識《ちしき》を持《も》たない爲《ため》に、普通《ふつう》の學生《がくせい》ならば相手《あひて》にもしない樣《やう》な下《くだ》らない異性《いせい》に接近《せつきん》するなり、早速《さつそく》堅固《けんご》な道心《だうしん》が粉碎《ふんさい》されて、失意《しつい》の境《さかひ》に急轉直下《きふてんちよくか》するのと、全《まつた》く同《どう》一の經路《けいろ》ぢやないか。歌舞伎《かぶき》十八|番《ばん》の中《なか》に性教育《せいけういく》の必要《ひつえう》宣傳用《せんでんよう》の一|幕《まく》があるのは愉快《ゆくわい》だね。之《これ》を我《わ》が大野校長《おほのかうちやう》に是非《ぜひ》一|度《ど》見《み》せてやりたいと思《おも》ふがなあ。』  之《これ》は野々村學士《のゝむらがくし》の答《こた》へであつた。 『さう大野《おほの》々々《/\》つて言《い》ふのはよし給《たま》へ。見《み》つともないから。なあにあれはね、雲《くも》の絶間姫《たえまひめ》が洛中《らくちう》第《だい》一の美女《びぢよ》だからの話《はなし》で、君《きみ》ならば鳴神上人《なるかみしやうにん》よりも、もつと早《はや》く降參《かうさん》してしまふ所《ところ》だらうぜ。』 『鳴神上人《なるかみしやうにん》の辯護《べんご》はいゝが、僕《ぼく》を引合《ひきあ》ひに出《だ》して、くさすのはひどいね。』 『アハヽヽヽ。』 『アハヽヽヽ。』  それで一|旦《たん》、話《はなし》は途切《とぎ》れたが、暫《しばら》くしてから又《また》同《おな》じ樣《やう》な言葉《ことば》が、今度《こんど》は野々村《のゝむら》の方《はう》から持出《もちだ》された。勿論《もちろん》小聲《こごゑ》で。 『矢張《やは》り君《きみ》のいふ通《とほ》り、鳴神上人《なるかみしやうにん》は同情《どうじやう》すべき男《をとこ》だね。あゝいふ職業《しよくげふ》の人間《にんげん》は、カストラチオン(去勢《きよせい》)をやらなければ、到底《たうてい》萬全《まんぜん》は期《き》し得《え》ない譯《わけ》だ。』 『鳴神《なるかみ》の罪《つみ》に非《あら》ず、ホーデン(睾丸《かうぐわん》)の罪《つみ》なりか? 相變《あひかは》らず奇拔《きばつ》だ、正《まさ》に聖人有屁説《せいじんいうひせつ》に匹敵《ひつてき》すべきものだね。』 『舊教《きうけう》の歌《うた》うたひの男《をとこ》みたいに、オペラチオン(手術《しゆじゆつ》)をすれば、あんな苦痛《くつう》も墮落《だらく》もないのだ。』 『鳴神上人《なるかみしやうにん》に手術室《しゆじゆつしつ》の一|幕《まく》を加《くは》へちや、芝居《しばゐ》にならない。君《きみ》は奇拔《きばつ》な事《こと》は天才的《てんさいてき》だが、惜《をし》い哉《かな》芝居《しばゐ》は知《し》らないね。』 『馬鹿《ばか》云《い》へ。芝居《しばゐ》は芝居《しばゐ》、それはそれさ。唯《たゞ》取《と》ればいゝものを取《と》らずに置《お》いて、一|生《しやう》餘計《よけい》な努力《どりよく》と苦痛《くつう》とをして居《ゐ》るのは愚《おろか》だといふだけの事《こと》さ。』 『しかし鳴神《なるかみ》がオペラチオンを受《う》ければ、墮落《だらく》しないかはりに、この芝居《しばゐ》は成立《なりた》たないぜ。いや鳴神《なるかみ》ばかりぢやない、人生《じんせい》の大半《たいはん》が性《せい》の煩悶《はんもん》の渦卷《うづまき》の綾《あや》に過《す》ぎないのだから、さう[#「さう」に傍点]カストラチオン/\でかたづけられてしまつたら、人生《じんせい》の大半《たいはん》が無《な》くなつてしまふ譯《わけ》だ。それぢやあつまらない。その煩悶《はんもん》と苦痛《くつう》の中《なか》に、人生《じんせい》の趣味《しゆみ》も快樂《くわいらく》もあるので、さう簡單《かんたん》にはかたづかないよ。』 『何《なに》、僕《ぼく》だつて世間《せけん》のすべてにカストラチオンをやれとは云《い》はないさ。あんな職業《しよくげふ》の者《もの》、せめて宗教家《しうけうか》や道學者《だうがくしや》だけにでもやらして、苦痛《くつう》無《な》しに實行《じつかう》を一|致《ち》さしたいといふ、一|片《ぺん》の老婆心《らうばしん》の發露《はつろ》に過《す》ぎないんだ。』 『旨《うま》い工合《ぐあひ》に逃《に》げたな。漸《やうや》く一|方《ぱう》に血路《けつろ》を見出《みいだ》したといふ所《ところ》だね。しかし今《いま》の話《はなし》なら同感《どうかん》の所《ところ》があるよ。去年《きよねん》の暮《くれ》に、百|圓《ゑん》餘《あま》りの郵便貯金《いうびんちよきん》を引出《ひきだ》して、駒込神明町《こまごめしんめいちやう》の待合《まちあひ》で豪遊《がういう》の上《うへ》、二|晩《ばん》も泊《とま》つたが、朝《あさ》になつて酒《さけ》の醉《ゑひ》が醒《さ》めると、財布《さいふ》が輕《かる》くつて商賣《しやうばい》のクリスマスの用意《ようい》も出來兼《できか》ねる所《ところ》から、王子《わうじ》の警察《けいさつ》へ行《い》つて、丸《まる》つきりうそ[#「うそ」に傍点]の訴《うつた》へをした四十八|歳《さい》になる宣教師《せんけうし》があつたんだ。――えゝ「郵便局《いうびんきよく》の歸《かへ》りに飛鳥山《あすかやま》の下《した》で突然《とつぜん》二人《ふたり》の怪漢《くわいかん》に襲《おそ》はれて、所持金《しよぢきん》を強奪《がうだつ》された上《うへ》に、身體《からだ》を毛布《まうふ》で包《つゝ》んで自動車《じどうしや》で何處《どこ》かへつれて行《ゆ》かれ、二|日《か》二|晩《ばん》、監禁《かんきん》された擧句《あげく》、向島《むかふじま》言問《ことゝひ》の土手《どて》の上《うへ》へ投《な》げ出されました」つてね。それがバレて油《あぶら》を搾《しぼ》られた牧師《ぼくし》の顏《かほ》は、想像《さうざう》しただけでも、うんざり[#「うんざり」に傍点]するね。之《これ》でも神《かみ》の子《こ》さ。』 『フーン、雪《ゆき》の日《ひ》やあれも人《ひと》の子《こ》樽拾《たるひろ》ひつて句《く》があるが、クリスマスあれも神《かみ》の子《こ》、耻《はぢ》さらしでは句《く》になるまい。』 『未《ま》だ有《あ》るんだ。今年《ことし》の正月《しやうぐわつ》に或《あ》る令孃《れいぢやう》に肘鐵砲《ひぢでつぱう》を食《く》はされた腹《はら》いせに、その令孃《れいぢやう》を途上《とじやう》で脅迫《けふはく》したばかりでなく、天命團長《てんめいだんちやう》、柴金作《しばきんさく》外《ほか》一|黨《たう》といふ名《な》で、金《きん》三百|圓《ゑん》を二十五|日《にち》の夜《よ》、九|時《じ》までに、本願寺《ほんぐわんじ》の鐘樓《しようろう》の下《した》に埋《う》めて置《お》け、應《おう》じなければ警察《けいさつ》と交番《かうばん》とを全部《ぜんぶ》燒拂《やきはら》ふぞといふ脅迫文《けふはくぶん》を、人《ひと》もあらうに警察署長《けいさつしよちやう》宛《あて》に出《だ》して、つかまつた男《をとこ》があるんだが、それは一|體《たい》誰《だれ》だと思《おも》ふね?』 『わからないが、今度《こんど》は坊主《ばうず》か?』 『ちがふ之《これ》もヤソ教《けう》だ。門司市《もじし》の救世軍《きうせいぐん》の少尉殿《せうゐどの》で、白木崎保育團長《しらきさきほいくだんちやう》といふものをして居《ゐ》る二十六|歳《さい》の神《かみ》の子《こ》さ。』 『驚《おどろ》いたね。そんな神《かみ》の子《こ》はカストラチオンに限《かぎ》るね。アハヽヽ。』 『アハヽヽヽ。』  此《こ》の時《とき》、二人《ふたり》の席《せき》から近《ちか》い疊敷《たゝみし》きの座席《ざせき》の方《はう》で、時《とき》ならぬ嬌聲《けうせい》が響《ひゞ》いて、附近《ふきん》の觀客《くわんかく》の視聽《しちやう》を集《あつ》めたのであつた。  二人《ふたり》も同時《どうじ》にその方《はう》に視線《しせん》を投《とう》じると、その座席《ざせき》には赤《あか》ら顏《がほ》の五十|恰好《かつかう》の紳士《しんし》が、藝者《げいしや》とお酌《しやく》とをつれて、嬉《うれ》しさうに笑《わら》つて居《ゐ》るのであつた。大分《だいぶ》醉《ゑ》ひが廻《まは》つて居《ゐ》るのであらう。  鳴神《なるかみ》の場面《ばめん》で嬉《うれ》しくなつて、お酌《しやく》の尻《しり》を抓《つね》つて甲高《かんだか》い嬌聲《けうせい》を放《はな》たせたのであるから、本來《ほんらい》ならば座《ざ》に耐《た》へない筈《はず》であるのに、多數《たすう》の視線《しせん》を一|身《しん》に集《あつ》めながら平然《へいぜん》として、皺《しわ》だらけの顏《かほ》に、一|層《そう》笑《わら》ひの皺《しわ》を加《くは》へながら、熟柿臭《じゆくしくさ》い呼氣《いき》をいやがるお酌《しやく》の顏《かほ》にふきかけて、相變《あひかは》らず嬉《うれ》しさうに笑《わら》ひ續《つゞ》けて居《ゐ》るのであつた。 『ありやあさつき[#「さつき」に傍点]食堂《しよくだう》で見《み》かけた男《をとこ》ぢやないか?』と野々村《のゝむら》。 『ウン、僕《ぼく》もさう思《おも》つたんだがね。前《まへ》にも何處《どこ》かで見覺《みおぼ》えがある樣《やう》な氣《き》がするんだが――えゝと――あゝわかつた!』佐藤《さとう》ドクトルはポンと膝《ひざ》を叩《たゝ》いた。『あれはね、矢張《やは》りあの科學世界《くわがくせかい》の批判會《ひはんくわい》で同席《どうせき》した男《をとこ》だ! 夏本赤《なつもとあか》三|郎《らう》つていふ○○醫科大學《いくわだいがく》の學長《がくちやう》だよ。』 『夏本《なつもと》つてのがあれかい? 僕《ぼく》も名前《なまへ》だけは知《し》つて居《ゐ》たが、顏《かほ》を見《み》るのは今日《けふ》が[#「今日が」は底本では「今日か」]最初《はじめて》だ。』  野々村《のゝむら》はさういひながらも、感心《かんしん》した樣《やう》に尚《な》ほも穴《あな》のあく程《ほど》、向《むか》ふの顏《かほ》を見《み》つめて居《ゐ》るのであつた。 『左樣《さう》さ。あれが夏本博士《なつもとはかせ》といふ君《きみ》の大先輩《だいせんぱい》で、しかも強硬《きやうかう》な廢娼論者《はいしやうろんしや》だよ。』  しかし醉《よ》つた醫科大學長《いくわだいがくちやう》は、再度《さいど》抓《つめ》り得《え》た事《こと》を滿足《まんぞく》に思《おも》ふぞという樣《やう》な顏《かほ》つきで、相變《あひかは》らず嬉《うれ》しさうに笑《わら》ひ續《つゞ》けて居《ゐ》るのであつた。        五  夏本學長《なつもとがくちやう》を中心《ちうしん》にして、その人《ひと》が「科學世界《くわがくせかい》」社《しや》の批判會《ひはんくわい》の席上《せきじやう》で「我々《われ/\》の主宰《しゆさい》する醫科大學《いくわだいがく》では」と、盛《さかん》[#ルビの「さかん」は底本では「ゞかん」]に高潔《かうけつ》な清論《せいろん》を吐露《とろ》して、流石《さすが》に官立《くわんりつ》の醫科大學長《いくわだいがくちやう》は感心《かんしん》なものであると、一|部《ぶ》の人々《ひと/″\》を尊敬《そんけい》させた、その○○大學《だいがく》の教授《けうじゆ》が三|人《にん》、待合《まちあひ》、春《はる》の家《や》の一|室《しつ》に、盃盤《はいばん》は狼藉《らうぜき》を極《きは》め、主客《しゆかく》何《いづ》れも醉《ゑひ》が廻《まは》つて、玉山《ぎよくざん》將《まさ》に崩《くづ》れんとすといふ時《とき》から、既《すで》に數時間《すうじかん》を經過《けいくわ》して、主人《しゆじん》が好《この》みの「雨《あめ》しよぼ」といふ如何《いかゞ》はしい藝者《げいしや》の踊《をどり》も、亦《また》此《こ》の人《ひと》が醉《を》へば必《かなら》ずやる裸踊《はだかをど》りの一|曲《きよく》も悉《こと/″\》く濟《す》んで、之《これ》から第《だい》三|次回《じくわい》にでも移《うつ》らうといふ時《とき》であつた。 『おいおかみ、之《これ》から一寸《ちよつと》話《はなし》があるから、若《わか》い連中《れんちう》に暫《しばら》くの間《あひだ》遠慮《ゑんりよ》させてくれ。』  と、藝者《げいしや》と一|緒《しよ》に、顏《かほ》を出《だ》して居《ゐ》た女將《おかみ》に命《めい》じて、新《あらた》に持込《もちこ》まれた大火鉢《おほひばち》の方《はう》へ、夏本先生《なつもとせんせい》は靜《しづか》に御輿《みこし》を移《うつ》したのであつた。染《そめ》八と呼《よ》ぶ若《わか》い藝者《げいしや》が氣《き》に入《い》つて、一|緒《しよ》になつて盛《さか》んにお得意《とくい》の「奴《やつこ》さん」を踊《をど》つて、踊《をど》りつかれたものか、假睡《うたゝね》の夢《ゆめ》を結《むす》んで居《ゐ》た山内教授《やまうちけうじゆ》も、無理《むり》に起《おこ》されて○○大學《だいがく》を左右《さいう》すべき中心人物《ちうしんじんぶつ》は、そこに車座《くるまざ》になつた。 『折角《せつかく》の興《きよう》を殺《そ》いだのは、申譯《まをしわけ》もありませんが、實《じつ》は今夕《こんせき》御集《おあつま》りを願《ねが》つたのは、大學《だいがく》の方《はう》ではチト御話《おはなし》をし難《にく》い問題《もんだい》に就《つい》て、こちらの方《はう》が都合《つがふ》がいゝといふので、是非《ぜひ》、有力《いうりよく》な諸君《しよくん》と御協議《ごけふぎ》をしようと思《おも》ひまして、エー工藤君《くどうくん》からの御忠告《ごちうこく》もあつたものですから……』  と、同席《どうせき》の工藤民雄教授《くどうたみをけうじゆ》を顧《かへり》みながら、醉《ゑ》ひの爲《ため》に呼吸《こきふ》が苦《くる》しいのか、茶碗《ちやわん》を取上《とりあ》げて夏本博士《なつもとはかせ》は、咽喉《のど》をうるほしながら學長《がくちやう》らしい落《お》ちつきを見《み》せる樣《やう》に、一寸《ちよつと》ばかりそり身《み》になつた。  學長《がくちやう》に今《いま》、名《な》を擧《あ》げられた工藤民雄《くどうたみを》といふ人物《じんぶつ》は、非常《ひじやう》な野心家《やしんか》であつて、近《ちか》い將來《しやうらい》にB大學《だいがく》の學長《がくちやう》にならうといふ腹《はら》は十二|分《ぶん》に持《も》つて居《ゐ》るけれども、大學《だいがく》に昇格《しようかく》をしたばかりで、舊《もと》の專門學校《せんもんがくかう》時代《じだい》との複雜《ふくざつ》な關係《くわんけい》が渦《うづ》を卷《ま》いて居《ゐ》る中《なか》に飛《と》び出《だ》しては、不得策《ふとくさく》であることを見越《みこ》して、學内《がくない》で最《もつと》も故參《こさん》で、しかも最《もつと》も操《あやつ》り易《やす》い性質《せいしつ》の持主《もちぬし》である夏本赤《なつもとあか》三|郎《らう》を、先《ま》づその憎《にく》まれ役《やく》になるに定《き》まつて居《ゐ》る、此《こ》の最初《さいしよ》の學長《がくちやう》に祭《まつ》り上《あ》げて、時期《じき》が來《く》るまでは巧《たくみ》に背後《はいご》から黒幕《くろまく》になつて、操《あやつ》りの糸《いと》を手《た》ぐらうといふ魂膽《こんたん》の智惠者《ちゑしや》であつた。夏本《なつもと》もそれに全然《ぜんぜん》、氣《き》がつかないのではなかつたが、今《いま》なつて置《お》かなければ、多年《たねん》我慢《がまん》して來《き》た甲斐《かひ》も無《な》く、一|生《しやう》浮《うか》び上《あが》る時期《じき》を見出《みいだ》すことが出來《でき》ないであらうといふ懸念《けねん》と、本職《ほんしよく》の學問《がくもん》よりも、好《す》きの道《みち》であつた酒池肉林《しゆちにくりん》の逍遙《せうえう》に度《ど》を過《すご》して、學位《がくゐ》も中々《なか/\》貰《まら》ふことが出來《でき》ず、同僚《どうれう》には輕《かろ》んぜられるし、工藤教授《くどうけうじゆ》一|派《ぱ》の尻押《しりお》しで學長候補《がくちやうこうほ》の第《だい》一|人者《にんしや》としての推薦《すゐせん》があつた時《とき》にも文部省《もんぶしやう》で學位《がくゐ》が無《な》くてはと二の足《あし》を踏《ふ》まれたといふ苦《にが》い經驗《けいけん》もあるといふ始末《しまつ》であつたから、内實《ないじつ》は兎《と》も角《かく》も、○○大學々長《だいがく/\ちやう》といふ外形《ぐわいけい》を備《そな》へて、世間的《せけんてき》に尊嚴《そんげん》を保《たも》つことが焦眉《せうび》の急《きふ》であることを知《し》つた爲《ため》に、或《あ》る意味《いみ》に於《おい》ては、操《あやつ》られながらも報恩《はうおん》? の目的《もくてき》に、此《こ》の工藤教授《くどうけうじゆ》等《ら》の意見《いけん》を尊重《そんちよう》すべき必要《ひつえう》があつたものである。工藤《くどう》の方《はう》では、巧《たくみ》に此《こ》の夏本《なつもと》の急所《きふしよ》を捕《とら》へて、次《つぎ》の學長《がくちやう》になりたいといふ點《てん》で、志《こゝろざし》を一つにする山内《やまうち》、横橋《よこばし》の兩教授《りやうけうじゆ》と一|團《だん》となり、三|國同盟《ごくどうめい》或《あるひ》は三|人《にん》寄《よ》れば文珠《もんじゆ》の智惠《ちゑ》の故智《こち》に習《なら》つたと共《とも》に、一|方《ぱう》には又《また》責任轉嫁《せきにんてんか》の意味《いみ》で、いつも此《こ》の「春《はる》の家《や》」の一|室《しつ》に會合《くわいがふ》しながら、「醉《ゑ》うては枕《まくら》す美人《びじん》の膝《ひざ》、醒《さ》めては握《にぎ》る○○大學《だいがく》の權《けん》」といふ行動《かうどう》を繰返《くりかへ》して、いつとは無《な》しに「三|人組《にんぐみ》」といふ尊稱《そんしよう》をさへ戴《いたゞ》いて居《ゐ》たのであつた。  學内《がくない》には、之《これ》を不快《ふくわい》な現象《げんしやう》と考《かんが》へて居《ゐ》たものもあつたが、此《こ》の結束《けつそく》の生《う》み出《だ》す策略《さくりやく》と、學長《がくちやう》といふ支配者《しはいしや》の位置《ゐち》にある役者《やくしや》との、一|團《だん》に對《たい》しては齒《は》が立《た》たない。それは自分《じぶん》の本職《ほんしよく》を抛《なげう》つて立働《たちはたら》くわけにも行《ゆ》かず、又《また》自分《じぶん》の椅子《いす》も考《かんが》へねばならず、片手間仕事《かたてましごと》に、獨力《どくりよく》で之《これ》を制禦《せいぎよ》するのは、到底《たうてい》不可能《ふかのう》な事《こと》であつたからである。從《したが》つて如何《いか》に憤慨《ふんがい》する人々《ひと/″\》も、これ等《ら》の人物《じんぶつ》には、何等《なんら》の邪魔《じやま》にもならなかつたが、たつた[#「たつた」に傍点]一人《ひとり》、甚《はなは》だ厄介《やくかい》な手《て》に終《を》へない人間《にんげん》があつた。それは矢張《やは》り教授《けうじゆ》の一人《ひとり》で、「醫學評論《いがくひやうろん》」といふ醫事評論雜誌《いじひやうろんざつし》に特別寄稿家《とくべつきかうか》として常《つね》に批評《ひひやう》の筆《ふで》を執《と》つて居《ゐ》る男《をとこ》であつた。それは中原忠《なかはらちう》一と云《い》ふもので、別《べつ》に黨派《たうは》があるのでもないから、勿論《もちろん》齒牙《しが》にかける必要《ひつえう》のない代物《しろもの》ではあつたけれども、此《こ》の男《をとこ》は少《すこ》しも筆《ふで》を曲《ま》げることをしないで、遠慮《ゑんりよ》無《な》く有《あ》りのままを、思《おも》ふ通《とほ》りに深刻《しんこく》な評論《ひやうろん》をする人間《にんげん》であつたから、うつかり[#「うつかり」に傍点]之《これ》に懷柔策《くわいじうさく》を加《くは》へたり、或《あるひ》は之《これ》を威壓《ゐあつ》したりすれば、彼《かれ》は直《たゞち》に懷柔《くわいじう》や威壓《ゐあつ》の事實《じじつ》を列擧《れつきよ》して、反《かへ》つて自分達《じぶんたち》に不利《ふり》を來《きた》す點《てん》が、甚《はなは》だ厄介《やくかい》なのであつた。此《こ》の厄介物《やくかいもの》の處分《しよぶん》を如何《いか》にすべきかといふことが、即《すなは》ち今夕《こんせき》の春《はる》の家《や》の會合《くわいがふ》となつて、此處《ここ》に現《あら》はれて來《き》た次第《しだい》なのであつた。  夏本學長《なつもとがくちやう》は、言葉《ことば》を續《つゞ》けた。 『今夕《こんせき》御相談《ごさうだん》を致《いた》したいのは、他《ほか》でもないあの中原忠《なかはらちう》一に對《たい》する處分《しよぶん》を如何《いか》にすべきかといふ問題《もんだい》であります。御承知《ごしようち》の通《とほ》りに、學内《がくない》の事情《じじやう》を不遠慮《ぶゑんりよ》に公表《こうへう》されては、獨《ひと》り我々《われ/\》一|同《どう》が迷惑《めいわく》するのみならず、延《ひ》ひては我《わ》が○○大學《だいがく》の不名譽《ふめいよ》を來《きた》す次第《しだい》で、何《なん》とか至急《しきふ》にかたづけてしまふ必要《ひつえう》があります。それに就《つ》きまして、工藤教授《くどうけうじゆ》が名案《めいあん》を持《も》つて居《を》られるので、之《これ》からそれを承《うけたまは》りたいと考《かんが》へるのであります。』  さういひ終《をは》つて、學長《がくちやう》は再《ふたゝ》び工藤《くどう》の方《はう》に、一|瞥《べつ》を與《あた》へた。工藤民雄《くどうたみを》は、半分《はんぶん》禿《はげ》かゝつた頭《あたま》を上《あ》げて、テラ/\と光《ひか》つた平《ひら》たい顏《かほ》を得意《とくい》さうに輝《かゞや》かしながら、やをら薄《うす》い唇《くちびる》を動《うご》かし始《はじ》めたのであつた。山内《やまうち》と横橋《よこばし》との方《はう》に向《むか》つて――。 『別《べつ》に名案《めいあん》といふ程《ほど》でもないがね、調《しら》べて見《み》ると中原《なかはら》が、留學期間《りうがくきかん》の終《をは》らない中《うち》に、彼是《かれこれ》十|日《か》程《ほど》も早《はや》く歸途《きと》に就《つ》きながら、文部省《もんぶしやう》への歸朝屆《きてうとゞけ》には正確《せいかく》な期日《きじつ》にロンドンから乘船《じようせん》した樣《やう》に書《か》いてある。そこで十|日《か》あまりの留學費《りうがくひ》を、彼《かれ》が胡麻化《ごまくわ》して居《ゐ》る譯《わけ》だから、之《これ》は大學教授《だいがくけうじゆ》として有《あ》るまじき行爲《かうゐ》で、そんなものが居《ゐ》ては、我々《われ/\》の體面《たいめん》にかゝはるといふ理由《りいう》で、學長《がくちやう》から文部省《もんぶしやう》へ中原《なかはら》を退職《たいしよく》せしめる樣《やう》に上申《じやうしん》して貰《もら》はうと思《おも》ふんだがね。如何《ど》んなもんだらう?』 『それはいゝが、先日《せんじつ》學長室《がくちやうしつ》で、學長《がくちやう》からその理由《りいう》で中原《なかはら》に自決《じけつ》を迫《せま》つた時《とき》に……』  横橋教授《よこばしけうじゆ》が質問《しつもん》を始《はじ》めた。『さう留學《りうがく》滿期《まんき》の當日《たうじつ》に出帆《しゆつぱん》する汽船《きせん》は無《な》い、十|日《か》位《ぐらゐ》の前後《ぜんご》は止《や》むを得《え》ない。それからその間《あひだ》に留學費《りうがくひ》も、高《たか》が些少《させう》の金額《きんがく》であるし、十|日《か》早《はや》く出帆《しゆつぱん》したと公表《こうへう》すれば、學長《がくちやう》はじめ文部省《もんぶしやう》にまで手數《てすう》をかけるに過《す》ぎないから、便宜上《べんぎじやう》したことで誰《たれ》でもの慣用手段《くわんようしゆだん》でもあり、官廳《くわんちやう》では帳面上《ちやうめんじやう》に矛盾《むじゆん》が無《な》ければ、何《なん》でもいゝ事《こと》になつて居《ゐ》るといふ答辯《たふべん》で、學長《がくちやう》の方《はう》が反《かへ》つて口《くち》を噤《つぐ》んでしまつたといふぢやないか? その點《てん》は大丈夫《だいぢやうぶ》かね?』  と、心配《しんぱい》さうである。 『そりや、あの男《をとこ》の事《こと》だから、それ位《くらゐ》の事《こと》はいふさ。又《また》あいつとしては實際《じつさい》惡《わる》いともやましいとも考《かんが》へては居《ゐ》まいし、逆襲《ぎやくしふ》されゝば、それ以上《いじやう》の事《こと》はいくらもある。しかし何《なん》と云《い》つた所《ところ》で、あの男《をとこ》から例《れい》の「醫界評論《いかいひやうろん》」を切《きり》はなしてしまへば、安心《あんしん》なものさ。』  工藤《くどう》は、發案者《はつあんしや》だけに落《おち》ついたものである。成算《せいさん》我《われ》にありといふ心持《こゝろもち》で、 『「醫界評論《いかいひやうろん》」と中原《なかはら》とを絶縁《ぜつえん》さすことが出來《でき》るかね?』横橋《よこばし》は、未《ま》だ不安《ふあん》さうに質問《しつもん》を續《つゞ》ける。 『絶縁《ぜつえん》して、中原《なかはら》の執筆《しつぴつ》をさせないのみならず、あれの主筆《しゆひつ》の方《はう》へ夏本學長《なつもとがくちやう》からうまく持込《もちこ》んで、「中原《なかはら》を葬《はうむ》れ」といふ長《なが》い評論《ひやうろん》を書《か》かすことに定《き》めたんだ。』と工藤《くどう》。 『どうしてさう旨《うま》く行《い》つたんかい?』今《いま》まで沈默《ちんもく》して居《ゐ》た「奴《やつこ》さん」の名人《めいじん》、山内教授《やまうちけうじゆ》が鎌首《かまくび》をあげた。 『それはね、あの主筆《しゆひつ》といふ男《をとこ》が、中原《なかはら》の論文《ろんぶん》の評判《ひやうばん》のいゝ事《こと》を嫉視《しつし》して居《ゐ》るのに乘《じよう》じたのさ。それに金《かね》に眼《め》の無《な》い男《をとこ》だからね。』工藤《くどう》は黒幕《くろまく》らしい微笑《びせう》を浮《うか》べながら答《こた》へて居《ゐ》る。 『それにね。地方新聞《ちはうしんぶん》の主《おも》なものを悉《こと/″\》く買收《ばいしう》して、一|齊《せい》に中原《なかはら》の惡徳《あくとく》と題《だい》する記事《きじ》を、毎日《まいにち》書《か》き立《た》てさせる事《こと》になつて居《ゐ》る。それも敏腕《びんわん》な我《わ》が夏本學長《なつもとがくちやう》の御骨折《おほねをり》で、もうすつかり[#「すつかり」に傍点]藥《くすり》が廻《まは》つて居《ゐ》るんだからね。』 『流石《さすが》にうまいもんだね!』 『未《ま》だそこまでは行《ゆ》くまいと思《おも》つて居《ゐ》たのに、矢張《やは》り上手《じやうず》だね。』  山内《やまうち》と横橋《よこばし》とは口《くち》を揃《そろ》へて工藤《くどう》の手腕《しゆわん》に感嘆《かんたん》の言葉《ことば》を洩《もら》した。  夏本學長《なつもとがくちやう》は、二人《ふたり》の言葉《ことば》の終《をは》るのを待《ま》つて、鷹揚《おうやう》に再《ふたゝ》び發言《はつげん》した。 『まあそんな次第《しだい》でね。その新聞《しんぶん》や雜誌《ざつし》に、中原《なかはら》の惡徳《あくとく》が澤山《たくさん》書《か》かれたものを集《あつ》めて、之《これ》を參考資料《さんかうしれう》に添《そ》へることにし、別《べつ》に又《また》○○大學《だいがく》の公文書《こうぶんしよ》としては、留學費《りうがくひ》を詐取《さしゆ》した事實《じじつ》を擧《あ》げて、學内《がくない》の教授《けうじや》一|同《どう》が彼《かれ》を排斥《はいせき》して居《ゐ》るから、至急《しきふ》に彼《かれ》に退職《たいしよく》を餘儀《よぎ》なくせしめて貰《もら》ひたいといふ上申《じやうしん》をすることにしたいと思《おも》ふのであります。如何《いかゞ》でせう、諸君《しよくん》の御意見《ごいけん》は?』 『賛成《さんせい》!』 『賛成《さんせい》!』 『異議《いぎ》無《な》し!』 『ではさうすることに定《き》めました。』と云《い》つて、ハタ/\と手《て》をたゝいた學長《がくちやう》は、閾越《しきゐご》しに手《て》をついた女中《ぢよちう》を顧《かへり》みて、 『もう話《はなし》が濟《す》んだから、すぐに藝者達《げいしやたち》をよこしてくれ。それからおかみにも顏《かほ》を出《だ》して、大《おほい》に呑《の》み直《なほ》しだと云《い》つてくれ!』  と命《めい》じたのであつた。 『人情《にんじやう》としては、如何《いか》にも氣《き》の毒《どく》に思《おも》ふけれども、B大學《だいがく》の爲《ため》には止《や》むを得《え》んさ!』 『つまりあの男《をとこ》が馬鹿《ばか》なんだよ。我々《われ/\》と一|緒《しよ》になつて、大《おほい》に飮《の》んで大《おほい》に歌《うた》へばいゝものを、あの中原《なかはら》と來《き》たら、全《まつた》く酒色《しゆしよく》を共《とも》にしないんだからね!』 『愉快《ゆくわい》を共《とも》にしない罰《ばつ》といふものだ!』  そんな批評《ひひやう》が、又《また》一《ひと》しきり皆《みな》の口《くち》から洩《も》らされて居《ゐ》る間《あひだ》に、藝者達《げいしやたち》がゾロ/\と入《はひ》つて來《き》た。 『オイお酌《しやく》だ/\。飮《の》まないと首《くび》になるんだぞ!』山内《やまうち》は、さう叫《さけ》びながら、さつき一|緒《しよ》に踊《をど》りぬいたお氣《き》に入《い》りの若《わか》い染《そめ》八の手首《てくび》をギユツと握《にぎ》つた。        六  それ以來《いらい》、毎日《まいにち》、土地《とち》の新聞《しんぶん》には、一|齊《せい》に中原忠《なかはらちう》一を非難《ひなん》する記事《きじ》が出初《ではじ》めて土地《とち》の人々《ひと/″\》を驚《おどろ》かした。 『大學教授《だいがくけうじゆ》の公金詐取《こうきんさしゆ》』 『○○大學《だいがく》中原教授《なかはらけうじゆ》は、國賊《こくぞく》なり』  といふ式《しき》の標題《みだし》で、「學界《がくかい》廓清《くわくせい》の爲《ため》に、此《こ》の惡漢《あくかん》を葬《はうむ》れ」とか、「夏本學長《なつもとがくちやう》何《なに》が故《ゆゑ》に蹶起《けつき》して、此《こ》の醜漢《しうかん》の首《くび》を斬《き》らざるか」とかいふ、何《いづ》れも似通《にかよ》つた内容《ないよう》のものゝみならず、ゴシツプの欄《らん》にまでも、「醜教授《しうけうじゆ》の家庭《かてい》」とか、「中原氏《なかはらし》の日常《にちじやう》」といふ樣《やう》にして、見《み》るに耐《た》へない樣《やう》な人身攻撃《じんしんこうげき》、それも大半《たいはん》は捏造《ねつざう》に屬《ぞく》するものであつたから、心《こゝろ》ある人《ひと》の眼《め》には、地方新聞《ちはうしんぶん》の慣用手段《くわんようしゆだん》で、何《いづ》れ又《また》何者《なにもの》かの爲《ため》にする記事《きじ》であらうと思《おも》はれたけれども、盲《めくら》千|人《にん》の世《よ》の中《なか》で、讀《よ》むよりは讀《よ》まれるものゝ方《はう》が多《おほ》いのに、まして大學教授《だいがくけうじゆ》といふものを、事實《じじつ》以上《いじやう》に高級《かうきふ》の人物《じんぶつ》、否《い》な天下第《てんかだい》一|流《りう》の者《もの》と考《かんが》へて居《ゐ》る土地《とち》の人々《ひと/″\》の間《あひだ》には、之《これ》が爲《ため》に一|大《だい》センセーシヨンを起《おこ》して、 『實《じつ》に不都合《ふつがふ》な男《をとこ》は中原忠《なかはらちう》一である。』といふ考《かんが》へで、狹苦《せまくる》しい市中《しちう》を充滿《じうまん》させたことは、確實《かくじつ》であつた。  その新聞《しんぶん》をつきつけて、再度《さいど》自決《じけつ》を迫《せま》られたけれども、中原教授《なかはらけうじゆ》は自《みづか》ら引責《いんせき》の必要《ひつえう》を認《みと》めないと云《い》つて、辭職屆《じしよくとゞけ》を出《だ》せといふ要求《えうきう》を應諾《おうだく》しなかつた。而《そ》して夏本學長《なつもとがくちやう》から、 『留學費《りうがくひ》を胡麻化《ごまくわ》しても、君《きみ》は惡《わる》いとは思《おも》はないのか!』  と責《せ》められても、 『それは解釋《かいしやく》を故意《こい》に惡《わる》くすればさうもなりませう。しかし前《まへ》にも御答《おこた》へした通《とほ》りに、出發《しゆつぱつ》の日に――つまり留學《りうがく》滿期《まんき》の當日《たうじつ》が丁度《ちやうど》汽船《きせん》の出帆日《しゆつぱんび》に相當《さうたう》することは先《ま》づ稀《まれ》です。而《そ》して若《も》し一|日《にち》でも出發《しゆつぱつ》が遲《おく》れる場合《ばあひ》には、それこそ留學《りうがく》延期願《えんきねがひ》や何《なに》かで非常《ひじやう》に手數《てすう》を要《えう》しますから、それを誰《たれ》でも便宜上《べんぎじやう》にやる事《こと》は、私《わたし》よりも寧《むし》ろ長《なが》い經驗《けいけん》のあるあなた――學長《がくちやう》――の方《はう》が、より以上《いじやう》精《くは》しい筈《はず》です。故意《こい》にそんな事《こと》を言《い》ひ立《た》てゝ、自分《じぶん》の學内《がくない》から所謂《いはゆる》詐欺漢《さぎかん》を出《だ》すことは決《けつ》して學長《がくちやう》としてのあなたの名譽《めいよ》とも思《おも》ひませんが、何故《なぜ》にわざ/\事《こと》を荒立《あらだ》てる必要《ひつえう》があるのですか!  若《も》しも私《わたし》のその行爲《かうゐ》が、公金《こうきん》の詐取《さしゆ》だと云《い》はなければならないとすれば、毎年《まいねん》、年度末《ねんどまつ》に剩餘金《じようよきん》で旅行《りよかう》をしたり、差當《さしあた》り入用《にふよう》でもないものまで購入《こうにふ》したりするのも、矢張《やは》り公金《こうきん》を胡麻化《ごまくわ》すのではないでせうか。陸軍《りくぐん》等《など》では、年度末《ねんどまつ》になると、餘《あま》つた彈丸《だんぐわん》をポン/\と爆發《ばくはつ》させてしまふつて云《い》ひますね。それは云《い》ふまでも無《な》く、それを剩餘《じようよ》とか、過剩《くわじよう》とかして返納《へんなふ》すれば、それだけの金額《きんがく》を翌年度《よくねんど》の豫算《よさん》から差引《さしひ》かれたり、手數《てすう》が非常《ひじやう》にかゝつたりするからの事《こと》で、惡《わる》いと云《い》へば寧《むし》ろさうする方《はう》が便利《べんり》になつて居《ゐ》る制度《せいど》の罪《つみ》かも知《し》れませんね。  私《わたし》には強《し》ひて學長《がくちやう》に抗辯《かうべん》をする考《かんが》へもありません。しかし之《これ》が爲《ため》に大學《だいがく》の體面《たいめん》を汚《けが》したとか、同僚《どうれう》教授《けうじゆ》のつらよごしだとか云《い》はれたり、殊更《ことさら》に詐欺《さぎ》呼《よ》ばはりをされる覺《おぼ》えは、私《わたし》、不肖《ふせう》ながら毛頭《まうとう》無《な》いのであります。從《したが》つて辭職願《じしよくねがひ》を出《だ》す意志《いし》はありません。若《も》し私《わたし》の在職《ざいしよく》がいけないといふのならば、學長《がくちやう》の方《はう》から何《なん》とでもして貰《もら》ひませう!』と主張《しゆちやう》して、頑《ぐわん》として所謂《いはゆる》學内《がくない》や教授《けうじゆ》一|同《どう》からといふ要求《えうきう》を峻拒《しゆんきよ》してしまつた。それから又《また》、 『學内《がくない》教授《けうじゆ》一|同《どう》の要求《えうきう》といはれましたが、果《はた》して教授《けうじゆ》一|同《どう》がさういふか如何《どう》か、一|度《ど》諸君《しよくん》に面接《めんせつ》して此《こ》の席《せき》で御尋《おたづ》ねをして見《み》たいと思《おも》ひます。』といふことをも要求《えうきう》した。しかし、 『いや、教授《けうじゆ》諸君《しよくん》は、君《きみ》の樣《やう》な人物《じんぶつ》、同僚《どうれう》一|同《どう》の體面《たいめん》を汚《けが》した者《もの》と面會《めんくわい》をするのを快《こゝろよ》しとしないと云《い》つて居《ゐ》るから、その要求《えうきう》は容《い》れる事《こと》は出來《でき》ない!』と學長《がくちやう》は謹嚴《きんげん》そのものゝ樣《やう》に答《こた》へて、巧《たくみ》に工藤《くどう》等《ら》三|人《にん》以外《いぐわい》の人々《ひと/″\》が、うつかり口《くち》を辷《すべ》らしたりしない樣《やう》に、食《く》ひ止《と》めてしまつたのであつた。  未《ま》だ若《わか》い中原教授《なかはらけうじゆ》は、口惜《くや》しいといふ心《こゝろ》から滿面《まんめん》朱《しゆ》をそゝいだ樣《やう》になつて、激昂《げきかう》はして居《ゐ》たものゝ兎《と》も角《かく》も相手《あひて》から憎々《にく/\》しい野郎《やらう》だと思《おも》はれる程《ほど》よく頑張《ぐわんば》り通《とほ》したのであつた。彼《かれ》は同情《どうじやう》に生《い》き樣《やう》とは考《かんが》へなかつた。孤立無援《こりつむゑん》で、敵軍重圍《てきぐんぢうゐ》の中《なか》に立《た》つた中原《なかはら》は、止《や》むを得《え》ず自《みづか》ら文部省《もんぶしやう》に出頭《しゆつとう》して、專門學務局長《せんもんがくむきよくちやう》に事情《じじやう》を述《の》べたが、それは官廳《くわんちやう》では通用《つうよう》しない事《こと》であつた。 『事情《じじやう》はさうだらうと思《おも》ふ。しかし、あらゆる情報《じやうはう》は悉《こと/″\》くあなたに不利《ふり》になつて居《ゐ》て、誰一人《たれひとり》あなたを辯護《べんご》するものも無《な》い。それに一|教授《けうじゆ》の身《み》として、支配《しはい》を受《う》くべき學長《がくちやう》に對《たい》して楯《たて》つくといふ事實《じじつ》それのみでも已《すで》に官吏《くわんり》としてなす可《べか》らざる行爲《かうゐ》ではないですか! もう一|度《ど》よく考《かんが》へて見《み》る方《はう》が、反《かへ》つてあなたの爲《ため》でせう!』  といふのが、局長《きよくちやう》の答《こたへ》であつた。  而《そ》してそれから數日《すうじつ》の後《のち》に、 『○○醫科大學《いくわだいがく》教授《けうじゆ》、中原忠《なかはらちう》一  文官分限令《ぶんくわんぶんげんれい》第《だい》○條《でう》第《だい》○號《がう》ニ依《よ》リ休職《きうしよく》ヲ命《めい》ズ』 といふ辭令《じれい》と、「留學費《りうがくひ》として支給《しきふ》したるものゝ中《うち》、金《きん》○○圓《ゑん》即時《そくじ》御返納《ごへんなふ》有之度《これありたく》……」といふ會計課長《くわいけいくわちやう》からの親展書《しんてんしよ》とが、相前後《あひぜんご》して中原《なかはら》の手許《てもと》に屆《とゞ》けられたのであつた。  その日の來《く》ることを、豫《か》ねてから豫想《よさう》して居《ゐ》た中原《なかはら》は、その辭令《じれい》を手《て》にしながら、私《わたし》にこんな虚僞《きよぎ》に滿《み》ちた生活《せいくわつ》は、自分《じぶん》には不適任《ふてきにん》だといふことを自覺《じかく》し、又《また》再《ふたゝ》びもうこんな職務《しよくむ》に從事《じうじ》しないぞといふ決心《けつしん》をした。決心《けつしん》が出來《でき》れば、反《かへ》つてノンキで今《いま》までの惡鬪《あくとう》が馬鹿《ばか》らしくさへ彼《かれ》には思《おも》はれて來《き》たのであつた。 『僕《ぼく》が惡《わる》かつたんだよ。あの夏本《なつもと》の呑《の》んだくれと一|緒《しよ》に藝者買《げいしやか》ひをして、馬鹿騷《ばかさわ》ぎをやりさへすりや、いくらでも出世《しゆつせ》出來《でき》るんだがなあ! 藝者《げいしや》を買《か》ひ得《え》ざる者《もの》の悲哀《ひあい》! 痛飮《つういん》泥醉《でいすゐ》し得《え》ざるものゝ嘆《なげ》き?』  そんなことをブツ/\獨語《ひとりごと》しながら、浪人《らうにん》となつた中原忠《なかはらちう》一は、淋《さび》しい微苦笑《びくせう》を洩《もら》した。手腕《しゆわん》の鮮《あざや》かな理想的《りさうてき》の能吏《のうり》、夏本學長《なつもとがくちやう》の下《した》に、こんな不都合《ふつがふ》な心掛《こゝろがけ》の者《もの》の存在《そんざい》が、許《ゆる》されなかつたのは、寧《むし》ろ當然《たうぜん》過《す》ぎる事實《じじつ》と言《い》はなければならない。        七  初夏《しよか》の新緑《しんりよく》が會員《くわいゐん》の寄附金《きふきん》で出來上《できあが》つた、宏壯《かうさう》で閑靜《かんせい》な洋館《やうくわん》を圍繞《ゐねう》して居《ゐ》る庭園《ていゑん》をこんもり[#「こんもり」に傍点]と掩《おほ》うて、見《み》るからに奧床《おくゆか》しさうなのは淑風會《しゆくふうくわい》の事務所《じむしよ》と、會長《くわいちやう》、内海葉子女史《うつみえふこぢよし》との邸宅《ていたく》とを兼《か》ねた一|廓《くわく》である。  輕々《かる/″\》しい洋裝《やうさう》と斷髮《だんぱつ》のみならず、一|世《せ》の先覺者《せんかくしや》として、甲斐々々《かひ/″\》しくも淑風會《しゆくふうくわい》の會務《くわいむ》に盡《つく》して、青春《せいしゆん》を他所《よそ》に雄々《をゝ》しく、目《め》ざましい活躍《くわつやく》を續《つゞ》けられるのを慰《なぐさ》めんが爲《た》めに、全國《ぜんこく》十|幾萬《いくまん》の會員《くわいゐん》からの寄附《きふ》を募《つの》つて、東京市《とうきやうし》の山《やま》の手《て》に建築《けんちく》されたのが、即《すなは》ち此《こ》の一|廓《くわく》で、内海會長《うつみくわいちやう》を慕《した》つて、學僕《がくぼく》といふ樣《やう》な形《かたち》で此《こ》の邸宅内《ていたくない》に起臥《きぐわ》して、掃除《さうぢ》や炊事《すゐじ》その他《た》萬端《ばんたん》の家政《かせい》を執《と》つて居《ゐ》る若《わか》い婦人《ふじん》も、數人《すうにん》以上《いじやう》に上《のぼ》つて居《ゐ》るのである。  省線電車《しやうせんでんしや》の去來《きよらい》や、大小《だいせう》の邸宅《ていたく》を眼下《がんか》に見下《みおろ》す高臺《たかだい》の上《うへ》にあつて夜《よる》の眺《なが》めの一《ひと》しほ美《うつく》しいのを窓越《まどご》しに恣《ほしいまゝ》にする應接室《おうせつしつ》で、何《なに》か帳簿《ちやうぼ》を見《み》て居《ゐ》た内海女史《うつみぢよし》は、暫《しばら》く額《ひたひ》に皺《しわ》をよせて、一寸《ちよつと》不愉快《ふゆくわい》らしい顏《かほ》をしたかと思《おも》ふ中《うち》に、急《きふ》に忙《せは》しさうな呼鈴《よびりん》をけたゝましく鳴《な》らすのであつた。 『先生《せんせい》! 何《なに》か御用《ごよう》で御座《ござ》いますか?』  二十|歳《さい》あまりのおとなしさうな娘《むすめ》が、靜《しづか》にドアーをノツクして入《はひ》つて、丁寧《ていねい》に頭《あたま》を下《さ》げた。それが淑風會《しゆくふうくわい》の會員《くわいゐん》で、會《くわい》の爲《ため》に盡《つく》すと共《とも》に、會長《くわいちやう》たる内海女史《うつみぢよし》の淑徳《しゆくとく》を慕《した》ふあまり、日夕《につせき》その人《ひと》に咫尺《しせき》して、少《すこ》しでも餘計《よけい》にあやかりたいと思《おも》ふ心《こゝろ》から、此《こ》の事務所《じむしよ》に學僕《がくぼく》そのまゝの生活《せいくわつ》をして居《ゐ》る人《ひと》であることはいふまでもないのである。 『あゝ御苦勞《ごくらう》ですがね。』會長《くわいちやう》は、若《わか》い女性《ぢよせい》を顧《かへり》みながら、命令《めいれい》した。『急用《きふよう》があるから、古富《ふるとみ》さんに直《す》ぐに來《き》てくれと云《い》つて下《くだ》さい。大急《おほいそ》ぎでね!』 『はい! かしこまりました。』  若《わか》い女性《ぢよせい》が去《さ》つてから間《ま》も無《な》く、又《また》ノツクの音《おと》が聞《きこ》えて、入《はひ》つて來《き》たのは○○醫科大學《いくわだいがく》の制服《せいふく》をつけた、未《ま》だ二十四、五の若《わか》い學生《がくせい》であつた。 『何《なに》か急《きふ》な御用《ごよう》と聞《き》きましたが……』 『どうしたの、いやに改《あらた》まつてさ。古富《ふるとみ》さん。』内海女史《うつみぢよし》は非常《ひじやう》に馴々《なれ/\》しい調子《てうし》で――『さあ急用《きふよう》だから、此處《ここ》へおかけなさい。』さういひながら自分《じぶん》が今迄《いままで》腰《こし》を下《おろ》して居《ゐ》た椅子《いす》を青年《せいねん》に與《あた》へて、自分《じぶん》は横手《よこて》のソフアーに、會長《くわいちやう》らしくない碎《くだ》けた坐《すわ》り方《かた》をした。 『急用《きふよう》つていふのはね。實《じつ》は……一寸《ちよつと》云《い》ひにくいんだけれども……』 『一|體《たい》何《なん》ですか? 會長《くわいちやう》!』 『會長《くわいちやう》なんていふのおよしなさいよ。餘計《よけい》話《はなし》が切出《きりだ》しにくゝなるから!』 『……』 『あのね、ぢやあ云《い》つちまふけど、……實《じつ》はね。』又《また》實《じつ》はを重《かさ》ねて云《い》つて、一寸《ちよつと》言葉《ことば》が杜切《とぎ》れたがすぐに元氣《げんき》よく、『此間中《このあひだぢう》から何《なん》だかをかしい/\と思《おも》つては居《ゐ》たんですがね、ぢきに癒《なほ》るだらうと放《はふ》つて置《お》いたけど駄目《だめ》で、だん/\氣持《きもち》が惡《わる》くなるばかりで、どうもたゞれてゞも居《ゐ》るのか、痛《いた》くつて仕方《しかた》がないの。一|體《たい》何病《なにびやう》なんでせう。』  女史《ぢよし》も流石《さすが》に少《すこ》し顏《かほ》を赧《あか》くしてゐた。 『はあ、それは困《こま》りましたなあ!』 『はあぢやありませんよ、じれつたい! あなたがこんなにしたんぢやない?』笑《わら》ひを含《ふく》みながら、睨《にら》む眞似《まね》をして、『お醫者《いしや》にならうつていふ人《ひと》にも似合《にあ》はない、病氣《びやうき》を癒《なほ》さずに、反《かへ》つて人《ひと》を病氣《びやうき》にするなんて。あんまりぢやない?』 『けれども僕《ぼく》ら……』  女史《ぢよし》は、熱心《ねつしん》に辯明《べんめい》しようとしながら、言葉《ことば》の出《で》ないのに苦《くる》しんで居《ゐ》る古富青年《ふるとみせいねん》の顏《かほ》を、嬉《うれ》しさうに目尻《めじり》に小皺《こじわ》をよせて凝視《ぎようし》しながら、 『いゝえ、さうぢやないの。一|體《たい》病名《びやうめい》は何《なに》かつてことが知《し》りたいのよ。――矢《や》つ張《ぱ》り頼母《たのも》しいわね、その純眞《じゆんしん》な所《ところ》が……』  と、語尾《ごび》は寧《むし》ろ獨《ひと》り語《ごと》に近《ちか》い位《くらゐ》に響《ひゞ》くのであつた。 『……疼痛《とうつう》があつて、知覺過敏《ちかくくわびん》なんですね。分泌《ぶんぴ》は高《たか》まつては居《を》りませんか? 恐《おそ》らく淋疾《りんしつ》だらうと考《かんが》へますが、後《あと》でノートを見《み》てから改《あらた》めて御返事《ごへんじ》します。本統《ほんとう》を云《い》へば、診察《しんさつ》しなければ確實《かくじつ》なことは云《い》へないんですけれど……』 『この人《ひと》は本統《ほんとう》にうぶ[#「うぶ」に傍点]なのね。それで居《ゐ》て、一|體《たい》何處《どこ》から淋疾《りんしつ》なんかを背負《しよ》ひ込《こ》んで來《き》たの?』  内海女史《うつみぢよし》の言葉《ことば》は、もう淑風會長《しゆくふうくわいちやう》らしくない、碎《くだ》けた樣《やう》な、下品《げひん》な樣《やう》な、粗野《そや》な樣《やう》なものになつて、平生《へいぜい》會長《くわいちやう》としての女史《ぢよし》を見《み》て居《ゐ》る人《ひと》の目《め》には、自《みづか》らの眼《め》を疑《うたが》はなければならない程《ほど》の奇觀《きくわん》を呈《てい》して來《く》るが、之《これ》で見《み》ると人間《にんげん》といふ者《もの》は、會長《くわいちやう》として數知《かずし》れぬ程《ほど》の會員《くわいゐん》の尊敬《そんけい》を受《う》けるだけでは滿足《まんぞく》出來《でき》ないで、反《かへ》つて唯々《たゞ》一人《ひとり》の異性《いせい》と、四|角張《かくば》らない態度《たいど》を執《と》つて居《ゐ》る方《はう》が、より以上《いじやう》、望《のぞ》ましいものらしく思《おも》はれる。 『エヽ、それは……』  古富青年《ふるとみせいねん》が、モジ/\するばかりで、答《こた》へに苦《くる》しんで居《ゐ》るのを、溶《と》けてしまふかと思《おも》はれるばかりの目付《めつ》きで、飽《あ》かず眺《なが》めて居《ゐ》た女史《ぢよし》は、 『そんなに云《い》ひにくいのなら、云《い》はなくてもいゝわ。』と、一|旦《たん》、言葉《ことば》を切《き》つて、『見《み》なけりやわからないつたつて、貴方《あなた》に診察《しんさつ》なんか頼《たの》めないぢやないの! きまりが惡《わる》くつて! 誰《たれ》か適當《てきたう》な人《ひと》は無《な》いでせうか?』 『では、僕等《ぼくら》の大學《だいがく》の先生《せんせい》は?』 『駄目《だめ》々々《/\》! ○○大學《だいがく》なんかへ行《ゆ》けば、すぐに妾《わたし》の名《な》が知《し》れてしまふ、妾《わたし》にいけないばかりでなしに貴方《あなた》だつて困《こま》るのに!』單純《たんじゆん》な青年《せいねん》の考《かんがへ》は忽《たちま》ちに一|蹴《しう》されてしまつた。 『大學《だいがく》がいけなければ……』 『……』  親密《しんみつ》な二人《ふたり》の間《あひだ》に、暫《しばら》く沈默《ちんもく》が續《つゞ》いた時《とき》に、室《しつ》のドアーをノツクする音《おと》が聞《きこ》えた。それは丁度《ちやうど》、都合《つがふ》よく言葉《ことば》の無《な》い時《とき》に、ノツクされたものか、それとも、前《まへ》からノツクして居《ゐ》たのであるが、會話《くわいわ》に熱心《ねつしん》のあまり、耳《みゝ》に入《はひ》らなかつたものであつて、寂莫《せきばく》になつてから始《はじ》めて聞《きこ》えたものか。どつち[#「どつち」に傍点]かわからない! 少《すくな》くとも、後者《こうしや》ではないかといふ懸念《けねん》が、サツと一|抹《まつ》の暗影《あんえい》を女史《ぢよし》の腦裡《なうり》に投《な》げて、今《いま》まで樂《たの》しさうであつた晴々《はれ/″\》しい顏《かほ》に、濃厚《のうこう》な不快《ふくわい》の色《いろ》を湛《たゞよ》はしたのであつた。  女史《ぢよし》は、『チヨツ!』と低《ひく》く舌打《したう》ちをしながら、ソフアーから立《た》つて椅子《いす》の上《うへ》に、莊重《さうちよう》な態度《たいど》に坐《すわ》つてから、命令《めいれい》する樣《やう》に、 『おはひり!』  と叫《さけ》んだのである。  ドアーから姿《すがた》を見《み》せたのは、矢張《やは》り當番《たうばん》の會員《くわいゐん》であつたが、前《まへ》の女性《ぢよせい》ではなかつた。 『あの――只今《たゞいま》内務省《ないむしやう》の尾本登《をもとのぼる》さんがお出《い》でになりまして、先生《せんせい》にお目《め》にかゝりたいとお云《い》ひで御座《ござ》いますが……』 『さう。逢《あ》ひますから、二|號《がう》の應接室《おうせつしつ》へお通《とほ》しゝて置《お》いて下《くだ》さい! 失禮《しつれい》の無《な》い樣《やう》に、よく氣《き》をつけてね。』 『ハイ! かしこまりました。』  若《わか》い女性《ぢよせい》が丁寧《ていねい》に辭儀《じぎ》をして去《さ》るのを待《ま》ちかねたかの樣《やう》に、内海女史《うつみぢよし》は又《また》ソフアーの上《うへ》へ横《よこた》はつて 『あゝやり切《き》れない/\。邪魔《じやま》ばつかり入《はひ》つて、本當《ほんたう》にしんみりした話《はなし》一《ひと》つ出來《でき》ないんだもの! 古富《ふるとみ》さん! もつと同情《どうじやう》して頂戴《ちやうだい》よ――さあ。そんなに畏《かしこ》まつて居《ゐ》ないで、こつちへいらつしやい! もつと/\。』  ソフアーの半分《はんぶん》のあいた所《ところ》を指《さ》した手《て》は、青年《せいねん》が命《めい》のまゝになるまで引《ひ》かないのであつた。 『あのね、妾《わたし》は矢《や》つぱり、開業《かいげふ》して居《ゐ》る婦人科《ふじんくわ》醫者《いしや》の所《ところ》へ行《ゆ》きませう、その方《はう》が人《ひと》にわからなくつていゝから――××町《まち》の野々村醫院《のゝむらいゐん》つての知《し》らない? あれでも醫學士《いがくし》と書《か》いてあるから、これ位《ぐらゐ》の病氣《びやうき》ならいゝでせうと思《おも》ふの――。ぢやあよろしい。さうと定《き》まつたら、妾《わたし》向《むか》ふで又《また》話《はなし》をして來《く》るけれど、一寸《ちよつと》挨拶《あいさつ》をしませうね。お別《わか》れの――』  女史《ぢよし》の白《しろ》い腕《うで》が延《の》びるよと見《み》る間《ま》に、『チユツ。』といふ音《おと》は、高《たか》く青年《せいねん》古富豐彦《ふるとみとよひこ》の頬《ほゝ》のあたりに響《ひゞ》くのであつた。        八  尾本登《をもとのぼる》が内海女史《うつみぢよし》を訪《と》うたのは、矯娼會《けうしやうくわい》から二、三の代議士《だいぎし》の手《て》に依《よ》つて衆議院《しうぎゐん》へ廢娼問題《はいしやうもんだい》や結婚法案《けつこんはふあん》等《など》に關《くわん》する議案《ぎあん》を提出《ていしゆつ》することに就《つい》て、内海女史《うつみぢよし》の淑風會《しゆくふうくわい》に於《おい》ても、協力《けふりよく》して貰《もら》ひたいといふ依頼《いらい》の爲《ため》であつた。内務省《ないむしやう》の役人《やくにん》である尾本氏《をもとし》が、こんな事《こと》に出《で》かけて來《く》るのは、をかしい樣《やう》に見《み》えるけれどもそれは矯娼會《けうしやうくわい》の樞要《すうえう》な位置《ゐち》を占《し》めて居《ゐ》るからであつて、彼《かれ》がその位置《ゐち》に据《す》ゑられた理由《りいう》は内務省《ないむしやう》の役人《やくにん》を入《い》れて置《お》けば、萬事《ばんじ》に於《おい》て會《くわい》の仕事《しごと》が都合《つがふ》よく運《はこ》び且《か》つは世間的《せけんてき》におし[#「おし」に傍点]が利《き》く爲《ため》だといふ理由《りいう》を聞《き》けば、一|見《けん》をかしかつた此《こ》の現象《げんしやう》も、をかしい所《ところ》か、寧《むし》ろ當然《たうぜん》過《す》ぎる程《ほど》當然《たうぜん》なことが、よくわかつて來《く》るのである。 『先日《せんじつ》、大體《だいたい》御賛同《ごさんどう》を得《え》ました廢娼問題《はいしやうもんだい》のことは、もう申《まを》す必要《ひつえう》もないのですが、今度《こんど》又《また》一《ひと》つ結婚法案《けつこんはふあん》の方《はう》に就《つい》ても、御賛同《ごさんどう》を得《え》たいと思《おも》ひまして……』一通《ひととほ》りの挨拶《あいさつ》が濟《す》んでから、尾本氏《をもとし》は今日《けふ》の來意《らいい》を述《の》べるのであつた。『前回《ぜんくわい》の問題《もんだい》も同樣《どうやう》では有《あ》りまするが、今回《こんくわい》の問題《もんだい》に就《つい》ては、殊《こと》に淑風會《しゆくふうくわい》を煩《わづら》はさなければなりません。と云《い》ふ次第《しだい》は、問題《もんだい》の性質上《せいしつじやう》、どうしても婦人側《ふじんがは》から提出《ていしゆつ》される筈《はず》のもので、御婦人《ごふじん》を會長《くわいちやう》とする淑風會《しゆくふうくわい》が、中心《ちうしん》になつて戴《いたゞ》かないと、第《だい》一|不自然《ふしぜん》に響《ひゞ》くのみならず、いろ/\工合《ぐあひ》の惡《わる》い點《てん》が起《おこ》ります。所《ところ》が私達《わたしたち》の矯娼會《けうしやうくわい》は、その資格《しかく》に缺《か》けて居《を》りますので、又々《また/\》御邪魔《おじやま》に出《で》ました次第《しだい》で――何卒《どうぞ》此《こ》の草案《さうあん》を御覽《ごらん》願《ねが》ひたいと思《おも》ひます。』 『はア。』  といさゝか氣《き》の無《な》い樣《やう》な返事《へんじ》をしながら、女史《ぢよし》が手《て》にして讀《よ》み出《だ》した紙片《しへん》には、次《つぎ》の樣《やう》な文字《もじ》が書《か》かれてあつた。     結婚法案《けつこんはふあん》理由書《りいうしよ》  現今《げんこん》、我國《わがくに》に於《お》ける社會問題《しやくわいもんだい》は、性的生活《せいてきせいくわつ》の不調和《ふてうわ》に基因《きいん》する事實《じじつ》最《もつと》も多《おほ》く、之《これ》が爲《ため》に離婚問題《りこんもんだい》の續出《ぞくしゆつ》すること、世界《せかい》にその比《ひ》を見《み》ざるが如《ごと》き多數《たすう》に及《およ》べるは、實《じつ》に一|日《にち》も閑却《かんきやく》すべからざる所《ところ》而《しか》してその由來《ゆらい》する所《ところ》は、結婚《けつこん》を輕《かろん》ずる弊風《へいふう》……     結婚法案《けつこんはふあん》 [#ここから改行天付き、折り返して1字下げ] 第《だい》一|條《でう》 本法《ほんぱふ》に於《おい》て結婚當事者《けつこんたうじしや》と稱《しよう》するは、…… 第《だい》二|條《でう》 結婚當事者《けつこんたうじしや》は、現《げん》に黴毒《ばいどく》其他《そのた》の花柳病《くわりうびやう》に罹《かゝ》り居《を》らず、又《また》他《た》に之《これ》を感染《かんせん》せしむる虞《おそれ》なきことを醫師《いし》の診斷書《しんだんしよ》を以《もつ》て證明《しようめい》すべし。  結婚當事者《けつこんたうじしや》は、結婚《けつこん》の前日《ぜんじつ》までに前項《ぜんかう》の診斷書《しんだんしよ》を、市町村長《しちやうそんちやう》に提出《ていしゆつ》すべし。 第《だい》三|條《でう》 現《げん》に花柳病《くわりうびやう》に感染《かんせん》せるに拘《かゝは》らず、強《し》ひて結婚《けつこん》せんとする者《もの》は、男女双方《だんぢよさうはう》に於《おい》て疾病感染《しつぺいかんせん》の虞《おそれ》あることを認知《にんち》し、且《か》つ醫師《いし》より其《そ》の豫防方法《よばうはうはふ》に付《つ》いて、一|定《てい》の注意《ちうい》を受《う》くることを要《えう》す。醫師《いし》は前項《ぜんかう》の注意《ちうい》を爲《な》したる時《とき》は、其《そ》の診斷書《しんだんしよ》を直《たゞち》に市町村長《しちやうそんちやう》に提出《ていしゆつ》すべし。 第《だい》四|條《でう》 醫師《いし》は結婚當事者《けつこんたうじしや》の孰《いづ》れかに於《おい》て、現《げん》に花柳病《くわりうびやう》に感染《かんせん》せるに拘《かゝは》らず、之《これ》を隱蔽《いんぺい》せる疑《うたがひ》ある時《とき》は、遲滯《ちたい》なく市町村長《しちやうそんちやう》に告知《こくち》すべし、此《こ》の場合《ばあひ》に於《おい》ては、醫師《いし》は業務上《げふむじやう》の默秘義務《もくひぎむ》により拘束《こうそく》せらるゝこと無《な》し。 第《だい》五|條《でう》 結婚當事者《けつこんたうじしや》は、結婚後《けつこんご》に於《おい》て花柳病《くわりうびやう》の隱蔽《いんぺい》せられたる事實《じじつ》を發見《はつけん》したる時《とき》、又《また》は結婚生活《けつこんせいくわつ》に堪《た》へざる虚弱《きよじやく》の體質《たいしつ》なることを發見《はつけん》したる時《とき》は、その結婚《けつこん》を取消《とりけ》すことを得《う》。  但《たゞ》し前項《ぜんかう》の取消《とりけし》は、之《これ》を二|回《くわい》以上《いじやう》爲《な》すことを得《え》ず。 第《だい》六|條《でう》 結婚當事者《けつこんたうじしや》は、虚僞《きよぎ》の證明書《しようめいしよ》を以《もつ》て結婚《けつこん》したることを發見《はつけん》したるときは、離婚請求《りこんせいきう》を提起《ていき》することを得《う》。  但《たゞ》し前項《ぜんかう》の請求《せいきう》は、之《これ》を二|回《くわい》以上《いじやう》爲《な》すことを得《え》ず。 第《だい》七|條《でう》 醫師《いし》は結婚當事者《けつこんたうじしや》の診斷書《しんだんしよ》に故意《こい》に、虚僞《きよぎ》の事實《じじつ》を記載《きさい》したるときは、開業《かいげふ》の許可《きよか》を取消《とりけ》さるべし。 第《だい》八|條《でう》 醫師《いし》は、本法《ほんぱふ》の診察《しんさつ》及《およ》び診斷書《しんだんしよ》交付《かうふ》の義務《ぎむ》を有《いう》するものとす。 第《だい》九|條《でう》 本法《ほんぱふ》の規定《きてい》に違反《ゐはん》したるものに付《つ》いては、……條《でう》の罰則《ばつそく》を準用《じゆんよう》す。 第《だい》十|條《でう》 …… [#ここで字下げ終わり]  順次《じゆんじ》に目《め》を通《とほ》して行《ゆ》く中《うち》に、一寸《ちよつと》女史《ぢよし》の顏色《かほいろ》が潮紅《てうこう》したり、紙片《しへん》を持《も》つ手先《てさき》の輕《かる》く動《うご》く樣《やう》に見《み》えたりした時《とき》があつた。しかしそれは、恐《おそ》らく尾本登《をもとのぼる》には氣《き》がつかなかつた位《くらゐ》の、極《きは》めて輕微《けいび》なもので、單《たん》に女史《ぢよし》自身《じしん》の心《こゝろ》の中《なか》に、淡《あは》い動搖《どうえう》を起《おこ》したに過《す》ぎなかつた。それよりも第《だい》五|條《でう》の一|節《せつ》で、『又《また》は結婚《けつこん》に堪《た》へざる虚弱《きよじやく》なる體質《たいしつ》なることを發見《はつけん》したるときは、その結婚《けつこん》を取消《とりけ》すことを得《う》。』といふ所《ところ》を、非常《ひじやう》の興味《きようみ》を覺《おぼ》えたかの如《ごと》く、二、三|度《ど》見返《みかへ》して、双頬《さうけふ》の上《うへ》に微笑《びせう》さへ湛《たゝ》へられたことの方《はう》が、反《かへ》つて尾本氏《をもとし》の目《め》についた筈《はず》である。 『非常《ひじやう》に結構《けつこう》な御主旨《ごしゆし》です。妾達《わたしたち》の淑風會《しゆくふうくわい》の會員精神《くわいゐんせいしん》と、丁度《ちやうど》一|致《ち》する樣《やう》に考《かんが》へますから、喜《よろこ》んで今度《こんど》の御運動《ごうんどう》にも、賛同《さんどう》することゝ致《いた》しませう。』讀《よ》み終《をは》つてから、内海女史《うちみぢよし》は尾本氏《をもとし》に答《こた》へた。『此《こ》の年齡《とし》にはなつて居《を》りますが、未《ま》だ結婚生活《けつこんせいくわつ》を知《し》らない妾《わたし》には、花柳病《くわりうびやう》の苦《くる》しみが果《はた》してどんなものかを、想像《さうざう》することも出來《でき》ませんが、然《しか》し淑風會《しゆくふうくわい》の會員《くわいゐん》等《など》に、こんな苦痛《くつう》をさせたくないと思《おも》へば、おぼろげながらも此《こ》の呪《のろ》はしい病氣《びやうき》の苦《くる》しみがわかる樣《やう》な氣《き》が致《いた》します。』 『早速《さつそく》御快諾《ごくわいだく》下《くだ》さいまして、感謝《かんしや》に堪《た》へません。嬌娼會《けうしやうくわい》のもの一|同《どう》も定《さだ》めて喜《よろこ》ぶことと信《しん》じます。』  尾本氏《をもとし》の顏《かほ》は、本當《ほんたう》に喜《よろこ》ばしさうに輝《かゞや》いて見《み》えた。 『では協力方法《けふりよくはうはふ》の具體案《ぐたいあん》は、追《お》つて承《うけたまは》ることに致《いた》しますが、何卒《どうぞ》交換條件《かうくわんでうけん》と申《まを》すのも何《なん》ですけれども、是非《ぜひ》淑風會《しゆくふうくわい》の入會者《にふくわいしや》を一人《ひとり》も多《おほ》く御周旋《ごしうせん》下《くだ》さる樣《やう》に、御依頼《ごいらい》致《いた》して置《お》きます。此《こ》の機會《きくわい》を利用《りよう》しまして……』  流石《さすが》に會長《くわいちやう》として、活躍《くわつやく》するだけの女史《ぢよし》は機敏《きびん》で、頭《あたま》がよかつた。 『ハイ承知《しようち》致《いた》しました。誓《ちか》つて……』  尾本氏《をもとし》もさうより他《ほか》に答《こた》へる言葉《ことば》を、見出《みいだ》し得《え》なかつたであらう。答《こた》へもそこ/\に、直《たゞち》に席《せき》を立《た》つて辭意《じい》を述《の》べるのであつた。 『失禮《しつれい》致《いた》しました。では又《また》改《あらた》めて近日中《きんじつちう》に御伺《おうかゞ》ひ致《いた》します。』 『おもてなしも致《いた》しませんで、失禮《しつれい》しました。次回《じくわい》の御出《おい》でを心《こゝろ》から御待《おま》ち申《まを》して居《を》ります。』  尾本氏《をもとし》の自動車《じどうしや》――それは役所《やくしよ》の自動車《じどうしや》であるらしかつた――が門内《もんない》の植込《うゑこみ》をぐるり[#「ぐるり」に傍点]と廻《まは》つて、往來《わうらい》へ出《で》てしまつた後《あと》に、見送《みおく》つて出《で》た玄關《げんくわん》の石段《いしだん》に立《た》つて、殘《のこ》されたガソリンの臭氣《しうき》をも忘《わす》れて居《ゐ》た淑風會長《しゆくふうくわいちやう》、内海葉子女史《うちみえふこぢよし》の腦裡《なうり》には、抑々《そも/\》どんな考《かんがへ》が浮《うか》んで居《ゐ》たであらうか。女史《ぢよし》の傍《かたはら》に侍《はべ》つて居《ゐ》る淑風會員《しゆくふうくわいゐん》の若《わか》い女性達《ぢよせいたち》は、それを結婚法案《けつこんはふあん》を通過《つうくわ》せしめて、會員《くわいゐん》の福祉《ふくし》を増進《ぞうしん》してくれることに違《ちが》ひないと思《おも》つたであらうが、意外《いぐわい》にもそれが、若《わか》い燕《つばめ》の青年《せいねん》、古富豐彦《ふるとみとよひこ》の上《うへ》から、人事《ひとごと》ではない花柳病《くわりうびやう》の苦痛《くつう》に飛《と》んで居《ゐ》たことを、一|體《たい》誰《だれ》が知《し》つて居《ゐ》たであらう。  偉大《ゐだい》なる女史《ぢよし》の胸中《きようちう》は、到底《たうてい》、若《わか》い乙女達《をとめたち》の洞察《どうさつ》し得《う》る程《ほど》淺薄《せんぱく》なものではなかつた。『燕雀《えんじやく》何《なん》ぞ鴻鵠《こうこく》の志《こゝろざし》を知《し》らんや。』と云《い》つた熟語《じゆくご》は、流石《さすが》に吾人《ごじん》を欺《あざむ》かなかつたのである。        九  大野高等女學校《おほのかうとうぢよがくかう》の校醫《かうい》を囑託《しよくたく》された、醫學士《いがくし》の野々村一雄《のゝむらかずを》は、自宅《じたく》では婦人病《ふじんびやう》專門《せんもん》で開業《かいげふ》をして居《ゐ》たが、診察《しんさつ》の最中《さいちう》に受付《うけつけ》が彼《かれ》の前《まへ》に一|葉《えふ》の名刺《めいし》を出《だ》して、來客《らいきやく》の旨《むね》を傳《つた》へた。その名刺《めいし》には『科學世界《くわがくせかい》主幹《しゆかん》、秋山《あきやま》十|助《すけ》』と記《しる》されてあつた。  名刺《めいし》を一|瞥《べつ》しながら、野々村《のゝむら》は、 『今《いま》診《み》かけて居《ゐ》るから、一寸《ちよつと》待《ま》つて貰《もら》ふ樣《やう》に云《い》つてくれ給《たま》へ。手《て》があき次第《しだい》、すぐ[#「すぐ」に傍点]に會《あ》ふからつて――』  と取次《とりつぎ》に答《こた》へて、看護婦《かんごふ》に手傳《てつだ》はせながら、手《て》を休《やす》めずに、診察中《しんさつちう》であつた四十かつかう[#「かつかう」に傍点]の婦人患者《ふじんくわんじや》に、引續《ひきつゞ》いて洗滌《せんでき》したり、藥品《やくひん》を塗布《とふ》したり、注射《ちうしや》をしたりするのであつたが、その患者《くわんじや》の方《はう》が一|段落《だんらく》になると、休憩《きうけい》を兼《か》ねて面會《めんくわい》をする爲《ため》に、後《あと》の患者《くわんじや》を待《ま》たせて置《お》いて、別室《べつしつ》の方《はう》へと歩《ほ》を移《うつ》した。  婦人患者《ふじんくわんじや》と入違《いれちが》ひに入《はひ》つて來《き》た秋山《あきやま》十|助《すけ》の用件《ようけん》は、彼《かれ》が主幹《しゆかん》をして居《ゐ》る雜誌《ざつし》の増刊《そうかん》として、今度《こんど》『性的煩悶解決號《せいてきはんもんかいけつがう》』といふのを出《だ》すに就《つい》て、野々村《のゝむら》にも何《なに》か一《ひと》つ擔當《たんたう》して貰《もら》ひたいといふことであつた。 『如何《いかゞ》でせう。未《ま》だどなた[#「どなた」に傍点]にも確定《かくてい》して居《ゐ》ませんから、どの題《だい》でもかまひませんが、一つどれかを御引《おひき》うけ下《くだ》さい。』  さう云《い》ひながら、秋山主幹《あきやましゆかん》が出《だ》したノートには、次《つぎ》の樣《やう》な毒々《どく/\》しい題目《だいもく》が、いやといふ程《ほど》澤山《たくさん》並《なら》べられてあつた。その二、三を擧《あ》げれば、  職業婦人《しよくげふふじん》と母性《ぼせい》とは矛盾《むじゆん》するか。  老孃生活《オールドミスライフ》は何故《なぜ》惡《わる》いか。  姙娠中《にんしんちう》に夫婦愛《ふうふあい》の破綻《はたん》が起《おこ》るのは何故《なぜ》か。  自涜《じどく》の害毒《がいどく》とその對策《たいさく》。  あるべき毛《け》の無《な》いのは不具《ふぐ》か。  容色《ようしよく》の衰頽《すゐたい》防止法《ばうしはふ》。  嫉妬《しつと》や猜疑《さいぎ》の利用法《りようはふ》。  夫婦生活《ふうふせいくわつ》の倦怠《けんたい》不滿《ふまん》の療法《れうはふ》。  良人《をつと》の放蕩《はうたう》と性的技巧《せいてきぎかう》の關係《くわんけい》。  不感症《ふかんしやう》は如何《どう》すれば治《なほ》るか。  花柳病《くわりうびやう》と配偶者《はいぐうしや》心得《こゝろえ》。  最《もつと》も有效《いうかう》な避姙法《ひにんはふ》と姙娠《にんしん》する方法《はうはふ》。  罪《つみ》にならぬ避姙《ひにん》と墮胎《だたい》。             等《とう》、等《とう》、等《とう》。 『弱《よわ》りましたなあ。あんまり惡《あく》どい題《だい》ばかりで、一寸《ちよつと》引受《ひきう》ける氣《き》になりませんが――』  野々村《のゝむら》は微苦笑《びくせう》をしながら、題目《だいもく》と秋山《あきやま》の顏《かほ》とを等分《とうぶん》に見較《みくら》べて居《ゐ》る。 『それは私達《わたしたち》の方《はう》でも知《し》つて居《を》ります。しかし昨今《さくこん》はこれ位《くらゐ》な題《だい》を並《なら》べないと、人《ひと》の注目《ちうもく》を引《ひ》かない程《ほど》に、世間《せけん》の人々《ひと/″\》が強烈《きやうれつ》な刺戟《しげき》を求《もと》めて居《ゐ》るのです。同業《どうげふ》の諸雜誌《しよざつし》が、皆《みな》競《きそ》つて此《こ》の式《しき》にやつて行《ゆ》きますから、どうもジヤーナリズムから云《い》へば、仕方《しかた》が無《な》いのです。』  秋山《あきやま》の顏《かほ》にも微苦笑《びくせう》が浮《うか》ぶ。 『成《な》る程《ほど》、さう聞《き》けば御尤《ごもつと》もの樣《やう》ですね。昨今《さくこん》の雜誌《ざつし》は共産主義《きようさんしゆぎ》か性的問題《せいてきもんだい》かの孰《いづ》れかを看板《かんばん》にして居《ゐ》なければ、賣《う》れない樣《やう》な觀《くわん》がありますね。』 『全《まつた》くさうです。從《したが》つて多數《たすう》の名士《めいし》が、皆《みな》執筆《しつぴつ》しますから、御承諾《ごしようだく》下《くだ》すつても、決《けつ》して貴方《あなた》の體面《たいめん》を汚《けが》す樣《やう》なことの無《な》いのを保證《ほしよう》します。』  秋山《あきやま》は、相手《あひて》が少《すこ》し自分《じぶん》の方《はう》に傾《かたむ》きかけて來《き》たのを見《み》て、突込《つゝこ》むのは今《いま》だとばかりに舌鋒《ぜつぽう》を鋭《するど》くした。 『かも知《し》れませんが、あまり有難《ありがた》くもない樣《やう》ですね。若《も》し是非《ぜひ》引《ひき》うけろと云《い》はれるなら、一つ新《あらた》に(性病《せいびやう》の素人診斷《しろうとしんだん》と自宅治療《じたくちれう》)位《くらゐ》な所《ところ》にして貰《もら》ひたいですな。如何《いかゞ》でせう。』 『結構《けつかう》です。貴方《あなた》も中々《なか/\》隅《すみ》に置《お》けませんね。隱《おだや》かな題《だい》で、猛烈《まうれつ》なもの以上《いじやう》に讀者《どくしや》の心《こゝろ》を引《ひ》きつける題目《だいもく》ですね。』 『おだてちやいけない。そんな事《こと》をいふと、一|旦《たん》讓歩《じやうほ》をしたのを又《また》撤回《てつくわい》しますぜ。』 『いや、是非《ぜひ》どうか御願《おねが》ひ致《いた》します。では撤回《てつくわい》されない中《うち》に、失禮《しつれい》しませう。患者《くわんじや》さんも御待《おま》ちの樣《やう》ですから――』 『まあいゝでせう、患者《くわんじや》もさう居《を》りませんから――』 『いや、又《また》伺《うかゞ》ひます。』秋山《あきやま》はさういひながら席《せき》を立《た》つたが、何《なに》を思《おも》ひ出《だ》したのか、歸《かへ》りかけた踵《きびす》を回《めぐ》らして、改《あらた》まつて低《ひく》い聲《こゑ》で新《あたら》しい質問《しつもん》を發《はつ》した。 『さつき[#「さつき」に傍点]から聞《き》かう/\と思《おも》ひながら、お話《はなし》にまぎれて忘《わす》れて居《ゐ》ました。今《いま》患者《くわんじや》さんの話《はなし》が出《で》たのでふと[#「ふと」に傍点]思《おも》ひ出《だ》したのですが、淑風會《しゆくふうくわい》の會長《くわいちやう》、内海葉子女史《うちみえふこぢよし》はどういふ用件《ようけん》でお宅《たく》へ來《き》たのですか。貴方《あなた》にも會員《くわいゐん》になつてくれといふのですか?』 『え? 淑風會《しゆくふうくわい》の會長《くわいちやう》ですつて?』野々村《のゝむら》は意外《いぐわい》さうに問《と》ひ返《かへ》した。『そんな人《ひと》は知《し》りませんよ。何《なに》かの間違《まちが》ひぢやありませんか?』 『いゝえ、確《たし》かです。私《わたし》が此《こ》の室《しつ》へ導《みちび》かれた時《とき》、入違《いれちが》ひに歸《かへ》つた婦人《ふじん》は、確《たしか》に内海葉子女史《うちみえふこぢよし》です。』 『をかしいなあ。あれは最近《さいきん》に來《き》た患者《くわんじや》で、山本《やまもと》つて云《い》ふのですが――』 『何《なに》! 患者《くわんじや》ですつて! 之《これ》は驚《おどろ》いた。矢《や》つぱり性病《せいびやう》でせうな?』 『病名《びやうめい》の事《こと》は、業務上《げふむじやう》の秘密《ひみつ》で云《い》へませんが、僕《ぼく》の專門《せんもん》の範圍《はんゐ》であることだけは、答《こた》へてもよろしい。しかし山本《やまもと》といふ人《ひと》ですから、内海《うつみ》といふ會長《くわいちやう》ではありますまい。』 『いゝえ、確《たしか》に内海女史《うつみぢよし》です。あの人《ひと》は私《わたし》の社《しや》の座談會《ざだんくわい》の時《とき》に、穴《あな》のあく程《ほど》見《み》て居《ゐ》ますから、決《けつ》して間違《まちが》ひはしません。山本《やまもと》といふのは變名《へんみやう》でせう、淑風會長《しゆくふうくわいちやう》内海某《うつみぼう》で、その病氣《びやうき》の治療《ちれう》をするのは、工合《ぐあひ》が惡《わる》いからでせう。』秋山《あきやま》の顏《かほ》には、確信《かくしん》の色《いろ》が漲《みなぎ》つて居《ゐ》た。『道理《だうり》で、何《なん》だかそつぽ[#「そつぽ」に傍点]を向《む》いて挨拶《あいさつ》もしなかつたが、先方《せんぱう》では僕《ぼく》といふことは知《し》つてたんですね、本來《ほんらい》、利口《りこう》な女《をんな》なんだから!』 『さうかなあ。全《まつた》く驚《おどろ》いてしまふね。』今度《こんど》は驚《おどろ》くのが、野々村《のゝむら》の方《はう》へ傳染《でんせん》した。『僕《ぼく》の樣《やう》に一|本調子《ぽうでうし》の者《もの》には、何《なに》が何《なん》だかわからなくなつちまふ。』  秋山《あきやま》の職業意識《しよくげふいしき》は、野々村《のゝむら》の最後《さいご》の一|句《く》に、微妙《びめう》な反應《はんのう》を起《おこ》したものと見《み》えて、その嫋々《でう/\》たる餘韻《よゐん》を聽《き》く爲《ため》に、再《ふたゝ》び腰《こし》を下《おろ》してしまつた。 『未《ま》だ何《なに》か耳《みゝ》よりな話《はなし》でもありますか。』 『いや、耳《みゝ》よりといふ程《ほど》でもありませんがね。昨今《さくこん》僕《ぼく》にとつては意外《いぐわい》な發見《はつけん》ばかり起《おこ》るので、少々《せう/\》驚《おどろ》いて居《ゐ》る所《ところ》なんです。』  それから野々村《のゝむら》は聞《き》かれるまゝに○○醫科大學長《いくわだいがくちやう》夏本赤《なつもとあか》三|郎《らう》の、歌舞伎座《かぶきざ》に於《お》ける醜態《しうたい》や、大野高等女學校《おほのかうとうぢよがくかう》の、『性教育《せいけういく》』の活劇《くわつげき》などを述《の》べ、秋山《あきやま》は又《また》それ等《ら》の人々《ひと/″\》の座談會《ざだんくわい》に於《お》ける高潔《かうけつ》な態度《たいど》を語《かた》つて一|層《そう》野々村《のゝむら》の驚《おどろ》きを深《ふか》くしたのであつた。        十  嬌娼會《けうしやうくわい》の事務所《じむしよ》で、幹部《かんぶ》が二人《ふたり》、話《はなし》をして居《ゐ》る。二人《ふたり》とは大野高等女學校長《おほのかうとうぢよがくかうちやう》の大野源作《おほのげんさく》と、内務省《ないむしやう》の尾本登《をもとのぼる》の兩氏《りやうし》であつて、肝心《かんじん》の話《はなし》は濟《す》んで、餘談《よだん》に耽《ふけ》つて居《ゐ》るものらしい。 『尾本君《をもとくん》、いつか僕等《ぼくら》がやつた性問題《せいもんだい》座談會《ざだんくわい》の記事《きじ》をまとめて、科學世界社《くわがくせかいしや》から出《だ》した本《ほん》に發賣禁止《はつばいきんし》を命《めい》じたつて云《い》ふが本統《ほんとう》かい?』 『本當《ほんたう》だ。無論《むろん》、君《きみ》の説《せつ》は結構《けつこう》だが、佐藤《さとう》といふ醫者《いしや》や、只木《たゞき》といふ辯護士《べんごし》の議論《ぎろん》が不隱《ふをん》だからいけないと認《みと》めた。隱健《をんけん》であるべき安井《やすゐ》さんまでが、産兒制限《さんじせいげん》の皷吹《こすゐ》をするのだから禁止《きんし》は當然《たうぜん》だらうと考《かんが》へた。』 『しかし禁止《きんし》は困《こま》るねえ。』大野校長《おほのかうちやう》は不平《ふへい》さうに見《み》える。 『君《きみ》の説《せつ》を不可《ふか》としないのだから、良《よ》いだらう。君《きみ》が性教育《せいけういく》の講演《かうえん》を許《ゆる》しながら、月經《げつけい》の話《はなし》以外《いぐわい》には一|言《ごん》も論及《ろんきふ》させないのと同《おな》じ事《こと》ぢやないか。』 『さう云《い》つては困《こま》る。僕《ぼく》のは無垢《むく》な女學生《ぢよがくせい》に惡影響《あくえいきやう》を及《およ》ぼすのを防《ふせ》ぐ爲《ため》で止《や》むを得《え》んさ。』 『僕《ぼく》の立場《たちば》では又《また》、世間《せけん》一|般《ぱん》に惡影響《あくえいきやう》を及《およ》ぼさせまいといふので、つまり同《おな》じ事《こと》だらう。』 『それでは水掛論《みづかけろん》になつてしまふ。何《なん》とかして禁止《きんし》を解《と》いて、貰《もら》へまいか。僕《ぼく》のあの會《くわい》に於《お》ける立場《たちば》を明《あきら》かにする爲《ため》には、あの本《ほん》が一|番《ばん》必要《ひつえう》なんで、それには反對《はんたい》の連中《れんちう》の言説《げんせつ》も有《あ》る方《はう》がいゝんだがね。』 『さう君《きみ》の都合《つがふ》ばかりにも行《ゆ》かないね、第《だい》一、一|旦《たん》禁止《きんし》したのを取消《とりけ》しては、取扱者《とりあつかひしや》の權威《けんゐ》にも關《かゝ》はるし……』 『けれども君自身《きみじしん》が、中々《なか/\》熱心《ねつしん》な艶本《えんぽん》や性慾物《せいよくもの》の蒐集家《しうしふか》ぢやないか。君《きみ》や○○廳《ちやう》の××君《くん》等《ら》は、官權《くわんけん》を濫用《らんよう》して艶本《えんぽん》を押收《あふしう》するとまで一|部《ぶ》で噂《うはさ》をして居《ゐ》る位《くらゐ》だぜ。』 『之《これ》は手嚴《てきび》しい。』尾本氏《をもとし》は苦笑《くせう》をした。『しかし發賣禁止《はつばいきんし》のものを、參考《さんかう》の爲《ため》に手許《てもと》に保存《ほぞん》するのは、寧《むし》ろ職務《しよくむ》に忠實《ちうじつ》だと褒《ほ》めて貰《もら》ひたい位《くらゐ》だ。何《なに》もほしい本《ほん》を發賣禁止《はつばいきんし》にする譯《わけ》でも無《な》いんだから!』 『手許《てもと》といつても官廳《くわんちやう》ならばいゝが、私宅《したく》へ集《あつ》める必要《ひつえう》はあるまい。殊《こと》に他人《たにん》が自宅《じたく》に所藏《しよざう》して居《ゐ》る艶本《えんぽん》を、つて[#「つて」に傍点]を求《もと》めて刑事《けいじ》をやつて貸《か》して貰《もら》ひつぱなしにするのが常套手段《じやうたうしゆだん》だといふのは、亂暴《らんばう》ぢやないか。いくら云《い》つても返却《へんきやく》しないつていふ不平《ふへい》を方々《はう/″\》で耳《みゝ》にして居《ゐ》るぜ。』 『××君《くん》は確《たしか》にやるだらうが、僕《ぼく》は知《し》らない。艶本《えんぽん》の自宅所藏《じたくしよざう》は良《よ》くないかも知《し》れないが、何《なに》も僕《ぼく》ばかりの事《こと》ぢや無《な》い。艶本《えんぽん》の類《るゐ》の押收《あふしう》したものは燒棄《やきす》てる規則《きそく》にはなつて居《ゐ》るが、燒《や》き棄《す》てるまでに積《つ》んであるのが、暫時《ざんじ》の間《ま》になくなつてしまふので、あれは刑事《けいじ》や何《なに》か、警察《けいさつ》や關係者《くわんけいしや》が自宅《じたく》へ持《ゆ》つて行《ゆ》くとより思《おも》へないね。さ其處《そこ》だ、低級《ていきふ》で、無理解《むりかい》な者《もの》の手《て》に渡《わた》すよりは、僕《ぼく》の樣《やう》に檢閲《けんえつ》するだけの識見《しきけん》のある者《もの》の手《て》に收《をさ》めて置《お》く方《はう》が、弊害《へいがい》が少《すくな》いと思《おも》ふが如何《どう》だらう。』  尾本君《をもとくん》は、しきりに自分《じぶん》の立場《たちば》を辯解《べんかい》して、反《かへ》つて内幕《うちまく》を曝露《ばくろ》した形《かたち》になつた。 『そんな事《こと》も聞《き》いては居《ゐ》たが、その辯解《べんかい》は寧《むし》ろ詭辯《きべん》に近《ちか》いね。不都合《ふつがふ》な話《はなし》といへば、刑事《けいじ》の中《なか》には、その發賣禁止《はつばいきんし》の艶本《えんぽん》を、高《たか》い値段《ねだん》で[#「値段で」は底本では「傾段で」]知人《ちじん》を介《かい》して、秘密《ひみつ》に販賣《はんばい》して居《ゐ》るものさへ有《あ》るぜ。何《なん》の事《こと》は無《な》い、發賣《はつばい》を禁止《きんし》すべき立場《たちば》の者《もの》が、商賣人《しやうばいにん》の本屋《ほんや》に賣《う》らせないで、自分等《じぶんら》の手《て》のみで、專賣《せんばい》するといふ奇怪《きくわい》な現象《げんしやう》を呈《てい》して居《ゐ》るのぢやないか!』  大野校長《おほのかうちやう》は此處《ここ》ぞとばかりに、相手《あひて》の弱點《じやくてん》に肉薄《にくはく》して行《ゆ》く。 「君《きみ》がそんなことまで知《し》つて居《ゐ》るなら、決《けつ》してそれを否定《ひてい》はしないさ。その事實《じじつ》が即《すなは》ち、低級《ていきふ》で無理解《むりかい》な者《もの》の手《て》に渡《わた》すよりも、僕《ぼく》の手《て》に收《をさ》めて置《お》くのがいゝといふ言葉《ことば》が、眞理《しんり》であることを立證《りつしよう》して、決《けつ》して詭辯《きべん》でもなく、又《また》一|片《ぺん》の辯解《べんかい》でもない證據《しようこ》になるとは思《おも》はないかね。』 『思《おも》はないね。そんなことを云《い》へば、君《きみ》の家《うち》は艶本《えんぽん》の倉庫《さうこ》になつてしまふ次第《しだい》で、到底《たうてい》不可能《ふかのう》の話《はなし》だ。さう思《おも》ふならば、規則通《きそくどほ》りに押收品《あふしうひん》を燒却《せうきやく》してしまへばいゝのだ。』 『しかし僕《ぼく》は一々|全國《ぜんこく》各府縣《かくふけん》の警察《けいさつ》を廻《まは》つて、押收品《あふしうひん》を燒《や》いて歩《ある》いて廻《まは》る譯《わけ》にも行《ゆ》かない……』 『そんな事《こと》をし給《たま》へとは云《い》はない。つまり自分《じぶん》自《みづか》ら艶本《えんぽん》を蒐集《しうしふ》して、愛讀《あいどく》するだけの心《こゝろ》がある以上《いじやう》――いや、何《なん》と云《い》つて辯解《べんかい》をしても、事實《じじつ》はその通《とほ》りに違《ちが》ひない――さうやかましく書物《しよもつ》の發賣《はつばい》を禁止《きんし》しなでもいゝだらうといふのだ。自分《じぶん》だけは讀《よ》みたいが、一|般《ぱん》の人々《ひと/″\》には讀《よ》まさせないといふのは大《おほ》きな矛盾《むじゆん》で不都合《ふつがふ》だと云《い》ふ事《こと》を……。』 『それが矛盾《むじゆん》ならば、性教育《せいけういく》を施《ほどこ》すといひながら、月經《げつけい》の話《はなし》以外《いぐわい》には何《なに》も云《い》はないといふ君《きみ》のやり方《かた》も、同樣《どうやう》に矛盾《むじゆん》で得手勝手《えてかつて》ぢやないか! しかしさう云《い》つてると、話《はなし》が又《また》後戻《あともど》りをするばかりで、いくら云《い》つても際限《さいげん》が無《な》いから止《よ》さう。――つまり、君《きみ》の意見《いけん》としては、僕《ぼく》の矛盾《むじゆん》を攻撃《こうげき》するのが[#「攻撃するのが」は底本では「攻擧するのが」]主《しゆ》ではなくて、攻撃《こうげき》は君《きみ》の性的問題《せいてきもんだい》に對《たい》する立派《りつぱ》な態度《たいど》を、世間《せけん》の人々《ひと/\》に知《し》らすのに便利《べんり》な本《ほん》だから、あの本《ほん》の禁止《きんし》を解《と》けといふ所《ところ》に主眼《しゆがん》があるのだらう。』 『左樣《さう》さ、さうわかれば問題《もんだい》は無《な》い。お互《たがひ》に公職《こうしよく》にある者《もの》として、矛盾《むじゆん》と知《し》りつゝも體裁《ていさい》を造《つく》るのはあたり前《まへ》で、君《きみ》の行爲《かうゐ》を責《せ》める心《こゝろ》は少《すこ》しも無《な》い。唯々《たゞ》何《なん》とかしてあれを出《だ》さす樣《やう》に骨《ほね》を折《を》つてくれゝばいゝのだ。』  大野校長《おほのかうちやう》は始《はじ》めて、本音《ほんね》を吐《は》いた。 『さうなると官廳《くわんちやう》の體面《たいめん》があつて、一|旦《たん》禁止《きんし》したものを、そのまゝ許《ゆる》す譯《わけ》には行《ゆ》かないが、――よろしい、そんならかうしよう。』  尾本君《をもとくん》は一寸《ちよつと》考《かんが》へてから、 『君《きみ》から話《はなし》をして、早速《さつそく》、發行所《はつかうじよ》の科學世界社《くわがくせかいしや》から、何《なん》とか辯解《べんかい》の書面《しよめん》を出《だ》さし給《たま》へ、警保局長《けいほきよくちやう》あてにね。そこで僕《ぼく》が只木辯護士《たゞきべんごし》や、佐藤《さとう》ドクトル達《たち》の言葉《ことば》に、澤山《たくさん》の伏《ふ》せ字《じ》の○○を入《い》れさせたり、安井《やすゐ》さんの話《はなし》の頁《ページ》を切取《きりと》らしたりして、分割還附《ぶんかつくわんぷ》といふ形式《けいしき》にしたらいゝだらう。』 『ぢやあ、そのつもりで居《ゐ》て貰《もら》はう。科學世界社《くわがくせかいしや》へは、すぐにその手配《てはい》をさせるから! 有難《ありがた》う!』  苦《にが》い顏《かほ》をして居《ゐ》た大野校長《おほのかうちやう》が、始《はじ》めて笑顏《ゑがほ》を見《み》せたのを、尾本君《をもとくん》は見逃《みのが》さなかつた。 『大野君《おほのくん》! あの本《ほん》を又《また》生徒《せいと》の父兄《ふけい》に買《か》はして、學校《がくかう》の廣告《くわうこく》にしようつていふんぢやないかね。君《きみ》は中々《なか/\》敏腕《びんわん》だからね! 散々《さん/″\》人《ひと》を攻撃《こうげき》しながら、一人《ひとり》で嬉《うれ》しさうな顏《かほ》をしてるのは怪《け》しからんぜ!』 『わかつたよ。之《これ》以上《いじやう》同志打《どうしう》ちは無用《むよう》だ。明日《あす》新橋《しんばし》をおごるから、もう何《なん》にも云《い》はずに置《お》き給《たま》へ、覺《おぼ》えてゐるだらう、いつか一|緒《しよ》に行《い》つた家《うち》さ。あそこならば大丈夫《だいぢやうぶ》、矯娼會《けうしやうくわい》に傷《きず》のつく樣《やう》な心配《しんぱい》は無《な》いから!』 『承知《しようち》した、明日《あす》だね!』 『左樣《さう》だ。』 『では今日《けふ》は之《これ》で失禮《しつれい》しよう。』 『では又《また》明晩《みやうばん》!』  二人《ふたり》の敏腕《びんわん》な官吏《くわんり》と女流教育家《ぢよりうけういくか》とは、激論《げきろん》なんかした覺《おぼ》えは無《な》いといふ樣《やう》な顏付《かほつき》で、嬉《うれ》しさうに、親《した》しげに矯娼會《けうしやうくわい》の事務所《じむしよ》を出《で》たのであつた。  初夏《しよか》の午後《ごご》四|時《じ》に近《ちか》い日光《につくわう》は、會館《くわいくわん》に連《つらな》る公園《こうゑん》の松並木《まつなみき》を過《よ》ぎつて、科學世界社《くわがくせかいしや》の方《はう》へ急《いそ》ぐ大野校長《おほのかうちやう》に直射《ちよくしや》して、その細長《ほそなが》い痩驅《そうく》の影《かげ》を、一|層《そう》細《ほそ》く且《か》つ長《なが》く、松《まつ》の木《き》の影《かげ》と並行《へいかう》して、地上《ちじやう》に明《あきらか》に描《ゑが》き出《だ》して居《ゐ》たのであつた。        十一  科學世界《くわがくせかい》の主筆《しゆひつ》、秋山《あきやま》十|助《すけ》は、自分《じぶん》が主催者《しゆさいしや》として骨《ほね》を折《を》つた座談會《ざだんくわい》に關係《くわんけい》した人々《ひと/″\》の行動《かうどう》に就《つい》て人以上《ひといじやう》に興味《きようみ》を覺《おぼ》えたので、野々村醫院《のゝむらいゐん》で、變名《へんみやう》して性病《せいびやう》の診療《しんれう》を受《う》けて居《ゐ》た淑風會長《しゆくふうくわいちやう》、内海葉子《うつみえふこ》を見《み》た日《ひ》、靜《しづか》に日誌《につし》にそのことを書《か》きつけるのであつた。萬年筆《まんねんひつ》を走《はし》らせて居《ゐ》る中《うち》に、座談會《ざだんくわい》の席上《せきじやう》の皆《みな》の言葉《ことば》や、職務上《しよくむじやう》發賣禁止《はつばいきんし》の衝《しよう》に當《あた》つて知《し》り得《え》た尾本氏《をもとし》の事《こと》や、野々村醫學士《のゝむらいがくし》等《ら》を通《つう》じて、間接《かんせつ》に知《し》り得《え》た夏本赤《なつもとあか》三|郎《らう》、大野源作《おほのげんさく》等《ら》の教育家《けういくか》の日常《にちじやう》等《など》が、目《め》まぐるしく走馬燈《そうまとう》の樣《やう》に彼《かれ》の腦裡《なうり》に去來《きよらい》して、一|見《けん》、別人《べつじん》の樣《やう》な態度《たいど》が、同《どう》一の人《ひと》に依《よ》つて行《おこな》はれる事《こと》に、寧《むし》ろ呆《あき》れるばかりであつた。  秋山主筆《あきやましゆひつ》は終日《しうじつ》の疲《つか》れも忘《わす》れ、時間《じかん》の過《す》ぎるのまでも忘《わす》れ果《は》てゝ、日記帳《につきちやう》としてあるノートの上《うへ》に幾《いく》頁《ページ》も/\續《つゞ》く、長《なが》い/\その日《ひ》の感想《かんさう》を、蠶《かひこ》の口《くち》から吐《は》き出《だ》される絹絲《きぬいと》の樣《やう》に、縷々《るゝ》として書《か》き綴《つゞ》るのであつた。        ×       ×       ×            ×       ×       ×  日本《にほん》といふ國《くに》は、紳士《しんし》や淑女《しゆくぢよ》とされる人々《ひと/″\》程《ほど》、言行《げんかう》の一|致《ち》しない國《くに》である。例《たと》へば『二|重生活《ぢうせいくわつ》は不經濟《ふけいざい》であるから、服裝《ふくさう》や住宅《ぢうたく》等《など》も和洋《わやう》何《いづ》れかに一|定《てい》しなければいけない。』と叫《さけ》びながら、自分《じぶん》は和服《わふく》と洋服《やうふく》とを作《つく》つて、洋館《やうくわん》と日本建築《にほんけんちく》との兩樣《りやうやう》の家《いへ》に住《す》んで見《み》たり、『迷信《めいしん》を打破《だは》せよ。丙午《ひのえうま》等《など》を氣《き》にして自暴自棄《じばうじき》に陷《おちい》るのは愚《おろか》の極《きはみ》である。』といふ意見《いけん》を發表《はつぺう》して居《ゐ》る御當人《ごたうにん》が、息子《むすこ》の嫁《よめ》を選《えら》ぶ場合《ばあひ》に、『氣立《きだて》にも容姿《ようし》にも申分《まをしぶん》は無《な》いが、どうも丙午《ひのえうま》が氣《き》になるから、他《ほか》の人《ひと》にしよう。』と云《い》つたりする類《たぐゐ》は、いくら有《あ》るかわからない程《ほど》であるが、此《こ》の言行《げんかう》の不《ふ》一|致《ち》は、性慾《せいよく》に關《くわん》する問題《もんだい》になると、一|層《そう》その度《ど》が甚《はなは》だしくなつて、僞善《ぎぜん》の程度《ていど》にまで達《たつ》してしまふ。それはつまり紳士《しんし》であり、淑女《しゆくぢよ》であるといふ體面《たいめん》を保《たも》たんが爲《ため》に、醜《みにく》いものと考《かんが》へて居《ゐ》る性慾《せいよく》を、故意《こい》に隱蔽《いんぺい》しようとするのに伴《ともな》ふ必然《ひつぜん》の結果《けつくわ》なのであらう。だから若《も》しも、あらゆる紳士《しんし》や淑女《しゆくぢよ》を、悉《こと/″\》く去勢《きよせい》したならば、此《こ》の僞善《ぎぜん》は立《た》ち所《どころ》にその跡《あと》を絶《た》つに至《いた》るに違《ちが》ひない。人《ひと》の前《まへ》に出《で》た時《とき》に、高潔《かうけつ》らしい態度《たいど》を示《しめ》して、性慾《せいよく》を蛇蝎《だかつ》の如《ごと》くけなす人《ひと》程《ほど》、殊《こと》に此《こ》の僞善《ぎぜん》の程度《ていど》の強烈《きやうれつ》になるのは、どんな外形《ぐわいけい》を執《と》るにしても、それは外見《ぐわいけん》、即《すなは》ち見え[#「見え」に傍点]だけのメツキであつて、内容《ないよう》としての性慾《せいよく》の程度《ていど》は、各人《かくじん》誰《だれ》でも平等《びやうどう》だからでなければならない。假《かり》に各人《かくじん》の持《も》つ性慾《せいよく》の分量《ぶんりやう》を十として、體裁《ていさい》をかまはずに、十だけ性慾《せいよく》を持《も》つて居《ゐ》るといふ、有《あ》りのまゝの言動《げんどう》を敢《あへ》てする非《ひ》紳士《しんし》淑女《しゆくぢよ》階級《かいきふ》に於《おい》ては、毫《がう》も僞善《ぎぜん》を必要《ひつえう》としない。それから同《おな》じ紳士《しんし》淑女《しゆくぢよ》にしても、その十の性慾《せいよく》を五か六位《ぐらゐ》に見《み》せて居《ゐ》れば、僞善《ぎぜん》の程度《ていど》は極《きは》めて少《すくな》くて濟《す》むけれども、一か二より持《も》つて居《ゐ》ないといふ態度《たいど》を取《と》つたり、そんなものは知《し》らないといふ樣《やう》な風《ふう》を裝《よそほ》はなければならない人《ひと》は、どうしても絶大《ぜつだい》な僞善《ぎぜん》を敢《あへ》てしなければ納《をさ》まらない事《こと》になるに定《き》まつて居《ゐ》る。あの座談會《ざだんくわい》に出《で》た人々《ひと/″\》だけでも、その關係《くわんけい》がはつきり[#「はつきり」に傍点]わかつて居《ゐ》るではないか!  官立《くわんりつ》○○醫科大學長《いくわだいがくちやう》、夏本赤《なつもとあか》三|郎氏《らうし》が、廢娼論《はいしやうろん》に賛成《さんせい》して、高潔《かうけつ》そのものゝ樣《やう》な顏《かほ》[#ルビの「かほ」は底本では「かう」]をするのは、自己《じこ》の性慾《せいよく》の旺盛《わうせい》なものゝてれ[#「てれ」に傍点]隱《かく》しに過《す》ぎない。生《き》まじめな人間《にんげん》、酒池肉林《しゆちにくりん》の逍遙《せうえう》を共《とも》にしない人間《にんげん》を忌《い》み嫌《きら》つて、何《なん》とか難癖《なんくせ》をつけて放逐《はうちく》するのは、勿論《もちろん》自分《じぶん》の表裏《へうり》の關係《くわんけい》が、他《た》に知《し》れるのを恐《おそ》れるからの小細工《こざいく》である。それも之《こ》れも皆《みな》、性的嗜好品《せいてきしかうひん》であり、性的玩弄物《せいてきぐわんろうぶつ》たる藝者《げいしや》とふざけて居《ゐ》たいといふ彼《かれ》の本能《ほんのう》に支配《しはい》されるが爲《ため》の、外見上《ぐわいけんじやう》の矛盾《むじゆん》である。  女《をんな》に話《はな》しかける事《こと》さへ敢《あへ》てし得《え》なかつたニイチエが、女《をんな》を糞味噌《くそみそ》にこき下《お》ろした事《こと》や、性慾《せいよく》の旺盛《わうせい》なのに苦慮《くりよ》し拔《ぬ》いたと云《い》はれるシヨーペンハウエルが、禁慾《きんよく》の哲學《てつがく》を編《あ》み出《だ》した事《こと》は、行《ゆ》き方《かた》こそそれ/″\違《ちが》つて居《ゐ》るけれども、心《こゝろ》の中《なか》と外《そと》とに現《あらは》れる、性慾《せいよく》を中心《ちうしん》にした矛盾《むじゆん》といふ點《てん》に於《おい》ては、即《すなは》ち何《いづ》れも一つであらう。良《よ》い方《はう》に矛盾《むじゆん》したか、惡《わる》い方《はう》に矛盾《むじゆん》したかの相違《さうゐ》こそあれ、夏本博士《なつもとはかせ》もシヨーペンハウエルやニーチエなんかと、揆《き》を一にした所《ところ》は偉《えら》いものである。  ドクトルの佐藤平次郎氏《さとうへいじらうし》の公娼必要論《こうしやうひつえうろん》や、辯護士《べんごし》、只木花吉氏《たゞきはなきちし》の墮胎無罪論《だたいむざいろん》等《とう》には、多少《たせう》の脱線《だつせん》もあつたし、幾多《いくた》の非難《ひなん》があつて、家庭《かてい》では餘程《よほど》放縱《はうじう》な人《ひと》の樣《やう》にも推測《すゐそく》されたのであつたが、事實《じじつ》は反《かへ》つて之《これ》を裏切《うらぎ》つて、これ等《ら》の人々《ひと/″\》に對《たい》する醜聲《しうせい》は、未《ま》だ一|度《ど》も耳《みゝ》にした事《こと》がない。云《い》ひたいだけの事《こと》を、平氣《へいき》でヅケ/\云《い》つてのければ、それ以上《いじやう》もう[#「もう」に傍点]何《なに》も必要《ひつえう》が無《な》いのでもあらうか? 紀元前《きげんぜん》二百|數《すう》十|年《ねん》の昔《むかし》、ギリシヤに快樂説《くわいらくせつ》を唱《とな》へたエピクロスといふ人《ひと》が居《ゐ》て、その反對《はんたい》の學説《がくせつ》を唱《とな》へる禁慾《きんよく》を尊《たふと》ぶツエノの門弟達《もんていたち》から、惡魔《あくま》の如《ごと》く思《おも》はれては居《ゐ》たが、扨《さ》て逢《あ》つて見《み》ると、意外《いぐわい》に眞面目《まじめ》なのに度膽《どぎも》を拔《ぬ》かれたといふ話《はなし》を、私《わたし》は今《いま》此《こ》の人々《ひと/″\》に於《おい》て、まのあたり[#「まのあたり」に傍点]に見《み》る心地《こゝち》がしてならない!  淑風會《しゆくふうくわい》の會長《くわいちやう》として令名《れいめい》が高《たか》く、廢娼運動《はいしやううんどう》や婦人參政權問題《ふじんさんせいけんもんだい》[#ルビの「ふじんさんせいけんもんだい」は底本では「ふじんせんせいけんもんだい」]に日《ひ》も惟《こ》れ足《た》りない位《くらゐ》の活動《くわつどう》を續《つゞ》けて、天晴《あつぱ》れ巾幗婦人《きんかくふじん》の模範《もはん》とされ、女神《めがみ》の化身《けしん》とまで仰《あふ》がれて居《ゐ》る内海葉子女史《うつみえふこぢよし》の手《て》に、若《わか》い燕《つばめ》が飼養《しやう》されて居《ゐ》るかと思《おも》へば、十|年《ねん》一|日《じつ》の如《ごと》く産兒制限《さんじせいげん》を力説《りきせつ》したり、平氣《へいき》でもつて、『遊廓《いうくわく》は便所《べんじよ》と同《おな》じ樣《やう》なものです。便所《べんじよ》が無《な》くては、到《いた》る所《ところ》に立小便《たちせうべん》のたれ流《なが》しが行《おこな》はれて、不潔《ふけつ》の巷《ちまた》と化《くわ》することを思《おも》へば、遊廓《いうくわく》の存在《そんざい》が文明國《ぶんめいこく》の體面《たいめん》を損《そん》するものとは云《い》はれません。公娼《こうしやう》の無《な》い國《くに》は、畢竟《ひつきやう》、性慾《せいよく》を到《いた》る所《ところ》にたれ流《なが》しにする國《くに》であります。』と公言《こうげん》して居《ゐ》る社會改良運動家《しやくわいかいりやううんどうか》の安井濱藏氏《やすゐはまざうし》が、家庭《かてい》に於《おい》ては模範的《もはんてき》の紳士《しんし》であつて、多數《たすう》の子女《しぢよ》との團欒《だんらん》に、羨《うらやま》しい程《ほど》の和氣靄々《わきあい/\》振《ぶ》りを見《み》せて居《ゐ》る等《など》、一つとして外見《ぐわいけん》のみでその眞相《しんさう》を握《つか》み得《え》ない事《こと》のみが多《おほ》い。所詮《しよせん》、弱《よわ》い臆病《おくびやう》な犬《いぬ》が人《ひと》を見《み》ればワン/\と吠《ほ》えつくのに、強《つよ》い犬《いぬ》は沈默《ちんもく》して午睡《ごすゐ》の夢《ゆめ》に耽《ふけ》つて居《ゐ》るのに類《るゐ》して居《ゐ》ると云《い》へよう。  大野高等女學校長《おほのかうとうぢよがくかうちやう》、大野源作氏《おほのげんさくし》の『性教育《せいけういく》』に對《たい》する態度《たいど》は、實《じつ》に滑稽《こつけい》千|萬《ばん》である。矯娼會《けうしやうくわい》の幹事《かんじ》として活躍《くわつやく》して居《ゐ》る立場《たちば》から、どうしても性慾《せいよく》を不潔《ふけつ》なものとして、極《きは》めてあつさり[#「あつさり」に傍点]とお上品《じやうひん》に取扱《とりあつか》はなければならないし、又《また》女史教育者《ぢよしけういくしや》としての新人《しんじん》であるのを見《み》せる爲《ため》には、『性教育《せいけういく》』を天下《てんか》に率先《そつせん》してやつて居《ゐ》る所《ところ》を見《み》せる必要《ひつえう》がある。此《こ》の厄介《やくかい》な十|字路《じろ》に立《た》たされた交通巡査《かうつうじゆんさ》として、『月經《げつけい》に關《くわん》する注意《ちうい》』だけをして、それに性教育《せいけういく》の看板《かんばん》をぶら下《さ》げるのが、最《もつと》も安全《あんぜん》で賢明《けんめい》であると考《かんが》へるのに無理《むり》は無《な》いが、しかし『こんな事情《じじやう》だから、そのつもり[#「つもり」に傍点]でやつて貰《もら》ひたい。』とざつくばらん[#「ざつくばらん」に傍点]に校醫《かうい》の野々村一雄學士《のゝむらかずをがくし》に依頼《いらい》することは、あの人《ひと》の性格《せいかく》では到底《たうてい》出來《でき》ない相談《さうだん》である。野々村氏《のゝむらし》としては又《また》醫者《いしや》として月經《げつけい》の話《はなし》より、一|歩《ぽ》も外《そと》に出《で》られない性教育《せいけういく》の話《はなし》では、極《きは》めてをかしい羊頭狗肉的《やうとうくにくてき》のものだと考《かんが》へるに定《き》まつて居《ゐ》る。そこがあの馬鹿《ばか》な騷《さわ》ぎを惹起《ひきおこ》したのであつて、衒《てら》ふ人《ひと》と衒《てら》はない人《ひと》との間《あひだ》には、始終《しじう》有《あ》り勝《が》ちのゴタ/\である。  内務省《ないむしやう》の尾本登氏《をもとのぼるし》が、圖書《としよ》[#ルビの「としよ」は底本では「としと」]の檢閲者《けんえつしや》として人《ひと》一|倍《ばい》黄《きいろ》い方面《はうめん》――性慾《せいよく》もの――にやかましく、嚴重《げんぢう》にピシ/\と發賣禁止《はつばいきんし》を命令《めいれい》しながら、克明《こくめい》にその禁止本《きんしぼん》を役所《やくしよ》の參考品《さんかうひん》としてのみまらず、自宅《じたく》の書架《しよか》にまで珍藏《ちんざう》して尚《ほ》ほ足《た》らず、進《すゝ》んで繪畫《くわいぐわ》や、人形《にんぎやう》その他《た》いろ/\の風俗《ふうぞく》に關《くわん》する押收品《あふしうひん》から、カツトされた映畫《えいぐわ》のラヴ・シーンのフヰルムに至《いた》るまでも手《て》を廣《ひろ》げて、○○廳《ちやう》と連絡《れんらく》をとつてコレクシヨンを實行《じつかう》すること多年《たねん》、今《いま》や自宅《じたく》に一|大《だい》特殊《とくしゆ》博物館《はくぶつくわん》を有《いう》して居《ゐ》る形《かたち》なのは、云《い》ふまでもなく大《おほ》きな矛盾《むじゆん》に相違《さうゐ》ない。  しかしながら、それは尾本氏《をもとし》が燃《も》ゆるばかりの、性慾《せいよく》に對《たい》する熱烈《ねつれつ》なる興味《きようみ》に基《もと》づく蒐集《しうしふ》作業《さげふ》であつて、それ位《くらゐ》の人《ひと》であるからこそ、他《た》の檢閲係《けんえつがかり》以上《いじやう》に、細《こま》かい點《てん》にまでも氣《き》がつき、目《め》が屆《とゞ》く結果《けつくわ》、勢《いきほ》ひ、所謂《いはゆる》性慾物《せいよくもの》に對《たい》する發賣禁止《はつばいきんし》が嚴重《げんじう》になるのであらう。平《ひら》たく云《い》へば『じや[#「じや」に傍点]の道《みち》は蛇《へび》』なのである。性慾《せいよく》の何《なん》たるかを知《し》らない子供達《こどもたち》に、性慾《せいよく》の描寫《べうしや》を見《み》せた所《ところ》で、一|向《かう》何《なん》のことかわからない、玄人《くろうと》上《あが》りの婦人《ふじん》が家庭《かてい》に入《はひ》つて、往々《わう/\》にして素人《しろうと》以上《いじやう》に嫉妬深《しつとぶか》くなることがある。要《えう》するに、性慾《せいよく》方面《はうめん》に人《ひと》一|倍《ばい》の理解《りかい》があつて、よく氣《き》がつくか、ポカンとして氣《き》がつかずに居《ゐ》るかの差別《さべつ》であると見《み》れば、糞《くそ》やかましい檢閲官《けんえつくわん》としての尾本氏《をもとし》が、同時《どうじ》に醜猥《しうわい》博物館《はくぶつくわん》の經營者《けいえいしや》兼《けん》創立者《さうりつしや》を兼務《けんむ》して居《ゐ》ることに、些《すこ》しばかりの矛盾《むじゆん》も無《な》く、不思議《ふしぎ》も何《なに》も無《な》いと考《かんが》へることが出來《でき》るであらう。  夏本學長《なつもとがくちやう》が中原忠《なかはらたゞ》一|教授《けうじゆ》を、事《こと》を設《まう》けて追《お》ひ出《だ》した話《はなし》を聞《き》いた時《とき》には、ひどい人《ひと》だと腹《はら》が立《た》つた。しかし總《すべ》ては性慾《せいよく》を一|人前《にんまへ》に所持《しよぢ》して居《ゐ》るのを、無理《むり》に隱《かく》さんが爲《ため》の魂膽《こんたん》である、性慾《せいよく》のとが[#「とが」に傍点]である。  破《やぶ》れた洋服《やうふく》が氣《き》になつて、隱《かく》さんが爲《ため》に伊達《だて》のマントを羽織《はお》りたい。破《やぶ》れたまゝで平氣《へいき》で居《ゐ》られゝば問題《もんだい》でないけれども、無理《むり》にもマントを手《て》に入《い》れようとする時《とき》に、不自然《ふしぜん》が起《おこ》り、無理《むり》が出來《でき》る。惡《わる》い人《ひと》に見《み》えるけれども、惡《わる》い人《ひと》ではない。破《やぶ》れた洋服《やうふく》では町《まち》を歩《ある》き得《え》ない人《ひと》である。見《み》え坊《ばう》である! 僞善者《ぎぜんしや》である! 褒《ほ》めた話《はなし》では無《な》いけれども、寧《むし》ろ氣《き》の弱《よわ》い人間《にんげん》として、憐《あは》れんでやるべき代物《しろもの》である!  夏本氏《なつもとし》のみではない、内海女史《うつみぢよし》も、尾本氏《をもとし》も、大野氏《おほのし》も、皆《みな》その憐《あは》れまるべき存在《そんざい》である。こんなのが世間《せけん》にいくらあるか知《し》れないと思《おも》ふ。  さうだ! それ等《ら》は悉《こと/″\》く、白粉《おしろい》をコテ/\に塗《ぬ》つて居《ゐ》る醜婦《しうふ》に等《ひと》しい! 馬鹿《ばか》や子供《こども》には、或《あるひ》は美人《びじん》に見《み》えるかも知《し》れないが、相當《さうたう》に眼《め》のあいた人《ひと》からは、醜婦《しうふ》[#ルビの「しうふ」は底本では「しにふ」]であることがすぐ[#「すぐ」に傍点]にわかる。  寧《むし》ろあんなに塗《ぬ》らない方《はう》が、醜《みにく》いながらに可愛《かはい》らしく、又《また》奧床《おくゆか》しくも見《み》えるであらうにと、その心根《こゝろね》の氣《き》の毒《どく》な所《ところ》がある。  私《わたし》も眼《め》をよくあいて、人《ひと》を見《み》なければいけない。大《おほ》きな顏《かほ》をして、カラ威張《ゐば》りをする樣《やう》な人間《にんげん》に接觸《せつしよく》する場合《ばあひ》には、そのカラ威張《ゐば》りの陰《かげ》から、平重盛《たひらのしげもり》と對座中《たいざちう》の、平清盛《たひらのきよもり》の法衣《ほふい》の下《した》の具足《ぐそく》の樣《やう》にチヨイ/\と仄見《ほのみ》える、彼等《かれら》の性慾《せいよく》生活《せいくわつ》を洞察《どうさつ》してかゝる必要《ひつえう》がある。それを洞察《どうさつ》してしまへば、彼等《かれら》が威張《ゐば》れば威張《ゐば》る程《ほど》、氣取《きど》れば氣取《きど》る程《ほど》、愈々《いよ/\》益々《ます/\》滑稽《こつけい》に見《み》えて、その鍍金《めつき》の光《ひかり》に眩惑《げんわく》される事《こと》は無《な》い。  職業上《しよくげふじやう》、いろ/\の人《ひと》の前《まへ》に出《で》る私《わたし》には、此《こ》の心掛《こゝろがけ》が非常《ひじやう》に必要《ひつえう》なことゝ思《おも》ふ。前日《ぜんじつ》の座談會《ざだんくわい》は、科學世界社《くわがくせかいしや》とし利益《りえき》であり、『科學世界《くわがくせかい》』といふ雜誌《ざつし》としても成功《せいこう》を收《をさ》めたのであつたが、一|雜誌記者《ざつしきしや》としての私《わたし》に取《と》つては、又《また》個人《こじん》としての秋山《あきやま》十|助《すけ》に取《と》つては、恐《おそ》らくそれ以上《いじやう》の大《おほ》きな利益《りえき》を得《え》た。より以上《いじやう》に得《う》る所《ところ》があつたのを、何《なに》よりの幸福《かうふく》と考《かんが》へるものである。況《いは》んや、それが豫期《よき》しなかつた所《ところ》の、偶然《ぐうぜん》の獲物《えもの》であつたのを思《おも》へば、一|層《そう》その幸福《かうふく》を感謝《かんしや》しなければならないと思《おも》ふ。  私《わたし》は雜誌記者《ざつしきしや》として、惠《めぐ》まれたる成功《せいこう》の大道《だいだう》の上《うへ》に、確實《かくじつ》な歩《あゆ》みを運《はこ》ぶことになつた樣《やう》に痛感《つうかん》するのである。        ×       ×       ×            ×       ×       ×  興《きよう》に乘《じよう》じて、得意《とくい》のペンを走《はし》らして居《ゐ》た『科學世界《くわがくせかい》』の主筆《しゆひつ》秋山《あきやま》十|助《すけ》は、書《か》き終《をは》つてホツとしたのも束《つか》の間《ま》で、時計《とけい》を見《み》て驚《おどろ》いた。それはいつの間《ま》にか時《とき》が移《うつ》つて、もう午前《ごぜん》三|時《じ》に近《ちか》くなつて居《ゐ》たからである。 『之《これ》は驚《おどろ》いた! 早《はや》く寢《ね》よう。此《こ》の嬉《うれ》しい心持《こゝろもち》を毀《こは》さない樣《やう》に、出來《でき》るならば此《こ》の續《つゞ》きのもつと[#「もつと」に傍点]嬉《うれ》しい夢《ゆめ》を見《み》る樣《やう》に、樂《たの》しい安息《あんそく》の床《とこ》に就《つ》かう!  而《そ》して明日《あす》は豫定《よてい》の仕事《しごと》に、元氣《げんき》よく突進《とつしん》して行《ゆ》かう!  惠《めぐ》まれたる私《わたし》よ!』  さう思《おも》ひながら、日記用《につきよう》のノート・ブツクを靜《しづか》に閉《と》ぢた。  郊外《かうぐわい》の文化住宅《ぶんくわぢうたく》の夜《よ》は、靜《しづか》に/\更《ふ》けて、萬籟《ばんらい》聲《こゑ》無《な》く、希望《きばう》に滿《み》ちた上弦《じやうげん》の月《つき》のみが、美人《びじん》の横顏《よこがほ》を欺《あざむ》く半圓《はんゑん》をほがらかに、窓《まど》ガラスの上《うへ》から覗《のぞ》かせて居《ゐ》るのみであつた。(完) 底本:「現代ユウモア全集 第十一卷 高田義一郎集 らく我記」現代ユウモア全集刊行會    1928(昭和3)年11月20日発行 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 ※「内海《うつみ》」と「内海《うちみ》」、「忠一《ちういち》」と「忠一《たゞいち》」、「嬌娼會」と「矯娼會」の混在は、底本通りです。 入力:宮城高志 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。