扁桃先生 高田義一郎 -------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)米國《べいこく》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)一|日《にち》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)たつた[#「たつた」に傍点] /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)早々《さう/\》 --------------------------------------------------------        一  米國《べいこく》仕込《しこ》みのドクトルで、耳鼻咽喉科《じびいんこうくわ》專門《せんもん》の山井頓吉《やまゐとんきち》は、歸朝《きてう》早々《さう/\》開業《かいげふ》して、習得《しふとく》して來《き》た扁桃腺《へんたうせん》の摘出手術《てきしゆつしゆじゆつ》を賣物《うりもの》にしようといふ營業本位《えいげふほんゐ》の打算心《ださんしん》から、 『あゝ此《こ》の坊《ぼ》つちやんの扁桃腺《へんたうせん》は大變《たいへん》に腫《は》れて居《ゐ》ますね。このまゝで放《はふ》つて置《お》けば年《ねん》が年中《ねんぢう》、風《かぜ》を引《ひ》いたり肺炎《はいえん》に罹《かゝ》つたりして居《ゐ》なければなりません。扁桃腺《へんたうせん》といふものは呼吸器病《こきふきびやう》の招待役《せうたいやく》みたいなもので、これ位《くらゐ》危險《きけん》なものは無《な》いのです。之《これ》は早速《さつそく》摘出《てきしゆつ》してしまつて根本的《こんぽんてき》に危險《きけん》から遠《とほ》ざからないとやがて生命《せいめい》の不安《ふあん》を伴《ともな》ひますよ。惡《わる》い事《こと》は申《まを》しません、手術《しゆじゆつ》は一|日《にち》も早《はや》い方《はう》がよろしい。御決心《ごけつしん》がつき次第《しだい》早速《さつそく》摘出《てきしゆつ》してしまひませう。』  と出來《でき》る丈《だけ》の熱辯《ねつべん》を揮《ふね》つて、自分《じぶん》でも大分《だいぶ》大袈裟《おほげさ》ないひ方《かた》だと考《かんが》へながらも、『之《これ》もパンの爲《ため》だから仕方《しかた》がない』と反對《はんたい》をしかゝる良心《りやうしん》? を抑《おさ》へつけて、盛《さかん》に宣傳《せんでん》を續《つゞ》けて居《ゐ》たのであつた。  さうだ、確《たしか》に開業當時《かいげふたうじ》には商賣本位《しやうばいほんゐ》といふ考《かんがへ》から、心《こゝろ》ならずも宣傳《せんでん》しなければならないと思《おも》つて居《ゐ》たのに違《ちが》ひなかつたが、毎日々々《まいにち/\》、來《く》る患者《くわんじや》ごとに誰彼《たれかれ》を問《と》はず、甲《かふ》にも、乙《おつ》にも、丙《へい》にも、丁《てい》にも同《おな》じ熱辯《ねつべん》を浴《あび》せかけて居《ゐ》る中《うち》に、いつの間《ま》にかそれが動《うご》かす可《べか》らざを萬世不易《ばんせいふえき》の眞理《しんり》であつて、之《これ》こそ人類《じんるゐ》を疾病《しつぺい》から救《すく》ひ出《だ》す唯一無《ゆゐつむ》二の最新《さいしん》の學説《がくせつ》の樣《やう》に思込《おもひこ》まれてしまふ樣《やう》になつて來《き》た。  さうなると患者《くわんじや》に對《たい》する宣傳《せんでん》は愈々《いよ/\》油《あぶら》が乘《の》つて來《き》て、熱辯《ねつべん》はいつか超熱辯《てうねつべん》と變《かは》つた。だから、 『でも、先生《せんせい》! 切《き》るのは痛《いた》う御座《ござ》んすし、第《だい》一|血《ち》の出る樣《やう》な事《こと》はね――』  といふ式《しき》に、摘出手術《てきしゆつしゆじゆつ》をいやがる人《ひと》にでもぶつからうものなら、それこそ涙《なみだ》を流《なが》さんばかりに躍起《やくき》となるので、今《いま》では『扁桃先生《へんたうせんせい》』とさへ云《い》へばすぐに、『あゝあの山井先生《やまゐせんせい》か』と云《い》ふ位《くらゐ》、彼《かれ》の扁桃腺《へんたうせん》摘出手術《てきしゆつしゆじゆつ》宣傳《せんでん》は四|隣《りん》に有名《いうめい》なものになつてしまつた。        二  いつとは無《な》しに商賣氣《しやうばいぎ》を離《はな》れて、本心《ほんしん》からさう信《しん》じて疑《うたが》はなかつた彼《かれ》は、口先《くちさき》で患者《くわんじや》に説《と》くばかりで無《な》く、自分《じぶん》のたつた[#「たつた」に傍点]一人《ひとり》の大事《だいじ》な娘《むすめ》の花子《はなこ》にも、その手術《しゆじゆつ》を施《ほどこ》して咽喉《いんこう》の兩側《りやうがは》を空虚《くうきよ》にし、自分自身《じぶんじしん》も友人《いうじん》に頼《たの》んですつかり[#「すつかり」に傍点]扁桃腺《へんたうせん》を取出《とりだ》してしまつた。  扁桃腺《へんたうせん》の方《はう》はそれで濟《す》んだが、疾病《しつぺい》に對《たい》する杞憂《きいう》の念《ねん》はそれ以來《いらい》反《かへ》つて猛烈《まうれつ》になつて來《き》て、抑《おさ》へようとしても中々《なか/\》抑《おさ》へつけられぬばかりでなく、抑《おさ》へようとすればする程《ほど》反《かへ》つてそれが激《はげ》しくなつて來《く》るのみであつた。  彼《かれ》は學生時代《がくせいじだい》の病理學《びやうりがく》のノートを讀《よ》んで、『人體《じんたい》は決《けつ》して完全《くわんぜん》なものではない。否《い》な有《あ》るが爲《ため》に疾病《しつぺい》を誘發《いうはつ》するものが少《すくな》くない、盲腸炎《まうちやうえん》を起《おこ》して生命《せいめい》を奪《うば》ふに至《いた》る蟲樣突起《ちうやうとつき》の如《ごと》きはその好適例《かうてきれい》である』と云《い》ふ處《ところ》を見《み》ると、バネ仕掛《じかけ》の人形《にんぎやう》の樣《やう》に飛上《とびあが》つて、早速《さつそく》友人《いうじん》の外科醫《げくわい》を訪問《はうもん》した。花子《はなこ》がその外科醫《げくわい》の手《て》に依《よ》つて、腹部《ふくぶ》を切開《せつかい》され、健全《けんぜん》な蟲樣突起《ちうやうとつき》を除去《ぢよきよ》して、盲腸炎《まうちやうえん》發生《はつせい》の懸念《けねん》から遠《とほ》ざかつたのは、それから丁度《ちやうど》三|日目《かめ》の午後《ごご》であつた。  此《この》手術《しゆじゆつ》に自信《じしん》づけられた頓吉《とんきち》は、非常《ひじやう》な確信《かくしん》の下《もと》に家族《かぞく》の非難《ひなん》を退《しりぞ》けながら、それから二ヶ|月後《げつご》に花子《はなこ》の胃袋《ゐぶくろ》を切取《きりと》つて貰《もら》ひ、四ヶ|月後《げつご》には子宮《しきう》をも切取《きりと》つて貰《もら》つた。それは非常《ひじやう》な慈悲心《じひしん》の發露《はつろ》であつて、胃《ゐ》があると胃潰瘍《ゐくわいやう》や胃癌《ゐがん》を起《おこ》して長命《ちやうめい》出來《でき》ない事《こと》になるのは疑《うたが》ひもない事實《じじつ》であるし、又《また》一|方《ぱう》から考《かんが》へれば胃《ゐ》は單《たん》に食物《しよくもつ》の停留場《ていりうぢやう》であつて、腸《ちやう》丈《だけ》でも十|分《ぶん》に消化《せうくわ》して行《ゆ》ける事《こと》は、學説《がくせつ》でもわかり又《また》胃《ゐ》を切取《きりと》つた後《のち》生存《せいぞん》して居《ゐ》る前例《ぜんれい》に徴《ちよう》してもわかるといふ見解《けんかい》に基《もとづ》いて居《ゐ》た。又《また》子宮《しきう》の方《はう》は之《これ》を取《と》つてしまへば、子宮癌《しきうがん》の出來《でき》る心配《しんぱい》も無《な》く、又《また》姙娠《にんしん》をする事《こと》も無《な》い。而《しか》して姙娠《にんしん》と分娩《ぶんべん》とは女性《ぢよせい》が死亡《しばう》する原因《げんいん》の大半《たいはん》を占《し》めて居《ゐ》るもので、同時《どうじ》に分娩《ぶんべん》しなければ容色《ようしよく》も長《なが》く衰《おとろ》へないといふ遠大《ゑんだい》な計畫《けいくわく》からであつた。  手術後《しゆじゆつご》の經過《けいくわ》が無難《ぶなん》に濟《す》んで、元氣《げんき》よく遊《あそ》んで居《ゐ》る花子《はなこ》の姿《すがた》を、嬉《うれ》しさうに眺《なが》めて居《ゐ》た頓吉《とんきち》は、疾病豫防《しつぺいよばう》の要諦《えうてい》は此《こ》の外科手術《げくわしゆじゆつ》に限《かぎ》る。之《こ》れこそ長命《ちやうめい》の祕訣《ひけつ》であるといふ牢乎《らうこ》として拔《ぬ》く可《べか》らざる確信《かくしん》を抱《いだ》いたが、その確信《かくしん》は更《さら》に又《また》花子《はなこ》に開腹術《かいふくじゆつ》を施《ほどこ》して、片側《かたがは》の腎臟《じんざう》と、副腎《ふくじん》と片側《かたがは》の卵巣《らんさう》とを切取《きりと》らずには止《や》まなかつた。之《これ》には執刀者《しつたうしや》たる外科醫《げくわい》も躊躇《ちうちよ》したのであつたけれども、卵巣《らんさう》や腎臟等《じんざうとう》が兩側《りやうがは》に一つ宛《づつ》有《あ》るのは無用《むよう》の事《こと》だ。片《かた》つ方《ぱう》さへあれば、それで十|分《ぶん》だ。餘計《よけい》にあるのは餘計《よけい》に疾病《しつぺい》を呼起《よびおこ》すのに、役立《やくだ》つばかりであると主張《しゆちやう》する頓吉《とんきち》の熱心《ねつしん》に、征服《せいふく》されてしまつたのであつた。  花子《はなこ》は體重《たいぢう》は減《げん》じたが、幸《さいはひ》に痩《や》せもせず、間《ま》もなく元氣《げんき》を恢復《くわいふく》した。        三  外科醫《げくわい》から、此《こ》の次《つぎ》にはもう何《なん》と云《い》はれてもメスを手《て》にしないと宣言《せんげん》されて居《ゐ》た頓吉《とんきち》は、それ迄《まで》にもう考《かんがへ》が普通《ふつう》の醫者《いしや》とは非常《ひじやう》にかけ離《はな》れてしまつて居《ゐ》た。彼《かれ》の醫學《いがく》は他《た》の醫師《いし》のそれと違《ちが》つて居《ゐ》たが、しかし自信《じしん》は特《とく》に強烈《きやうれつ》だつたので、友人《いうじん》から相手《あひて》にならないと云《い》はれても、そんなに苦痛《くつう》には思《おも》はなかつた。或《あるひ》は反《かへつ》てそれ以後《いご》の手術《しゆじゆつ》を、自分一人《じぶんひとり》で斷行《だんかう》する上《うへ》に、反對者《はんたいしや》が無《な》くなつて便宜《べんぎ》だつたかも知《し》れない。  咽喉《いんこう》や鼻《はな》でやつた腕《うで》の冴《さ》えを、はち切《き》れさうな確信《かくしん》で裏書《うらが》きしながら、頓吉《とんきち》は全身魔睡《ぜんしんますゐ》で昏々《こん/\》と深《ふか》く寢《ね》て居《ゐ》る、可愛《かはい》い可愛《かはい》い目《め》に入《はひ》つても痛《いた》くない位《くらゐ》に思《おも》はれる一人娘《ひとりむすめ》の身體《からだ》に加《くは》へた。――  花子《はなこ》は先《ま》づ足《あし》の指《ゆび》を切《き》られた。『小指《こゆび》一|本《ぽん》! こんなものは邪魔《じやま》だ、無《な》い方《はう》が恰好《かつかう》のいゝ靴《くつ》がはける位《くらゐ》だ。』と云《い》つて居《ゐ》たが、それから又《また》一|本《ぽん》、又《また》一|本《ぽん》! とう/\十|本共《ぽんとも》切取《きりと》られてしまつた。同《おな》じ事《こと》は手《て》にも行《おこな》はれた。  それから耳朶《みゝたぶ》を切取《きりと》つた。こんなものはいらないと云《い》つて――。それから鼻《はな》も削《けづ》つた。具體的《ぐたいてき》に何《なん》の役《やく》にも立《た》たないと考《かんが》へて――。  頓吉《とんきち》の眼《め》は凄《すご》い程《ほど》光《ひか》つて來《き》た。頓吉《とんきち》の手先《てさき》は緊張《きんちやう》の餘《あま》りピク/\と震《ふる》へた。彼《かれ》はそれから花子《はなこ》の左眼《さがん》を鮮《あざやか》にゑぐり出《だ》してしまつた。眼《め》も片《かた》つ方《ぱう》丈《だけ》で十|分《ぶん》だ。生《い》きる爲《ため》には眼《め》を二つ持《も》つ必要《ひつえう》は無《な》いと信《しん》じながら――。  めつかち[#「めつかち」に傍点]で耳《みゝ》も鼻《はな》も失《うしな》つたずんべら[#「ずんべら」に傍点]棒《ぼう》になつた花子《はなこ》は、それでも未《ま》だ、父《ちゝ》頓吉《とんきち》の慈悲《じひ》のメスから解放《かいはう》されなかつた。頓吉《とんきち》は手足《てあし》の指《ゆび》丈《だけ》取《と》つて一|段落《だんらく》にしたが、思《おも》ひかへすと之《これ》では未《ま》だ不《ふ》十|分《ぶん》だと思《おも》はれてならなかつた。彼《かれ》は醒《さ》めかけて來《く》る魔睡《ますゐ》を十|分《ぶん》にする爲《ため》に、更《さら》にマスクにクロヽフオルムを滴下《てきか》してから、段々《だん/\》油《あぶら》の乘《の》つて來《き》た得意《とくい》の調子《てうし》で、勢《いきほひ》よく兩足《りやうあし》をズボリと股《また》のつけ根《ね》から切斷《せつだん》した。而《そ》して兩手《りやうて》も亦《また》肩《かた》のつけ根《ね》から、肩胛骨《けんかふこつ》(かいがらぼね)諸共《もろとも》、躯幹《くかん》から取外《とりはづ》してしまつたのであつた。        四  母親《はゝおや》は手術室《しゆじゆつしつ》を覗《のぞ》いて、かはり果《は》てた花子《はなこ》の姿《すがた》と、算《さん》を亂《みだ》して横《よこたは》つて居《ゐ》る、切《き》りはなされた手《て》や足《あし》や、指《ゆび》や、耳朶《みゝたぶ》や鼻《はな》や、眼球《めだま》等《とう》を一|目《め》見《み》るなり、そのまゝ其處《そこ》に、 『ウーン』と云《い》つて氣絶《きぜつ》してしまつたが、頓吉《とんきち》は未《ま》だ眼《め》をキラ/\輝《かゞや》かしながら、もつと何處《どこ》か切取《きりと》る所《ところ》は無《な》いかといふ樣《やう》な顏付《かほつき》で、疾病《しつぺい》を恐怖《きようふ》する慈愛《じあい》の心《こゝろ》に燃《も》えながら、メスを持《も》つ手《て》を震《ふる》はせつゝ死《し》んだ樣《やう》に――といふよりは人間《にんげん》か、鯨《くぢら》の切肉《きりみ》か、見《み》わけられない樣《やう》な姿《すがた》になつて、手術臺《しゆじゆつだい》の上《うへ》に轉《ころ》がつて居《ゐ》る一人娘《ひとりむすめ》の身體《からだ》を、穴《あな》のあく程《ほど》熱心《ねつしん》に眺《なが》めて、床《ゆか》から生《は》えた塑像《そざう》の樣《やう》につっ立《た》つて居《ゐ》た。  周圍《しうゐ》の一|切《さい》に無頓着《むとんちやく》に――。  花子《はな》は生《い》きては居《ゐ》たが、唯《たゞ》ころがつて居《ゐ》る丈《だけ》で、身動《みうご》き一つ出來《でき》なかつた。それは恐《おそ》らくいつまでも――彼女《かのぢよ》の命《いのち》のある限《かぎ》り續《つゞ》く所《ところ》の姿《すがた》であつたらう。 底本:「現代ユウモア全集 第十一卷 高田義一郎集 らく我記」現代ユウモア全集刊行會    1928(昭和3)年11月20日発行 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:宮城高志 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。