人造人間
高田義一郎
一
此處は○○帝國大學醫學部、○○教授の研究室である。
此の教授は古くから人間を試驗管の中で一人前に造り上げて見せねば止まないといふ意氣込で、彼是十年ばかりも暇さへあれば自分の研究室に入り込んで、その研究ばかりして居たのであつたが、先頃來愈々最善の結果が得られ――所期の目的が到達せられる所まで漕ぎ着けたといふので、入浴中に比重の原理を思ひついて裸體のまゝシラクスの市中を狂喜して飛歩いたシシリーの物理學者アルキメデスの昔話式に、何時どんな狂人じみた事をやり出すか知れたものぢやないと、教室の助手達が寄ると觸はると袖を引き合つて囁く位、教授先生『試驗管内に於ける人間の培養完成』に宇頂天である。
二
『オツクスフオード大學のホールデン教授が人間の體外生殖に成功したといふデーリー・メールの表題を見た時には、殘念だ! 此の仕事のプリオリテートをアメリカへ取られたか。之は我輩丈の殘念では無い。國家の爲にも遺憾だと考へたが、内容を讀んでそれが十九五一年を豫想した一場の夢物語に過ぎない事がわかつたので、漸く安心した。』
と前置きして今しがた眼を通した外字新聞の記事に非常に驚かされたのと、其後の安心も、始めの驚愕の大きかつた丈それ丈大きかつたのであらう。○○教授は未だ興奮の鎭まりきらない樣なおもゝちで今、誰かに話しかけて居るが、いつもの樣に此教室の助手A君を訪づれて通がかりに廊下で聞いて居る私には、相手は誰か衝立の陰になつてわからない。唯頭の禿げた○○教授が鍵穴を通して見えて居る丈である。
『我輩が體外生殖に頭を惱まし出したのも隨分久しいものだな。何しろカーレルやバロウスが犬、猫、鼠、兎、鷄等の胚胎組織の培養をやつた第一回の報告にヒントを得て早速着手したので、ブラウスやハツダやオツペル達の追試驗と殆ど同時だつたから――左樣、あれは一九一一年の暮だつけ。あれからもプラウスニツツだのヂンゲルだのオツペルだのルーだの隨分澤山な研究者がそれからそれへと研究の歩を進めては行つたけれども、結局組織片を生理的食鹽水に移したり、リンゲル氏液に入れて置いてどう變化するかを見る丈で、誰も、我輩と同樣の點に着眼しなかつたんだ。無論精蟲を體外で檢索した者はあつたけれども温度の影響や、酸類乃至アルカリ類の濃度を加減して精蟲の生存期間又は動作の活溌さ如何を見た丈で、要するに精蟲を瓶詰めにして小包託送の目的から人工姙娠可能の限度を明にし、出來る丈それを擴大延長する考へより一歩も出なかつたのであつて、それが悉く我輩の研究に對する縁の下の力持ちをした形になつて居るのは多少氣の毒の樣でもあり、又愉快でもあるのだ。デーリー・メール紙の夢物語の方法にしても飛行機から墜落して慘死した婦人の卵巣を取出して特殊な培養液の中に五年間生かして置く事に成功し、次で之に受精させて四年後に漸く人間の子供が出來たのに喜んで、それからは卵巣を剔出して二十年間も體外に生かして置き、其の毎月の卵子の九割までを受精[#ルビの「じゆせい」は底本では「しゆせい」]して赤ん坊に仕上げたとしてあるが、夢物語としては大分物足りないし、又不出來だらうと思ふ。そんなに子宮とか卵巣とかいふ器管を體外に生かして置けるといふのならば、一つその事、口の體外培養をして蓄音機の代用をさせたり、胃袋を體外に生かして置いて消化不良に惱む人達は體外で消化したものを浣腸でもした方が名案だつたらうぢやないか。何? 凝つては思案に及ばずだつて? そんな辯解は苦しい。我輩の方法を聞き、我輩の研究を見れば正に愧死するに足るものがあるだらう。』
鼻息が中々荒い。否な少々荒過ぎるかとも思ふが、話が面白さうだから、ヂツとして聞いて居ると――。
三
『我輩の方法は目下有力な世界の各國語に飜譯した論文を印刷中であるから暫く細目は發表を見合はすが、子宮や卵巣を取出す樣な空想じみた事はしないよ。十餘年前に野口英世君が狂犬病の病源體培養の時に兎の腎臟の切片や俗に腸滿といふ病氣の腹水等を使用してかなり手數のかゝつた培養液を作つたが、あれにもつと幾倍も手數をかけた液や、細菌檢査を見た人は知つてるだらうが寒天や膠質をガラス製の皿や試驗管の中に入れるだらう。あれに血液其他いろ/\のものを加へたものを成熟した初生兒の樂に入る位な大さの瀬戸物の甕の中に入れてあるのだ。それ以上は發表の時期でないから云へないが、此の中へ適當な精選した卵子と精蟲とを入れて受精させるので、それは人工姙娠の場合と少しも違はぬけれども、子宮が天然のものでないから強ひて名づければ此の『人工子宮』が我輩の創案といふ譯になつて居る。さう聞いた丈では一寸不安に思ふだらう。我輩自身さへ最初は大に不安な所があつたのだが、それが豫期以上の好成績を收めて新しい生命の種子がムク/\と其の中から成育して來るのを見た時には、實に抑へ切れない程嬉しかつたね――。無論何回も繰返す中にはいろ/\の故障が起る。甕をぶつけたり、培養基の作り方や分量の工合が變つたり、温度の變化が起つたり濕氣や光線の加減等一寸した事があつても、夫々發育に變調が伴つて畸形になつたり、發育不良になつたり、甚だしい時には半途で死んでしまつたりするので隨分落膽もしたが、又その都度經驗を重ねて行く譯で、最初の四、五年間は隨分苦心したものゝ、今では百發百中の自信と經驗が出來て從來の人工姙娠の樣なあてにならないものとは丸で違ふね。
それを誰が何處から嗅ぎ出すものか、いろ/\のつてを求めて參觀さしてくれとか、一つ御依頼したいとか云つて來る。始めの内は謝絶ばかりして居たんだが、つい斷り切れない知己のを引受けてからといふものは依頼引きも切らずといふ姿で、現在試驗室にある發育中のもの數十個の中三分の二は依頼のものばかりだから、自分の研究にも少々差支へる位だ。それで先頃から、大分助手にもやらして居るが、此の分で行くと將來は別に其の方の研究所を建てなければ追つかないだらうと考へて居るよ。
しかも其の結果は早晩各方面に大革命を起すだらう。一例を云へば殺人といふ事は無意味になつて罰せられない樣になるか、或は人造の人間には特別の除外例を設けるか、どつちか一途を選ばなければならないので、前に云つた夢物語には『パリーでは年々六萬人の人造人間が出來て、戀愛と生殖とを明劃に區別をする事になつた。』としてあるが、あれは想像の不足から大きな馬脚を現はして居る。人造人間がいくら出來ても千古以來の自然の人間は矢張り從前通りに出來るから、戀愛と生殖の區別にはならない。しかしそれよりももつと/\重大な事が澤山起つて居る。未だほんの緒についたばかりの我輩の研究室丈でさうだから、將來之が廣く行はれたらそれこそ大變だらうよ。何がそんなに大變かといふのかね、わからなければ二、三の實例を示さうか。』
○○教授は元氣よく得意の熱辯を振ひ續けて相手を煙に卷いて居る。相手は見えないが話の工合からいつも氣焔を聞かされ續けで弱つて居る助手連でない丈は確かである。
四
『一月ばかり前だつた、××警察署の署長が刑事をつれて來訪して、「貴官の研究室で人間をお作りになりますか。」といふから「左樣。」と答へるとね、「□□町八番地の山田治郎作といふ者の依頼で作られた事實がありますか。」といふ質問さ。「そんな人は知らぬが。』と答へると、「然らば同人の家にある嬰兒は貴官の教室のものとは全然同一物――同一人――ではありませんね。」と肉迫して來るので、我輩は次の樣に答へたよ。
『我輩から直接山田といふ人に渡しはせぬが、第三者から山田といふ人の手に當教室製の人間が渡つたかも知れない。それは證明出來ない。何故ならば人間は人間だが戸籍にも載つて居ないし、學者たる我輩が研究的に製作した物品として珍重されて居るに過ぎないから、各人の間にいくらも授受賣買が行はれもしよう、しかも、現在未だ其取締は無いんだからね。』
すると署長も刑事も泣き出さんばかりの顏をして、『弱つたなア○○君。』『弱りましたなア署長。』と二人で顏を見合して同じ樣な事を繰返したつきり沈默して居るんだ。譯がわからないから、こつちから『一體どうしたんですか。』と質問すると署長の答は次の通りさ。
『イヤ申遲れましたが、山田といふ家の細君の墮胎といふ見込で告發した所が、分娩も姙娠もしないあれは○○大學[#ルビの「だいがく」は底本では「いがく」]の先生の作り物ですといふので手がつけられないのです。それも今回限りならばよい樣なものゝ、今後之が各所に續出すれば全く始末に終へなくなるかと思ふんです。』
之は尤もな話だと思つたね。しかし之は『人體以外ニ於テ生ジタル人間ト雖モ之ヲ人トシテ取扱フベシ』といふ法律でも出すより仕方があるまいが、さうなると我輩の研究室では毎日出産屆ばかりして、私生子以上に厄介なものを始末する手續丈でもやり切れなくなるから迷惑此の上無しさ。アハヽヽヽ、私生子といふ從來の稱呼もをかしなものになるから、こつちへ貰ふ事になつて、從來の奴は父不詳子と改める事になるかも知れないね。
それに今でこそ赤ん坊ばかりだが、どん/\大きくなると研究室出來の無籍者が壯年になり、老年になる譯で兵役や納税の義務も無いかはりに公民權も無ければ殺されても殺されつぱなしになつて困らうから、何れ近い中に『人造人間取扱法案』位なものが議會の大問題になる事だらう。放つて置けば殺人御免の恐怖時代が出現する可能性があるからね。
五
種々な理由で我輩に人造人間を依頼に來る者は隨分多い。勿論益々それが殖えこそすれ減少する見込は無いので文字通り忙殺されて居るが其一、二を云つて見れば、生みの苦しみをしたくないとか姙娠中見苦しい形をしたくないとか、姙娠の爲に容色の早く衰へるのを避けたい等といふ雜多な原因から姙娠を好まない新しい婦人達もあれば、姙娠中の謹みが續かないで胎教の惡影響を及ぼすのを恐れますといふ考の女性もある。さうかと思へば又優生學の立場から人工姙娠をと願つて居たが、現在自分の女房の胎内にと思ふと、偉い人の種を借りて來るのに躊躇させられて居た。しかし此の人工子宮の中で育つとすればそんな感情は少しもまじらないから理想通りの崇拜者の種を喜んで貰へる。それは下手な養子をするのに較べてどれ丈結構な事かわからないと、大喜びの學問のある男子も來るといふ樣な姿さ。所が我輩の驚いた事が一つあるんだよ。それは商人の利に敏い事だがね。
一體どこで聞いたものか、そんな事のわかる筈は無い樣な男なのにすつかり組織的に準備をして來て、人工子宮に培養する要素供給の專賣所をやらして欲しいといつて來たのさ。自分等夫婦から材料を提供するものには其の必要は無いが、前の人の樣に優良な種を選ばうとする場合、自分で直接に崇拜者の所へは頼みにも行きにくいし、又供給する方も一寸返事にこまる。其時に中へ入つて相手の欲すつまゝに軍人でも政治家でも、事業家でも、學者でも、宗教家でもチヤンと整へて來る事を自分一手で引受けるといふので實に拔目の無いもんだね! 之には全く感心させられた。人が苦心したのをそつくり其儘利用して濡手で粟をつかむ樣な大儲けをやらうといふ悧巧な考へだから。』
といひつゝ調子づいて握つた拳骨でドシンと卓を叩いた。○○教授の熱辯に傾聽して居た筈の相手は此のドシンといふ音に驚いて目をさました。何時終るかわからない長談義についうと/\して居たのであらう。道理で靜かだつたと肯かれた。スルト教授は禿頭から湯氣を立てんばかりにカン/\に怒つて、天井も拔けるかと思はれる程の大聲で、『馬鹿野郎。失敬な。』とどなりつけた。
此底拔の大聲に私も驚いて飛上つた。飛上り過ぎて思はずドシンと尻餅をついた。但しそれは研究室の廊下ではなくつて、それは自分の床の上であつた。
私ですか? 私は助手A君の友人です。いつもA君から○○教授の脱線振を聞かさせて居る上に、今日は早朝から又教室にA君を訪ふのを樂みにして居たのです。(大正十五・九・十九)
●表記について
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- [#…]は、入力者による注を表す記号です。