人間の卵 高田義一郎 -------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)鳥類《てうるゐ》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)六百|種《しゆ》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)つまり[#「つまり」に傍点] /\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号) (例)中々《なか/\》 *濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」 --------------------------------------------------------        一 『鳥類《てうるゐ》や魚類《ぎよるゐ》は、卵生動物《らんせいどうぶつ》として知《し》られて居《ゐ》るが、それには例外《れいぐわい》がある。例《たと》へばあの――金魚屋《きんぎよや》に賣《う》つて居《ゐ》るメダカといふ小魚《こうを》――一口《ひとくち》にメダカと云《い》つても、その種類《しゆるゐ》は六百|種《しゆ》からあつて、地球上《ちきうじやう》到《いた》る處《ところ》に分布《ぶんぷ》して居《ゐ》るが――あの小魚《こうを》には卵生《らんせい》のみならず、胎生《たいせい》のものもある。胎生《たいせい》のメダカは、或《あ》る特殊《とくしゆ》の交尾《かうび》をした場合《ばあひ》に限《かぎ》つて出來《でき》る。この事實《じじつ》は今《いま》から六七十|年《ねん》も前《まへ》から、その研究者《けんきうしや》に依《よつ》て認《みと》められて居《ゐ》たのである。  醫學史《いがくし》の研究者《けんきうしや》で、文學博士《ぶんがくはかせ》であり、又《また》醫學博士《いがくはかせ》であるA博士《はかせ》は、興味《きようみ》のある、而《そ》して奇怪《きくわい》な講演《かうえん》を續《つゞ》ける。 『既《すで》に卵生動物《らんせいどうぶつ》にして同時《どうじ》に胎生《たいせい》のものがある以上《いじやう》、胎生《たいせい》の動物《どうぶつ》にも亦《また》、一|定《てい》の方法《はうはふ》に依《よつ》て卵生《らんせい》せしめ得《え》ない筈《はず》はないといふのが、本研究《ほんけんきう》の動機《どうき》であつた。それが單《たん》に學問上《がくもんじやう》の興味《きようみ》だけでは無《な》く、卵生《らんせい》も出來《でき》るとなれば人間《にんげん》に非常《ひじやう》に便利《べんり》なことが多《おほ》い。例《たと》へば早産兒《さうさんじ》は中々《なか/\》うまく育《そだ》てにくいが、卵生《らんせい》となれば月足《つきた》らずで生《うま》れても、後《あと》から鷄《にはとり》の樣《やう》にゆる/\と温《あたゝ》めて、慈愛《じあい》のこもつた母《はゝ》の懷《ふところ》でよく育《そだ》てることが出來《でき》るし、胎生《たいせい》となれば一|般《ぱん》に分娩《ぶんべん》の苦痛《くつう》が大《おほ》きいのに反《はん》して、卵生《らんせい》となれば難産《なんざん》の如《ごと》きは跡《あと》を絶《た》つてしまふであらう。』  一九九九|年《ねん》の初夏《しよか》の空《そら》は、心地《こゝち》よく晴《は》れて、紺碧《こんぺき》の空《そら》には、眞《ま》つ白《しろ》な入道雲《にふだうぐも》がむく/\と出《で》て來《き》ては、時々《とき/″\》奇拔《きばつ》にその形《かたち》をかへて居《ゐ》た。カーテンを洩《も》れる光線《くわうせん》で明《あか》るい室内《しつない》には、溢《あふ》れんばかり多數《たすう》の聽衆《ちやうしう》が、熱心《ねつしん》な顏《かほ》を輝《かゞや》かしながら靜肅《せいしゆく》に聞《き》いて居《ゐ》る。A博士《はかせ》の話《はなし》はだん/\進《すゝ》んで行《ゆ》く。 『メダカの一|種《しゆ》でマウス・ブリーデイング・フヰツシユといふのがあつて、それは卵《たまご》を生《う》むとすぐそれを自分《じぶん》の口《くち》の中《なか》に入《い》れて、口《くち》の中《なか》で孵化《ふくわ》させる。口《くち》の中《なか》で孵《かへ》つた魚《さかな》の赤《あか》ん坊《ばう》は、母親《はゝおや》の口《くち》の中《なか》で生活《せいくわつ》して居《ゐ》て、恰度《ちやうど》カンガールの仔《こ》が、母親《はゝおや》の腹《はら》のポケツトから出入《でいり》して居《ゐ》るのと同《おな》じ樣《やう》に、澤山《たくさん》の赤《あか》ん坊《ばう》が母《はゝ》の口《くち》から遊《あそ》びに出《で》て、恐《おそ》ろしいものにでも逢《あ》へば大《おほ》いそぎで、母《はゝ》の口《くち》に逃《に》げ込《こ》む。又《また》それと同《どう》一の趣向《しゆかう》で、ねばねばした液《えき》で泡《あわ》をこしらへて、その泡《あわ》の球《たま》の中《なか》に卵《たまご》を入《い》れる一|種《しゆ》もある。その卵《たまご》も孵化後《ふくわご》暫《しばら》くの間《あひだ》は、前者《ぜんしや》の母《はゝ》の口《くち》と同樣《どうやう》に、泡《あわ》の球《たま》の中《なか》に住《す》み、球《たま》から出入《でいり》して遊《あそ》んで暮《くら》すさうである。こんな事實《じじつ》――それはメダカのみに例《れい》を取《と》つたのであるが――も、非常《ひじやう》に此《こ》の研究《けんきう》を促《うなが》す動機《どうき》となつたのであつた。  その研究《けんきう》の經路《けいろ》は之《これ》を省《はぶ》かなければならないが、特殊《とくしゆ》の注射《ちうしや》を若干回《じやくかんくわい》施《ほどこ》すことに依《よ》つて、姙娠後《にんしんご》約《やく》二百五十|日目《にちめ》に卵《たまご》――人間《にんげん》の卵《たまご》――として、人《ひと》の子《こ》を生《う》むことに海下博士《うみしたはかせ》が成功《せいこう》した。その卵《たまご》は母《はゝ》の懷中《ふところ》なり、攝氏《せつし》三十七|度《ど》の孵卵器《ふらんき》の中《なか》なりで、一|定時間後《ていじかんご》にはじめて呱々《こゝ》の聲《こゑ》を上《あ》げる次第《しだい》で、母《はゝ》をして毎回《まいくわい》約《やく》三十|日間宛《にちかんづつ》、しかし腹《はら》の最《もつと》も大《おほ》きい、最《もつと》も苦痛《くつう》の多《おほ》い、而《しか》して外見上《ぐわいけんじやう》風姿《ふうし》の美《うつく》しくない時日《じじつ》から、解放《かいはう》した事《こと》丈《だけ》からでもこの研究《けんきう》は人類《じんるゐ》に非常《ひじやう》の幸福《かうふく》を齎《もたら》したものである。況《いは》んや、難産《なんざん》に依《よ》る兒童《じどう》の死亡《しばう》を防《ふせ》いだり、殊《こと》に二た子《ご》や三つ子《ご》等《など》の複姙《ふくにん》の場合《ばあひ》の子供《こども》に及《およ》ぼした重大《ぢうだい》な利益《りえき》等《など》、その結果《けつくわ》のよい事《こと》は中々《なか/\》數《かぞ》へ切《き》れない程《ほど》であつた。その研究《けんきう》が發表《はつぺう》されたのは恰度《ちやうど》一九――年《ねん》の四|月《ぐわつ》であつたから――本當《ほんたう》ならば、今日《こんにち》に於《おい》てはそれが一|層《そう》研究《けんきう》され、一|層《そう》普及《ふきふ》され、且《か》つ利用《りよう》されて居《を》らなければならない筈《はず》なのである。然《しか》るにそれから僅《わづか》に○十|年後《ねんご》の今日《こんにち》に生《せい》を享《う》けた諸君《しよくん》が、少《すこ》しもその事實《じじつ》を知《し》らないといふのは何故《なにゆゑ》であらうか。それが即《すなは》ち、私《わたし》の今日《こんにち》諸君《しよくん》に語《かた》らうとする主題《しゆだい》なのであります。』  A博士《はかせ》は一寸《ちよつと》言葉《ことば》を切《き》つて、卓上《たくじやう》のコツプで咽喉《のど》をうるほした。        二 『諸君《しよくん》が、比較的《ひかくてき》近年《きんねん》の此《こ》の事實《じじつ》を知《し》らないのは、つまりその研究《けんきう》のみならず、一|般《ぱん》の人々《ひと/″\》が、子供《こども》を卵《たまご》として生《う》むことを嚴禁《げんきん》し、若《も》し卵《たまご》を卵生《らんせい》したならば、それは極刑《きよくけい》――死刑《しけい》――に處《しよ》して、殺人《さつじん》同樣《どうやう》に取扱《とりあつか》ふといふことになつた爲《ため》であつて、さうされたのは此《こ》の卵生《らんせい》の爲《ため》に非常《ひじやう》に弊害《へいがい》が多《おほ》く出來《でき》たからであつた。  諸君《しよくん》、諸君《しよくん》は奇怪《きくわい》に考《かんが》へるでせう。前《まへ》にいふ如《ごと》く、非常《ひじやう》に世間《せけん》に、人類《じんるゐ》に、多《おほ》くの利益《りえき》を與《あた》へたといふ研究《けんきう》を禁止《きんし》して、その違反者《ゐはんしや》を極刑《きよくけい》にしなければならないといふ事《こと》を、甚《はなはだ》しい不合理《ふがふり》と考《かんが》へるでせう。それは確《たしか》に矛盾《むじゆん》であつたが、しかし禁止《きんし》は又《また》確《たしか》に止《や》むを得《え》なかつたので、人類《じんるゐ》の卵生《らんせい》が行《おこな》はれて居《ゐ》たのはホンの二、三|年《ねん》の短期間《たんきかん》に過《す》ぎなかつた。之《これ》が即《すなは》ち諸君《しよくん》がその事實《じじつ》を知《し》らない所以《ゆゑん》であると同時《どうじ》に、私《わたし》の專攻《せんこう》して居《ゐ》る醫史學上《いしがくじやう》、非常《ひじやう》に興味《きようみ》のある時代《じだい》であるのであります。  私《わたし》はこれから如何《いか》なる弊害《へいがい》が、人間《にんげん》の卵《たまご》を繞《めぐ》つて起《おこ》つたかを語《かた》らなければならない。一|體《たい》劃時代的《くわくじだいてき》研究《けんきう》の發表《はつぺう》には、往々《わう/\》にして反對運動《はんたいうんどう》や、禁止運動《きんしうんどう》が伴《ともな》ふもので、例《たと》へば一九一一|年《ねん》に、エールリヒ及《およ》び秦《はた》の兩氏《りやうし》が黴毒《ばいどく》を全治《ぜんち》するサルブアルサン、即《すなは》ち所謂《いはゆる》六百六|號《がう》と稱《しよう》する藥品《やくひん》を發見《はつけん》して、その效果《かうくわ》が適確《てきかく》であることが世間《せけん》に知《し》れ渡《わた》ると同時《どうじ》に、宗教團體《しうけうだんたい》の一|部《ぶ》から、突如《とつじよ》としてこんな反對運動《はんたいうんどう》が起《おこ》つた事《こと》がある。 「黴毒《ばいどく》なる病氣《びやうき》は、放蕩《はうたう》をした者《もの》に對《たい》する天《てん》の制裁《せいさい》であります。之《これ》あるが爲《ため》に、放蕩《はうたう》を欲《ほつ》しながらもその病氣《びやうき》にかゝる事《こと》を恐《おそ》れて放蕩《はうたう》しなかつた者《もの》は隨分《ずゐぶん》多《おほ》い。然《しか》るに今日《こんにち》以後《いご》、いくら放蕩《はうたう》をして黴毒《ばいどく》に罹《かゝ》つても、サルブアルサンの注射《ちうしや》さへすれば、直《たゞち》に舊《もと》の如《ごと》く治《なほ》るといふ事《こと》になれば、世間《せけん》の者《もの》は悉《こと/″\》く立《た》つて放蕩《はうたう》の門《もん》に走《はし》るに定《きま》つて居《ゐ》る。耽溺《たんでき》しない者《もの》は馬鹿《ばか》だといふ考《かんが》へを持《も》つに定《きま》つて居《ゐ》る。即《すなは》ち此《こ》のサルブアルサンといふ藥《くすり》は、黴毒《ばいどく》を治《なほ》すと同時《どうじ》に、社會《しやくわい》を墮落《だらく》させる藥《くすり》であります。だから折角《せつかく》の大發見《だいはつけん》を全然《ぜんぜん》禁止《きんし》してしまへとは云《い》はないまでも、是非共《ぜひとも》一|生涯《しやうがい》に一|度《ど》より、此《こ》の注射《ちうしや》を受《う》けることが出來《でき》ないといふ禁止令《きんしれい》を出《だ》して貰《もら》ひたいと切望《せつばう》して止《や》みません。」  右《みぎ》のやうな請願《せいぐわん》の運動《うんどう》が起《おこ》つた事《こと》がある。幸《かう》か不幸《ふかう》か、その運動《うんどう》は效《かう》を奏《そう》せずに終《しま》つた。つまりそれでは折角《せつかく》良藥《りやうやく》を發見《はつけん》したのが、何《なん》にもならない事《こと》になるのと、サルブアルサンも最初《さいしよ》に豫想《よさう》された程《ほど》にはきかなかつたからであつた。しかしこの人間《にんげん》の卵生術《らんせいじゆつ》の發見《はつけん》に對《たい》する反對運動《はんたいうんどう》は、完全《くわんぜん》にその效《かう》を奏《そう》したので、それはつまり[#「つまり」に傍点]卵生《らんせい》に伴《ともな》ふ弊害《へいがい》が顯著《けんちよ》であると認《みと》められたからでありませう。その弊害《へいがい》と認《みと》められた若干《じやくかん》の例《れい》を之《これ》から語《かた》らうとするのであります。』  A博士《はかせ》の話《はなし》は、そのまゝ、以下《いか》人間《にんげん》の卵《たまご》を繞《めぐ》つて起《おこ》つた事實《じじつ》を掲《かゝ》げようとするのであるが、談話《だんわ》のまゝではあまり冗長《じようちやう》に失《しつ》しる嫌《きら》ひがあるから、便宜上《べんぎじやう》、書下《かきくだ》すに止《とゞ》めることを承知《しようち》して戴《いたゞ》きたいのである。        三  東京《とうきやう》××新聞《しんぶん》の夕刊《ゆふかん》を見《み》て居《ゐ》た川子夫人《かはこふじん》は、手《て》にして居《ゐ》た夕刊《ゆふかん》を取落《とりおと》す程《ほど》に驚《おどろ》いて、顏色《かほいろ》をかへながら、傍《かたはら》の机《つくゑ》で何《なに》か書《か》いて居《ゐ》た夫《をつと》の山雄《やまを》に話《はな》しかけた。 『まあ、あなた。家《うち》へ出入《でいり》して居《ゐ》る青華堂《せいくわだう》の鷄卵《けいらん》の中《なか》に、澤山《たくさん》人間《にんげん》の卵《たまご》がまぜてあつたんですつて、家《うち》で食《た》べたのゝ中《なか》にも、もしかすると有《あ》りはしなかつたでせうか? 妾《あたし》、何《なん》だか氣味《きみ》が惡《わる》くなつて、胸《むね》がむか/\する樣《やう》で仕方《しかた》が御座《ござ》いません!』 『一寸《ちよつと》その夕刊《ゆふかん》を見《み》せて御覽《ごらん》!』山雄《やまを》は、妻《つま》の手《て》から受取《うけと》つた紙面《しめん》を見《み》ながら、『はゝあ、此《こ》の主人《しゆじん》が拘引《こういん》されたといふ青華堂《せいくわだう》か、いつでも家《うち》へ出入《でいり》して居《ゐ》るんだね。まあさうすぐ[#「すぐ」に傍点]に神經《しんけい》を尖《とが》らさなくつてもいゝさ、しかし此《こ》の人卵《じんらん》の話《はなし》は、昨日《きのふ》も友人同志《いうじんどうし》の會合《くわいがふ》の席上《せきじやう》でも出《で》てね、人間《にんげん》の卵《たまご》が鷄卵《けいらん》とまぎれる程《ほど》小《ちひ》さいか如何《どう》かつていふ議論《ぎろん》があつたんだよ。所《ところ》がその方《はう》の事《こと》を知《し》つてる者《もの》の話《はなし》によると、完全《くわんぜん》に出來上《できあが》つた人間《にんげん》の卵《たまご》は、無論《むろん》大《おほ》きくつて、鷄卵《けいらん》の四五|倍《ばい》もあるが、早産《さうざん》をすればいくらでも小《ちひ》さいのが出來《でき》るから、鷄卵《けいらん》と混《ま》ぜて胡麻化《ごまくわ》すことも出來《でき》るつていふ譯《わけ》になるんださうだ。あんまり氣味《きみ》のいゝ話《はなし》ぢやあないがね。』 『そんなことだといやですわね。――何《なん》とか混《ま》ぜてあるのを、區別《くべつ》する方法《はうはふ》は無《な》いもので御座《ござ》いませうか。』川子夫人《かはこふじん》も、恰《あたか》も憐《あは》れみを乞《こ》ふ時《とき》の樣《やう》な態度《たいど》で、夫《をつと》の答《こたへ》を待《ま》つのだつた。 『さうだ、その問題《もんだい》は昨日《きのふ》もすぐに出《で》たんだよ。何《なん》でも味《あぢ》が鷄《にはとり》のよりも少《すこ》しいゝといふが、それ丈《だけ》ではわからない。黄味《きみ》の色《いろ》が心持《こゝろもち》薄《うす》いといふけれども、之《これ》も鷄《にはとり》の食料《しよくれう》に依《よつ》て、鷄卵《けいらん》の黄味《きみ》の色《いろ》に濃淡《のうたん》があるから、一|概《がい》に何《なん》ともいふ事《こと》は出來《でき》ないし、大《おほき》さの關係《くわんけい》は今《いま》云《い》つた通《とほ》りさ。それでどうしても昔《むかし》から有《あ》る蛋白《たんぱく》の種類《しゆるゐ》の鑑別試驗《かんべつしけん》をするより仕方《しかた》が無《な》いさうだよ。確實《かくじつ》なことを云《い》ふにはね!』 『その鑑別試驗《かんべつしけん》は、家庭《かてい》でも出來《でき》るので御座《ござ》いませうか。』之《これ》が出來《でき》ればよい、いよいよ出來《でき》ないとなれば、鷄卵《けいらん》は絶對《ぜつたい》にもう臺所《だいどころ》へ入《い》れまいといふ決心《けつしん》をしながら、川子夫人《かはこふじん》は恐《おそ》る/\夫《をつと》に尋《たづ》ねたのであつた。 『一寸《ちよつと》免倒《めんだう》ださうだ。しかし手數《てすう》さへ厭《いと》はなければ、いくらでも出來《でき》るつていふ話《はなし》だつたよ。』山雄《やまを》は友人《いうじん》から聞《き》いた通《とほ》りを、率直《そつちよく》に答《こた》へた。 『幾《いく》つも試驗《しけん》の方法《はうはふ》があるさうだ。即《すなは》ち補體結合反應《ほたいけつがふはんのう》といふのもあり、沈降素反應《ちんかうそはんのう》といふのも過敏性反應《くわびんせいはんのう》といふのもあるといふ事《こと》を聞《き》いたよ。』 『どれか一つで結構《けつこう》で御座《ござ》いますが、その中《なか》で一|番《ばん》便利《べんり》な方法《はうはふ》を教《をし》へて戴《いたゞ》きたいと思《おも》ひますが……』 『どの方法《はうはふ》も皆《みな》、動物《どうぶつ》を使《つか》はなければならないが、沈降素反應《ちんかうそはんのう》の方法《はうはふ》だと兎《うさぎ》だといふし、過敏性反應《くわびんせいはんのう》はモルモツトの方《はう》がいゝさうだから、やつて見《み》るつもりなら、モルモツトを飼《か》つとく方《はう》が、場所《ばしよ》ふさぎにならないでいゝだらうぢやないか。』 『動物《どうぶつ》丈《だけ》でなしに、やり方《かた》はむづかしくは御座《ござ》いませんの。』 『何《なん》でも鷄卵《けいらん》の白味《しろみ》をモルモツトの腹《はら》の中《なか》に注射《ちうしや》して置《お》いて、幾日目《いくにちめ》かに檢査《けんさ》しようと思ふ卵《たまご》、即《すなは》ち鷄《にはとり》の卵《たまご》か、人間《にんげん》の卵《たまご》かわからない卵《たまご》の白味《しろみ》を、その用意《ようい》をしてあるモルモツトと、唯《たゞ》のモルモツトとの兩方《りやうはう》の腹《はら》の中《なか》に注射《ちうしや》する丈《だけ》でいいのだ、すると若《も》しその卵《たまご》が鷄卵《けいらん》ならば用意《ようい》してあつたモルモツトはスグに死《し》ぬし、唯《たゞ》のモルモツトには、少《すこ》しの變兆《へんてう》が起《おこ》らない筈《はず》だから、その時《とき》に若《も》し兩方共《りやうはうとも》のモルモツトが平氣《へいき》ならば、鷄卵《けいらん》ぢやなかつた譯《わけ》だね。そこで若《も》し人間《にんげん》の卵《たまご》だといふことを積極的《せききよくてき》に確《たしか》める爲《ため》には、前《まへ》に別《べつ》に人《ひと》の血清《けつせい》なり人間《にんげん》の卵《たまご》の白味《しろみ》なりを注射《ちうしや》したモルモツトを用意《ようい》して置《お》いて、それが檢査《けんさ》をすべき疑問《ぎもん》の卵《たまご》の注射後《ちうしやご》に、死《し》ぬか死《し》なないかを見《み》ればいゝんだから、簡單《かんたん》ぢやないか。精《くは》しい事《こと》は知《し》らないけれども、若《も》し熱心《ねつしん》があるならお前《まへ》一つ野原醫學士《のはらいがくし》を訪問《はうもん》して御覽《ごらん》。あの人《ひと》がいつでも一|通《とほ》りの講習《かうしふ》をしてもいゝつて云《い》つて居《ゐ》たから。』             ×     ×     ×     ×  こゝで重大《ぢうだい》な問題《もんだい》が起《おこ》つた。といふのは人間《にんげん》の卵《たまご》を、鷄卵《けいらん》と同《どう》一|位《ぐらゐ》の大《おほき》さの間《あひだ》に取《と》らうといふ考《かんが》へから、人工早産《じんこうさうざん》が非常《ひじやう》に増加《ぞうか》して、之《これ》が爲《た》めに非常《ひじやう》に不都合《ふつがふ》な結果《けつくわ》を生《しやう》じたといふ事《こと》であつた。  その不都合《ふつがふ》な結果《けつくわ》、見逃《みのが》すべからざる重大事實《ぢうだいじじつ》とは、一|體《たい》どんな事《こと》であつたらうか。        四 『君《きみ》どうも困《こま》つたね! 人卵《じんらん》の事件《じけん》には、全《まつた》く手《て》のつけやうが無《な》いんだからね!』  警視廳《けいしちやう》の鑑識課《かんしきくわ》の主任技師《しゆにんぎし》、丸野角平《まるのかくへい》は、連日《れんじつ》の苦心《くしん》も報《むく》いられないので、失望《しつばう》と疲勞《ひらう》との爲《ため》に意氣銷沈《いきせうちん》したばかりで無《な》く、嘗《かつ》て自分《じぶん》が腦漿《なうしやう》をしぼつた以上《いじやう》、問題《もんだい》の核心《かくしん》をつかみ得《え》なかつた事《こと》は一つも無《な》いといふ、大《おほ》きな自信《じしん》を傷《きずつ》けられて、彼《かれ》の平生《へいぜい》を知《し》つて居《ゐ》る者《もの》には、一|見《けん》別人《べつじん》かとも思《おも》はれる程《ほど》の態度《たいど》で、卓上《たくじやう》に頬杖《ほゝづゑ》をつきながら、相手《あひて》の顏《かほ》をジツと見《み》つめて居《ゐ》る。 『全《まつた》くだねえ。僕《ぼく》の方《はう》でも手《て》を燒《や》いて居《ゐ》るんだ。何《なに》しろ事件《じけん》は無數《むせう》に、次《つぎ》から次《つぎ》といひたいが、事實《じじつ》はそれ以上《いじやう》で一|日《にち》に何《なん》十|件《けん》、百《なん》百|件《けん》と、東京市《とうきやうし》丈《だけ》でも起《おこ》るんだもの。いくら活動《くわつどう》したつて追《お》ツつきつこは無《な》いし、卵《たまご》の殼《から》ばかりあさつて歩《ある》いて、君《きみ》の方《はう》へ矢鱈《やたら》に持込《もちこ》んだ所《ところ》で仕方《しかた》が無《な》い。と云《い》つて放《はふ》つて置《お》けば、被告人《ひこくにん》の口《くち》から自白《じはく》してるのに、お前《まへ》の方《はう》は一|體《たい》何《なに》をして居《ゐ》るんだと云《い》つて、いやつていふ程《ほど》油《あぶら》を絞《しぼ》られるんだから、今度位《こんどぐらゐ》弱《よわ》つた事《こと》は無《な》いと思《おも》ふよ。』  さう答《こた》へたのは、智能犯《ちのうはん》にかけては最《もつと》も腕利《うでき》きで、髮《かみ》の毛《け》一|本《ぽん》、紙《かみ》きれ一つからでも、有力《いうりよく》の手《て》がかりを引出《ひきだ》して、たくみにたくんだ至難《しなん》の事件《じけん》を、いつでも無事《ぶじ》にかたづけてしまふので、鬼刑事《おにけいじ》の綽名《あだな》さへある浦山《うらやま》九|太郎《たらう》であつた。  實際《じつさい》、人間《にんげん》の卵《たまご》には當局者《たうきよくしや》は、閉口《へいこう》してしまつて居《ゐ》た。  氣《き》をつける家庭《かてい》で、少數《せうすう》の卵《たまご》に就《つい》て、しかも新鮮《しんせん》な材料《ざいれう》を用《もち》ひてならば、人間《にんげん》の卵《たまご》か如何《どう》かを識別《しきべつ》することも出來《でき》るが、無數《むすう》の卵《たまご》に就《つい》て一々|實驗《じつけん》する丈《だけ》の人手《ひとで》もなければ、經費《けいひ》も無《な》かつたのみならず、墮胎《だたい》の疑《うたが》ひのある樣《やう》な場合《ばあひ》には申《まを》し合《あは》せた樣《やう》に腐敗《ふはい》し切《き》つて居《ゐ》て、良好《りやうかう》な成績《せいせき》を與《あた》へないし、卵殼《らんかく》丈《だけ》が殘《のこ》つて居《ゐ》るの等《など》は、殆《ほとん》ど如何《いかん》ともする事《こと》が出來《でき》なかつた。  それは愈々《いよ/\》人間《にんげん》の卵《たまご》と決定《けつてい》された場合《ばあひ》にも、一|體《たい》何處《どこ》の誰《たれ》の卵《たまご》かといふ段《だん》になると、事件《じけん》は悉《こと/″\》く迷宮《めいきう》に入《い》つてしまふのだつた。さうだらう、昔《むかし》の樣《やう》に人間《にんげん》の形《かたち》をした大《おほ》きな子供《こども》を、人工的《じんこうてき》に墮胎《だたい》すれば、いくら隱《かく》しても近所《きんじよ》の口《くち》の端《は》に上《のぼ》るし、姙婦《にんぷ》も弱《よわ》り、分娩後《ぶんべんご》にも立派《りつぱ》に姙娠《にんしん》なり、分娩《ぶんべん》なりの痕跡《こんせき》があつたから、假令《たとひ》、確定《かくてい》は出來《でき》ない迄《まで》も、推定《すゐてい》を下《くだ》して逮捕《たいほ》するのに、何《なん》の骨折《ほねをり》も無《な》いのであつて、一|時《じ》は墮胎《だたい》の犯人《はんにん》で監獄《かんごく》の大半《たいはん》をも塞《ふさ》がれてしまひはしないかといふ懸念《けねん》が起《おこ》つて、墮胎《だたい》はなるべく監獄《かんごく》へ入《い》れない樣《やう》に、といふ手心《てごころ》まで行《おこな》はれた時代《じだい》さへあつた位《くらゐ》である。  然《しか》るに海下博士《うみしたはかせ》の人間胎生法《にんげんたいせいはふ》の發見《はつけん》があつて、開業醫《かいげふい》の注射《ちうしや》一《ひと》つて容易《ようい》に卵《たまご》として生《う》むことが出來《でき》る樣《やう》になつてからは、お産《さん》は樂《らく》だし、腹《はら》も大《たい》して膨《ふく》れないので、苦《くる》しくもなければ、近所《きんじよ》の目《め》から姙娠《にんしん》か如何《どう》かを知《し》られる恐《おそ》れは全《まつた》くなくなつてしまつたのであつた。特《とく》に早期《さうき》に人工流産《じんこうりうざん》をして、鷄卵《けいらん》大《だい》の間《あひだ》に生《う》むとなると、床《とこ》に就《つ》く程《ほど》の事《こと》は丸《まる》で無《な》いから、それを玉子屋《たまごや》の手《て》へブローカーから渡《わた》されては、流石《さすが》の鬼刑事《おにけいじ》も見當《けんたう》のつけ樣《やう》が無《な》かつたのであつた。  但《たゞ》しそれも少數《せうすう》ならば、未《ま》だ何《なん》とか出來《でき》たであらうが、『子供《こども》が居《ゐ》ては交際場裏《かうさいぢやうり》に活動《くわつどう》が出來《でき》ない。』『子供《こども》が居《ゐ》ては好《す》きな芝居《しばゐ》一つ、落《お》ちついて見《み》に行《ゆ》けない。』とか『子供《こども》を生《う》んで、早《はや》く老《ふ》けるのは愚《おろか》だ。女《をんな》の若返《わかがへ》り法《はふ》は、子供《こども》を生《う》まないのに在《あ》る。』といふ樣《やう》な思想《しさう》が、社會《しやくわい》を風靡《ふうび》して、軒並《のきなみ》に鷄卵《けいらん》大《だい》の人間《にんげん》の卵《たまご》が出來上《できあが》り、出來《でき》ると直《すぐ》に捨《す》てられては、假令《たとひ》、百千の警視廳《けいしちやう》があつても、幾萬人《いくまんにん》の鬼刑事《おにけいじ》が居《ゐ》ても、到底《たうてい》追《お》ひつくものではないのであつた。  人卵《じんらん》の販賣《はんばい》を嚴禁《げんきん》し、之《これ》を知《し》りながら食用《しよくよう》に供《きよう》したものは、殺人《さつじん》に準《じゆん》じて所刑《しよけい》するといふ法律《はふりつ》は出《だ》された。  しかし、玉子屋《たまごや》が知《し》らずに賣《う》りつけられて、知《し》らずに小賣《こうり》するのは、如何《どう》することも出來《でき》なかつた。又《また》知《し》らずに買《か》つて、知《し》らずに食《た》べたものは、勿論《もちろん》之《これ》を罪《つみ》する譯《わけ》にも行《ゆ》かないので、『わからないからかまふものか。』といふ享樂主義《きやうらくしゆぎ》の男女達《だんぢよたち》は、相變《あひかは》らず無數《むすう》に跳躍《てうやく》しては、鷄卵《けいらん》まがひの卵《たまご》を生《う》み落《おと》して、當局者《たうきよくしや》を苦《くる》しめるばかりであつて、丸野技師《まるのぎし》と、浦山刑事《うらやまけいじ》とが、額《ひたひ》を集《あつ》めて相談《さうだん》した位《くらゐ》では、之《これ》を如何《どう》する智慧《ちゑ》も出《で》ては來《こ》ないのであつた。        五  人卵《じんらん》ブローカーの暴利《ばうり》、不正鷄卵業者《ふせいけいらんげふしや》の跋扈《ばつこ》、惡徳醫師《あくとくいし》の暗中飛躍《あんちうひやく》、デカタン・ガールや不良老年《ふりやうらうねん》の耽溺《たんでき》が、風儀《ふうぎ》を亂《みだ》した事《こと》は、非常《ひじやう》なものであつた。けれどもそれに就《つい》て多《おほ》くを語《かた》る必要《ひつえう》はあるまい。たゞ八十|年前《ねんまへ》にサルブアルサンの六百六|號《がう》に對《たい》する、反對運動《はんたいうんどう》は、ほん[#「ほん」に傍点]の一|場《ぢやう》の杞憂《きいう》に過《す》ぎなかつたけれども、この場合《ばあひ》には取越苦勞《とりこしくらう》でない、現實《げんじつ》の問題《もんだい》となつたので、このまゝにして置《お》いたならば、淫風《いんぷう》の爲《ため》に滅亡《めつばう》したローマの失敗《しつぱい》を繰返《くりかへ》さなければなるまいといふ事《こと》が、先覺者達《せんかくしやたち》の憂慮《いうりよ》の種《たね》となつたといふ大《おほ》きな相違《さうゐ》を生《しやう》した事《こと》を言《い》へば足《た》りると、A博士《はかせ》は語《かた》つた。  それと同時《どうじ》に憂國《いうこく》の聲《こゑ》を擧《あ》げさせたものは、人口《じんこう》の激減《げきげん》であつた。十九|世紀《せいき》から二十|世紀《せいき》にかけて、明治天皇《めいぢてんのう》の御代《みよ》に二十|年《ねん》内外《ないぐわい》の中《うち》に、三千|萬《まん》から七千|萬《まん》に殖《ふ》えて二|倍以上《ばいいじやう》になつた爲《ため》に、隣國《りんこく》から非常《ひじやう》に恐怖《きようふ》せられたといふ歴史《れきし》を持《も》つ日本《にほん》が、今度《こんど》は反對《はんたい》に八千|萬《まん》から七千|萬《まん》、六千|萬《まん》と、順次《じゆんじ》に人口《じんこう》が遞減《ていげん》して來《き》て、忽《たちま》ちの内《うち》に○十|年前《ねんぜん》の數《すう》に復歸《ふくき》する樣《やう》に見《み》えた。  或《あ》る者《もの》は之《これ》を見《み》て、食料問題《しよくれうもんだい》は之《これ》に依《よつ》て解決《かいけつ》せられた。日本人《にほんじん》は海下博士《うみしたはかせ》の發見《はつけん》に依《よつ》て、外國《ぐわいこく》から色眼鏡《いろめがね》で見《み》られるといふ不快《ふくわい》を免《まぬか》れることが出來《でき》、移民《いみん》を企《くはだ》てゝ排斥《はいせき》を受《う》けることも無《な》くなつたと論《ろん》じて、喜《よろこ》んだけれども、多數《たすう》の人々《ひと/″\》、中《なか》にも軍國主義者《ぐんこくしゆぎしや》は、聲《こゑ》を枯《か》らして街頭《がいとう》に立《た》ち、人間《にんげん》の卵生《らんせい》を許《ゆる》して置《お》く限《かぎ》り、我《わ》が國《くに》は他國《たこく》の侵略《しんりやく》を蒙《かうむ》つて滅亡《めつばう》するより他《ほか》に道《みち》は無《な》い。海下《うみした》といふ學者《がくしや》こそ、我《わ》が國《くに》を死地《しち》に陷《おとしい》るゝ、憎《にく》んでも憎《にく》み切《き》れない大惡魔《だいあくま》である。と絶叫《ぜつけう》して、聽衆《ちやうしう》の大喝采《だいかつさい》を博《はく》した。  聽衆《ちやうしう》のくづれは、日比谷《ひびや》をはじめ方々《はう/″\》の公園《こうゑん》に集《あつま》つて氣勢《きせい》を揚《あ》げ、だん/\その數《すう》を加《くは》へて宮城前《きうじやうまへ》で大日本帝國萬歳《だいにほんていこくばんざい》を三|唱《しやう》してから、なだれを打《う》つて京橋區《きやうばしく》木挽町《こびきちやう》にある海下博士《うみしたはかせ》の私宅《したく》へ亂入《らんにふ》した。  群集《ぐんしふ》は家屋《かをく》を破壞《はくわい》したばかりでなく、 『私《わたし》は國賊《こくぞく》でも何《なん》でもありません。學者《がくしや》として研究《けんきう》した事《こと》が、偶然《ぐうぜん》不祥《ふしやう》の結果《けつくわ》を招《まね》いたとしても、それが爲《ため》に國賊《こくぞく》呼《よ》ばはりをして、私刑《しけい》を加《くは》へるのは、無暴《むばう》であります。』  と陳辯《ちんべん》しかゝつた海下博士《うみしたはかせ》[#ルビの「うみしたはかせ」は底本では「うみのはかせ」]を袋叩《ふくろだた》きにして人事不省《じんじふせい》に陷《おちい》らした上《うへ》、家屋《かをく》に火《ひ》を放《はな》つたのであつたのみならず、警官《けいくわん》に暴行《ばうかう》を阻止《そし》されたのを怒《いか》つて、一|團《だん》は又《また》更《さら》に轉《てん》じて近所《きんじよ》の巡査派出所《じゆんさはしゆつじよ》や通行中《つうかうちう》の電車《でんしや》にまで投石《とうせき》をはじめたのである。 『之《これ》と同《おな》じ樣《やう》な騷《さわ》ぎは、明治天皇《めいぢてんのう》の御代《みよ》にあつた日露戰爭《にちろせんさう》の直後《ちよくご》にも行《おこな》はれたのでありまして、歴史《れきし》は繰返《くりかへ》すといふ諺《ことわざ》の如《ごと》く人間《にんげん》の知識《ちしき》には存外《ぞんぐわい》諳合《あんがふ》が多《おほ》いものであります。』  とA博士《はかせ》はつけ加《くは》へたのであつた。        六  此《こ》の騷擾《さうぜう》があつてから間《ま》も無《な》く、政府《せいふ》は遂《つひ》に人間卵生《にんげんらんせい》の注射《ちうしや》を嚴禁《げんきん》して注射藥《ちうしややく》の在庫品《ざいこひん》を悉《こと/″\》く沒收《ぼつしう》すると同時《どうじ》に、海下博士《うみしたはかせ》の論文《ろんぶん》を燒却《せうきやく》して再《ふたゝ》び之《これ》を稿下《かうか》することを止《や》めてしまつた。所《ところ》が、その方法《はうはふ》は早《はや》くから專賣特許《せんばいとくきよ》になつて居《ゐ》て、他《た》の誰《たれ》もが知《し》らなかつた關係《くわんけい》から、此《こ》の禁止令《きんしれい》は極《きは》めて確實《かくじつ》な效果《かうくわ》をあげることが出來《でき》たのであつた。 『そこで母親《はゝおや》が一|生懸命《しやうけんめい》になつて、愛兒《あいじ》の卵《たまご》を孵化《ふくわ》さす爲《ため》に温《あたゝ》めて居《ゐ》ると、一寸《ちよつと》用事《ようじ》に立《た》つた隔《すき》を覗《うかゞ》つて、いたづら[#「いたづら」に傍点]小僧《こぞう》が鷄《とり》の卵《たまご》と取替《とりか》へて置《お》いた爲《ため》に、幾日《いくにち》かかゝつて漸《やうや》くかへつたのを見《み》ると、愛兒《あいじ》ではない鷄《にはとり》なので、扨《さ》ては畸形兒《きけいじ》を生《う》んだのかと、悲觀《ひくわん》の極《きよく》、精神《せいしん》に異常《いじやう》を呈《てい》した悲喜劇《ひきげき》もなくなつてしまひ、又《また》産科病院《さんくわびやうゐん》の不注意《ふちうい》から同《おな》じ日《ひ》に生《うま》れた貴族《きぞく》と平民《へいみん》との子供《こども》の卵《たまご》が入《い》れかはつた爲《ため》に、引續《ひきつゞ》いて起《おこ》つたお家騷動的《いへさうどうてき》の財産爭《ざいさんあらそ》ひや、容貌《ようばう》が丸《まる》で父親《ちゝおや》に似《に》て居《ゐ》ないと云《い》ふので、惹起《ひきおこ》された離婚《りこん》のローマンス等《とう》も、それ以來《いらい》悉《こと/″\》くその影《かげ》を收《をさ》めてしまふ事《こと》になつた。さうしてそれから未《いま》だ漸《やうや》く○十|年《ねん》より經《た》たない所《ところ》の今日《こんにち》に於《おい》て、諸君《しよくん》がこの顯著《けんちよ》で、且《か》つ劃時代的《くわくじだいてき》である大發見《だいはつけん》の事實《じじつ》を、少《すこ》しも知《し》らないといふ、他《ほか》には殆《ほとん》ど有《あ》り得《う》べからざる奇現象《きげんしやう》が、起《おこ》つたのであります。之《これ》が單《たん》に醫學史《いがくし》といふ一|般《ぱん》の人々《ひと/″\》の注意《ちうい》をしないばかりでなく、その存在《そんざい》の有無《うむ》をさへ知《し》られて居《ゐ》ない、特殊《とくしゆ》な學科《がくくわ》の專攻者《せんこうしや》たる、私《わたし》の如《ごと》き學究《がくきう》のみに知《し》られて居《ゐ》るといふ珍《めづ》らしい結果《けつくわ》を生《しやう》じたのであります。』  司會者《しくわいしや》の挨拶《あいさつ》があつて、會《くわい》は終《をは》つた。 『僕《ぼく》ももう○十|年《ねん》早《はや》く生《うま》れゝば、うんと人間《にんげん》の卵《たまご》が食《た》べられたのだなあ。』 『鷄卵《けいらん》よりも少《すこ》しうまいつて話《はなし》だつたが、一つ食《く》つて見《み》たいな。』  と、食《く》ひ意地《いぢ》の張《は》つた談話《だんわ》に耽《ふけ》りながら、歸路《きろ》を急《いそ》ぐ無邪氣《むじやき》さうな中學生《ちうがくせい》もあれば、 『妾《わたし》、もう○十|年《ねん》早《はや》く生《うま》れたかつたわ。此《こ》の頃《ごろ》みたいにコセ/\した時代《じだい》つちやありやしない――つて思《おも》はない。』 『いゝわねえ、とても。第《だい》一、卵《たまご》で生《うま》れるなんて詩的《してき》だと思ふわ。』 『詩的《してき》よりか、妾《わたし》、卵《たまご》で今《いま》のお話《はなし》の樣《やう》に婦人《ふじん》が生《う》む苦《くる》しみから解放《かいはう》されるといゝと思《おも》ふわ。姙娠《にんしん》した醜《みにく》いスタイルを考《かんが》へると、折角《せつかく》の結婚《けつこん》も呪《のろ》ひたくなつてよ。』  と、年《とし》よりもませた事《こと》を云《い》ひ合《あ》つて居《ゐ》る、モダン・ガールの一|群《ぐん》もあつた。  かと思ふと、又《また》唯一人《たゞひとり》で何《なに》か考《かんが》へながら、氣味《きみ》の惡《わる》い微笑《びせう》を浮《うか》べて、心持《こゝろも》ち前《まへ》こゞみになつて歸《かへ》つて行《ゆ》く壯年者《さうねんしや》もある。  一九九九|年《ねん》の初夏《しよか》の日《ひ》は、未《ま》だ高《たか》い所《ところ》に在《あ》つて、『急《いそ》いで歩《ある》けば暑《あつ》いぞ』と威嚇《ゐかく》して、皆《みな》に無駄話《むだばなし》をさせる樣《やう》に仕向《しむ》けるかの如《ごと》く、カン/\と力強《ちからづよ》く輝《かゞや》いて居《ゐ》た。 底本:「現代ユウモア全集 第十一卷 高田義一郎集 らく我記」現代ユウモア全集刊行會    1928(昭和3)年11月20日発行 初出:「科学画報」    1927(昭和2)年7月号〜8月号 入力:宮城高志 校正: YYYY年MM月DD日作成 青空文庫作成ファイル: 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