宝 く じ と 落 語 |
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| 江戸富くじ図絵 「富突舞台図」 (14.5×21.5) |
| 落語の話は江戸時代が舞台、しかるに
宝くじ とは ”富くじ”。 この富くじを扱った落語には 「富久」、「水屋の富」、「宿屋の富」及び「御慶」の四つがある。 |
| 演 目 | あ ら す じ |
主な演者 |
| 『富 久』 | 幇間の久造は、当たれば千両と言う大金が転がり込むといわれ、なけなしの1分 をはたいて、富くじを買い、大神宮様の神棚の中にしまい込むと、寝てしまう。 夜中に半鐘の音で目を覚ますと、ひいきの旦那の店の日本橋辺りが火事だとの 事で、駆けつけるが、幸い近所であった。近火見舞いの受付をし、振舞い酒で寝て しまった。 明け方近く、又半鐘の音、自分の長屋の辺りだというので一目散に駆けつけるが、 長屋は丸焼けになってしまった。 正月を前にして途方にくれ、とぼとぼと歩いて、湯島天神の境内まで来ると、丁度 富くじの抽選があって何と久造の買った富くじが大当たり。早速千両をもらいに行くが、 「松の百十六番」は千両当たったのだが、札がなくてはだめだと言われる。 「札は今朝の火事で大神宮様の神棚共々焼けてしまった。」と言うが、 全く受け付けてくれない。仕方なしに浅草の方へ歩いていると、近所の棟梁から、 「火事の時に久造の家から、大神宮様の神棚だけは持ち出しておいた。」と言われる。 神棚の中を確かめると、一等千両の当たり札が入っている。 棟梁が、「春から縁起が良いじゃねぇか。そんな大金どうする」と聞くと、久造曰く、 「大神宮様のおかげなだけに、近所への御払い(祓い)をします。」 *映画『夏祭り落語長屋』('54)のあらすじに。 |
柳屋小さん 古今亭志ん朝 |
| 『水屋の富』 | 水屋が、富くじで当てた千両を床下に隠すが、「泥棒に盗まれはしないか。?」と 水屋は心配して、朝晩かかさず点検する。これを近所の遊び人が見て、水屋の 留守に千両を盗んでしまう。しかし、金がなくなったのを知った水屋は「これで苦労 がなくなった。」と安堵する。 *別名:『富の札』 |
古今亭志ん生 |
| 『宿屋の富』 | 宿屋の客が大金持ちのふりをし、主人におだてられて、なけなしの金一分で富札 を買うが、「当たったらお金なんか邪魔だから、半分あげる」と大きいことを言う。 そして自分の富札の"子の千参百六拾五番"が千両当たり、客は動転して、宿へ戻 ると寝こんでしまう。 主人も千両当たったことを知り慌てて帰り、下駄をはいたまま2階の座敷に上がっ てきて客の蒲団をはぐと、客は草履を履いたまま寝ていた。 *別名:『千両富』、上方落語では『高津の富』 |
柳屋小さん 古今亭志ん朝 桂枝雀 |
| 『御 慶』 | 暮れに、、”八つぁん”が富くじに当った夢を見たので”富くじ”を買いたいと親の 形見の女房が着ている半纏を強引に質入れして、1分を借り湯島の天神に駆 けつける。夢のお告げで、「ハシゴの先に鶴が止まっていたから、鶴は千年生きる ので”千”と、ハシゴだから”八四五”で”鶴の千八百四十五”と」を買おうとしたが、 売り切れてしまった。 がっかりしながら歩いていると、易者に呼び止められ「ハシゴ は下るものではなく、登るものだから、八四五でなく”五四八”である。」という。 見料も払わず”鶴の千五百四十八”を買いに戻ると残ってい たので、喜んで買った。 境内にはいると富が始まっていたが、最後の大富、壱千両に見事当たった。 帰って、離縁されそうになっていた女房に見せ喜ばせる。 早速大家に、貯めた家賃八つを払い、祝儀をはずんで喜ばれる。 易者にも払い、古着屋”あまざけ屋(屋号)”で、裃(かみしも)から下着まで一式を 揃え、近所で脇差しも買った。 大晦日は豪勢な年越しをして、女房に手伝ってもらい、裃も着付けた。 日の明け、一番に大家さんに挨拶に行く。 白扇を前に差してもらい、長い祝辞は言えないので、簡単な挨拶を教えてもらう。 おめでたいことば「御慶」と、上がって行きなさいと言われたら、「永日(えいじつ)」と 言って、引き下がりなさいと教えられる。 近所の家に年始に回り、「御慶」と「永日」を繰り返し、みんなの目を白黒させる。 路上であった友人にも「御慶」と「永日」を発する始末。 3人組には3回続けて「御 慶」「御慶」「御慶」とどなり、相手が何のことか分からずききかえすと「御慶(ぎょけ い=どけい=どこへ)と言ったんだ」、「恵方(えほう)参りに行ったんだ」。 *別名:「富の八五郎」、「富八」、「八五郎年始」 |
柳屋小さん |
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| ”江戸三大富くじ”の一つ 湯島天神 (その1) | ||
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| ”江戸三大富くじ”の一つ 湯島天神 (その2) | ||
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| ”江戸三大富くじ”の一つ 目黒不動尊 |
[参考] |
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| ● | 「富くじ」 〔福富、見徳(けんとく)、本富(ほんとみ)、影富(かげとみ)〕 | |
| 富くじの起源は室町時代に始まるらしいが、江戸時代に入って寛永年間、 正月の七日、摂津箕面の龍安寺で行われた「富会」が始まりといわれる。 これは、自分の名前を書いた木札を唐びつに入れると、僧侶がそれをキリ で突き、当せんした信者にお守りを授けるものだった。 その後、金銭と結びついて富くじは流行し、徳川幕府は元禄五年(1692年) には禁止令をだした。 しかし後年、幕府の財政が苦しくなって、寺社への補助金を止める代償とし て修復費用調達の方法として、富くじの発行を認めた。これが、天下御免 の富くじ「御免富」である。 その後、天保の改革(1842年)により富くじは再び禁止された。 明治時代になると、新政府によっても富くじは禁止された。 |
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| ● | 「富くじの値段と当せん金」 | |
| 富くじの値段は銀一匁五分から二匁五分くらいのものが比較的多く、 現在の1500円から2500円くらいの相当する。 当たり札の最高金は百両で、最低は金一分であった。現在の600万円 |
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| ● | 「富札」 | |
| 富札は長さ約15pほどの短冊状の紙の札で、主催者の都合でまちま ちであったが、鶴亀、松竹梅、雪月花、七福神などの組分けが行われ、 各組とも5000枚から9000枚という数字が比較的多いが、一万枚ぐらいが 限度であった。 |
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| ● | 「富くじの興行」 | |
| 江戸各地で行われていた富くじだが、次のものが「江戸の三大富」と呼 ばれていた。 @目黒龍泉寺(現在は、=目黒不動尊、) A湯島天神(千両富が行われたこともあった。) B谷中感応寺(現在は、=天王寺) 関西では、「浪速 高津宮」(大阪市中央区高津1ー1ー29)が |
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| 注) | 富くじ興行については、寺門静軒「江戸繁盛記」、十返舎一九「東海道中 膝栗毛」の中に詳しく書かれている。 |
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| 浪速 高津宮 鳥居 | ||
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| 浪速 高津宮 本殿 |
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