……西暦二四〇四年。太陽系第三惑星地球から、カックバル系第七惑星シルトに政治統一体性の中枢を移し、人類は銀河連邦を名乗り、同年を宇宙歴元年と改め、更なる版図拡大に乗り出すこととなった。永い時を地球という惑星に囚われていた人類は、類稀なるエネルギーを発揮し、外の世界への侵食は爆発的なものであった。人類にこれをたらしめた技術――ひと口に言えば、宇宙航行技術――は、人々に新たなる営みを与え、星々の海へと新生されたばかりの純白の翼を広げて行ったのである。

 歴史、その観点から言えば、まさに革命期と言える時期であっただろう。

 人類は新たなる世界に夢を見出し、そして抑えきれないほどの昂揚を覚えた。問題ごとには、消極的且つ自虐的な考えを一切持たず、ただ『この先に何かがあるさ』というような非常に稀有なプラス思考で解決をしていった。言うなれば、この時代は地球史上に存在した大航海時代に非常に酷似していたといえるであろう。

 まだ見ぬ外的世界への黄金時代。そう称されるのに、何の差異もなかった。

 だが、しかし、同時にいくつかの傷も見受けられる。戦乱の拡大と、宇宙海賊による物資の枯渇である。宇宙航行技術は画期的なものであったが、これまでの人類の歴史がそうであったように、それは軍事力という力にも用いられるようになったのである。そして、恒星間航行が出来るようになったとは言え、人類が新たな惑星に住居する際に食料が完全に自給されるわけではなかったのだ。人口プラントと、人口蛋白製造機をフル稼働させても限界はあり、新惑星に整然としたプラントを作らなければ発展はありえない。戦乱と宇宙海賊の横行はこの事態に更なる拍車をかけていったのである。

 不当な利益を貪る悪徳事業の影となった宇宙海賊は、銀河連邦が保障している補給物資を根こそぎ奪い去り、対象惑星への物資を枯渇させ、悪徳事業がそれを暴利で売りさばく。稀に海賊の目を誤魔化し通過してくる貿易船も存在したが、それらの価格はすこぶる高く、すずめの涙ほどの差しかなかった。輸送費に安全面に対する額が上乗せされるのだ。これに未開惑星の人類は困窮した。食べるものがなくては生きることが出来ず、金がなければ生活ができない。彼らはこの事態を憂慮し、徐々に自立心が芽生えていった。

 時を同じくして、銀河連邦はようやく重い腰を上げ大規模な宇宙海賊討伐を始める。

 だが、地の利を完全に得ていた宇宙海賊に銀河連邦軍は翻弄され、実に二世紀という長い時間をかけ組織だった宇宙海賊を沈静化させるものの、その間に起きた戦乱にまで手が及ぶ事はなく、同時に銀河連邦の権威は失墜していった。かくして、宇宙歴二六七年、銀河連邦は自然崩壊し、新たなる統治体制が出来上がった。それがオリオン連合である。オリオン連合は自由国家の看板を掲げ、不満を募らせていた各地の恒星系を吸収し、僅か一世紀の内に大規模国家へと変貌を遂げたのである。

 宇宙歴三九九年。オリオン連合がひとつの国家となった時、対抗するようにひとつの国家が生まれた。シュバルツシルト連邦と名乗る、辺境の惑星が組織した国家である。彼らはオリオン連合の庇護を受けられない星域の住民達であり、我が物顔で歩いていた宇宙海賊を自らの手で殲滅し、独立を宣言したのだ。

 これをオリオン連合が認めるわけにはいかなかった。オリオン連合は宇宙にひとつしかない統一政治体制でなければならなかった。宇宙歴四二四年、度重なる降伏勧告と一方的な不当条約の締結を無視し続けたシュバルツシルト連邦に宣戦布告。オリオン連合は宇宙艦隊を率い、シュバルツシルト連邦を服従させるべく軍を派遣した。だが、結果はオリオン連合軍敗退という不名誉かつ、予想できないものであった。得てして戦いは守る方が有利といわれるものの、誰しもがオリオン連合の敗退を予想だにしていなかったのにだ。

 後にクリュクー星域会戦と呼ばれるこの戦いは、シュバルツシルト連邦の名将ジャン・クリュクーの大胆にして繊細な包囲戦を前にオリオン連合は圧倒的敗北し、オリオン連合はシュバルツシルト連邦を国家として認めざるを得なくなってしまう。歴史家、ヴォル・シークは著書に『オリオン連合の愚行というものは二つある。それは内的不安因子を取り除くことなく、愚かな軍部による独占を許し、勝てるともわからない戦を仕掛けたことと、実際の戦争における無能な指揮官の登用であるだろう』と記してある。彼が間違っている点は大きく二つある。まず、決して指揮官が無能であったのではなく、その星域の名ともなったジャン・クリュクーが圧倒的過ぎた点。次点に、歴史家の描いた事実などスプーンひと匙の茶葉程度の価値もないことである。

 かくして、戦乱は終結し、両国の代表が講和条約を締結する。これにより、オリオン連合とシュバルツシルト連邦の間には奇妙な関係が結ばれることとなった。







 宇宙歴四六五年、講和条約が結ばれて半世紀が経とうとしていた時代のことだった。

 銀河全体の人口が四〇〇〇億人。オリオン連合二二〇〇億、シュバルツシルト連邦一八〇〇億。

 宇宙歴四六七年。後の世に、激動の年と呼ばれる時代が静かに開幕していったのであった。







〜1〜




 シュバルツシルト連邦士官学校第七二回卒業生、天野美汐少尉は、艦橋にある自分の席でへたり込んだ。疲労が肩から腰にかけて溜まっていた。脇に積まれている紙の山を見ては、何度したかもわからない溜め息を漏らす。これが彼女に疲労を溜めさせている原因であった。

「…………」

 打ち込んでも打ち込んでも減らないそれら紙の束を見上げ、もう一度溜め息をつく。あらゆる発展を遂げてきた人類であったが、その伝達方法だけは変わることがなかった。己が存在を誇示している物体に、彼女は目を据わらせる。いくら好きだ――いや、得意――といっても、どうしてこのような部署を希望してしまったのか。美汐は今更ながら疑問に思う。

 彼女は、つい先日、一六のころから入学していた士官学校を卒業し、少尉の階級を与えられた。今年一八になる。卒業試験を無事に通過して、新造巡航艦ミラージュに通信士官として配属されたばかりである。確かに通信関係の道を望んだのは自分とは言え、同期がマニュアルを遊び半分に読んでいる中で、まだ終わることを知らない準備。これほどまでに辛いというのはどうにも納得がいかなかった。

 だが、しかし、それ以外に道があったかといえばそうではなかった。女性の力で陸戦隊を志願するほど馬鹿げたことは出来ないし、やりたくもない。稀に、指揮能力の高さで陸戦隊の隊長を勤める女性もいるにはいたが、彼女は自分に指揮力がないのはわかりきっていた。空戦隊としての技術は人並みであり、それを道にするのもはばかれた。また、戦術シミュレーターの成績はいつも落第ギリギリ。機械をいじくるのが少し得意だっただけだ。軍人になったのも金銭的な問題で、他に無料で勉強できる場所がなく、更には自分が進みたいと思う道がなかったというだけである。

 頬を軽く叩き、気合を入れなおす。一番上の紙を手に取り、記載されていることをコンソールに打ち込んでいった。ミラージュが慣熟航行に出航するまで、あと三日。それまでに全てを打ち込んでしまわなければならない。限りなく多大な労働に思えた。

「人員登録、あと一〇〇名弱ですね……」

 赤毛の少女はもう一度だけ溜め息をつき、両腕をコンソールの上に投げ出して、その上に突っ伏した。ひんやりとした機械の感触をどこか気持ちよく感じた。

「マスター。苦言申し上げますが、休んでいる時間は無いと存じ上げます」

 そこにどこか困ったような、それでも何かを心配するような若い女性の声がかかった。美汐が気だるそうに顔を上げたその先には、美しい金髪の女性が宙に浮かんでいる。その女性は、シュバルツシルト連邦の軍服を着込み、困ったような顔をして赤毛の少女を覗き込んでいた。疲労の色を隠しきれず、苦笑しながら美汐は答えた。

「そうは言ってもですね、かれこれもう六時間も同じ仕事をやっているのですよ。少しは休憩してもいいじゃないですか」

「しかし、マスターの仕事効率を省みましたところ、全員で僅か一五〇名にも満たない乗員記入がまだ終わっておりません。このままでいけば期日に間に合わせるには、寝る暇すらなくなると容易に想像できます。それは、看破できない結果となってしまいます」

 ですから、今のうちになさってくださいませ――その言葉に、美汐は眉をほんの少しだけひそめた。

「私たち人間には疲れというものがあるのです。貴方たちとはそのレベルも何も根本的に違います。だから、少し休憩を挟むほうが効率の向上には良いのです」

 その言葉に、女性は端正な顔立ちをゆがめた。

「マスター。確かに私は人間ではございません。ですが、私はマスターのためを思って意見を申し上げているのです。それでもお聞き願えませんか?」

 ミラージュに搭載されている電子人格はそう言って美汐を覗き込んだ。その精練された動作は、人間のそれと全くの差異も見受けられず、寧ろ、五〇を超えた古い時代の人間から言わせれば、若者よりもよっぽど良いと絶賛を受けているほどである。困ったものだ。自分の相棒である電子人格を一方で立てながら、美汐はこのようなプログラムを組んだ人物に少しだけ毒を吐いた。ここまで人間のような動作をさせては、生来押しに弱い少女としては断りきれなくなるのだ。ひょっとしたらかれこれ三年以上の付き合いとなるこの相棒は、こうすれば断りきれないと知っているのかもしれないな、美汐は心の奥底で思った。

「はぁ……わかりました。でも、メロディ。これが終わったら休ませてくださいね。重労働なのですから」

「はい、それはたっぷりとお休み下さい。マスターの留守は私がお守りいたしますので」

 笑顔を浮かべるメロディに、美汐は少し不満を覚えながらも一番上にある書類を取ろうとした。しかし、当たり所が悪かったのか、美汐の手にあるはずのものだった書類は宙に浮かび、空調の風に煽られて艦橋の入り口にまで流されていってしまった。

 厄日、ですか。

 仕方なく席を立ち取りに行こうとした時、艦橋のドアが音をたてて開き、シュバルツシルト連邦の制服を着た若い男性が入ってきた。いや、男性というよりは少年といったほうがよいくらいの外見である。少年は、足元に落ちている書類を器用に足で浮かせ手に取り、書いていることを読みながら首を縦に振っていた。しばらくそれを続け、満足したのか、少年は美汐の下に歩み寄り書類を手渡しながら深刻そうに口を開いた。

「……天野少尉。俺が一九歳になっている。これは享受しきれない間違いだ。訂正しておいてくれ」

「嘘を言わないで下さい。履歴書を詐称したら軍規に触れます」

「そこをなんとかするのが貴官の役目だろう?」

「無理です」

「俺と天野少尉の仲じゃないか。履歴書の改ざんなど、このボタンをひとつ押せばいい」

「私を犯罪に巻き込まないで下さい! ついでに上官ぶってもダメです!」

 語勢を強め、目を細くし少年を睨む。すると、少年は意地悪そうに笑った。

「おいおい、そんな目をするなよ。俺が悪いことをしているみたいじゃないか。それに、俺は一応上官だぞ」

 現にしているじゃ無いですか。その言葉をどうにか飲み込む。それからもう吐かないと決めていた溜め息を、美汐は吐いてしまっていた。どうしてこの人は、そう思うと、美汐は疲れが一段と酷くなったように感じた。

 相沢祐一それが少年の名前。今年で中尉になったが、それは特別なことではなく、士官学校を卒業したからである。また、彼は士官学校を卒業したのに、空戦艇志願をした変り種である。歳は一九歳とそろそろ大人の年齢であるが、いたずらっ子がそのまま成長したような雰囲気を持つ容貌で、実際はそれより若く見られることが多い。もっとも、それを本人は「俺は永遠の一八歳だ。それより上にはいかないし、下にもいくことがない」とことある度に美汐に言っている。この言葉を大勢の前で言い切れないところが相沢祐一という人間の器を表しているかもしれないが、美汐本人から言わせて貰えば、その祐一の姿は好感が持てるものだった。

 もちろん、今のように迷惑をかけなければ、の話ではあったが。

「……はぁ、いいよ、そんな目をするなら。メロディ、いつもの頼む」

 睨まれていることに辟易したのか、赤っ髪と揶揄される少年はメロディに向き直ってそう言った。

「いつものでございますか。今日は何にいたしましょう?」

「そうだな、今日は西暦二〇世紀あたりのアメリカを取り扱ったのがいいな。頼めるか?」

「はい、丁度良い文献が揃っております。そちらの端末にすでに移し変えたましたので、そちらでどうぞ」

 メロディは頭を下げ、美汐の隣の席を指差した。

「……えらい準備がいいな。さては、最初っから俺がそこらへんを頼むってわかっていやがったな」

「昨日が一九世紀でしたので、見当はつけておりました。失礼でしたでしょうか?」

「いや、ありがたいよ。いつもありがとな」

「いえ、どういたしまして」

 恭しく礼をするメロディを背に、祐一は端末を起動し、目の前に浮かび上がった文字の列を目で追い始めた。

 祐一が読んでいるのは、簡単に言えば、歴史書というものに部類されるものである。祐一は歴史に強い興味を抱いているのだ。特に地球という小さな星に縛られていた頃の歴史が好きで、毎日メロディにそれらを注文し、タダで読ませてもらっていた。歴史書といえども、数をそろえれば途方もない金額になってしまう。安月給ではとてもとても払えるものではなく、特に祐一が求めるような薄汚い紙に文字を書いた昔ながらの歴史書はすでに骨董品扱いされており、途方もない金額を取られるのである。

「マスター。いかがなされましたか? 手が止まっているようですが」

「いえ、何でもないのですよ。ただ、少し気になったことがあって……」

「御気になされたこと? それはなにでしょうか?」

「本当に大したことじゃないのだけど、アメリカは確か西暦になおせば二六世紀に建国されたのでは……」

 美汐がそこまで言った時、大きな音が響いた。いや、音というよりは声である。何事かと振り返ってみれば、美汐の方を向き、椅子の背もたれに体をよりかけている祐一が、腹を押さえ笑っていた。

「……何故笑うのですか」

「あ、いや……天野が……や、やばい、笑いが止まらない」

 息もするのも苦しいと言わんばかりに断片断片しか言葉になっていない。どうしてそこまで笑われるのかに、美汐は腹を立て、そして同時にどこか恥ずかしく感じた。

「どうして笑うのですか!?」

 顔を真っ赤にし、大声でみっともなく叫んだが、当の祐一はひたすら笑い続けているだけ。怒りが頂点に達そうとしていたとき、メロディの合成音声が響いた。

「マスター。相沢中尉が仰っているのは、アメリカ星のことではございません。アメリカ合衆国のことです」

「アメリカ合衆国……?」

 聞き覚えの無い単語に、美汐の眉根が寄せられた。

「はい、アメリカ合衆国とは、マスターら人類が地球に根付いていた時に存在した国です。詳しくは相沢中尉愛読の文献がございますが」

「はぁ……知りませんでした」

 でも、覚えておくことではありませんね。心の中で、そう付け加え、美汐は作業を再開させた。別に、彼女は歴史などにこれっぽっちも興味を抱いてはいないのだ。

「なあ、天野。お前さ、俺たちの先祖が生まれた場所どこか知ってるか?」

「今、メロディが言いました。地球でしょう?」

「いや、その地球のどこかってことだ」

「言っている意味がわかりません。地球は地球しかないでしょう」

「まあ……そうなんだが……ま、いいさ。わからないよな」

 拗ねた声を出す祐一に、美汐は若干ながらあきれを覚えた。

 大体、いつも歴史についてうるさいのだ。この相沢祐一という人間は。出てくる話は、全て歴史のものばかり。もちろんそれなりの分別はあるのだが、それでいてもうるさいものがある。今の話にしても、美汐が生まれたのは両親がいたからであり、先祖が地球のどこで生まれていようが何の関係すらもない。だから、祐一の話を理解できないし、理解しようとも思わない。それがつい態度に出てしまうことも少しばかりある。そう、今のように。

「もう、相沢さん。邪魔するなら出て行って、そうでないなら黙って歴史書でも読んでいてください」

「邪魔って……俺、なんもしてないじゃないか」

「わざわざ気を引かせるように拗ねた声なんて出さないでください。それだけで迷惑です」

「俺、そんな声出してないんだけど……」

「いいえ、出してました。ですから、その罰として私の仕事を手伝ってください」

「おい、なんだよ……その理不尽な理由は」

「つべこべ言わずに、私が栞さんとの卒業祝いパーティーに出席できなくてもいいんですか?」

「いや、それは困るな。わかった、手伝う」

「そうしてください」

 猫の手も借りたい今、労働力を入手。少し不安は覚えたものの、美汐は心の中でガッツポーズをとった。これで二倍にはならずとも、少なからずの利益はあるだろう。そんな打算的な思考だった。彼女がそれが間違いだったと気づくのはそう遠くない未来である。



 未来を正確に予想していたメロディがそっとため息をついた。









 クール級巡航艦ミラージュは辺境惑星守備のために建造された。辺境の惑星には、いまだに宇宙海賊がのさばっていることが多く、それに対する抑制力として開発された艦であった。ミラージュは巡航艦でありながら八機の空戦艇を収容でき、補給艦と比べれば小さいながらも人口蛋白製造プラントを艦内に持つ。万が一、補給が受けられない状態になった場合に、今までのクール級巡航艦と比べて実に三倍以上もの間単独で食料を調達することができ、推進剤も従来の型と比べ豊富なため、比較的長く航行することも可能なのである。

 もっともそのためいくらかの性能を削っている。まずは、主砲が他の艦に比べて圧倒的に貧弱であり、軽巡航艦よりも弱い。重駆逐艦よりはいくらかマシかといった程度である。もっとも、駆逐艦は光子魚雷での攻撃が基本のため、比べることに意義はないのかもしれない。ただ、対魚雷性能は極めて高く、従来の巡航艦の能力をはるかに上回る。最初に述べたのを繰り返すが、光子魚雷の撃ち合いや空戦艇での戦いが主となる対海賊戦でめざましい効果を上げるための艦なのである。

 強襲格闘艦としての能力は類を見ないものがあったが、あくまで艦単体としての行動にのみ特化したものであるため、技術者の中には、ミラージュを『出来損ない』と揶揄するようなものはごく普通にいた。戦争とは集団戦闘である。そのような枠組みから見れば、中途半端な艦はかえって邪魔になるからだ。平和な世代とはいえ、役に立たない艦を作ることは一般の技術者には不満でしかなかったのである。

 だが、物事には必ず例外があるように、このミラージュという船を愛する技術者たちがいた。彼らは『出来損ない』と称せられる艦を、自らの手でいっぱしの艦へと変貌させる熱意を持った人間達であった。つまるところ『出来の悪いものであれば出来を良くすればいい』という単純明快な思考である。ミラージュ整備長、北川潤もまたそんな馬鹿のひとりだった。

 雑然とした格納庫に立つ、整備服に着られているという印象を受ける男こそが、北川潤という人間だった。生来のクセッ毛が跳ねる頭をボリボリ掻きながら、顔を朗らかに綻ばせている。一般的に職人肌が多く、気難しいといわれる技術者のなかで、威厳もへったくれもないほんわかした雰囲気からは到底信じることはできないかもしれないが、士官学校技術科を首席で卒業した男であり、腕利きだった。彼が喜んでいる理由は二つあり、ひとつは昨日付けをもって、二十歳にも成らずして整備長へと任命されたことである。その喜びに感極まって、思わず声を漏らすほどであった。


「いやぁ、見てる人は見てるもんなんだなぁ。オレの腕はやっぱりすげえぜ」

「本当にそう思ってるなら、あんたの脳みそにはきっとひまわりが咲いてるのね」

「ヒマワリどころか、ダンディライオンが咲いてる」


 ヒマワリとタンポポのどちらが凄いのかということはひとまずおいといて、はぁ、と溜息をつく。この男は本当にいつもこうだ。軍服をを完璧に着こなしている女性は心の中でつぶやいた。歳のころは、見た感じおおよそ二十代半ば。知性的な顔立ちに、どこか近寄りがたい雰囲気を身に纏っている。後輩から『頼れるお姉様』と親しみを持って呼ばれることもあれば、士官学校時代の成績から『優等生』と皮肉を込められて呼ばれることもある。ちなみに、彼女は大人っぽく見えるだけであり、実際は相沢祐一・北川潤両名と同期であった。


「なんだよ、溜息なんかつきやがって。整備長だぜ整備長。言うなれば、リーダーだぜリーダー。男なら誰でも憧れるじゃないか。」

「リーダーなんて、気苦労だけでなんにもいいことないわよ」

「わっからねえかなぁ。見ろよ、このエンジン。まるで大理石じゃないか。こんなのを男が目の前にしたら、女が宝石を目の前にしてはしゃぐのと同じだぜ」


 ミラージュの生まれたてのエンジンを指差しながら、見ていて清々しいくらいの笑顔で言う。

 香里は馬鹿、と心の中で小さくつぶやいた。


「ま、随分と素敵な偏見が入ってるような気がするけど、あたしには理解できないわね。宝石なんて欲しくもないし」

「なるほどね。さすがさすが、優等生様は違いますな」


 ごいん、と鈍い音が響いた。


「もう、その呼び名は止めてっていったでしょ。そんなにぶたれたいのかしら?」

「ああ、訂正する。言う前に殴るような人間が優等生なわけねえもんな」

「ご理解いただけて幸いだわ」

「こっちも勉強になって嬉しくて目から水が零れ落ちそうだ」


 たったそれだけのことなのに、お互いに微笑み、小さく声を出して笑った。彼、北川潤と彼女、美坂香里がこうして声を掛け合うのは実に半年ぶりであったからだ。士官学校を卒業し、北川潤はそのまま技術研究所へと配属され、美坂香里は首席で卒業したことから各地を転々とさせられていたのである。香里は潤の変わらぬ軽口に、潤は香里の変わらぬ手の早さに安堵を覚えた。


「で、美坂中尉も空戦隊の隊長の任についたんだっけか?」

「ええ。まったく上のお偉いさん方は何を考えているのか見当もつかわないわ」


 はぁ、とまた溜息をつく。なぜなら、一隻の艦の空戦隊長を士官学校を出たてほやほやのひよっ子に任せるなど、前代未聞。聞いたこともなければ、当然前例もないからである。オリオン連合との間に講和条約が結ばれてからというもの、大した事件もおきず、また危惧されていた貿易摩擦すら目立ったものなかった。

 そのような状勢であるため、徴兵制を採用する必要もない。つまり、軍に所属している人間は必ず士官学校を出ているか、募兵に飛び込んだのである。もっとも景気は潤滑であり、不景気でもないので、募兵に参加する人間など数えるほどしかおらずその割合は一割にも満たなかった。無論、危険である空戦艇をわざわざ志望する生徒も少ない。すると、民間の警備隊からの斡旋で配属されるパイロットや俗に言うオチこぼれ(稀に趣味が高じて軍からスカウトが行くこともある)が配属されるわけであり、これが現在の一般的な空戦隊陣容となる。

 慣熟航行の際には必ず熟練したパイロットがひよっ子どもを鍛え上げるのであるが、その人物にあたるものがミラージュには――否、辺境惑星守備計画――にはごく僅かしかおらず、隊長から隊員までの殆どが新兵で構築されているというものであったのだ。


「だいたい、どうにかしてると思わない? 経験豊富なベテランが、一隻に僅かひとりしかいないのよ?」

「まあ、ミラージュに水瀬大佐。ヘトニクスに皆川大佐。ケリットにウィル大佐。加えて技術研のデータ取りのいけすかねえヤツがひとりだけだもんなぁ」


 そりゃおかしいけどよ、潤は繋げた。


「オレらが責任のある場所につけるのはそのおかげなんだぜ。えーっと、なんつったかな、新人育成計画?」

「辺境惑星守備計画、よ。計画しか合ってないじゃない」

「内容は似たようなもんだろ」

「そうね。もうそっちの名称に変えてもいいと思うわ」


 辺境惑星守備計画――その名のとおり、強襲独立艦を辺境惑星に配置し、未だに根強い宇宙海賊を取り締まろうという計画である。そのために試作艦としてミラージュ・ヘトニクス・ケリットを造船。結果次第では量産・更なる高性能艦の開発計画もあり、現段階は慣熟航行である。また、同時に今までの艦との常識が些細なところで違うため、それに対応するスペシャリストを作成しようという意図もある。よって、慣熟航行には士官学校を卒業して五年以内の新人達を配属し、経験豊かな艦長を据えるという計画であった。


「軍部も点数稼ぎに忙しいのよ。ただでさえ平和な世の中なんだからね」

「なるほどな。そりゃそうだ。選挙も近いことだしな」

「ええ、このままじゃ次の国家予算の軍部が占める割合が減っちゃうしね、必死なのよ」


 肩をすくませながら、香里はやれやれといった感じでぼやいた。


「オレらの出世のためにわざわざ餌を投げ込んでくれてるんだから、別にいいじゃねえか」

「本当にそうだといいのよねぇ……」


 憂鬱そうな表情で香里は三度目の溜息をついた。元来心配性である彼女には、このような突然の栄転にはどんなに理由付けされようが納得いかないものがあるのである。潤のような楽観視を羨ましく思うこともある。

 まあ、どうせ杞憂かしらね……。

 上層部の考えることなんてわかりもしないしわかりたくもない。一説によると、今回のプロジェクトは予算を使い切るためだけのものとも言われていることもあり、尚更気に入らないものもある。

 まったく、辺境星域が海賊の害に困っていたからいいものの、それじゃなかったらこの資金はどこへ行ったのかしら。

 行き先不明の出張が増えるに違いあるまい。と結論付け、香里は強引に思考を打ち切り手を叩いた。


「ほらほら、仕事済んだの?」

「ああ。あとはこのエンジンに熱い抱擁を交わすだけだ」

「変態」

 率直な感想を言い放った。

「美坂の愛機になるのにも既に抱擁を交わしたぞ」

「ど変態」

「じゃあ美坂と抱擁を交わしていいのか?」

「そんなにぶたれたいの?」

「軽い冗談だ。で、なんだ?」


 尋ねる整備長の頭に拳骨が降り注いだ。


「っツ……結局殴ってるじゃないか……」

「栞と美汐ちゃんの卒業記念パーティーでしょうが! あんたそんなことまで忘れたの!?」

「ああ、そうだ。そうだったな」

「ほら、置いてくわよ! 早くなさい!」

「ま、待てよ!」


 肩を怒らせながら歩いていく香里の後を、急いで追う。すっかり忘れていたことだが、彼の喜んでいる理由のもうひとつは可愛い後輩達が一緒に宇宙へと上がることだったのだ。







 シュバルツシルト連邦、惑星アムタート。クリュクー星域に隣接するドーリア星域の第一番惑星である。総人口二五〇億。シュバルツシルト連邦の政治の中心部となる議会に宙港を数多く持ち、経済の中心地でもあり数多くの隊商がこのアムタートを拠点に活動をしている。その経済効果はシュバルツシルト連邦最大のものである。また、シュバルツシルト連邦最大の士官学校もアムタートに存在し、毎年二〇〇〇強の軍人が宇宙へと翼を広げていっている。

 その惑星アムタートの首都アップルタウンの郊外、高級士官宿舎のひとつ。家庭を持つものに与えられる通常と比べ少しだけ大きく、上品に塗装された宿舎の前に車が止まり、控えめにクラクションを鳴らす。その時、連邦軍大佐を肩書きにもつ女性、水瀬秋子は昨日から幾度も繰り返しているチェックを行っていた。綺麗に整理された書類には彼女が乗船する船の概要が記されている。秋子は家に残していくそれを一瞥し、ファイリングして棚にしまう。

 と、そこで秋子は思い出したかのようにそれを取り出し、胸ポケットからペンを取り出し『巡航艦ミラージュ資料』と記載した。

 水瀬秋子。かつて士官学校の戦術教官を勤めていたこと彼女は、つい先日、ミラージュの艦長に任命されたことで大佐へと昇進が決まった。今年で実に齢四〇を超えるであろうが、その穏やかな微笑みと身に纏っている空気は、到底そのような年齢に思わさせない。そこが彼女の恐ろしさであり、同時に同年代の女性からしてみれば――否、あらゆる女性からしてみても――嫉妬の対象でもあった。

 高級士官の制服を着込み、上品に編んだ髪の毛と同じ色の水色のベレー帽を被ると、机の上においてあるコンピュータを立ち上げる。モニターの前でしばらく頬に手を当てながら考え込み、流れるような手つきで間断なくキーを叩いていった。モニターに目まぐるしく情報が立ち回り、やがてひとつの点で止まる。彼女は最後にキーを叩き、コンピュータを眠らせた。もっとも、本来は音声認識ソフトもついておりわざわざキーを叩かなくても良いのだが、まだ寝床にいる我が子を気遣ってのことだ。


「名雪、行ってくるわね」


 手荷物ひとつだけ提げ、秋子はまだ夢の中にいる我が子に向かって小さく挨拶をした。自分の子とは思えないくらい寝起きが悪く、一九にもなるというのに半日は睡眠時間が必要な子である。『どうせ起きられないから、頑張っる』と意気込んでいたにも関わらず、昨日は結局夜の二時を回るころには寝てしまった。そんなところがまたとても可愛いのであるが。

 宿舎の門をくぐり、手配しておいた車に乗り込む。我が子が心配で心配でたまらないが、憲兵のパトロール回数を増やすよう手配もしたし、セキュリティ関係のソフトも全て日常生活に支障のないレベルでトップクラスのものに更新した。生活費は同じ口座なので、別段心配する必要も無いだろう。のんびりした外見で、少しおっとりすぎる部分もあるが、なんだかんだいいつつも意外としっかりした子なのだ。

 そこでふと思った。親なのに『意外と』と使うのはどうなのだろう。そのように考えるということは、自分もまた娘をそのような目で見てしまっているという事ではないのだろうか。これは反省しなければいけないことだった。

 そんなことを考えながらシートに腰掛ける。ゆっくりと、何の騒音も立てずに車が動き始める。嘗てはガソリンと呼ばれる燃料を使い、有害物質を撒き散らしながら走るのが主流であったらしいということを秋子はぼんやりと考えていた。

 軍港までのうたた寝をするには短く、何も考えずにぼぅっとしているには長いその時間。彼女は流れる風景にも目をやった。規則正しく植えられている樹木に、高級宿舎。地面には緑の絨毯が満遍なく敷き詰められ、景観を損ねるような高層ビルの類はどこにも見られない。見通しの良い、上品なつくりだ。

 高級士官というだけでこんなにも待遇が違ってよいものか、彼女は億劫に息を吐いた。住み心地が良いことは喜ぶべきことだが、それにしては高級士官用の宿舎というだけで大変なスペースが取られている。更に上になると、より豪華なつくりの宿舎があてがわれる。軍という構成上、上下関係を厳守するにはなくてはならないのであろうが、このためにどれだけの税金が使われているのかを考えるだけで自然と頭が痛くなる。だが、無駄に軍艦を建造したり、軍事衛星を増設するよりかは随分とましかもしれない。一応、そのほかのものに比べれば人の役に立ちやすいものですし。ひとりそうやってもぼやいていると、急に目の前の景色が変わった。

 新緑豊かな森が眼前に広がり、柔らかな陽光が木漏れ日として大地を明るく控えめに照らす。美しく生い茂った芝生の影から小動物が顔をのぞかせ、愛嬌たっぷりの姿を惜しげもなくさらす。どこからか小鳥のさえずりも聞こえ、ついさっきまでそこにそれは存在しなかった場所に、清らかな小川が流れ、淡水魚たちが水遊びをしていた。

 秋子は無言で視線を前へと戻し、静かに目をつぶった。視覚保護プログラム。窓に穏やかな風景を映し出し、乗客者にリラックスさせようというシステムである。別に嫌いでないわけではないが、見飽きたそれは何の役にも立たなかった。

 磁力の箱は軍港の中へ滑り込んでいく。軍港バルフォリーナ。惑星アムタートにおける最初に作られた港でありながら、最大の軍港であり、防衛拠点でもある。常に三〇〇〇隻以上の艦隊を収納しており、多くの船の管制塔となっている重要拠点でもあった。また、多くの新造艦は前例どおりにバルフォリーナより出港する。それはシュバルツシルト連邦にとっての『願掛け』のひとつでもあるのだ。

 前日に行われた盛大な出港パレードの余韻をどこか冷めた目で眺めながら、秋子は大地へと足を下ろした。脇に控えていた青年が敬礼をし、秋子も同様に右手の指を揃え頭につける。シュバルツシルト連邦の敬礼様式である。

 眼前にそびえる流線的なフォルムを持つ船に向かいながら、秋子は途中から一緒だった脇を歩く少女に声をかけた。

「準備の程はどうなっていますか?」

「はい。ミラージュの現在の状態は全行程の七八パーセントといったところです。ブリッジクルー、技術士官、空戦隊員、並びに非戦闘員の乗船は全て完了しております。また、空戦機の搭載も一時間前に完了しました。今は日用雑貨を搬入しております、北川技術長によれば、エンジンのテストも問題なしとの報告。エンジン出力三〇パーセントで止めているとのことです」

 新兵揃いで三時間後に出港するには悪くない出来だ。と、そこで秋子は自分が副官へと選んだ人物の名前を今更ながらに思い出した。倉田佐祐理。亜麻色の髪の二〇歳になる少女と言っても差し支えない人物だ。士官学校の成績は極めて優秀であり、特に事務能力が極めて高い。軍部に顔が効く倉田家の息女ということもあり、今回の抜擢には上層部を説得するのに少々時間を取られたが、それに見合った買い物だった。

「なるほど。それではすぐに出港できますね」

「お任せください」

 士官学校以来の微笑む少女に懐かしさを覚えながらも秋子の心には暗雲が立ち込めていた。別に出港に関して気が重いのではない。出港するときに行われるひとつの儀式がとても気に入らないのだ。ひとつ言っておくならば、彼女は軍部にスカウトされた人間だということだ。