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草莽崛起(そうもうくっき)の志士・吉田松陰先生。
先生が日本の行く末を案じ、わが伊豆下田から金子重輔先生と共に
世界へ飛び立とうとした「踏海の朝」はあまりにも有名です。
“泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も眠れず”
ペリーが浦賀に来航し、日本の開国を迫ったのは史実としても周知ですが、
それに対する日本の反撃の狼煙は、この下田から立ち上がった。
髙橋とみよは、そう信じてやみません。
反撃といっても、戦いを挑んだ訳ではありません。
アメリカなる国が如何なるものか、それを識ること、すなわち
敵情視察からはじめられた。
相手を知らずして闘うことは出来ません。
ましてや、手を結ぶこともままなりません。
相手を識ること。全ての政治に求められる要素ではないでしょうか。
私も日々、それを実践できているか自問自答しています。
果たして松陰先生と重輔先生はいかに国を憂い、
そして肚(はら)を決められたのか。
「生まれ育った地のために、命を投げうつ」。
政治家でも官僚でもない、ただ「日本人」の肩書きを持つだけの二人の若者が、黒船に敢然と立ち向かっていかれた。
その縁の地が下田である事に、私は言い尽くせない誇りと、「郷土を繋ぐ」、そして「思いを受け継ぐ」責務を痛切に感じます。
下田出身の写真家であり、歌人でもある東耕(とうこう)さんが、松陰先生と重輔先生を偲んで縁の地の探訪記をまとめて下さいました、ありがとうございます。
当サイトを訪れて頂いた皆様にも、是非ともご覧いただけると幸いです。
憂国の志士「吉田松陰先生」「金子重輔先生」を偲んで (PDF:1.65MB)

