高橋富代

「ここに来れば、必ず逢えるから」


下田で生まれ育った身には不案内この上ない街、東京。
日本という国のど真ん中の事を言われても分からないわよと
顔をしかめる私に、いつもあなたはそう仰ってた。




直截告げられた訳では、ない。


けれども、その背中が語っていた。
その目が、私を捉えて離さなかった。


初めて訪れたのは、いつのことだっただろう。

高橋富代

毎年、多くの人々がここに訪れる。


とりわけ、日本人の魂が還ってゆくその日に限って、
あなたと約束した場所は、ともすれば異様な熱気を帯びる。


時として、それは政争の具(あるいは、愚)として、
私が本来望んでいたものを事も無げに踏みにじる。




心静かに、あなたに逢いたい。
それだけなのに。





季節が廻るたびに思う。


あなたにとって、何度目の桜だろう、何度耳にした蝉時雨だろう。
何度目かの、少し鼻孔をくすぐる銀杏の匂いだったのだろう。


そして何度目の、あなたの身を震わす木枯しだったのだろう。


決して、浮ついた心持ちではない。
心が弾んだりするわけでもない。
それでも、あなたに逢いにくるのは、素直に嬉しい。


そして、祈る。
ただ静かに、ありったけの想いを込めて祈る。

あなたが私のために、否、私たちのために身体を張って、
そして文字通り「命をかけて」護って下さったもの。


それは、今も私の中に宿っている。
ここにくる度、常に感じる。


あなたが遺してくださったもの。
それが今も育ちつつあることを確かめるため、
今日も私はここに来た。

大村益次郎

東京は九段・靖國神社の参拝者達を迎える、大村益次郎像。


この像を前にすると、私は不思議な感慨に包まれる。


(以下、Wikipediaより転載)


大村 益次郎(おおむら ますじろう、 文政7年5月3日(1824年5月30日) - 明治2年11月5日(1869年12月7日)は、幕末期の長州藩の医師、西洋学者、兵学者である。維新の十傑の一人に数えられる。


長州征討と戊辰戦争で長州藩兵を指揮し、勝利の立役者となった。太政官制において軍務を統括した兵部省における初代の大輔(次官)を務め、事実上の日本陸軍の創始者、あるいは陸軍建設の祖と見なされることも多い。元の名字は村田、幼名は宗太郎、通称は蔵六、良庵(または亮庵)、のちに益次郎。雅号は良庵・良安・亮安。諱は永敏。位階は贈従三位、後に従二位。家紋は丸に桔梗。




私のルーツでもある姓を持つその像は、今も静かに靖国に眠る幾柱もの魂を見守っている。

たさかとみよ

生まれ育った街・伊豆下田で感じた、「何か、これはおかしいんじゃないか?」という素朴な疑問。
そして、「これって、見過ごせない事だと思うんだけど」引くに引けない、憤りにも似た思い。
それが、今の私を激しく突き動かしている。






基礎自治体の舵取りを担う職責を、延べ三期お預かりする事になった今も。
あなたとの約束事は当時のまま。

たさかとみよ



「道路、新しく引きます」


「こんな施設、作ります」




そんなのは、私の信条でも何でもない。




下田に生まれ、下田に育ち。
そしてやがては、下田の土に還る。


そんな私に唯一約束できることは、あなたが遺してくださった
「未来」をつなぐこと。


私が繋ぐのは、どんな未来だろう。
それは、下田に限った事かもしれないし、あるいははこの日本という国まで
幅広く考えた範囲での未来かもしれない。


もしくは、私の生涯の師・相馬雪香先生が終生見つめていた「世界」だろうか。






果たして、こんなにもちっぽけな私に、一体何ができるのだろう。
あなたを前に自問自答するも、その答えは見えず。




悔しい想いに駆られる日々を送りつつも、ただ一つだけ
「これだけは」そう心に刻んだ事がある。


あなたが教えてくださった、「いかに死ぬか」という事。



いかにして「今生での生」を全うするか、より良く死を迎えるか。

より良く死ぬこと、それは言い換えるならば、即ち「より良く生きること」。


誰かのお役に立てないなら、私が生きてる意味が無い。




どこからともなく、神輿を担ぐ掛け声が聞こえる。
縁あって身を置かせて頂くことになった政治の世界。
その界隈でも「神輿を担ぐ」という言葉が時折り囁かれる。




私は、思う。


神輿の中は、空っぽがいい。
空っぽにしておかないと、神様が入れない。


かつて、靖國神社・祭務部長の坂明夫先生が
「合祀とは一人ひとりの御英霊の蝋燭の炎をあわせて一つの大きな炎にすること」
そう仰っていた。




私たちは神様から分かれたひとつひとつの炎なのだ、そう思う。
そして「政(まつりごと)」とは即ち、神輿の中に、この地に生まれし一人ひとりの「魂の種火」を迎え入れ、自ら鞴(ふいご)となり大きな炎にすること。


それならば、鞴たる神輿は空っぽの方が良い。
神輿になったものは、新たな命を宿した母の如く、その炎を守れば良い。
次の世代に襷(たすき)を渡すまでの間、しっかりと。


政とは結局のところ、そういうことなのだと思う。

たさかとみよ



そして、再びあなたに想いを馳せる。



あなたが愛した下田を、そして日本を、未来へつなぐ。

それが、あなたとの約束。




この地に生まれ、この地を愛し、そしてこの地の未来の為に命を掛けて
散華した、あなたとの約束。




それを生涯かけて果たすため、私はここにいるのです。

たさかとみよ

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高橋とみよ
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