next back c062 熊本 (銀杏城)
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熊本市中央区本丸町

2016年4月14日夜9時26分頃
震度7の地震が熊本地域で発生
その後も、余震が続く

右&下は復興天守 無惨な姿に



下の宇土櫓は健在
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平成20年復元された本丸御殿


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この地は戦国時代菊池氏の一族山田秀信が隈本付近に
千葉城を建て、明応五年鹿小木親員がこれが狭くなったため
茶臼山の西南麓に城を築いた。これを古城と呼んだ。その後
秀吉の九州遠征の後佐々成政を経て加藤清正が隈本、小西
行長が宇土城にあったが関ヶ原の後清正が肥後一国を領する
ことになり、慶長六年から茶臼山に七ヶ年をかけて完成した。
普請奉行に飯田覚兵衛と森本義太夫をあて一の天守、二の
天守を中心に周囲九キロに及ぶ広大なもので清正石垣と
呼ばれる扇勾配の石垣や一の天守などは実戦向きに苦心
されており、いざというとき秀頼を熊本へ迎えようと考えていた
といわれている。海内無双の堅城であった熊本城も明治十年
西南の役のときの不審火がもとで一,二の天守を始め数多く
焼失した。焼失を免れたものに宇土櫓、源之進櫓、四間櫓、
十四間櫓、七間櫓、田子櫓、東十八間櫓、北十八間櫓、
五間櫓、平櫓、監物櫓、不開門、長塀など残った。これらの
新しいものは慶応二年に建てられた。現在の天守は昭和
三十四から三十五年に再建された。(s40.12)