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終戦直後の東京の市街 |
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日本の在り方 |
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現在の政治の在り方を見ると、ねじれ国会と称して、ひたすら野党は、平成20年度の予算まで成立を拒むような様を呈している。国会は大いに乱れている模様が連日報道されている。その内容については、関心はないが、諸外国の変遷、外国から異常な目で見られているのは確実である。株価の暴落、その他地球温暖化の問題も軽視できない状態なのだ。 |
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さて、日本国が敗戦を迎え、驚天動地にあった時、白州次郎という名の男が表れ、祖国のため、如何ほどの活躍をしたか、もう一度確かめたかったので、読みなおした。彼なら、今の政治をどうみる?北康利氏の著述になる{占領を背負った男}を再読してみた。故城山三郎氏が本書の推薦に{不思議な存在感の持ち主。それが白州次郎氏であった。 |
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その人物がどんな風に育ち、人格を形成していったかを、話題豊かに展開していく快著である}とまで述べていた。プリンシプルを持つ男と言われていた。プリンシプルとは、原理原則という意味だが、著者は敢えて{生き方の美学}と解釈している。GHQが憲法を制定することは、そもそも国際法に違反する行為だったのだ。 |
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国際法の基本条約であるハーグ条約には次のような規定がある。{国の権力が事実上占領者の手に移りたる上は、占領者は、絶対的の支障なき限り、占領地の現行法律を尊重して、成るべく公共の秩序及び生活を回復する為施し得べき一切の手段を尽くすべし}(ハーグ条約付属書規則第四十二条)この条約には形の上では、遵守されているが、事実はまったくのGHQ 側の押し付けであることの交渉ぶりから見ると、当時の幣原内閣がいかに戦ったか、特に白州次郎が交渉の任に当たり、その苦労振りが詳細に書かれている。 |
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GHQからは、ハード・ネゴシエーター(強力な交渉役)とまで言われ、物怖じしない彼の態度には、GHQ 側も彼の態度と英語力には、尊敬の念すら持っていたらしい。 |
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そして、最後の彼の述懐によれば、欧米の民主主義への切り替えの問題と、日本独特の天皇制を保持するために、どれほどの交渉を繰り返したか、例えば、輔弼(ホヒツ)すると言う独特の言葉を如何に相手側に理解させるか、天皇制を保持するために、GHQ 側はシンボルという言葉を提示してきた。 |
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この言葉をどのように日本語化するかを議論し、やっと象徴するという言葉で妥協するが日本人の感覚としては、初めて使う言葉として経験し、納得する経緯を述べていた。 |
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| 戦艦ミズーリ・降伏文書の調印式 | 晩年の白洲次郎・正子 |
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将来この憲法は絶対に改正すべきだ。日本の国の在り方は国民自ら決めることが重要だと言っている。その一方で、確かに日本国憲法は押し付けられたが、{良いものは良いと素直に受け入れるべきだ}と語り、戦争放棄は優れたプリンシプルだと評価している。ともかく国民投票をやれというのが、彼の主張の根幹だった。 |
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現在の代議士の多くは二世、三世の人が多いが、この経緯は承知しているだろうが、当時の議論を続けた努力と妥協の苦労話は、いかほどの努力の結果生まれたものか、今後の日本人は二度と戦争回避を続ける努力をしなければならないか、決して一部の主張ではないと言うことを考慮すべきだ。GHQ のメンバーに、極端な意見を主張する担当者がいたらしい。 |
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議会は一院制にすべきだとか、全国の土地を国有にすべきだとか、あたかも共産主義者もどきの発言をする人もいたらしい。GHQ内には、共産主義を堂々と主張する人もいた。 |
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彼は{俺くらいしかできないだろう}と引き受けた。まさに英国留学時代に培ったノーブレス・オブリージュ(地位の高さに応じた社会的責任・義務)を発揮したのである。彼は{戦争に負けたが、奴隷になったわけではない}と毅然とした態度で臨み、GHQ が作成した新憲法案にも、急進的な改正案だとして反発し、血のにじむような交渉をした。 |
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また{米国がどれくらいのコスト、リスクを肩代わりしているのか、米国がそれをやめたら、日本の負担はどれくらいになるのか}という情報を、国民にきちんと認識させた上で、国民自身に判断させるべきだと言っていた。 |
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英国留学で{プリンシブル}を尊ぶ英国流のダンデイズムを身につけ、自動車はスポーツカー、ゴルフ、酒を終生愛した。日本で初めてジーンズをはいた人とも言われている。 |
| 平成20年2月14日 石 井 立 夫 |