ドギーバック(Doggie-bag)

 私が初めてアメリカに行ったときに、何気なくレストランで、ドギーバッグを購入し自分の食べ物の残りを持ち去る風景を見た覚えがある。この袋を渡す側と依頼する側との何気ない習慣を見て、娘に聞いた覚えがある。ドギーバッグとは、犬の餌という意味だが、敢えてそのような言葉にして、余ったり、残したりしたものを、何げない素振りで持って帰る習慣がある。

 後はもって帰った人が、自分の責任で処分するので、店には責任は無いのである。
関西の名門料亭「船場吉兆」が客の食べ残したアユの塩焼きなどを、他の客に出したいたことが「モラルに反する」として問題になった。きれいな料理を捨てるのはもったいない。
利用でききるものは利用しろ」という指示で始まったものだという。

 確かに一流料亭のやることではないが、そもそも高級な食料が捨てられるのは、飲食業が食べ残したものを客に持って帰らせないという奇妙な習慣が定着したらしい。

 食べ残しを持って帰る容器のことを「ドギーバッグ」というのは、うちの犬にやりますから」という習慣が全世界的にあるからである。日本の一流といわれているところでは、そういう所帯臭い行為はしないという暗黙の空気によるものだろう。

 最近の日本では、お持ち帰りを認めないというのは、食中毒が出た時は、店の責任にするというのは、たまらないというのが本音なのだろうが、もったいない運動からみても、食べ残しは、自分の責任においてもらって帰って当然である。

  特に現在では日本の食糧自給率が低いし、世界的な事情を見ても、実にもったいないと思う。店からドギーバッグを購入し、それで客が何をしようと勝手なのだから、それ以後のことには責任を持たなくてすむ。客は家でならアユを焼きなおし、高級料亭に行けなかった妻や子供に食べさせることが出来るのだ。

 船場吉兆の場合は、民放などに大きくニュースとして、取り上げられ、大きなショックを受けたに違いない。ドギーバッグさえあれば、このような問題にはされなかったはずだ。
気の毒なほど、マスメデイァに安全絶対・現場無視の、これ見よがしにニュースとしてとりあげられ、当分の間、この店は信用を失っただろう。まことに気の毒なほど。

 大きな問題とされ、立ち直るのには時間がかかるのではないか。民放はとかく食べ物のような問題を大きく取り上げる傾向がつよい。今後お客さんに対して、なるべくドギーバッグの方法を研究して、店側も下手な見栄をはることなく、進めてゆくべきではないかと思う。
食料政策の面からも、政府に頼らず、自らの問題として進めるべきだと思った。

 私も日本のレストランで、断られるのを承知で、ドギーバッグを請求して断られた経験をしたことがある。勿体ない話だ。528日、船場吉兆がついに廃業した。ドギーバッグ制があればと思ったがその習慣がない日本では、所詮無理だったのかも知れない。民放の質問態度も、大きな原因かもしれない。

 自らの責任で、やたら正義をふりかざす民放のあり方に、何時も残念に思うのは私一人ではあるまい。正義を振りかざす側に、ある不安を感ずるのはその醜い姿なのだ。

    平成20年5月31日               石 井 立 夫