ヤルタ会談

 1945年2月にクリミアは半島のヤルタで行われたルーズベルト(米)チャーチル(英国)スターリン(ソ連)による会談が行われた。日本の敗戦の6ヶ月前のことである。連合国の主要3ヶ国首脳が行われた結果、第二次世界大戦後の処理についてヤルタ協定を結び、日本壊滅の戦略会議が行われたらしい。

 ドイツが降参した後、日本を如何に壊滅するかが会議のテーマだった。今更ヤルタ会談の話題でもないが、実はこの会議の後の日本の運命は大きく変わったのだ。
ソ連は8月7日に突如攻撃が始まったが、その約束の下に、極東密約をしていたのである。密約の内容は次の通りであった。

 主に日本に関して、アメリカのルーズベルト、ソ連のスターリン、およびイギリスのチャーチルとの間で交わされた秘密協定。ルーズベルトは、千島列島をソ連に引き渡すことを条件に、日ソ中立条約の一方的破棄、すなわちソ連の対日参戦を促した。ヤルタ会談ではこれが秘密協定としてまとめられた。

 ヤルタ協定では、ドイツ降伏の2-3ヶ月後にソ連が日本との戦争に参戦すること、モンゴルの現状は維持されること、樺太(サハリン)南部をソ連に返還すること、千島列島をソ連に引き渡すこと、満州の港湾と鉄道におけるソ連の権益確保、など決められた。ヤルタ協定に従って、ドイツ降伏後3ヶ月後にソ連は日本に宣戦布告。

 戦争を終結させる勢力に実も実りポツダム宣言受諾・有条降伏を決めた。アメリカにとって、ドイツ敗戦後も長く続くことが予想された太平洋戦争での自国の損失を抑えるため、まだ日本と日ソ中立条約を結んでいたソ連に条約破棄・対日参戦させることに比重を置いた会談であった。

 ソ連参戦後間もなく日本が降伏したため、日本降伏後のソ連の戦果(日本のポツダム宣言受諾までは2日間しかない)に日本の領土を与えるという、結果として、ソ連に非常に有利な内容になった。

 ターリンの謀略は、参戦後どれほどの暴挙を日本国民に与えたか、既に千島列島の四島を手に入れたロシアは絶対に日本に返還するはずもなく、鈴木宗雄議員が、ニ島返還の案を出したが、そのようなことは、一切」無視されたと言っても決してオーバーなことではない。

 それと日本軍の65万人の兵隊を収容所へ強制収容し、私の友人の例などから、有り得ない話を聞いた。敗戦のため、日本へ帰られると思っていた。

 帰還の船が着たが、まるで麻袋を運ぶ袋に兵隊を入れて、まるで荷物のような扱いを受けたが、母国へ帰れると我慢したが、着いた場所はウラジオストックだった。それ以来3年間収容所で、極寒の作業に耐え、やっと母国へ帰還した。まだ無事に帰れた兵隊は、幸いなほうで、5万人の兵隊が犠牲になったのである。

 スターリンの暴挙は、南満州鉄道を利用し、ロシア本国へ全ての貨物を運び、囚人部隊とも言われたロシア兵が、在留邦人の女性を好き勝手に、暴力を繰り返し、多くの女性は、坊主頭にして、身を守ったという話も多く聞いた。勿論全ての財産を略奪し、多くの犠牲者を出したことは、永久に日本人としては、忘れることが出来ない事柄であった。

 大阪の落語家の鶴塀さん(NHKの番組鶴塀の家族との乾杯)が、ある田舎の街を訪問したとき、たまたまソ連の収容所から無事帰還した元兵隊が、「蝮を食べましたよ」と言ったら落語家の鶴塀さんは、思わず「美味しかったですか」と聞いた。私はその時、その兵隊の言葉と落語家の「美味しかったですか」の答えに、大きなギャップを感じた。

  蝮を食べなければ、生きて行けない、土壇場の苦しさを、その落語家は、単に『美味しかったですか』と聞くだけだった。収容所の生きるための苦しさが、理解できない戦後生まれの落語家の問い合わせは、最早、時代に全くのギャップがあると痛感したのである。

 日本共産党はあたかも解放されたと思い込み、マッカサー元帥のGHQビルの前を、赤旗を立て、宮城前まで大きな列で、米よこせ運動を仕掛けたものである。一時は総同盟罷業まで計画して、連合軍から中止命令で、行われなかった。しかし、当時の勤務先では、共産主義運動がはびこり、毎日昼休みには、必ず赤旗を配り、演説を繰り返した日々が、しばらく続いたのである。

 赤旗を配布した一部の連中が、現在の一流商社へ潜り込んだ例もあった。その後の活躍ぶりを見に訪れたこともあったが、「何しに来たの」と、あたかもバレルのを警戒した人もいた。

 兎も角、日本人にとっては、スターリンという名前は永久に忘れることの出来ない人物であることを、今更繰り返して、思い出して、ヤルタ協定のアメリカ、イギリス両国の失敗談を思い出したのである。現在北方四島の返還運動をしている人達に、敢えて言いたい。現在のソ連は絶対に返還の可能性はないと断言したい。

 その後、アメリカは原子爆弾を二回も落とし、日本国の壊滅を図ったのである。
現在は信じられない位、見事な立ち直りを果たした日本国は世界一の立派な国に立て直したのである
完全という訳にはいかないが、日本国の現状は見事な平和を成し遂げた国であることを自信を持って言える国になったのである。

  平成20年9月4日               石 井 立 夫