日本象徴の富士山

ポツダム宣言受諾

 NHKの番組で二週続いて放送された。最後はいかにして、重臣が、ポツダム宣言を受け入れるか、激しいやり取りが行われたかを如実に映し出されていた。最後まで受け入れを拒否したのは、陸軍大将梅津美冶郎だった。当時の条件を考慮したら当然の成り行きだった。その最後の表現にこだわったのは、国体の護持問題だった。

 ポツダム宣言受諾の内容について、YAHOOで調査をしてみたが、その詳細の一部は米英支蘇」ともいう。1945年8月10日、大日本帝国はこの宣言を受け入れを駐スイス大使館経由で連合国側へ申し出で。またラジオトウキョウを通じてアナウンス。

 9月2日、東京湾内に停泊する米戦艦のミズーリーの艦板で昭和天皇(元首であり大元帥また正式には大日本帝国陸海軍大将)の許可を受けた政府全権の重光葵と大本営(日本軍)全権の梅津美治郎大将とが連合国への降伏文章に調印した。NHKの放送では、昭和二十年九月二日も、大事な記念日として記憶すべき日であると強調していた。

概要;
ポツダム宣言の八条。
カイロ宣言の条項は履行せらるべく又日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国竝に吾等の決定する諸小島に局限せらるべし十条.日本人を民族として奴隷化、国民として滅亡せんとするにあらず。一切の戦争犯罪人の処罰
十三条
全日本軍の無条件降伏と日本国政府によるその保障 冒頭第一条にて、日本国に対し戦争を終結する機会を与えるとし、末尾第十三条において、全日本軍の無条件降伏と政府がそれを保障する事を受け容れられない場合は、(ドイツ同様の)迅速且つ完全なる壊滅あるのみと声明している。

昭 和 天 皇
ミズリー艦上にて調印 重光葵外務大臣

影響
8月9日の御前会議では「国体の護持」を条件に受諾を決定し、8月10日に連合国に打電した。翌日アメリカは合衆国は「日本の政体は日本国民が自由に表明する意思のもとに決定される」とし、また「降伏の時より、天皇及び日本国政府の国家統治の権限は降伏条項の実施の為其の必要と認むる処置を採る連合軍最高司令官に従属する(subject to)と回答した

subject toの訳文について「制限の下に置かれる」とする外務省と「隷属する」とする軍部の間の対立があった。国体がどうなるかの確証はなく、軍部強硬派は国体護持が保障されていないと再照会を主張したために8月14日に天皇の命令で改めて御前会議を開き、宣言受諾が決定されて詔勅が発せられた。

 8月15日正午、玉音放送により、臣民と大日本帝国陸軍、大日本帝国海軍に降伏太平洋戦争の終結が伝えられた。
軍隊に停戦命令が出されたのは8月16日であるなお、ポツダム宣言受諾前に日本国内に混乱が見られ、ポツダム宣言受諾が決定したという報が入ると、クーデタによって玉音放送を中止させて「本土決戦内閣」を樹立しようという陸軍青年将校の動きがあった
東条英樹大将の娘婿、古賀参謀少佐が偽の命令を近衛師団に出し、一部連隊は実際に宮城内に入った。当時私は連隊本部の通信暗号班長を担当していたが、矢張りその偽の命令を翻訳し、連隊長へ伝達したが、連隊長は、一応完全武装までしていたが、最後に、この命令書は偽であると判断されて宮城へは行かなかった。

艦 砲 射 撃

 もし、其の偽命令が本物であったら、日本軍同士の戦いが有ったかもしれない。誠に危険な状態を思い出された。これとほぼ同時時刻に陸軍大臣阿南惟幾が割腹自殺した。この日の前後の国内の騒動は、大混乱を極めたのは、未だに私の強い思い出として残っている。

米国・英国・ソ連首脳会議 昭和天皇とマッカサー会見

 その瞬間爆発し、全員が大怪我をした。私は中学一年生で、一番前に整列していた。韓国人の青年は、その場で射殺されたが、大変な騒ぎになったのである。そのときの爆発で大怪我をして、重光葵氏は、脚を失ったのである。韓国の青年は、現在韓国の英雄として現在なお祀られているそうだ。その後、重光葵さんは出世をして、外務大臣になった。

 この現場を見た同級生は、現在殆ど逝去して、この思い出話も出来ない現状になってしまった。昔は韓国ではなく、朝鮮と称し、現在の北朝鮮との区別はない時代だった。其の頃の朝鮮は日本国の統制下にあり、終戦と同時に独立国家になった。現在も尚、日本への屈辱感は消えないのは、理解できる。

  平成20年10月9日               石 井 立 夫