痘痕(あばた)(えくぼ)
現在の当用漢字には該当しないが、あばたもえくぼと読ませる。江戸時代には相当数の痘痕の人が居たらしい。当時は予防接種も無く、当然ながら考えられる話だ。

オランダ人がすでに日本に来ていたのは事実だが、日本人に意外と多いのに驚いたという話題があったらしい。しかしそれに該当するデーターはないらしい。

 戦前の話だが、上海に住んでいたとき、かなりの痘痕を患った中国人が居た。モピーといわれていたが、当時上海は英国の圧政下にあったが、地元の人間にまで手が届かなかったのだ。かなりの痘痕を患った人が居た。在留日本人は、かなり衛生面で行き届いていたので、既に私たちは天然痘の予防接種はしていた。

 ところが、戦後間もない昭和22年当時、日本国内の衛生状態は極めて悪い状態だった。
私は何時の間にか、天然痘がうつっていた。ある小さな会社に勤務していたが、寮設備がありある朝高熱を出し、どうしても起きあがれなかった。寮のおばさんが、いつもの通り、私が起きないので、偶然様子を見に来た。

 ところが本人は高熱を出して、唸っていたので、直ちに救急車を呼んで、名前は忘れたが病院へ運ばれた。担架で運ばれ、発疹チブスの疑いで担架に乗せられて、病室は満員で、廊下に置かれていた。

 医者が回ってきて、私を見るなり、この患者は天然痘患者だから、直ちにそちらへ移すよう指示していた。さて、天然痘には該当する薬がないことを知った。顔中吹き出物が出来、もっぱらそれを自分の手で、静かに取るだけが、患者の仕事みたいな話だ。

 当時、食糧不足は言葉に言い尽くせない酷いものだった。同室の患者が、ひそかに自宅へ食糧の補給に帰る姿を見た。思わずゾーとした思いをした。現在では考えられない話だ。患者が密かに外出姿を見て、当時としては伝染するのは、当たり前の条件が揃っていたのだ。おそらく、電車の中で、うつっていたのだろう。

 私は自分のことで、失望し、顔に痘痕が残ると思い込んでいた。葉書を頼んで、自分の現況を、つぶさにお袋に報告し、その他友人に伝えた。ところが、看護婦さんが、それを消毒し、ついでに読んだらしく、三人揃って、私の部屋に来た。

 天然痘の予防接種をしておれば、絶対に顔には残らないと説明に来てくれた。
それで、私は途端に安心したが、予防接種をしておれば、絶対に顔には残らないのだという説明に納得するまで、だまされた思いをしたのは事実だ。友人が見舞いに来てくれた。

  伝染病だから、かなり離れた場所から、大きな声で、お前は品のない病気にかかったなーと大きな声で言われたが、其の時は、顔には残らないで、納得していたので、笑って対応した思い出がある。

 痘痕も靨という意味は、好きになると、欠点まで好ましく見える意であり、若い頃のひと時を思い出す言葉だ。自分にも過ぎし日の甘い思いだが蘇えってきた。言葉というものは、甚だしく人の気心を傷つけるものであり、かたや、励みになる場合もある。老境に達し、過去にそのような、人を傷つけたことが無かったか改めて思いを致すのである。

  平成21年1月15日               石 井 立 夫