沖  縄

ビルマ

ドイツ
私の思い出の歌集

  人は誰しも思い出の歌を持っております。その時々の楽しかった時代、苦しかった時代
年時代に初めて聞いた歌、娘が何気なく唄っていた歌、よく理解のできなかった英語の歌、
沖縄の戦いで、絶望的な中で、必死になって米軍が、ラジオで兵士を励まし続けた歌マイ・
ボニーを覚えた日本軍の通信兵が、日本軍のキャンプで唄ったら、たまたま米軍の兵隊が後
ろで聞いていて、涙を流しながら、突然大合唱が起こり、捕虜だった日本兵と仲良く戦場整
理の仕事がスムースに行われたという話題。ヨーロッパ戦線で、ドイツ軍を励まし続けたリ
リーマルレンという架空の名の女性を、いつの間にか米軍の兵士がラジオで聞き覚え、ベル
リンを占領して実物の女性と勘違いして、捜し求めた幻の女性、リリーマルレンの話題。

 日本軍が終戦になったのも知らず、ビルマのジャングルの中で、音楽学校出身の小隊長が
25人ばかりの自分の部下に、楽譜も読めない兵隊たちに三部合唱を教え、(英国の歌“埴
生の宿”)を唄っていた。そのとき英国軍が、自国の歌声が聞こえるので、不思議に思い、
聞き耳を立てながら近づいたら、日本軍だった。そのとき初めて戦争は終わったことを日本
軍に教えたという話。

 結婚式の司会役を頼まれた時、たまたまお嫁さんの名前が緑さんという名前だった。
お嫁さんのお色直しの時間の埋め合わせで、私が覚えたばかりの「思い出のグリーングラス」
を唄った。グリーンという名に引っ掛けて・・・この歌をお母さんが大変お気に召して、次
の弟の結婚式に再びご指名があり「思い出のグリーングラス」を、お愛嬌で唄ったただしこ
の嫁さんは緑という名前ではなかった戦前アメリカのトップの歌手は「ビン・クロスビー」
だった。この人の歌い方は、バンドが彼の歌うテンポに合わせる歌い方で有名だった。

 若い私はこの人の真似をして、色々の曲を覚えた。特にこの人の歌う「峠の我が家」「ホ
ワイト・クリスマス」は抜群だった。私が中学三年生のとき、オーストラリアから英会話の
先生が赴任して来た中学三年生のガキどもに英語が理解できるわけもなく、その先生は、ど
うしたら生徒の分かってもらえるか考え、一つの方法を考え方に気がついたそのときの先生
の考え方は、英語で、Sing along with English  つまり英語の歌を唄って聞かせ、英語に馴
染ませようと思ったに違いない。次の英会話の時間に、その先生は、ポケットから万年筆の
ようなものを出した。
それは引き延ばしができる音楽で使う、タクトだった。黒板に英語の歌を書いた。その歌の
名は“ケンタッキーのわが家”だった。80年を過ぎても忘れることもなく、唄い続けてい
る。
もともと歌というものは、そういう物語を添えてあるものだと思うのだ。

                              石 井 立 夫