昭和18年当時の連隊の宿舎の桜並木

桜花爛漫の季節

 47日まさに爛漫の時期になった。桜花については、産経新聞朝刊に石原慎太郎氏が見事な論文を書いていた。題名は“花見の頃に”だった。彼は文学者として、時々産経に掲載するが、毎回その文章を読み、揺ぎ無き彼の地位を保っている。

 桜については自分にもいろいろな複雑な思い出がある。日本人は何故か桜が好きである。その気持ちを石原氏も書いているが、上野公園での毎年繰り広げられる宴会風景は別としてともかく好きなのである。自分は酒を飲まない無粋な男だが、何も酒が桜を見物するための条件ではなく、愛でる風景がいかにも日本人である風情であることを石原氏は書いていた。その一部を借用してみたい。

主題は“日本よ
  折から桜前線が日本列島を覆い世は春爛漫、人々はお花見に繰り出しあちこちで不景気な憂さ晴らしの乱痴気騒ぎも見られるが、年に一度の咲き誇りあっという間に散っていく桜を目にもせずに過ごしてしまう口惜しさは日本人独特の心情だろう・・・・・・・。

 それにしても桜満開の季節ともなれば、私たちの周りにかくも多くの桜の木はあったのかということに改めてきづかせられる。桜は思いがけぬほど多種類あって、寒桜からは始まって桜の花のトリともいえる八重桜まであるが、日本人の好みはやはり染井吉野ということだろう・・・・・・。ほんの一部を借用したが、尽きぬ彼の言葉は連綿と続く・・・・・・。

 さて私の場合は前述の通り、無粋そのものであり、昭和18年の軍隊時代の兵舎全部の写真があるが、その桜を愛でる気は全くなく、後日気が付いたら、このような桜景色が営庭にあったのだと、後で知ったような、誠に恥ずかしい思いがした。
軍隊時代に憶えた無粋きわまる唄を思い出した。

国の御為咲いたる桜 (さのさ節)
御国に嵐の吹くときは
あーあ散れよ背の君
勇ましく

 これを当時の唄として通用していたのである。戦争中は兎に角死ぬことが美しかったのである。散華すると言う二文字が桜の散り具合と重なったためと思われるが、現在となっては誠に哀れ、しかも無残な言葉と化している。

小田原城の桜 小田原城のお堀の桜

 慣れぬ写真でも撮影しようかと小田原城址に夜間に行ったら、門前払いだった。その前に満開になり、そのとき夜間の写真でもと思ったのが、間違いの元だったらしい。要するに縁がないことが分かった。

 石原慎太郎氏の結びの言葉に、この国の風土がもたらした民族としての独特な感性、特殊な能力を今日我々は自らの手で摩滅させつつあるような気がしてならない。お花見の季節との触れ合いの中でこそ私たちは保ち蘇らせなくてはならぬものを感じ取るべきに違いない、と結ばれていた。失はれ行く日本人の感性を憂ばかりにこの文章の終わりにした。

  平成21年4月12日               石 井 立 夫