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| プリンシプル |
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白州次郎という人の物語がNHKの番組で放送された。英語のスペルではPrinciple だが原理・原則・主義とある。彼は英国ケンブリッジ大學に留学し、この原則を学んだと言われている。大学内には色々な専攻するコースがあるらしいが、クレア・カレッジが白州の専攻したコースだった。 |
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戦時中、我が連隊にもケンブリッジ大學工学部を卒業し、衛生兵として勤務していた兵隊がいた。34名が入隊した同期生が身体検査を受け、同時に履歴書を書かされた。私は中国上海の中学校を卒業した事実を書いたが、たまたま衛生兵として勤務していた赤谷源蔵という人が同じ上海の税関長の息子であったのが、縁で私は呼び出されたのだ。 |
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入隊早々の初年兵だったので、呼び出しを受けたときは、何か失敗をして怒られるのかとおそるおそる衛生兵の勤務していた部屋を訪れた。ところが立派な紳士の態度で、そこにお掛けなさいと言われ、同じ上海出身だと言われ、あっけにとらわれた思い出がある。 |
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彼もPrincipleを身に着けた立派な紳士だった。連隊の中を歩く姿は姿勢を正し、歩く姿は実に立派だった。一衛生兵だった彼の姿は今でも私の印象に残っている。当時の陸軍は日本の大学もしくは専門学校、または中学校しか幹部候補生の資格を認めない時代だった。 |
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赤谷氏は立派な学歴を持っていたのに、外国の大学の卒業生だから、幹部候補生の資格はなかったのである。何故陸軍は、この立派な資格を持っている人を認めないのか、当然のこととして彼に質問した思い出がある。 |
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戦争終結の5日前に、彼は軍服から背広姿に着替え、外務省へ勤務する姿を見た。 |
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その後ワシントンの駐在部員として活躍され、現在の東京都庁の石原慎太郎氏が面節した印象として、大変立派な駐在部員がいたという印象を書いていた。それは赤谷源蔵氏の名前だった。その後南米の駐在委員として勤務し、若くして現地で亡くなったという新聞記事を見た。誠に惜しい人だったが、残念な思いをした覚えがある。 |
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戦時中の留学生として外国の大学に入るのは、実際に在ったらしいが、家庭が裕福でなければかなり難しかったらしい。その点白州次郎、赤谷源蔵氏の二人は恵まれた家庭の出身者だったのは事実だ。二人とも生きる姿は異なったが、戦後の混乱した時代を立派な姿で活躍した人だったのは事実だ。 |
| 平成21年4月23日 石 井 立 夫 |