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| 終 戦 後 の 東 京 裁 判 | ||
| 遥かなる昭和「第一部」 |
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雑誌の別冊号でこの記事を読みは始めた。副題は[あの時代を日本人いかに生きたか] |
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自分の過去を語ることに多少の忸怩たる思いがあるが、昭和二十年を境にした日本国の運命が大きく変換したからだ。 |
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国民全体はこの事態を受け止める術を知らず、多くの国民は呆然として、単に今夜から米軍の空襲がなくなり、電灯がつくことについて喜びを感じることぐらいしか喜びを感じなかった思い出がある。 |
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恋人と二人で聞いていた思い出のレコードを突然壊し始めた。このしぐさに二人は何となく抵抗を感じながら、今更お前の愚痴話を聞いても仕様がないよ・・・・といったがその友人はしばらくの間、泣き続けていた。 |
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| 終戦直後の買い出し風景 | 米 国 製 ・ B 29 |
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私は連隊本部の暗号班長をしていたので、師団司令部から続々と命令が入ってきたが、師団司令部も大混乱して、偽の命令を受けた思い出があった。つまり一部の参謀が偽の命令を出し始め、各連隊は宮城に集合を・・・・・という内容だった。 |
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徹底的に抗戦をするための命令の内容だった。連隊本部は偽の命令と思わず、一時的に出動準備を始めたのだ。さすが連隊長はこの命令は偽の命令だと喝破し、直ちに部隊の解散を命じ、事なきを得たのだ。その次にきた命令は、部隊は近衛師団に所属する乗馬部隊だったので、希望者を募り、米軍の上陸に備え、特別の部隊を編成するという内容だった。 |
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兵隊は復員できると思っていた矢先、希望者という条件はついていたが、残れと勘違いしその晩から大脱走が始まったのだ。三頭の馬を併馬して田舎へ逃げ出すものもがいた。中には出来る限りの荷物を背負って、歩いて営門を出てゆくもの・・・・・・。 |
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幹部候補生の教官だった男が、部下の兵隊を使い、トラックに荷物を積んでいたものもいた。思わずがっかりした思い出を持ったものだ。私は友人と早々に復員手続きを終え、一ヶ月後に田舎へ軍用行李だけに自分の荷物を積み合わせ帰国した。 |
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途中アメリカ兵が豊橋駅(多分B29の墜落した航空兵)でピストルを構え、復員軍人が乗車していた窓を開けさせ、腕の上まで時計を巻きあげ、日本刀を取り上げていた風景もあった。幸い私は座席の下に隠していたので、取られずに済んだ思い出がある。 |
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田舎に帰りついたとき、お袋がたったの一つの行李なの・・・・と言ったが、すでに多くの闇の商売が始めっており、何故もっと多くの荷物を持って帰らないのと言われ、当時はすでに闇商売がはびこり始めていたのを感じさせられたのを感じたものだ。思わず知恵のない自分に嫌気を覚えたのを思い出した。 |
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大混乱の敗戦の思い出は尽きることのない思い出ばかりだ。今でも思い出して見るとき、その後も嫌な思い出ばかりが続いたが、日本人全体が収拾のつかない混乱があったのだ。 |
| 平成21年9月17日 石 井 立 夫 |