沖 縄 米 軍 上 陸
沖縄の捕虜収容所

 沖縄は太平洋戦争の最後の地区で多くの民間人を巻き込んだ多くの犠牲者を出し、悲惨な地区である。題名は戦争を語るのではないのである。戦後直後の捕虜約3万人の話題であるある日この捕虜収容所で日本兵による娯楽会が催された。せめて捕虜という屈辱感を少しでも払拭させるための催しだったに違いない。

 軍隊というものは私にも経験があるが、軍服を着ているので、普段はさほど目立たない兵隊が、娯楽会などでは想像も出来ない独特の芸を出すことがある。
例えば、粋な都都逸を男女相愛の口語で唸る兵隊がそこにいた。
また立派な浪花節を一席唸り、聴くものに、ワンさの拍手をうたせた兵隊もいた。

 さて沖縄の捕虜収容場での話題を友人から聞いた覚えがある。矢張り普段は見られない芸達者の兵隊が醸し出す雰囲気は同じだったらしい。順番が回ってきて、通信班長をやっていた曹長が唄ったのだが、この人は攻めてくる米軍の尤も好みの唄を何時の間にか通信機器を経て憶えていた。

 その唄を唄い始めたら、後ろの方で物珍しい日本の兵隊の娯楽会を見学していた米軍の兵隊が急に同時に大合唱になったらしい。その唄は米軍が弾丸のアメアラレと注がれる戦場の中で、ラジオで流して励まされた唄だったのである。まさか日本兵が知っているとは思わずそのことには、かまわず一部の米軍は涙を流しながら、共に大合唱になったそうだ。

 日本兵の曹長はもともと音楽専門学校出身だったらしい。友人は初め何のことやら分からず、後ろを降り返ったりしていたが、あとで、その曹長に聞いたところ、米軍の兵隊がこよなく愛し、励まされてきた唄だったのである。

 唄の題名はMy Bonny lies over the ocean 
My Bonny lies over the sea  My Bonny
lies over the ocean  Oh bring back my Bonny to me, bring back bringbackbring my Bonny to me

 自分の恋人であるボニーが海の向うで死んだのだ。その可愛いボニーを返してくれという涙ぐみながら米軍の兵隊は自分の気持ちをコントロールし、励ます唄だったのである。

 その唄を日本軍の兵隊の口からまさか聴く機会があるとは思わず、そのことに感激したのである。なんと微笑ましいシーンだったことは想像できる。このような殺伐とした雰囲気の中で米軍が日本兵を尊敬し、和やかな雰囲気を醸し出した後、急速に米軍と日本兵の捕虜の間に和やかなお互いの感情が一気に溶けあい、戦後の緊張した環境が急速に解けてきたことは事実らしい。

終戦時にこのような美しい話題があったことは、ギスギスした環境に特筆すべき話題だったと友人は語っていた。戦争経験者には、時々思い出せさせる悪夢だ。

 さて、アメリカの組織を更に続けて行く。第二次世界大戦から、ベトナム戦争、イラク戦争まで「全ての兵士を故郷へ帰す」が合言葉にしてアメリカの兵士を激励し、かつ無事これ幸いとのモットーとして現在でも戦ってきているのだ。この点に関しては、アメリカの民主主義の本来のあり方が語っている姿があらはれている。

  平成21年9月24日               石 井 立 夫