Mississippi
兵隊と女優

 昭和十七年兵隊になっていた。入隊して三週間ぐらい過ぎて班長がお前たちはそろそろシャバが恋しくなってきただろう。本日は学生時代を思い出し、何でも良いから歌でも唄って見たらどうかと言われた。

  幹部候補生要員として34人が入隊したが、まだまだ学生気分が抜けていない。
調子に乗ってすぐ歌いだすものが出てきた。私も早速ジャズを歌い始めたのだ。その題目はアメリカ映画(膝にバンジョー1936年映画の題名)に出ていたバーバラ・スタンウイツク
Barbara Stanwyck)という名の女優がおそらく初めてと思われる歌だった。

 日本人好みの美人女優だった。アメリカ映画は昭和十五年ぐらいまでは日本に輸入されていたのだ。題名は「Where the lazy river goes bye」彼女は新婚の夜、艀(ハシケ)のフナ板に旦那のジョエル・マクリー(Joel McCrea) に抱かれ、静かに歌いだした。
そのシーンは若い私にはかなり印象深いものだ った。

 船の後ろには、彼女の父親が、バンジョーでセントルイス・ブルースを弾いていた。
このシーンを思い出しながら歌を歌い始めた。初年兵の拍手を受けながらひとまず終わった班長は何も言わず 終わった。一週間後それは初年兵の思想調査だったのだ。
学生気分の抜けない我々は完全にだまされていたのだ。

 それからの訓練のあり方は生半可ではない・徹底的に鍛錬され初年兵教育はどうやら終わった。第一次試験が終わり、私の成績は十七名の合格者の十七番だった。
つまりビリだった。
その後騎兵学校へ行き五ヶ月の間かなり厳しい訓練を受けた。
五ヶ月で将校になるのだから普通では考えられない訓練を受けたのだ。

 朝晩の区別なく、特に卒業演習では富士山裾野では寒さとの戦いと、二日三晩の徹夜での演習は現在でも忘れられない思い出だ。その上アメリカとの戦いで日本軍はいよいよ不利になり、対ア号作戦教育のため、一ヶ月の延長教育になった。毎日フラフラになりながらどうやら卒業できた。

 原隊に帰りはしたが、連隊本部では十七名の卒業生はいらない。やがて七名ぐらいが本部に残ることが出来た。幸いなるかな私は残ったのだ。運命というものは分からないものだ。
成績が良かったのではなく、通信教育を受けたのが運命を変えたのかも分からない。最後には暗号教育を受け連隊では絶対必要な地位に着いたのだ。

Joel McCrea(左側)

 毎日師団司令部から秘密の暗  号が入るのだから私の立場はますます貴重な存在になったのだ。やがて終戦となり、軍隊は解散したが、個々に故郷に帰ったが、その後の苦労は人並みだったと思う。私は縁があってアメリカ・ニューオリンズ市を訪れたことがある。

 すぐそばに揺蕩う(タュタフ)大きな流れのミシシイピー河が流れていた。
その光景を見て、さらに昔の映画のシーンを思い出した覚えがある。
しかしこの歌はいつまでも自分を励まし、今でも歌い続けている。

 単純な話だが、誰でも忘れられない歌を誰でも持っているのではないだろうか。それが老いて尚そっと思い出の歌を唄うことが秘かにあるのかも知れない。
この思い出の歌の全体を紹介したい。

Where the lazy river goes bye
Every body know that is just muddy river
But it seems like heaven on high
When the moon is shining bright
Let me dream away the night  
Where the lazy river goes bye
Go away let us be just the river you and me
Everything is still all along the Mississippi
A'int no one as I happy as I
Oh I never want to roam 
Let me live and make my home
Where the lazy river goes bye
Where the lazy lazy river goes bye

 以上が歌の内容だが、間違っているスペルが有るかもしれないが
今でも覚えている人が必ずいらっしゃると思う。
それほど印象に残る
歌だったのだ。戦時中の歌だったが、その中で秘かに歌っていた青春が今に続いているのだ。

  平成21年12月10日               石 井 立 夫