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| 槍 騎 兵 (近 衛 騎 兵 連 隊) | ||
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秋山好古を語る |
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司馬遼太郎の小説から目下NHKの番組秋山好古を主題とした「坂の上の雲」が毎週夜8時から放送がはじまった。私は特別の感懐をもって観ている。 |
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テレビに出ていた秋山好古は馬術で新兵を訓練している場面があった。胸には蛇腹のマークがあった。立派な訓練振りを表現していたが,初年兵の時代を彷彿させる場面であった。 |
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幼名は信三郎。また、日本海海戦で、先任参謀として丁字戦法を考案、バルチック艦隊を撃滅した秋山真之は実弟にあたる。陸軍騎兵学校を参観に来たフランス軍人に「秋山好古の生涯の意味は、満州の野で世界最強の騎兵集団を破るというただ一点に尽きている」と賞されているとおり、日本騎兵の父と言われた。私は昭和17年10月1日近衛騎兵連隊へ入隊した。34名が入隊し、18名が幹部候補生に合格。同期生には乗馬経験者が半分私は初めて馬に乗った組に入れられた。高橋義尚君(残念ながら逝去)は学生時代にすでに天覧試合に出て優勝しており、その他半分は乗馬の未経験者だった。昭和10年満州国皇帝が来日したとき、近衛騎兵は儀仗兵としての役を勤め、当然その馬車の後ろに供奉の役を勤めたのである |
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胸に蛇腹のついた制服を着用した実績があったようだが、その後は着用する機会が無かった。被服倉庫に入れたまま終戦になったので、その後はどのように処分されたかは不明。 |
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| 満 州 国 皇 帝 来 日 | 秋 山 好 古 (大 将) |
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5月に騎兵学校へ入学、トラック部隊に編入、すっかり乗馬と縁が切れた。 |
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その他伊藤悌吉君、藤田君、建川英雄の三氏は元部隊に残り、その他の者は他所に派遣された。高橋君と小沢君はビルマで苦労をしたようだ。しかし生きて帰ったのだから立派なものだ。戦後一同は熱海に集まり、記念の会合を開いた。 |
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現在も時々連絡をとり、お互いの健康を確かめているが、齢九十歳になろうとしているが意気軒昂を誇っているが、四氏のうち高橋、藤田、建川、の三氏はすでに鬼籍に入り、伊藤君は脳出血で病に臥しており、健康を維持しているのは、鈴木良之助君、近藤君、原田君、毛利君、私石井の五氏になってしまった。騎兵隊という特殊な経験を持ったが、現在は当時の思い出をしのび、余生を過ごしている。 |
| 平成22年1月7日 石 井 立 夫 |