英 国 親 衛 隊 の 勇 士

蛍 の 光

 年末恒例の紅白歌合戦は白組の勝ちで終わったが、毎年最後に蛍の光の歌で終わり新年を迎える段取りになっている。蛍の光の原曲はスコットランドの民謡である。
この曲については各人が色々の思い出があるだろう。

 私の場合はビルマ戦線での思い出が現在でも鮮明に残っているのだ。ビルマ戦線は日本軍の敗退の最前線であった。同期の高橋君、小沢君が最前線に着いたころ、すでに敗退のころに到着して其の儘敗退軍に加わってどうやら生きて日本に復員できた悲劇に見舞われた。

 復員後一度戦線の話を聞いた覚えはあるが、二人とも戦場ではなく、最近病気で亡くなった。とても寂しい思いをしている。この話題ではなく同じくビルマ戦線での話題を今でも歌とともに思い出すのだ。音楽学校出身の見習士官が敗退する日本軍の戦線で、ともすれば意気消沈する兵隊に、せめて歌の指導を通じて励ましていた。

 大体日本人全体戦前は歌の指導を受けることは無く、軍隊では軍歌を歌わせるぐらいがせいぜいだった。音楽学校出身の見習士官は本格的な指導を行い、成績は序々に歌唱力は良くなっていたようだ。それがせめてもの慰めにもなっていたようだ。

  ジャングルに囲まれた地域で、連合軍が序々に迫ってきてフト蛍の光の曲が聞こえてくるのを耳にした。勿論英語の歌声ではないが、メロデイーは同様であり、しかも歌、声は立派な歌唱力を持っており、暫くのあいだ、様子を眺めながら聞いていたらしい。

 やがて連合軍は日本軍の近くまで迫って来たが、銃砲は使用しないでいた。日本兵はそれとは気がつかずに懸命に歌っていたようだ。信じられない風景だが日本兵は懸命に歌い続けていたそうだ。終には連合軍の兵士までがともに歌うようになり歌の持つ力とは、このような信じられない光景を生み出したようだ。

 戦後その日本軍の兵隊が思い出の地を再度、訪れた様子をテレビで見た記憶がある。
誠に激しい戦場でこのような風景が実際にあったのだ。歌が最前線で敵と味方の区別なく歌われた実話を今でも美しい話として時々思い出すのだ。

Auld Lang Syne
Robert Burns
Should auld aequaintance
be forgot,
And never brought to mind?
Should auld acquaintance
be forgot



And days of lang syne,
For auld lang syne, my dear,
For auld lang syne,
We'll tak'a cup o' kindness yet,
For auld lang syne.

一、
ほたるのひかり まどのゆき。
書よむつき日 かさねつつ
いつしか年も すぎのとを
あけてぞ けさは わかれゆく

三、
つくしのきわみ みちのおく
うみやま とおく へだつとも
そのまごころは へだてなく
ひとつにつくせ くにのため

二、
とまるもゆくも かぎりとて
かたみにおもう ちよろずの
こころのはしを ひとことに
さきくとばかり うたうなり

四、
千島のおくも おきなわも
やしまのうちの まもりなり
いたらんくにに いさお しく
つとめよ わがせ つつがなく

  平成22年1月14日               石 井 立 夫