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| バンド風景( 上 海 )1940年の頃 | ||
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上海今昔物語-① |
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私は1920年上海で誕生した。古い上海を知る人の仲間だが、古い、悪いの感想ではなく、ある意味では懐旧談になるのかもしれない。 |
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例えば自動車の販売台数が急増し前年比46%の増の1364万台と世界一に躍り出るなど内需が拡大。金融危機の影響から「V字型回復」を果たし、世界経済の牽引役を担っている。中国の昨年のGDPは、各国の経済規模を示す名目で33兆5353億元だった。 |
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ドル換算で比較される世界順位では、円高のため日本の名目GDPが膨れあがり、中国は日本をわずかに下回った模様だ。中国はドイツを追い抜いて世界3位になっている。(産経)戦後の中国には訪問していないが、恐るべき勢いを感じてしまう。現状の模様はテレビ・コンピュータ・新聞で知ることは可能である。戦前の模様は老上海の友人が贈ってくれたもので、むしろ見聞しているので、十分に比較できるものだ。上海年表譜なるものが手元にあるので、1842年頃からの歴史的な変遷を拾ってみるものも興味あるのではないか?と思う。 |
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(この会社は英国の象徴的な殖民政策の商会)1849年フランス租界成立。 |
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| 人力車( 上 海 )1940年頃 | 1940年頃の上海の町並み |
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多くのワンポウツオウ(人力車)の人達は田舎から出て来た人達で貧しい生活をしていた反対に欧米から来た人達は逆に豪華な生活をしており、辺りを睥睨していた。日本人はウーソン路と言う名の地区に多くの店を開き、地元の中国人は挟まれるように遠慮しがちに店を開いていた。 |
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私の父は紡績工場に長らく勤務していたが、あたかも日本本国の生活の様な生活をしていたが、欧米人のような生活態度ではなかった。1932年上海戦争が起こったが、陸戦隊という海軍が支配していたが、私は12歳で怖い思いをした思い出がある。 |
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「中国人と犬、入るべからず」と言う屈辱的な看板を出していた公園があったが、まるで人間性を無視していたような租界生活をしていたのだ。その後私は日本へ行き、その後の上海での生活は知らない。 |
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1945年わが国が敗北して殆どの日本人は引き上げてしまった。 |
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手紙の内容は見る見るうちに変わった。社会主義国家になったので、書かざるを得ない様子が伺われ、思想変化の恐ろしさを痛感した覚えがある。 |
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母親は父親が家を購入してなかったことを死ぬまで恨んでいた。残っているのは大分県臼杵湾を望むお墓だけだが、父親、母親、妹が永遠に眠っている静かな墓地が在るだけである上海の現状は繁栄の一途を辿っているが、第二の故郷として、その繁栄をひたすら祈っており、時には生まれ故郷を偲んでいる現在だ。 |
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人口13億人、広い地域を支配している中国政府の活力はどこにあるのだろうか。 |
| 平成22年2月18日 石 井 立 夫 |