毛 利 君 と 戦 友

同期の友の死を悼む

 昭和17年101日、大学を強制的に卒業させられて、近衛騎兵第4部隊に入隊した。
戦時中とはいえ
わけも分らず入隊した。同日入隊した34名は種々の学生出身だったが、中に毛利武彦という名の美術学校出身の人がいた。重機関銃中隊に配属されていた。入隊早々学校出身は関係なく全員幹部候補生要員としての共同訓練をうけることになった。

 3ヶ月の特別訓練を受けたが、初めの三ヶ月は代々木練兵場(現在は高級住宅街)で猛烈な乗馬訓練を受けた。馬場馬術では砂場の中での訓練で、昭和18年の1月8日の昭和天皇の前での観兵式のための訓練だった。

 この三ヶ月の訓練は特別のものだった。式は無事に終り、その後はひたすら幹部候補生になるための期間だった。毎朝の厩の掃除だとか、馬の躾の門題とか、歩兵の訓練も同時に受けた。馬場馬術の歳、砂場に騎兵銃を背負いながら乗馬をするのだが、毛利武彦君が銃を砂場に落として、その際銃の一部を無くしてしまった。砂場だから長い時間探しても簡単には見つからない。結局その夜の食事の停止をくった。腹は猛烈に減っていたので、つまみ食いをしてしまった。その場を見つけられ、猛烈に殴られた思い出がある。毛利君はまさに畏友であった。

 毛利君は、武蔵野美術大学の教授で多くの弟子を育てた。葬儀は格の異なる東京芝の増上寺で行われた。同級生として葬儀に参加するのは当然のことだったが、一名も参加できになかった。せめて祭壇に我々を代表する花輪を飾って貰うよう依頼した。

幸い花輪が祭壇に飾られたことは後日未亡人に確認できた。葬儀に参加できなかった友人は原田平三君、鈴木良之助氏、近藤糺君の三名で私を含めて四名だった。後何人か存命のはずだが、連絡がとれていない。

毛 利 画 伯 作 品 毛 利 画 伯 作 品

 年齢を重ねるたびに思うことは、今さら軍隊時代の思い出を語るにはあまりにも遠いことになってしまった。二十年前までは湯河原に集い昔話も出たが、お互いで歩くことはままならず、電話連絡も疎遠になってしまった。しかし偶然であれ、電話があれば極端に嬉しい。

 ヨー生きていたか?が現在の我々の掛けことばになっている。
しかし何時までも生き永らえている。
これは生きている人には悠遠の友として生きがいを感じるのだ。

  平成22年4月29日               石 井 立 夫