戦友たち

盟 友 の 消 息

 1942101日軍隊へ入った。その際我々34名は日本のため、誓いを建てさせられたこの事実が盟友の始まりである。何を誓ったか、その内容は忘れた。1945年戦争が終わりそれぞれ故郷へ帰ったが、その後何年か立ってから、仲間がそれぞれ自分の生活の根拠を立て、久しぶりに会いたいと思ったのは当然の成り行きだった。

 むしろ戦後の集まりが貴重なものになり、何回か会合を開いた。お互いの健闘を称えあいフリーの味と、健康が徐々に話題となり始めたのはきわめて当然の事実になった。
計上した写真は現在から17年前のもので、そこには生活の有様を語り、子供の様子を語り、健康の問題を語り合うためには時間が尽きないものがあった。

 この写真には盟友の二人が欠けているが小沢君と近藤君だ。その前後に何回か会を持っているので当然その会合に出席しているはずである。さて、この写真を見て驚いたには10名の出席者があったのが、現在生き延びているのは、わずか3名だったことだ。名前を一応書いてみたい。
①後列の右から・連隊に急設された特別製の戦車中隊で活躍するはずだった関口君残念ながら急逝してしまった。彼は明快な青年で、戦車は特別製のもので、天皇、皇后を急遽避難するためのものだった。
将校と雖も絶対に見せない戦車だった。

連日毎日のように川口の県境まで激しい練習を繰り返していた。その時期までに終戦になったので、これをどう処分するか迷ったらしい。最後は練馬の近くまで運び、そのまま捨ててきたらしい。哀れな日本の最後の運命の象徴みたいなものだった。

 ②鈴木良之助現在達者な生き方をしている人。脚が不自由で立てないらしいが、口は達者な人。酒を愛し続け、天空に詳しい人で、軍隊の卒業演習の最後の夜、寒空の中で、ロマンチックな解説をしてもらった経験をいまだに覚えている。

 ③戸田君好青年だった彼は意外と早く亡くなった。時期は覚えていない。病院へ見舞にいったことがある。そのとき励ましたことがあった。葬儀出棺のとき、サヨウナラと言って見送った。軍旗祭のとき、彼は社長の役で出ることになっていたが、軍旗祭は中止になって、彼の芝居姿が見られなかった。

 ④原田君 現在達者に生き延びている。時々電話で話をしている貴重な仲間だ。奥さんが痴呆症になっているらしく、面倒を観るために外出もままならぬらしい。気の毒だ。

 ⑤毛利君 残念ながら幽明境を異にした。優秀な画家で一流の座を占めていた。東京芝の増上寺で葬儀を行ったが、同期生は出席できなかった。彼のアルバムを戴いているが、貴重な財産としている。

 ⑥前列左から建川君。中隊で共にした仲間。朗らかな青年で常にリード役だった。
ともにゴルフをした仲間だった。酒を愛し酒に溺れて死んだ友人だ。我が家でウイスキーを飲みながらしゃべった思い出がある。
私は常に批判された仲間だ。彼の葬儀に参加したが、涙を抑えきれず泣いた覚えがある。

 ⑦黒川君 千葉出身で好青年だった。一度同期生一同が訪問したことがあった。残念ながら死んでしまった。献体をし、水中に浮かんでいた。簡単に誰しも出来ないことだ。 献体には相当の勇気が要ることだ。

 ⑧伊藤君 中隊でともにした仲間だった。身体がやや小さかった点を補うため、人知れぬ努力をお惜しまない男だった。514日に亡くなった。長い間病状の後、ついに去ってしまった。努力家の一つの例は、誰とも話しあわず、黙々と兵器の手入れをし、私はその側で寝てばかりいた。

 当然成績は彼がトップで、私はビリだった。私の家に遊びに来たとき、彼は金を出そうとした律儀な男だった。ゴルフも楽しんだ。病状が悪化した情報を得ていたが、最後は娘さんの手を握りながらだと思っている。いつも娘さんの写真を見せていた。

 ⑨高橋君 乗馬の名手で、大学時代から有名だった。希望してビルマ戦線に参加し、無事生き延びて日本に帰った。朗らかな青年で、社交的な人だった。
乗馬は絵になるような美しいものだった。銀座生まれのハンサムボーイで、何となく洒落た男だった。誠に惜しまれる人だった。

 ⑩最後は私だが、成績はいつもビリだった。無類のお人よしで、何となく同僚から親しまれている。何となく健康な身体で元気に過ごしている。

 ⑪他に小沢君がいた。彼も人柄はよく、お坊ちゃんスタイルだった。ビルマ戦線に参加し退却作戦で苦労したらしい。“デーメに会ったよ”と言うセリフを未だに覚えている。葬儀にも参加した。惜しい男だった。

 ⑫近藤君 元気な青年で、いまだに連絡を続けている仲間だ。文学青年で、記念のアルバムに立派な和歌を書いてもらった。

 ⑬その他木村君の消息を知りたい仲間だ。彼は戦闘機に乗り、B29に体当たりした男だった。朗らかな青年で、無理するなよ・・・・・と言っていたが体当たりをして戦死してしまった。いまだに脳裏に浮かぶ青年だった。

 ⑭連絡のつかない戦友がいる。写真はあるのだが、復員後の消息が分らない人だ。仲間でもう一度会いたいと思うが、齢90歳にもなれば無理な話だ。もう一度会ったら、どのような話題がでるだろうか。せめて願いだけは欲しい。

  平成22年5月27日             石井 立夫