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私の軍隊時代の友人が介護老人保健施設に入居している。彼が体調を崩し、脳梗塞(軽度)
で三度ばかり倒れて、序々ながら体調が思わしくなくなり、奥さんから電話で状況を聞きな
がら彼との連絡もなく約三年過ぎ心配していた。
今年の八月どうやら介護老人保健施設に入居できたとの連絡を受けていた。
この施設に入るために順序があるらしく、それまでは奥さんが自宅で介護をしながら、時々
病状の状態を聞いていた。
家庭内での介護がいかに大変な気使いが必要か奥さんの言葉から察していた。老境に入り
このような自宅介護をするようになると、とかく我がままを言い、昔人間がとかく無理なこ
とを言いがちになり、奥さんの苦労は大変なものだったらしい。
先日介護老人保健施設入居後どうやら、本人が場慣れしたので、一度面会をして欲しいと
の電話を頂いた。
初めての施設を見て参考にもなると思い、奥さんと娘さんと三人で昼食時に訪問をした。
何故昼食時に訪問をしたか、奥さんの説明によれば、施設の実態を見るためには、昼食時の
入居者の様子を全般的に見ると、説明なしで、理解できるからだとのことだった。
大広間に約百人ばかりの老人(女性を含め)が食事を取っていた。
友人の席に行くと、彼は驚いた様子で私を見たが、瞬間多少の笑みで挨拶をした。五人の
男性が食事をしていたが、先ず驚いたのは、五人とも無表情で、黙々と食事をしていた。
最初は食事だから、私は遠慮しながら、黙って見ていたが、各人の食事が終わったが、一人
として、私に関心を示さない。お互いも表情がなく、話も出ない。無表情で,普通なら食後の
談話が少しでもあるのではないかと思ったが、全く無関心で、介護の手助けをする若い女性
が食後の後片付けをする様子に対して、ご馳走様ぐらいの言葉もない。
徐々に異様な風景に、いささか気味が悪くなり始めた。奥さんが早めに友人の部屋に行き
ましょうと案内され、彼のベットルームに移った。
さて、友人の部屋に移ったので、彼の手をとり、元気だったかと聞いた。彼は特別嬉しそ
うな顔をしないで、手を握る力も弱く、顔の表情もさして変化を見せなかった。
過日の画家の同期生の会で撮った写真を見せ、同期の者の顔を指して、分かるかと聞いたが
特別の反応を見せない。
少々焦りを感じ、顔を近づけ大きな声を出しながら、話しかけたが、それへの反応も芳し
くない。奥さんが、私の名前を名乗るのだが、反応は今ひとつと言う感じだ。
彼が食事のときの無表情はベット部屋でも変わりがないことが分かり、どうやら痴呆症状に
なる恐れが現れつつあるように見えた。
往年の彼はスポーツが得意で、一人娘さんを可愛がり、スキー、乗馬、ゴルフを教え、そ
の当時のことを知り尽くしていただけに、現状と比較すると大いに落胆した。
また介護老人保健施設への疑問を持ったのは否定できない。痴呆状態に近い人々を預かるの
は、きわめてヒューマニテイックな施設ではあるが、一人一人の将来を考えると果たして、
このような事情に問題は無いのかと疑問を持った。良き解決法なのかも分からない。ともか
く人生の終末を考えると、尊厳という言葉に疑問を持ち、自分の場合は自分なりに人生を全
うし、死ぬことが、他人に迷惑を掛けずに良いのではないかと思った。
実際に直面した場合に、本当に割り切れるかどうか、自信は無いが、施設を見学して、その
ような感想を持ったのは事実だ。
痴呆症という言葉は差別用語だと決め付け、認知症という言葉に代えるという記事を読ん
だとかく現在は言葉での表現を変更することにより、何となく満足するような軽薄な世の中
の風潮だ。問題提起はするが、結論は簡単に出ない時代なのだ。
それほど今回の友人の見舞いで得た深刻な問題点と、自分自身へのショックを率直に考えさ
せられたのである。
彼の努力型の人間性から見て、どうにもならない自分への情けなさ、誇り多き過去への状
況を考えて、口惜しい想いもひとしおではないか。
それらを口に出せないのではないかと思ったりした。奥さんは進行する彼の病状から、諦め
に近い思いをしているが、娘さんは少しでも普通のパパに戻って欲しいと熱心に看護をして
いる。その姿を見ていると、いじらしい愛情が見えるのである。
人間の奥底は見えるものではないが、心配りを何気なくする昔の彼の姿を思い出すと、病気
をすると、表現すら失うものだと、なんとも口惜しいのだ。
友人を見舞ったショックで余計自分の健康維持に関心を持つようになった。
人生八十四歳にして、改めて人生とは・・・・と考えさせられた。
石 井 立 夫
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