靖  国  神  社
ある夏の日の想い出

 三十年前くらいの夏の日の想い出である。私はタクシーに乗って靖国神社の前を通りかかったときのことである。其の一、独り言のように、この神社には私の友人が何人か祭られているんだと言った。タクシーの運転手は驚いたように、旦那の頭はかつらですか?といきなり言われた。

 きょとんとして質問の意味が分からないでいたが、一瞬じげ(自毛)ですよ、と答えた。
靖国神社へお参りするには、それなりの貫禄ある頭をしていなければならないことを知ったのである。当事は靖国神社は大祭で賑わっていた。当時の総理大臣が真摯な態度でお参りしていた。現在の総理大臣は神社への参拝はしないらしい

 私のような年配者には、いささか忸怩 (じくじ)たる思いがするのだ。忸怩とは知らないことを恥に思うこと、と自分なりに解釈している。日本人である以上、誰もが参拝するものと決めていた私には、正に驚きの感覚で思ってしまうのだ。極端に言えば夏の風物詩でもあると思っている。
乗馬部隊であった私は、乗馬姿で参拝した想い出がある。現在の門構えであったが、そのまま連隊の乗馬部隊が参詣したのである。戦時中ではあったが、いまだ空襲の心配はない時代であって、緊張をしていた思い出はあるが・・・・・・。其の二、連隊近くの友人の親戚の家に下宿をさせていただいた頃の思い出である。誠に立派なお屋敷で現在でも簡単には入手できないような立派なお屋敷だった。

 そこには可愛らしいお嬢さんがすんでいた。ピアノも置いてあった。私は本格的な練習をしたわけでないが母がオルガンを弾いていたので、何となく真似事みたいに弾いていた想い出があった。毎晩空襲のある夜の日は灯火管制が行われていたが、そのお屋敷は関係のないような常態だった。

学  習  院

 毎晩でまかせの曲を弾いていた。その曲は“久遠の誓”だったと記憶している。左手でドソミソと弾くわけだが、その方法で毎晩同じ曲を繰り返していた。学習院へ通っていた令嬢は当時疎開していたらしいが、その先から可愛いらしい手紙をもらった。そこに初めてドソミソ少尉殿という手紙が届いた。そこからドソミソ少尉という命名された経緯があったのである。

 その後空襲はますます激しくなり、ついに連隊本部に住まいを移動せざるを得なかった。
家主のご主人から娘に手紙をやり取りしないでくれと言われた。思いかけない言葉にいささか弁解がましい答えをした思い出があった。

 その後令嬢は疎開したままだったので、私はサヨナラも言わず別れた記憶がある。長い間連絡がなかったが、偶然の機会にお目に掛った記憶がある。友人が世話をしたのだ。令嬢は相変わらずの豊かな生活を過ごしていた。その時の印象では、恵まれた人は相変わらずの生活を誰かが保障しているらしい。

 人の運命は分からないものらしい。原因時期は聞いていないが、亡くなったらしい。冗談が好きな人で、美人薄命と言われているが、長生きできないわよ、と言っていたことが思い出されるのである。以上

  平成22年9月2日             石井 立夫