昭和十七年十月一日の思い出

 私はこの日初めて軍隊へ入隊した思い出の日である。東部第四部隊へ入隊を命ずという通知があった。父親が入隊の日に来てくれた。十時に連隊の桑田貞三連隊長の訓示があった。緊張して聞いた思い出がある。入隊は大学、専門学校者ばかりの34名だった。
続いて銃器の手渡しが行われた。

 その後直ちに班別の仕分けがあり、第一中隊の第一班の配属になった。
木で作られたベッドが割り当てられ、伊藤悌吉君が隣のベッドだった。
左隣りが堀内君だった。

 毛布を八枚支給され、寝具用の折りたたみの方法を教えられた。馬の名前がついた割り当てがあった。(谷風)という名の馬だった。翌朝起床ラッパ(朝六時)に起こされ直ちに厩舎(馬小屋)に駆けつけ、自分の馬を引き出し水のみ馬へ連れ出す。
何回水を飲むか首のあたりに手を当て数える。その後(ハケ)で馬の全身を洗い元の馬房へ入れる。
この作業は初年兵の作業で兵舎へ戻る。食事当番が決められ、直ちに食事を始める。8時から乗馬の練習があるので、食事を早くしなければ間に合わないのだ。乗馬経験者は十名だった。残りの者は初めての乗馬であり、野本教官の指導のもと練習が始まった。私は初心者だったので、約十日間は区別され練習が始まった。

 その後全員合同で練習が行われ、厳しい毎日が始まった。同級者の中には痔を患い、跨下
(コシタ)下履きを真っ赤にしていた者がいた。(鈴木良之介君)
騎兵隊だから当然の訓練だったが、徐々に訓練の内容が進み、鐙(アブミ)の長さを決めたり、わざわざ外したりして厳しい訓練が続いた。

 砂場の訓練では、支給された銃を背中に背負いながら、障害飛越という訓練を受け、なぜここまで激しい訓練を受けなければならなかったか、後日分かったことは、翌一月八日の観兵式に昭和天皇の前での観兵式に出るためだった。

 この観兵式に臨んだ日は、古兵が失敗を恐れ、落馬したら自殺するんだぞと言われたが、横一線に並んでいるので、落馬の心配はなかった。中隊長のサーベルの指揮で全員同時に駆け出したので、落馬の心配はなかった。おそらく走ったのは五分ぐらいの時間だった。初年兵は誰も落馬したものはいなかった。

 この瞬間を最後に乗馬したのは、最後になった。無事に終わったので、古兵も一安心だっただろう。それ以来、歩兵と同様で、敬礼の仕方とか、匍匐(ホフク)前進訓練とか、射撃訓練、体操、その他訓練を受けながら,甲乙の候補生に分別され、幸い私は甲種候補生に選ばれた。その後習志野の騎兵学校へ入学した。

  この学校の訓練は大変厳しいもので、将校になるための訓練は現在では考えられないものだ。特に卒業間際になって、一ケ月の延長があり、ジャングルの中での特別訓練を受けた。
現在の身になって考えると、よくぞ耐えられたものだと、若き日の思い出がよみがえって来るのだ。以上

  平成22年10月7日             石井 立夫