産経新聞の朝の詩(10月20日)

百一歳、東京都府中市、林トシ子さんの記事が書いてあったのを記録しておく。

丈夫な体は親ゆずり
還暦古希喜寿傘寿米寿
卒寿白寿上寿と事なく

百一歳になりました
我が町内から百歳の人
はじめて出たと
皆にこにこしていました
県知事様や市長様が
早速祝いに来て下さった
雲の上のお方と仰ぐ
大臣様から祝辞が届く
我が家の最良の年でした
この喜びを父母が知り
飛んできそうな

以上が林トシ子さんのほほえましい詩である。

 私は百歳まで生き延びることを願っているが、百歳の上の寿の言葉は知らなかった。
現在は健康に恵まれて卒寿の域まで生かして戴いているが、この後白寿、上寿と続くので、なんとかその域に達するよう長生きしたいものだ。

 学生時代にチブスを患い、約一ケ月入院した。やっと明日退院するという日の朝、妹が長崎で危篤という電報がきて、付き添っていてくれた母が泣きながら長崎まで列車に乗って行ったのを覚えている。結局妹は空しく死んでしまったが・・・・・・。

 その後天燃痘を患い、この時も我が人生は終わりと覚悟し、遺書めいた手紙を母親に出したら、看護婦さんたちが、ぞろぞろ病室に来て、笑って心配しなくてよいのよ・・・・と励ましてくれた思い出がある。

 人生何度か危機に迫られたことはあったが、今日までなんとか生き伸びているのは、幸いなるかなと感謝しているのだ。

 兵隊検査で合格し、東京の騎兵隊へ入隊した。順番に野戦に追い出されるのだが、幸いなるかな、終戦になるまで東京の部隊で過ごし、無事故郷へ帰りついた。
B29の爆撃は嫌というほど経験したが、これも無事避けることができた。

 妙な縁で炭鉱夫の経験もした。四ケ月の経験だが、落磐の恐ろしい経験もなしで終わった東京へ出て就職もしたが、なんとか無事勤めが出来て、引退したが、その後湯河原町の電力会社の管理人として勤め、これも無事なんとか勤めて、現在に至っている。

卒寿という年齢に達し、現在は日々無事健康を保ち、パソコンを友とし、エッセーなどを書いて楽しんでいる。頭脳は後生大事に使いながら、余生を過ごしている。以上

  平成22年10月21日             石井 立夫