113日文化の日に思う

 この日は私にとっては特別の思い出の日にあたる。戦前は明治節と言っていたが、軍隊では、この日は初年兵にとっては、初めての外出許可の日になっていた。
この日に私は友人に何気なく「天皇機関説という言葉があるが、どうゆう意味だろうか?」と聞いた。友人は俺も知らないな・・・・と答えた。

 そばで聞いていた班長は事・天皇云々の言葉を聞いて、即座に私ひとりは外出禁止と言われた。むしろあっけに取られた私はその命令に従ったのだ。当時は軍隊では、極端に(天皇云々)という言葉に神経質になっていたらしい。殴られはしたが、外出禁止のほうが痛い思い出になった。

 せっかくの外出許可の楽しみが取り消されたのだから、情けない気持ちだった。
このような情けない思い出を探ればいくらでも当時の軍隊ではあった。さて外出許可が出たとしても、訪ねて行く場所もない、元の下宿先へ行っても楽しみはなかった。もともと私は東京生まれになっているが、戸籍上・昔の小石川区だったので、残念ながら生まれ故郷には行ったこともない。
父が結婚のために戸籍を臨時に作成したためだった。
この事実は後に意外とやくにたったのだが・・・・・・。

軍隊に入ったが、偶然・故郷が東京・文京区になっていたので、近衛騎兵連隊に入隊になった。

 これが幸いになったかどうか当時は理解できなかったが、連隊長の入隊に際し、この部隊が如何に名誉と伝統のある部隊であるか説明があり、付き添ってきた父親は大変名誉ある軍隊に入隊できたか、大変名誉なことだと喜んでいた。さて、入隊してからの苦労はなみ大抵のものではなかった。騎兵隊だから、馬の話から始めなければならない。

 入隊時は34名が同時に入隊になった。幹部候補生として17名が合格したが、私はどうやら合格した。その間の訓練は厳しいもので、その年の五月に騎兵学校へ入学、年末までの訓練は大変厳しいもので、現在考えるとよくぞ体力が持ったものだと思う。

  乗馬の経験者は7名ぐらいだった。後は未経験者だった。最初からハンデーがついたが、なんとか皆についてゆくことが出来た。学生時代にスポーツに専念したお陰だと今考えるとラッキーだった。

 伊藤君という名の者と隣のベットだったが、彼は学生時代から乗馬の経験があり、しかも唐手の名手だった。体が低い人だったので、それを補うために訓練を重ねたらしい。
当然彼と仲良くなったが、左隣の人は幹部候補生になるための勉強を夜寝てから、懐中電灯の中で勉強していたが、風邪がもとで死んでしまった。

 あたら彼は青春を失ってしまったが、青春とは何か?すべて軍隊では無視されたものだった。軍隊を廃業して故郷に帰ったが、敗戦になったため、惨めな思いをするような人生を迎えることになった。

 激しい戦後の生活に対処してゆくためには、体力だけが残っていたという無情な生活が始まったのだ。果たしてその惨めさを取り戻したのか、今に至るまで残りの人生に、なんとなく誇りと、自信がないまま過ごしてきたように思う。人生の終末を迎えて、これが人生だったのか?と思えてならない。以上

  平成22年11月11日             石井 立夫