歌人斉藤 史を読む

 私の軍隊時代の友人で、現在日本画々壇の重鎮といわれる人がいる。この人と共に、過ぎ
し若き日の陸軍士官学校出身の教官に、単に肉体的に鍛えられただけではなく、精神的に教
えられたことどもを懐かしく思い出しながら、語ることが多い。

その教官がサイパン島で散華し、まさに若武者と呼び、その歴史の背景などを調べている。
その当時陸軍士官学校出身の将校は、大なり小なり2.26事件の元祖とも言われた北一輝
と言う名の男の書いた日本革命の論文を読み、その影響を受けて、心酔していたのだ。

  この名の歴史的史実は別のレポートで書いたが、日本改造論は日本国家否定ではなく、ソ
連邦の指図を受けて、日本の存在まで否定するような共産主義とは全く別のものだ。

  2.26事件に直接連座した青年将校17名は、全員銃殺刑を受け、当時の直接、間接に
影響を受けた将校は、何らかの処分のため、左遷され、野戦場の小隊長、中隊長として、殆
どの将校は戦死したのが多いと聞いている。もともと戦争参加を目的としている学校だから
戦地にゆき、戦うのは当然の職務である。

  歌人斉藤 史の父親に当たる斉藤 瀏は陸軍将校として旭川連隊にて2.26事件(昭
和十一年)の反乱幇助の故をもって位階勲功を剥奪され、禁固五年の刑を受く。死刑の将校
の中に旭川在住時の学友栗原泰安秀、坂井直がいた。反乱の名は戦後の何の通告もなく消さ
れていた。五月、収容される数日前、長女章子生まれる。七月、友人の青年将校処刑。
昭和十三年九月、仮出所を許される。(退役陸軍少将)
もともとは歌人の素質を持つ人で
歌人若山牧水が彼の家に客人として滞在中に、若山牧水夫妻がに歌をつくることをすすめ
十七歳の頃から歌を詠み始める。

  本の題名は「斉藤史歌集・記憶の茂み」選歌・英訳――ジェイムス・カーカップ・玉城周
「和英対訳」三輪書店発刊
日本人の歌集で英語で選歌を同時に書き込まれた本は珍しい。
例えば右ページにの歌が四首あれば、同じページの左に英文で書かれている。

 その代表として取り上げられている最初の歌はこの森に弾痕のある樹あらずや記憶の茂み
暗みつつあり

     Within this forest
     is there not a tree that bears
     the mark of a bullet?
     in thickets of memory
     Undergrowth keeps darkening
     Fumi Saito
翻訳者のジェームス・カーカップ氏は、その苦労を次のように述べている。
日本語で書かれた詩歌の翻訳と言うのは、非常に特殊で、繊細な技が求められる。
すぐれた詩人の言葉はその詩人の魂の声であり、すぐれた翻訳者にしか理解することができ
ない言語で表現されているからである・・・・・・

この翻訳は最初は玉城周氏(英語の達者な人)との協力で、先ず玉城氏が翻訳したものを、
ジェームス・カーカップ氏が読み、訂正し、時には大喧嘩してまで討論を繰り替えした。
との苦労話まで書いてある。いずれにしても、英人のカーカップ氏が日本の和歌について興
味と理解力があったから、この偉業が成功したものらしい。

は生涯七千首の歌を詠み、その中から五百首を選歌されて、同時に翻訳されている。
  彼女の生涯は複雑で苦労の連続の中で育ち、特に父親が2.26事件で五年の禁固刑に処
せられていたから、余計に複雑な心境をも歌にしている。

昭和二十九年、四十五歳、一月宮中歌会始め陪聴、昭和三十一年天皇皇后両陛下の御前での
歌会始に招かれ、三年後の新年に召人(桂冠詩人)として「姿」という御題で詠まれた美し
い和歌が見事な抑揚と旋律で朗読された。

その時、天皇はの父についてふれたという。この出会いは次の短歌に詠まれている。
「おかしな男です」いうほかはなし天皇が和やかに父の名を言いませり部厚い歌集なので、
逐一感想など述べることは出来ないが、が二十七歳の時に、父親が2.26事件に関与し
た罪で五年の禁固刑に処せられショックを受けたと思われる歌を拾って見たい。

其れと彼女が九十三歳までに老いてゆく人間の侘しさ、心情が歌われているので、私には、
その心境が身につまされる思いがあったので、若干拾ってみた。

   しなやかな若いけものを馭しゆけり蹄にかかり花は散るかも(以下英文は略す)
   の真中に弾丸をうけたるおもかげの立居に憑きて夏のおどろや
   ひそやかに決別の言の伝わりし頃はうつつの人ならざりし
   いのち断たるるおのれは言はずことづては虹よりも彩(あや)にやさしかりにき
   刑さだまりむしろしづけきあけくれの父をかなしといふほかはなし
   囚人と遂になりたるわが父か逢うにむつかし手続きいくつ
   天地にただ一つなるねがひさへ口封じられて死なしめにけり
   逢いに来て多摩刑務所の門監守に頭を低く下げしわが影を見つ
   何気なく我等居りけりこの父の獄衣は眼に入らぬごとく
   天皇陛下万歳と言いしかるのちおのが額を正に狙はしむ
   ひきがねを引かるるまでの時の間は音ぞ絶えたるそのときの間や
   ひとすぢに捨身(しゃしん)の道をゆきたる友夢に来て物言ひにけり
    (2.26事件より五年の月日たちぬ)
   みづからの神を捨てたる君主にてすこし猫背の老人なりき
   ある日より現神は人間となりたまひ年號長く続ける昭和
   あなたまあおかしな一生でしたねと会はば言ひたし父という男
   老いてなほ艶とよぶべきものありや  花は始めも終りもよろし
   我の背に凝(しこ)れる昭和その時代に生きたるもののこれは負債か
   ほろびたるわがうつそ身をおもう時くらやみ遠くながれの音す
   此れはよく彼は許さぬ差し入れの物をえらびて逢ひにゆく母は
   晩年の父をめぐる日し穏(おだ)しければ今の間に<死>の来よとねがひき
   老い呆けし母を叱りて涙落つ無明無限にわれも棲みゐて
   日露戦に父が持ちたる双眼鏡敵にあらざるものも映しき
   死後もなほ父母の子にして朱の線に繋がれて居り家系図の上
   枕頭のばらの残骸取りすてて昭和終れりといふ記事を読む
   晩年はさびしからむと言はれしが晩年を経ず不意に死にたり
   戦前派と呼ばれて長く生きて来つまた戦前派となるな夢にも
   生きる樹の耐へ得る限度知らざればその凍裂の音におどろく
   わが年齢に母は盲目の闇に住み頭の中に何の色を視てゐし(緑内症から最後は盲目と
   なる)

   夢に逢ふ人等のために醸したり昭和苦酒・平成酸酒
   すでにしておのれ黄昏うすら氷(ひ)の透けるいのちに差すや月光
   携帯電話持たず終らむ死んでからまで便利に呼び出されてたまるか
   おろかなる所業と父を哂ふあり余燼にまみれ子は生きて来つ
   わが上の九十年を流れたる月日痕跡(あと)なきことのやさしき
   昭和の事件も視終へましたと彼の世にて申し上げたき人ひとりある
   二十一世紀人はいかなる歌を書く九十年生きて我はこれだけ
ざっと選歌しただけで三十五首もあった。まだまだ美しく、自然の情景を歌い、繊細な美を
歌い込んだのは、無数にあるが私の選歌を、もし他人なら別のより良い歌を選んだであろう

歌には詠む人により、感性が異なるものと思うからだ。
  の字体は全部旧仮名使いだが、私の如き老人には、むしろ昔習った覚えがあるので、懐
かしさを感じる。それと独自の字を時には使ってあるので、読みこなせない字があった。
恥かしく思った。

  戦時中長野県に疎開、それ以来長野県との縁がふかくなり、昭和二十八年父を亡くした。
昭和五十四年母キク死去。昭和五十八年長野市池田町内鎌神社境内に瀏史親娘歌碑を建つ
   「墨染めのそれとまがへど牡丹花のむらさき匂ふおぼろなる月」瀏
   やまぐにの春の遠さよ夕空は燃えておもひを深むるらしも」 
老いゆく己の姿を静かに、冷静に歌いこなし、自己の存在。アイデンテイテイを惜しげなく
歌いこむ姿は、最早神の如き在り方を思わせる。  
   「君は死者われは老いたる生者にてその距離他よりいささか近き」
九十三歳で亡くなった由、立派に長生きされ、日本人の心を歌いこなした永遠に忘れること
のない歌人として後世にその名を残すことだろう。

                             石 井 立 夫