いまだ木鶏たりえず

 昭和十四年一月場所“相撲の神様”双葉山が“安芸ノ海”に敗れ、連勝が六十九で止まった。彼が知人にあて打電した「いまだ木鶏たりえず」の文面である。中国の寓話「木鶏」どんな相手にも心を動かさない木彫りのような闘鶏との話になぞらえた自身の未熟さを省みたものだが、この日の白鵬は木鶏ではなかった。

「勝ち星を伸ばしてやるというスキがあった」前日、江戸時代の横綱谷風の63連勝にならび、残すは69連勝だけとなった直後での痛恨、「もうちょっと(連勝を)行きたかったですね」と声を絞りだすしかなかった。

“相撲の神様”双葉山の足跡に至るには何が足りなかったのか・・・・、「改めて思うのは・・・、(自分は)こんなものじゃないかな。今日一日ゆっくり考えます}25歳のモンゴル人横綱の歴史手的挑戦は、ひとまず終止符を打った。(1116日産経新聞)双葉山は相撲界においては、おそらく不世出の異才を放った相撲取ではなかったか。その後の相撲業界では一人白鵬が挑戦したのである。しかし残念ながら63連勝で終わった。何事に挑戦するにも目標になる数字がある。これに挑戦する人は偉いと思うが、仮令失敗しても、再挑戦する気概がほしいものだ。

 その点白鵬は立派なものだが、一時は気概を失い、再挑戦するまでには時間がかかるだろう。しかし彼は必ず再挑戦すると言明している。彼ならやるだろうと期待している。奥さんが日本人だから余計そう思えてならない。

 最近の日本人の若者を見ていると、果たして何事にも挑戦する意欲が見えないと批判されるケースが多いらしい。例えば大学・専門学校出身者の就職の比率が低いと盛んに報道されている。日本経済の低迷が影響していると言われている。

 

  当然その影響は否定できないだろう。しかし私のような老人からみると、どうしても批判的にならざるを得ないのだ。現在ほど恵まれている環境はないと見えるのだ。例えば視野を世界に向けてみると、外国へ出るチャンスは幾らでもあるではないか。その前に世界的な兆候として、英語が世界語になっている情勢であることを知るべきではないか?英語なら世界の国々にわたっても、まず通じるのではないか?

 言葉が通じることがあれば、これに勝る喜びはないのでないだろうか。
最近の若者はかなり英語に強いと言われているが、果たして実際はどうであろう。
海外に出て話が出来る喜びは老人の私にとっても経験があることなのだ。
例えブロークンでも良いではないか?

 日本人は語学に弱いとよく言われているが、現在はそのような時代ではないはずだ。
別の面での若者へのアドバイスだ。女性の場合は別として(怒られるかな?)男性の場合はまず心身を鍛えるべきではないか?

 まず自衛隊へ進み、団体生活の経験を知るべきではないかと思う。戦前の老人の戯言と言うなかれ。世の中は団体生活に満ち溢れているではないか。一人独立精神の旺盛な方は、別として、団体生活に慣れていない若者は果たして生きていけるのだろうか?世の中は理屈では通じないことを知るべきだ。

 これは数多くの老人の述懐なのだ。自分の苦い失敗を語ろうとしない人は実に多いのだ。
空しい思い出を語っても致し方がないのだ。若者への忠告はいつも嫌われ、けむたがれるのは、いつの時代でも通じる。しかし若者への夢を老人からは、いつなんどきでも見ているものなのだ。夢を託しているともいえる。当然ではないだろうか。以上

  平成22年11月18日               石 井 立 夫